一四. 禁忌への覚悟⑰

 

 

 いいかげんに味噌漬けを渡さなくてはならないと。

 それに冬乃自身まだ食べていなかったので、夕餉の席に、沖田と自分のぶんを切り分けて持っていった。

 

 広間にすでに来ていた沖田の隣へと遠慮がちに向かえば、沖田がすぐに気づいてにっこりと微笑みかけてくれた。

 

 「もう体は大丈夫?」

 

 開口一番にそう聞かれて冬乃は、今朝の冬乃の消耗具合を心配されたのだとわかって。座りながらも急いで頷く。

 「あれからいっぱい寝てしまったので、もう大丈夫です」

 「そう。よかった」

 沖田がどこか苦笑めいた眼になったのを、冬乃は一瞬不思議に思いつつも、

 「それに、今朝はお稽古を本当に有難うございました。すごく多くのことを学ばせていただけました」

 伝えたかった感謝の気持ちを謝辞にして。

 

 「あの、それから・・こちらを、」

 続いて、こんなに遅くなってしまったことに後ろめたさをおぼえながら、千代からの味噌漬けの皿を差し出した。

 

 「お千代さんから私達へと頂いていたのですが、御出しするのが遅くなってしまい申し訳ありません」

 

 「お千代さんが来たの?」

 「・・はい」

 冬乃は、

 沖田が千代の名を口にするだけですら、どうしても心の臓を掴まれたような苦しさに見舞われることは、やはり避けようがないのだと。

 改めて今。思い知らされて。

 

 息を整えたくなって冬乃は、自然を装って少しばかり俯き。そっと小さく吸ってから、もう一度沖田を見上げた。

 

 「お千代さんが、沖田様に宜しくと仰ってました」

 

 だが冬乃の僅かな表情の変化を感じ取ったのか、少し訝しげに沖田が目を細めた。

 慌てて冬乃は、「江戸のお知り合いから届いたそうです」と彼を見上げたままの己の顔を微笑ませた。

 

 「江戸の味噌漬けとはありがたいな」

 すぐに嬉しそうに笑い返してきた沖田の視線が、その手に受け取った皿を置く先の膳へと向かい。

 

 だがすぐに冬乃へと戻ってきた。

 「ところで今夜、空いてる?」

 

 (・・え?)

 

 よほど驚いた顔になってしまっていたのか、沖田がそのまま噴き出した。

 

 「何でそんな驚くの」

 「あ、いえ。すみません・・」

 「呑みにでも誘われたと焦った?」

 

 (そんなの沖田様なら大歓迎です!!)

 

 とは恥ずかしくて返せないから、言葉を探して黙ってしまった冬乃に、沖田がふっと微笑った。

 

 「夏の間に使いきれなかった花火を、為三郎がさすがに秋が終わる前に使い切りたがってるから、貴女も一緒にどうかと」

   

 (はなび)

 

 「人数が多いほうがすぐ終わるから斎藤も誘ってある。集合は八木さん家に暮れ五つ頃で大丈夫?」

 「は、はい」

 

 (すぐ終わらなくていいのに)

 沖田と花火。

 またひとつ、想い出ができそうだ。

 

 そして、花火といえば浴衣!

 と続いて思ったものの、和服があたりまえのこの時代で、浴衣!もなにもないものだと思い直す。

 

 だいたい明日になれば、浴衣どころか冬支度の衣替えがあるくらいで。

 

 (でもどうせなら、仕事着じゃなくて何か可愛い服に着替えたい・・)

 沖田とせっかくの花火なのだ。

 

 (といってもあまり服ないし・・)

 

 すでに浮き立って、食事もままならずあれこれ考えている冬乃の横では、沖田が向こう隣の斎藤と話し始めた。

 といっても、斎藤は聞く専門の様子ではある。

 

 (ここに藤堂様もいたら、きっと絶対参加してるよね)

 だが藤堂が江戸から戻るのは、まだずっと先だ。

 

 史実でなら、山南が、亡くなった後。

 

 

 (・・だめ)

 

 藤堂があの笑顔で戻ってこれるためにも。なんとしても山南の切腹は阻止してみせる。

 

 ちらりと対面側の席に坐す山南のほうを見れば、隣の井上と温泉の計画をあれこれ立てているようだった。

 

 その楽しげな笑顔を見ながら、冬乃は改めて首を傾げたくなる。

 

 

 (本当に、どうして?)

 

 後世ではあらゆる推測がなされて。

 

 同じく副長職の土方と、反りが合わなくなったという説から、

 今回の江戸行きで近藤たちが連れてくることになる伊東という文武両道の士が、

 病気がちだった山南の、隊での存在価値を貶めたためという説、

 

 (でも、)

 

 山南の存在価値とは?

 

 

 (ただ居てくれるだけで充分なほどに、山南様の存在は、幹部の人達のなかでとても大きいというのに)

 

 伊東が入隊してきたからといって、その山南に代われるはずがないのだ。

 

 (それほどに、土方様と山南様も信頼し合っていて、この後に致命的に仲たがいしそうには、とてもじゃないけどみえない)

 

 

 ・・・思想の違いが生じたため。

 そしてこれが、もうひとつの説。

 

 

 元々、近藤も、そして十中八九、山南も、

 今上天皇の望む公武一和の元での攘夷の実行を願って、京に集った身。

 

 道を間違えた尊王思想で幕府に仇なしてきたとはいえ、同じく攘夷の志を掲げる“不逞浪士”を、

 いつまでも延々と取り締まり続ける日々に、

 近藤も随分と悩んでいたことは、後世に遺る彼の書簡からみてとれる。

 

 山南ももしかしたら同じように悩んだのではないか。

 

 本来の近藤たちの目的は、幕府主導の攘夷での魁となること。

 その幕府がいつまでも渋り、

 願いの叶わぬ日々は、何かしら新たな答えに辿りつかないかぎり、苦しいままであったはずで。


 

 

 そんな中、攘夷思想の急進的立場であった長州は、

 先の禁門の変の直後に起きた、馬関での外国との紛争で、武力による攘夷の不可能を悟り。

 もはや、長州内部の急進派でさえその多くは、以前の純真的な攘夷思想をもう保持してはいない。

 それが世間に露呈するのは、もう少し後になるが、

 

 じつは追って近藤も、今回の江戸滞在時に、

 松本良順という、のちに新選組と深く関わる蘭方医から、現時点での武力攘夷の不毛さを説かれ、

 貿易による軍事力強化が先決であるとして、攘夷についての考え方を転換したともいわれている。

 

 とすれば故にこの後、帰京した近藤の元に新選組は、

 あくまで今上天皇のもう一つの意、公武一和による乱世の収束をめざし、幕府を佐けながら歩み続けることとなるはずで。

 

 

 もっとも、幕府も薩摩も、長州さえも最早、純粋な攘夷思想をもっていないこの時期にあって、

 天皇がなお、攘夷の想い強かったがために、新選組も攘夷にかんする表向きの立場をどうしたかは分からない。

 

 

 兎に角も。

 近藤は、

 つまり、これまでの苦悩に、一定の終止符を打てたのだ。


 だが山南は。

 もし、彼がその先も依然として、純粋な攘夷思想を懐いたままであったなら、

 

 近藤の思想の転換も、到底受け入れられたものではなかったかもしれない。



 (でも、・・)

 

 幕府が何故、こうも攘夷実行を渋ってきたか、

 とうの昔に薩英戦争も終えているなかで、

 博識の山南であってさえ、全く理解を示さないものなのだろうかと。冬乃は一方で謎に思う。

 

 現段階での攘夷の無謀さを

 山南こそ、むしろ一番に理解していてもいいくらいではないかと。

 

 

 (やっぱり、)

 わからない。

 いったい、何が山南を追いつめることになったのか。

 

 (もう他に考えられるのなんて、山南様が幕府そのものに失望したという方向しか)

 

 

 禁門の変で、幕府側はある残酷な事件を起こした。

 六角獄舎にいた政治犯達を、禁門の変による大火の混乱によって逃してしまうわけにいかないとして、まだ仮にも裁かれる前であった彼らを斬罪に処してしまったのだ。

 

 この事件は、敵味方かかわらず内外に衝撃を与えたに違いなく。

 その処置を巡っては、この時世においては致し方の無い苦渋の選択であったという見方もなされた一方で、守護職の会津などは激怒したという。

 

 だが、それでもこの処置は、

 戦乱と大火で伝令の行き届かぬ混乱の中、一役人が行った事であり、幕府そのものの行為と言ってしまうのは些か雑であり。

 

 

 (・・・だけど、この後の天狗党の場合は)

 

 

 「冬乃さん」

 

 

 冬乃は顔を上げた。

 

 呼びかけてきた沖田をぼんやりと横に見上げて。そこには心配そうな彼の顔があった。

 

 「また何か悩んでるの」

 冬乃は、すぐに首をふった。

 

 「すみません。ちょっとぼうっとしてただけです」

 

 沖田がどこか困ったように小さく溜息をついて「食事が冷めてしまうよ」と微笑った。

 冬乃は急いで頷いて膳へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 放心した様子のまま食事を再開する冬乃を横に見下ろしながら、沖田は彼女の少し青白い顔に目を眇めた。

 

 いっそ知りたい。

 彼女が抱えるものが、どれほど重いのか。

 

 この先の全てを彼女は知っている。

 

 そして彼女はこれまでのように、決して口にはせずに。その強い意志で、その胸の内に全てを抱え込むのだろう。

 

 

 

 先程の冬乃は、これまでと同じ悩むにしても、まるで今にも泣き出しそうだった。

 

 

 先日に、門のところで山野に慰められながら泣いていた彼女は。

 (山野さんが、・・安藤さんのことで泣いていたと言っていたが)

 

 また、近いうちに誰かを亡くすことにでも、なるのだろうか。

 

 もっとも、全てを知るはずの彼女が、安藤の死にああまで驚いたのは解せなかった。

 

 (ただ単に知らなかったのか、“知っていた事と違った”のか)

 

 

 何にせよ。冬乃をまた泣かせるのは忍びなく。

 あんなに可愛い笑顔を秘めているのだ。冬乃にはいつも笑っていてもらいたい。

 

 (ひとまず手っ取り早くは、この後の花火だな)

 

 

 「そういえば、」

 

 沖田の掛け声に冬乃が振り向いた。

 

 咀嚼に動かしていたその小さな顎を止めて、沖田を見上げてきた彼女の、その紅い唇は薄らと濡れていて。

 そんな艶にすら。もはや微かに反応している己に自嘲しながら、

 

 「花火の時は、薄着にならないよう着込んで来るように、ね」

 

 ・・そう何度も温めてあげるわけには、いかないだろうと。

 

 釘を刺せば。冬乃は、「はい」と、こちらも何か思い出したのか少し頬を染めて、頷いてきた。

 





       


   

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