一五. 恋華繚乱②
先の第一次長州征伐が、近藤達の願いとは裏腹に、竜頭蛇尾に済まされた直後から、
長州内では反幕府勢力が復権し。察知した幕府によって第二次長州征伐への動きが強まる中、
京の情勢は、もはや油断ならず。
近藤は予定していた二度目の東下を今回は断念し、それに伴い、付き従う予定でいた沖田も京に留まることとなった。
土方と斉藤そして伊東が、代わりに出立したその日の午後。
冬乃はハタキを手に、隊士部屋の広間の一角で。
今日も隊士たちに囲まれていた。
「冬乃さんって今、好い人いないってほんと?」
「沖田先生とは何でもないんだよね?」
「許嫁は?」
囲まれるなり矢継ぎ早に浴びせられた質問へ、もはや首をふるしかない冬乃に、
「だったら、次いつ仕事休み?呑みにいこうよ?」
乗り出してくる隊士達。
冬乃はしずしずと頭を下げる。
「すみませんが、この後まだ仕事が詰まっていて・・」
事実、あまりに広くなった屯所に対応しきれず、やってもやっても掃除が終わらないのだ。
茂吉、藤兵衛は勿論のこと、お孝までがあいかわらず新屯所まで来てくれているが、もはやこの人数では仕事が回しきれなくなっている。
早く掃除に戻りたい想いを抑えつつ、冬乃は皆を見渡す。
「仕事が休みの日も予定が詰まっていますので、・・すみません」
好きな人がいるからその人としか呑みにいきません、と誰彼にも断り続けるには、このところ効率が悪すぎた。
初めの頃はいちいちそんな返しをしていたが、これだと「それ誰」「隊内なの」と十中八九返され会話が終わらないのである。
屯所が移ってから。あちこち広すぎて掃除の時間が倍増しただけでなく、隊士部屋での滞在時間も格段に増えたぶん、隊士達と接する時間も比例して増えて。
壬生に居た頃は遠巻きに様子見していた彼らが、冬乃と近くで顔を合わせる頻度が増えるにしたがい、こうして話しかけてくるようになっていた。
それも隊士の数自体、増えているせいで。冬乃が断っても断っても、毎回、屯所のどこかで、誰かしら新たな別の人に声かけされる事態で。
(どうなってんの・・・)
まさか、隊士全員に断り終わる日が来るまでこれが続くわけはあるまいに。
これでは仕事が進まない。どころじゃなく。
屯所に未婚で男無しの女がうろうろしていれば、あるいは仕方ないのだろうけども。
冬乃は溜息をついた。
それなら決まった恋人がいると適当な嘘を言ってしまえば済むのかもしれない。
それができない理由は、
悲しいかな、捨てきれない恋心がゆえ。
(沖田様の耳に、どう噂が届こうが、どうせ沖田様はなんとも思わないのに・・・ばかじゃないの私)
それでも冬乃が、誰かと恋仲だと、沖田にだけは誤解されたくない。
そんな想いが冬乃を留め続けて。
(情けないなあ・・)
叶うことなどありえない、この恋に、どんな必要があってそんな心配が要るというのやら。
「はぁ」
冬乃は何度目になるかわからない溜息をついて。漸く抜け出した隊士の輪から、次の掃除場所へと急いだ。
そんな日々のさなかだった。
「おい女中」
これまでの隊士達と明らかに感じが違う呼び止めに、
冬乃は驚いて。後ろまで来ていたその男を振り返ってまじまじと見つめた。
(この人どっかで・・)
「隊士部屋にいるから茶を持ってこい」
(・・?)
「どなたが、いらっしゃるんですか」
「は?俺に決まってるだろうが」
客人でも来るのかと思いきや、どうやら、この男は自分へ茶を持ってこいと冬乃に命令しているらしい。
箒を手に、冬乃は目を丸くした。
(なんだこの傲慢男)
どこかで見たことがあるのだが。
「・・あ」
まもなく冬乃は気が付いた。
佐久間象山の息子だ。冬乃の記憶にある象山の写真にどことなく目元が似ている。
昨年、暗殺された象山の仇討の為に、名を改めて三浦敬之助と名乗り、新選組に客員待遇で入隊していた。
歳は冬乃と同じくらいなはずだが。
(たしか性格に難点があったって後世に伝わってたけど・・・なるほどね)
おもわず苦笑してしまった冬乃を前に、三浦は眉間を狭めた。
「何がおかしい」
「すみませんが、」
冬乃もこんな男に対しては、人が悪い。
「どうぞ厨房へお入りいただいて構いませんから、ご自分で好きなだけ用意なさってください」
言い放って冬乃は背を向けた。
「貴様!」
・・まあ。それで済むとも思ってはいなかったものの。
冬乃はもう一度向き直った。
「なにか?」
「俺を愚弄するのか!俺に厨房なんかに入って茶を作れというのかよ!」
「そうですけど」
「このっ・・」
いきなり平手が飛んで来て。冬乃は軽く飛び下がった。
「お怒りのところすみませんが、貴方にお茶を用意する義理はありません」
平手打ちを難なく避けた上に冷静に拒否してくる冬乃に、三浦は少し面食らったようだった。
「く、組の女中だろうが!」
「ええでも、貴方の女中ではありません」
「・・・!」
以前に沖田個人に、なかば好意から、食事を用意しますと申し出た時、自分の小姓じゃないのだからと断られたことを冬乃は思い出していた。
中核幹部の沖田でさえ、使用人からの個人的な給仕を受けようとしなかったのに、
なぜ客員扱いとはいえど平の隊士の三浦に、茶を用意して持っていかなきゃならないのか。
冬乃だけでない。お孝や他の使用人がこの先、彼に面倒をかけられてもたまらない。
「御存知なかったのでしたら、以後お含みおきください。組の使用人は、誰か隊士の方個人の使用人ではございません」
なかば睨むような眼差しになりながら冬乃は、声に気迫を籠めて三浦を見返した。
(平手打ちかましてきたのは、無かったコトにしてあげるから)
理不尽にいきなり殴られかけるいわれも無い身としては、腹立たしいものの。当たっていなかったから、まだ良しとしようと、冬乃は自身に言い聞かせる。
「もう宜しいですか?」
「・・・」
三浦は答えなかったが、明らかに不服そうだった。
仕事が山済みだ。冬乃は返事を待たず軽く会釈をしてみせ、再び背を向けようとした。
「ッ、待て無礼者!」
だが、その悔し紛れな呼び止めに。
(ていうか、無礼者って)
冬乃は呆気にとられて。
「たかが女中のくせに無礼だろ!詫びろよ!」
「・・貴方に雇われてるわけじゃないですから、無礼な言動してるつもりは毛頭ありません」
「な、なんだと!?」
「何の騒ぎ?」
つと塀の向こうから顔を出したのは蟻通だった。
(あ)
「どうしたの冬乃さん・・と三浦君?」
蟻通が驚いた様子で冬乃と三浦を見比べて。
「っ・・・!」
三浦が答えずにくるりと踵を返して、あっというまに歩み去った。
冬乃は息をついて。蟻通に向いた。
「お騒がせしてすみません。声かけていただいて助かりました」
「大丈夫なの?あの子、ちょっと問題あるからね・・もし何かされたなら、」
「いえ、」
冬乃は首をふってみせた。
「行き違いがあったようで、・・もう次は大丈夫だとおもいます」
「そう」
微笑む冬乃の様子からとりあえず安心したらしい蟻通が、小さく相槌を打って。
「それと最近、皆が貴女を」
そして何か言いかけて蟻通は一瞬、次の言葉を考えるように留まり、目を逸らした。
ひゅう、と春の風が二人の間を吹き抜ける。
蟻通は、冬乃を再び見据えて。
「誰が、貴女と付き合えるか競ってるみたいだから・・中には強引なのもいるかもしれないので、気をつけて」
(あ・・)
冬乃は。頭を下げた。
「わかりました・・有難うございます」
「忙しい・・よね。じゃあ俺はこれで」
ちらりと冬乃の手にある箒を見やって、蟻通がそんなふうに気遣ってくれるのへ。
冬乃は、改めて礼を返すと、去ってゆく蟻通を見送った。
(有難うございます、蟻通様)
決して強引に来ることはなく、ただ冬乃を気にかけ、見守っていてくれる。その優しさはとても温かく。
蟻通の気持ちに応えることができない一抹の申し訳なさと相まって、冬乃の心を緩く締めつける。
(沖田様も・・私に対して、こんな気持ちだったりするのかな)
冬乃は小さく溜息を落とし、切り替えるべく箒を構え直した。
暴漢に襲われそうになって、土産を落としてきてしまったことに。薬もその時に落としてしまったと添えて、
冬乃は、茂吉から久々にもらえた半日の休みに千代の家へ顔を出すなり、頭を下げた。
「冬乃さんがご無事でよかったわ」
千代がすぐにそんな冬乃を起こして、心から安心した様子で微笑んだ。
「ほんとにごめんなさい、それから・・」
もうひとつ、言わなくてはならないことを、そして冬乃は、千代を見据えて告げた。
「沖田様は、今は隊務が忙しくてお時間とれそうにないご様子なのです。江戸にじつは東下なさる予定でいたのも、それで取りやめになって・・」
「なので、とても声をおかけできそうになくて・・・ごめんなさい」
もう一度、冬乃は頭を下げた。
己の内の罪悪感を、無理に落とすように。
「それも仕方ありませんわ。どれもこれも冬乃さんが謝ることありませんの、頭を上げてください」
千代の慌てた声に、冬乃は頭を上げながら、胸内をちくりと刺される想いに、小さく息を吐いて。
千代のほうは、冬乃を気遣うように小首を傾げた。
「それに冬乃さんとお出かけできるだけで楽しすぎるくらいですもの。沖田様には、どうかご自愛くださいますようお伝えください」
その、かわらぬ千代の明るい笑顔と。
もし冬乃がこんなふうに、千代と沖田の再会を妨害するつもりでさえ無ければ、救われたであろうその優しい台詞に。
冬乃は、もはや耐えられず。この後また仕事に戻らなくてはいけないと言い置いて、早々に千代の家を後にした。
昼間の人通りの多い中、何事も無く帰屯した冬乃は、女使用人部屋へと戻り。
(今日の持ちまわりは・・)
お孝が今朝きて置いていった当番表を手に取る。
使用人をもう数人雇ってもらえるように茂吉が動いてくれているらしい。大変なのもあと少しだろうかと。
願いつつ冬乃は、前掛けをつけて外に出ると、縁側に立てかけてある箒とハタキを手に取った。
途中ですれ違う隊士達が、挨拶してくれるのへ返しながら隊士部屋の建物へと向かう。
千代の家から帰ってくる頃は空を覆いがちだった雲の隙間を、覗き始めている日差しに冬乃は目を細めた。
遠くからは、隊士たちの威勢のいい掛け声が聞こえてくる。移転に伴い増設された道場からだ。
本来ならばお経が聞こえてくるはずの、ここ西本願寺の境内で、勇ましい男達の哮え声が響いているさまに、冬乃はおもわず笑ってしまう。
「冬乃さん、」
前から近づいてきていた隊士が、つと冬乃を呼び止めた。
(ええと?)
たしか一昨日あたりに声を掛けてきた隊士の中にいた気がする。
「考えておいてくださいましたか?」
「え」
立ち止まるしかない冬乃が、戸惑って彼を見返すと、
「僕と呑みに行くことをです」
きりりとした眼差しが、冬乃を見つめてきて。
彼が眼鏡をかけていたなら、確実にフレームを人差し指で持ち上げているだろう。
冬乃の学校にいる風紀委員たちのような、どことなく潔癖な雰囲気が漂っていた。
もっとも、いきなり呑みに誘ってくる時点で、風紀委員も何もないかもしれないが。
(誰だっけ・・)
あの時、名乗られた気もするが、何人も同時だったのでよく覚えていないのだ。
「あの、すみません。前回もお伝えしたと思うのですが、忙しいので呑みに行ける時間が無いのです」
「そもそも、僕の名前を覚えてくださってもいませんよね」
「え」
「つまるところ、はなからご一緒くださる気がないだけでしょう」
冬乃は押し黙った。
というより、そこまで分かっているなら、諦めてくれてもいいものだが。
「僕は池田小三郎といいます。まずは覚えてください」
(覚えてくださいって)
冬乃は苦笑してしまいながら、その記憶にある名に改めて思い至った。
そういえば池田はこう見えて、のちに沖田達と同じく組の撃剣師範を務めるほどの、一刀流剣術の遣い手だ。
冬乃はおもわず見直して、いずまいを正してから、
「ごめんなさい」
ぺこりと詫びた。
「以後、池田様のお名前は忘れません。ただ、呑みには行けません」
「そもそも、休みの日も忙しいと仰いますが、夜までお忙しいのですか」
顔を上げた冬乃を、きりりと、やはり眼鏡の似合う顔が追求してきて。
「ハイ」
冬乃は慌てて頷く。
「いつも夜もお忙しいということは、いつも先約があるということですよね?それも夜ならば、呑みの先約が」
「そういうわけではないんですが・・」
なんだか理詰めで迫られそうで、冬乃は恐々と構える。
「では何があって夜もお忙しいのですか。・・僕は、貴女が嘘をついているとまでは責めません。ですが、」
きりり。
眼鏡がその顔にかかっていないのが、いっそ残念になる。
「いつも夜まで忙しいと仰るのは、いささか無理があると思いますよ」
「・・・・」
冬乃は観念した。
元々会話時間の短縮のために「休みも忙しい」で通したというのに、これでは本末転倒だ。
「ほんとうは、」
切り出した。
「好きな人がいるんです。その方とでないと、呑みに行きたくないんです」
冬乃の注意深く見守る前で、池田がみるみる目を見開いた。
「そういう事でしたか・・」
(ん)
これなら案外に切り上げてくれそうだと、期待した冬乃に。
「ならば、その方と一本勝負をさせてください」
(・・・・は?)
だが、まさかの返答が。飛んできた。
(ちょ、)
ちょっと待って。
「その方と私は恋仲なわけじゃないんです。だから勝負も何も・・」
「それならば尚の事、僕が勝ったら、その方をすっぱり諦めていただくことも可能ですね?」
なんでそうなる。
冬乃は頭を抱えそうになりながら、懸命な抵抗にとりかかるべく身を乗り出した。
「彼は、私の気持ちなんて何とも思ってないに決まってますから、彼にとってはこんなの迷惑以外の何でもありません。それに、」
おもわず声を怒らせて。
「貴方に、彼が誰なのかをお教えする気自体、ありません」
池田は、だが、さらにきりりと目を光らせてきた。
「僕は決して他言はしませんのでご安心ください。約束します。それに、どうせ組内のどなたかではありませんか?組に仕事でがんじがらめの貴女が、他所で懸想するお暇など無いのでしょうから」
「・・・」
どうも池田には、その理詰め手法でいろいろ簡単に看破されてしまいそうだと。冬乃は身震いした。
冬乃の無言を肯定と受け取ったのか、池田が口元まできりっと形良く笑ませる。
「勿論、私闘にはなりませんように、稽古中の試合のかたちを取りますから、その点もどうぞご安心ください」
「・・そういうことじゃないんです、」
最早、あからさまに冬乃は溜息をついて。
「獣の世界じゃないんですから、そもそもどちらの男の人が強いか弱いかで、人の女の恋路は決まったりしません」
と、何だか三流映画のキャッチフレーズみたいな台詞だと思いながら口走る。
「ですから、稽古試合だろうと何だろうと、勝負でもって私の気持ちが変わることはありませんから、無意味です」
「その方は、そんなに弱いのですか。僕と勝負しないようにと、貴女にそうまで必死に庇われるほどに」
(逆です・・)
貴方が勝負しようとしている相手は、
新選組最強と謳われる人です・・・
とは、もちろん明かせないので冬乃は再び押し黙った。
冬乃のだんまりを、また肯定と受け取ったのか、池田はきりりとそんな冬乃を見据えてきた。
「貴女がどう仰ろうと、強さで雌雄を争うは男のさだめですので。貴女に庇われて、正々堂々と勝負させてももらえないほどその方が弱いのならば、僕は戦わずして勝利したと考えて宜しいですか」
(もうどうにでも考えていただいて結構です・・)
疲れた冬乃が、目を逸らすのへ。
「そして、それでしたら、」
池田の満足げな声が追って。
「僕は貴女を誘い続けます」
(ハイ・・)
冬乃は諦めた。
沖田に間違っても変な迷惑をかけるより、
自分が何度誘われても断り続ければいいだけのことである。
理屈で詰めてきたり、勝負をさせろやら雌雄を決するやら、勝ち負けにひどく拘る一方的なところはあるが、言い換えれば武士としての芯は感じる。
そうしてこれまで、ひたすら揺るぎない強さを求めて、その剣の腕を鍛えてきたのだろう。
そんな修行を積んできたであろう彼なら、かえって冬乃に力で理不尽に迫ってくることも無いだろうと。
(・・山野さんほどのイケメンだと、また話は違うんだろうけどね)
山野の場合。それまで拒まれたことのなかった女性経験からの絶対的な自信が、あの行動を取らせたに違いなく。
(この人が山野さんレベルの超絶イケメンじゃなくて、とりあえず良かった)
奇妙な安心をしてしまいながら、冬乃はつい、じっと池田を見た。
もっとも山野ほどでなかろうと、言っての通り眼鏡が似合いそうなその面立ちは、千秋あたりに言わせれば十分すぎるほどのイケメンだろう。
「・・・」
(あ)
じっと見つめてきた冬乃に驚いたのか、池田が再び目を見開いて。
冬乃は慌てて逸らした。
「仕事がありますので、失礼します」
そのままくるりと池田に背を向け。
誰が貴女と付き合えるか競ってるみたい
蟻通が教えてくれた事を思い出す。
池田の、勝ち負けに重きを置くあの様子では、ああまで冬乃を呑みに誘うのも解る気がする、と。もはや苦笑しながら冬乃は、隊士部屋へと急いだ。
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