一四. 禁忌への覚悟⑮

 

 


 今日の持ち回りになった掃除箇所を一通りまわった冬乃は、いったん使用人部屋に戻り、前掛けを取り換えた。

 

 この後の夕餉の支度の前に、おやつにでもと、

 それからすぐに厨房へと向かい、先日に出しそびれた野菜の味噌漬けを切って、

 山南と土方のぶんも添えて副長部屋を訪れると、沖田が居なくなっていた。

 

 (さっきまで声していたのに)

 「あの、沖田様は・・」

 

 「あいつならついさっき出かけたよ」

 土方が文机に向かった姿勢で、顔だけ冬乃を見やって答えた。

 

 冬乃が一瞬に残念そうな顔になったのをしっかり見られたのか、土方はにやりと哂い、

 「まあ野暮用だ。夕餉には戻ってくるだろ」

 あいつのぶんは俺がもらっとく

 と漬物に早くも気づいた様子で手招いてきて。

 

 冬乃は仕方なしに、土方の傍へ漬物とともに茶を乗せた盆を置く。

 

 局長部屋のほうで何やら書簡を見ている山南のところにも、盆を置いて、厨房へ戻ってきた。

 

 

 戻ってきたものの、夕餉の支度の開始まで、しばらく時間がある。

 さあどうしようかと思って、ふと、千代にまだ空いている日の返事を濁したままであることを思い出し。

 

 (いつまでも避けてるわけにいかないよね・・)

 

 あとで茂吉に次の休みを聞いておかなくては、と諦めつつ、

 

 ここにいても手持ち無沙汰なので、結局、使用人部屋で休むことに決めて厨房の戸へ手をかけた時、外で原田と井上の声がした。

 

 「なんだよ、あいつ、行くなら俺も連れてけってんだよなー」

 「どうせおまえはもうこの前で金ないだろう」

 

 

 戸の向こうから響いてくるふたりの声の距離からして、こちらのほうへ歩いてくるようだ。

 

 「しかし、この前みんなで行ったばかりなのになあ・・総司もああ見えて、けっこう露梅には入れ込んでんのかねえ」

 

 (・・え?)

 

 「な。傍から見てると、全然そう見えないんだけどな」

 「いや、待てよ。たしか例の潜入捜査って、昨夜じゃなかったか・・」

 

 

 もはや戸口の前、出るに出れなくなった冬乃が固まっていると。

 

 「あ、そうだよな?昨夜か!」

 「どうりで・・!」

 途端に、げらげら笑う二人の姦しい声が続き。

 

 (?)

 

 なぜそこで二人が笑い出すのか困惑する冬乃の前、

 そのままガラガラと、外から戸が開けられた。

 

 「「うお!」」

 冬乃の出現に、原田と井上が同時に驚いた声を挙げ、冬乃も冬乃で驚いて目を瞬かせれば、

 「ご、ご苦労さん!」

 一寸おいて井上が、首の後ろを掻いた。

 

 わけがわからぬままに冬乃が井上の労いに頭を下げると、

 「なあなあ、小腹減ったんだけど何か摘まむの無えかい?」

 どこか苦笑いな原田が、厨房へ来た目的とおもわれる台詞を告げてきた。

 

 「あ、頂き物の野菜の味噌漬けがあります・・」

 (って、)

 冬乃と沖田へとどうぞと貰ったのに、こんなに分けていいんだろうかと、ふと惑いつつ、

 

 「おお!ほしい!」

 原田が例によって可愛く目を輝かせたものだから、冬乃はおもわずハイと微笑い返し、

 「では少々お待ちください」

 と中央へ戻るべく踵を返した。

 

 そして、沖田がいま露梅に逢いに行っているのだと知って穏やかでない心境を、

 断ち切るべく、味噌漬けに包丁を入れ。

 

 (もちろん傍に居れるだけで、幸せなのだから)


 やはり前よりかはずっと乱れなくなっている己の心に安堵しつつ、

 切り揃えた漬物に茶を添えて、二人へ盆ごと手渡した。

 

 「ありがとよ!」

 何故か始終気まずそうな二人の顔を不思議に思いながら冬乃は、どういたしましてと再び微笑み返した。

 

 

 

 

 

 

 結局沖田は夕餉も島原で済ませてきたのだろう、それから冬乃が沖田の帰屯を知ったのは、もう部屋で寝るしたくをしている頃だった。

 

 襖越しに聞こえてきた沖田の話し声に、小さく騒いでいる心を抑えつけたまま冬乃は、おかえりなさい、と胸内に呟いて。

 

 

 やがて物音も聞こえなくなり迎えた静寂の内、冬乃は冷たい布団の中でそっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「冬乃さん、稽古してみる?」

 

 突然にそんなふうに聞いてきた沖田を。

 朝餉の席で冬乃は、箸の動きも止まり、今のは聞きまちがえではなかろうかと見上げていた。


 「防具は着けなくていいよ」

 茫然としたままの冬乃へ、沖田が話を続ける。

 「そもそも野郎の防具を使えというのも、貴女には酷だろうから」

 

 つまり道場に置いてある持ち主の定まっていない防具を冬乃へ貸すことは、選択肢に無いらしい。

 そんなに気遣われるほど、それらは男の汗と匂いで大変なことにでもなっているのだろうか。


 とはいえ平成の剣道で慣れてきた冬乃にとって、その防具無しの稽古にはいささか戸惑いながらも、冬乃はどぎまぎと頷いた。

 

 (夢みたい)

 沖田に稽古をつけてもらえる日がくるとは。

 

 

 (良かった、道着も残ってて・・)

 

 此処で揃えた服は、はなから当然に此処の世界に在り続けているが、

 

 今までの結果からいって、平成から着てきた服の場合は、

 それを着たままにこちらの世界で消えると一緒に消えてしまうらしく、下着類はそのせいで困ったことがあったものの、

 此処へ二度目に来た際に着ていた、あの道着は、その後に仕事着へと着替えていたために、まだ行李の中におとなしく残っているのである。



 (それにしても)

 冬乃の剣術は一度、沖田に褒められているとはいえ、

 今回きちんと竹刀を取って向き合った場合には、がっかりされたりしないだろうか。

 また褒めてもらえるのだろうか。

 

 考えているうちに襲ってきた緊張で冬乃は、早くも喉に詰まりかけた煮物に焦りながら、

 

 おそらく、冬乃が防具を着けないということは、防具を着けた沖田が一方的に冬乃の打ち込みを受けつける形の、打込稽古になるのだろうと、想像し。

 

 (でも・・・一撃でも入れられるとは、とても思えない)

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 想像通りに。というよりは、

 想像以上に。

 

 道場じゅうが興味深げに見守る中。

 

 先程から冬乃は一撃どころか、竹刀の先であしらわれてばかりであった。

 

 しかも、沖田のほうも防具を着けていないのである。

 

 

 仮にも平成で全日本三年連続優勝の身としては、ここまでされれば、悔しさに闘志も燃え滾るものなのだろうが、

 

 すでに沖田の剣を見てきている冬乃には、ある意味、当たり前の結果であり。

 

 

 (だけど、一回くらいは、沖田様に褒めてもらえるものを繰り出してみたい・・っ)

 

 

 もう何度めになるかも分からないながら、冬乃は構え直す。

 息は上がり、汗が滝のように冬乃の体を流れていても。

 

 

 沖田がこれまた、どこからでも打ってきなさいとばかりに無形の構え。

 

 一見、構えてもいないそれは、左手に竹刀を持っただけの姿勢であり。

 先程から、

 冬乃は。その沖田の構えが、一瞬にして鋼鉄の如き壁を造り出し、冬乃の竹刀をことごとく撥ねのけてしまうさまを味わっていた。

 

 もはや、

 こうまで成すすべなく、太刀打ちできない状況下に置かれるのは、久方ぶり過ぎて。

 剣道を始めたばかりの頃に戻ってしまったかの錯覚をおぼえる。

 

 平成の世で冬乃は、男子との試合も散々行ってきた。当然に、数多の勝利を得てきた。

 敗北、というほどの敗北の経験を長らくしていなかったそんな冬乃にとって、

 今の手も足も出ない事態は、

 陶酔感すら、

 揺り起こして。

 

 体はどこも打たれてはいないのに。

 心ばかり、激しく打たれてゆき。

 

 

 

 

 

 「・・そろそろいいでしょう」

 

 鍔元で受け止められた刹那に、

 ふと冬乃は沖田の声を聞いた。

 

 「これ以上やったら貴女の体力がもたない」

 

 (え?)

 そんなにも長く続けていただろうか。

 

 言われるままに、竹刀を引けば、確かに足元がふらついて。

 はあはあと、気づけば自分の息が耳に届いた。

 

 息を整えようと冬乃は、急いで大きく空気を吸い込む。

 「よくがんばったね」

 そんな冬乃を沖田が慰労し。

 

 「ここまで遣えれば、組の隊士として働いてもらってもいいくらいだ」



 (あ、・・)

 

 褒めて、もらえたのだと。

 冬乃は心内の震えるような想いで、沖田を見上げた。

 

 「ああ、ほんとに。大したもんだよ」

 井上の声に、そちらを見やれば、

 井上が傍までやってきて、本当に感心している様子で、その目を見開いてきた。

 

 「すげえじゃん嬢ちゃん!びっくりしたよ!」

 井上の後に続いた原田も、興奮した様子で声を上げてくる。

 

 (嬉しい・・)

 

 「やるじゃねえか、未来女」

 (え?)

 

 なんと、いつのまにか来ていた土方までが、冬乃を褒めたことに。

 

 (うそ)

 

 このあと槍でも降るんじゃないかと、

 目をまんまるにしてしまった冬乃の。横では原田が笑い出した。

 「こいつはすげえ。土方さんが褒めたよ」

 

 「風邪ひかないうちに汗流しておいで」

 同じく笑う沖田が、立ち尽くしたままの冬乃を優しく促した。

 

 






   

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