一四. 禁忌への覚悟⑬

 

 沖田が出ていった後、ふと冬乃は首を傾げた。

 そういえば何故、沖田はいきなり落語を話しだしたのだろう。

 (・・?)

 

 もっとも、沖田の言動が冬乃にとって謎なのは、今に始まったことでもないので、冬乃はあまり深く考えないことにして。

 先の落語のオチを思い出して、そしてまた噴いた。

 

 

 

 

 

 

 美味しい・・!

 

 全くこちらに一度たりとも視線を寄越した様子なく、手際よく全ての配膳を終えて出て行く使用人を目で見送った後、

 冬乃は前に並ぶ御馳走を口に運んで感動していた。

 

 やはり沖田のぶんは残しておいて、彼にも食べてもらいたいものである。

 

 (お夜食でもいいんじゃないかな・・)

 

 そうと決めると結局、沖田の膳には手をつけず、冬乃は自分の膳のみ有難く完食して箸を置いた。

 

 

 (早く帰ってこないかな)

 

 何事もなければいい。一方で、組のためには、収穫があったほうがいい。なんとも複雑な気分であり。

 

 

 収穫が無い場合も、もう冬乃が明日ここに泊まることはない。昼には、店の者には散策にいくような様相を見せてここを出てしまうのだ。

 沖田も同様である。

 

 あまり収穫までに日数を要することになるようならば、また戻ってくる必要は出てくるものの、ひとまず部屋さえとってあれば、いいのだから。

 

 さすがに今夜は、御忍びで来てすぐ外出というのはありえないから大人しく泊まるだけ。

 

 

 (泊まるだけ。っていうか)

 だけ、もなにも。夜になるにつれ、冬乃は恐ろしく緊張し始めている自分に気がついている。

 

 真弓あたりに今の心境を伝えたら「今さら?にぶすぎ」とか揶揄われそうだ。

 

 (でもほんとなんで今さら、こんなひどい緊張してきてるの・・)

 

 

 べつに事態をきちんと把握していなかったわけでもない、はずだ。ただ相手が沖田だからこその、絶対的な信頼感と、

 自身の側もまた、彼を隣にこれまで散々寝てきて、さすがに最初の頃のように緊張しすぎて眠れないことはもうないだろう、と思ったからこそ。

 

 (でも、・・)


 考えてみれば。

 男女がふたりきりで一晩同じ部屋にいて何もなくても、それは普通なのか、

 (・・て、そういう状況にフツーならないから、仮定からまちがってる・・?)

 でももしも、

 そういう状況ならば何かあるほうが普通なのであれば、

 冬乃が泊まることを受け入れた時点で、まるでそれは・・・。

 

 

 (・・男の人ってこういうとき、どう思ってるんだろう)

 まさか冬乃が、何かあってもいいと思っている、

 と、沖田から思われていることは、さすがに無いはず。

 

 だから、警戒心がない女だとか軽い女だとか、よもや思われているはずは、

 

 (ない。ないよね)

 

 なんか、

 (混乱してきた・・)

 

 

 「入って平気?」

 

 突然聞こえてきた襖の向こうの沖田の声に、冬乃は飛び上がった。

 

 「はい!」

 まもなく襖は開けられて沖田が入ってきて。

 

 「収穫は、ありました・・?」

 急いでこれまでの心中を一掃して咄嗟に尋ねた冬乃に。沖田が首を振った。

 「それらしき客は居なかった。これは明日も続行決定だ」


 明日から山崎たち監察が引き継いで続けるということ。

 冬乃は、喜んではいけないものの、今夜は平和に過ごせることに、それでもほっと息をついてしまって。

 

 沖田のほうは、完全に手付かずで残されている様子の、膳の食べ物に目を遣って、ふっと微笑った。

 まあ想像はしていたけど、とその顔に書いてある。

 

 「あの、美味しかったのでやっぱりお夜食として召し上がられてはと思って」

 冬乃の畏まった声に、

 沖田がそのまま頷いた。

 「割と腹減ってるし今食べてしまうかな」

 その返しに冬乃はほっとした。

 

 


 行灯の橙光の手前で冬乃は、土瓶から沖田の湯呑へ茶を注ぐと、湯呑を手に、膳の前に座る沖田の傍へと向かう。

 

 ただ近づくだけなのに、

 冬乃は息苦しさと、胸の煩い鼓動に、困って。

 

 「有難う」

 そんな冬乃の差し出した湯呑を、何の気もなさげに受け取った沖田の指先と、湯呑をもつ冬乃の指先が、触れた。

 瞬間、冬乃は、あやうく手をひっこめそうになった。

 

 かあっと顔が熱くなって、冬乃はあわてて立ち上がる。

 

 「あの、失礼します・・憚りへ」

 そのまま背を向けて冬乃は、襟内の頭巾を取り出しながら口走って。

 「いってらっしゃい」

 沖田の声を背に、冬乃は急いで部屋を出た。

 

 

 冬乃はすれ違う使用人たちに深々と礼をされながら足早に廊下をゆく。

 心臓が、煩さすぎる。

 

 (こ、・・これって一晩中つづくの)

 そうなっては、冬乃の心臓はどうかしてしまうのではないだろうか。


 ううん、だいじょうぶ。

 冬乃はすぐに思い直した。沖田のことだ、またあの寝つきのよさで、さっさと寝てしまうだろう。そうすれば、冬乃の、この変な緊張もじきに影をひそめるだろうと。

 

 そう思ってみれば、旅籠に来てからこんなに緊張しているのは、ひとつの部屋に長くふたりきりでいるのが初めてだからではないかと。

 

 (だったら、この後また慣れてしまえばきっと平気)

 

 

 厠のついでに風呂場の位置も確認してから、冬乃はそして部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 沖田の食事中、冬乃は居心地わるさに縮こまっていると、沖田が気を利かせたのか、食事している側なのにあれこれまた話をしてくれて。冬乃は申し訳なさと感謝とで、

 もとい沖田の話はどれも面白く、いつしか緊張すらほぐれて笑ってしまっていた。

 

 (もう沖田様、大好き)

 

 彼がたとえ何を思っていても、冬乃を邪険に扱うことも粗末に扱うこともない、こうして彼は冬乃の“面倒をみる立場”として、大切にしてくれるから。それで充分すぎるくらい幸せだと、

 再び気持ちは落ち着いていく。

 

 それがだから、面倒をみるという役目からの優しさであっても、冬乃はもう感謝のままに喜べるようになっていた。

 

 (たぶん、)

 今をみるようになったからかもしれないと。

 

 もともと贅沢をいえたわけでもない。冬乃は未来の人間で、沖田はこの時代の人間、決して想いが通じ合うはずのない存在なのだから。

 

 いつかは、冬乃の迷いが解決しないうちに、そもそも方法も分からず、なにもできずにいるうちに千代と彼が惹かれ合ってしまっても、

 元々、それが本来の彼の運命であるなかで。冬乃は、そうなってしまえば、そうなったうえで千代に働きかけて最善を尽くすしかないと、彼女ならきっと分かって動いてくれるのではないかと、どこかで前向きに考え始めている自分も感じていた。

 むしろ、

 そうでも思わなければ、焦燥で圧し潰されてしまいそうだから、ではあったものの。

 

 そして、もしもそうなってしまうのなら、

 今が最後の時。まだ誰か特定の愛する存在がいるわけではないだろう沖田と共に、冬乃が過ごせる最後の。

 

 

 そう考えれば。

 今を彼と居ることが、唯それだけで、幸せなのだと。

 今度こそ心の底から、思える。

 

 

 

 

 

 

 話してみれば、こんなにころころ笑う女性だとは知らなかった。

 沖田は、目の前で自分の噺に最早涙さえ浮かべて笑い通しの冬乃を、目のさめる想いで見ながら、

 これまで何故もっといろいろ話してこなかったのか、いまさら不思議に思う。

 

 よく傍に居たようで、そんなに話をしていたわけでもなかったと。

 彼女から話してくることも少なかったし、何か尋ねても、慎重に言葉を選んでいる様子で。無口なほうなのだろうとばかり。

 (いや、無口なほうには違いないんだろう)

 

 ただ、戯れ言を話して聞かせれば、こんなに可愛く笑ってくれることを。今まで沖田が知らなかっただけだ。

 

 

 「・・というわけ」

 今も、沖田が聞かせていた噺を締めくくるなり、冬乃は激しく笑い出して、体を折り曲げてしまった。

 

 「も、・・もう苦しいです」

 ついには泣き言が零れてきた。

 

 「まだまだ、あるけど」

 沖田がそんな冬乃を膳の向こうから覗き込んでみると、

 気配に顔を擡げた冬乃は涙目で、その細い指で目尻を払って。

 「いやです、もう、おなかいた・・」

 言いながら本当に苦しそうに笑っていて、成程これはさすがに笑わせ過ぎたか、と沖田が思ううちに、

 冬乃が次に何か言おうとしたらしく口を開いたと思ったら、途端、むせ始めた。

 

 こんこん咳をしだす冬乃に、沖田は少し慌てて「大丈夫?」と聞いてみるが、うまく答えられないでいる様子に。膳を退かして近寄り、冬乃の背を軽く叩いてやれば、

 「す・みま・・」

 冬乃はこんな時まで謝ろうとしてきて。沖田は感心してしまいながら、冬乃の姿勢が楽になる位置で彼女の肩を押さえて、その背をとんとんと叩いてやった。

 

 やがて冬乃の咳が落ちついた頃に、

 「ありがとうございました」

 そう言って沖田を見上げてきたその瞳は、真っ赤で。

 

 不覚にも、その潤んだ瞳の距離は。

 近すぎた。

 

 

 一瞬にして思い出した二人の置かれている状況に、沖田は、冬乃から急いで手を離し。

 

 立ち上がって元居た位置まで戻ると、退かしてあった膳を手に取り沖田は、再び冬乃と己の間を、塞いだ。

 

 

 

 

 (・・え?)

 

 今の突然といっていい沖田の動きに。冬乃は驚いて、再び残りの食事をとり出す彼をなかば呆然と見つめた。

 

 (何か気に障ること・・したっけ・・?)

 

 あまりに笑いすぎて苦しくて、もう噺は止めてと言って、その直後に器官に入って咽てしまって、背を叩いてもらってそれから御礼して、・・

 

 思い返すかぎり、怒っているとしたら噺を止めてほしいと言ったせいだろうか。

 

 いや、

 (怒っている・・?)

 というより、どちらかというと困っているような顔に見える。

 

 

 冬乃の視線に、つと、沖田がさらに困った様子の顔になって目を合わせてきた。

 

 (っ、・・)

 冬乃は慌てて、逸らして。

 

 「冬乃さん、先に風呂、行ってきて」

 だが、続いた脈絡の無いその台詞に。冬乃は、はっと沖田をもう一度見た。

 

 ねんのため夜遅くに行こうと思っていたことを言うべきかと咄嗟に迷ったものの、確かにあれは杞憂すぎるし、

 (それに今夜は、不逞浪士らしきお客さんも居ないんだものね)

 先ほど風呂場を覘いたかぎりでも、まず女性客自体が少ないようだったから、

 結局、大丈夫かなと思い直して冬乃は、はい、と返事をして立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬乃が部屋の隅で風呂のしたくをして、風呂敷包みを手に出て行った後。

 沖田は深く溜息をついた。

 

 

 (・・ったく、あんたが余計な事いってくれたおかげで)

 胸内でおもわず土方に悪態をつき、沖田は昨夜の彼の不敵な表情を思い出す。

 

 

 昨夜、冬乃を部屋へ返した後、

 土方が沖田を上目に見上げてにやりと哂った。

 

 「おめえには、ちと酷だが。明日は頼んだぞ」

 

 ・・酷。

 ようするに、一晩、冬乃と二人きりで過ごすことを言っているのだろう。

 

 「まあ任務だからね」

 仕方がない。

 平静に返す沖田に、

 

 だが土方は、

 

 「なんなら手ぇ出しても嫌がられやしねえよ。あれはどう見ても、おめえに気がある」

 と、宣い。

 

 「・・・」

 

 一瞬絶句した後、漸う「まさか」と否定した沖田に、

 

 「俺の眼はごまかせねえ」

 土方は尚も宣って。

 

 「俺がこれまで何人オンナくってきたと思ってる。見てりゃわかるさ」


 あげくのその台詞に、

 完全に呆れた顔になった沖田を見やり、土方は、くっと喉の奥で哂った。

 

 「だから、我慢するくれえなら据え膳だと思えばいい。あの女もおまえと泊まるのを承知した時点で、待ってるかもしれねえぜ」

 

 

 

 そんなわけがない。

 

 沖田は再度溜息をついた。

 そもそも、仮にそうだとして。

 

 (あんなウブそうな子に、手出せるわけないだろ)

 

 

 組の為だと。

 『新選組のお役に立ちたいんです』

 そう言ってきた冬乃の、芯の強い眼差しが目に焼き付いている。

 

 彼女がその覚悟で今夜を迎えているのに、

 

 もし百歩譲って本当に、冬乃が沖田に想いを寄せていたとして、それを良いことにどうこう出来るわけがない。

 

 (まあ土方さんならやりかねないよな・・)

 土方を再び思い出せばもはや哂ってしまいつつ、沖田は思う。

 

 べつにそれで冬乃へ想いを返せるならまだしも、

 

 己は、実際のところどうなのかと。

 

 

 彼女には、確かに以前から惹かれるものがあり。

 今夜で、さらにその想いは増している。

 

 あの隠されていた可愛い大輪の笑顔を前にして、揺さぶられない男は、逆にいないだろう。

 

 だが、

 この状況においては、この今の強まった感情が、

 いわゆる恋情の類いなのか、単なる邪まな気持ちによるものかを

 己が冷静に判別できているか定かではない。


 

 ・・いや、もとより冬乃が土方の読み通りに、沖田に想いを寄せているのかそれ自体が定かではない中で、何を惑う。

 沖田は思い直すと、

 

 思考をそこで打ち切り。一気に残りの食事を平らげ、まもなく襖ごしに声をかけてきた給仕に、下げていいと返事をし、己は立って窓際へと身を移した。

 

 仄かな町灯りの外から、涼やかな風が立ち昇り。

 

 軽く拷問な状態の今夜を前に。

 沖田は苦笑しつつ、目の端に、奥の間で使用人に敷かれてゆくぴたりと寄せられた二組の布団を映した。

 

 

 

 

 

 

 冬乃が戻ってくると、膳は片付けられており、奥の間には二組の布団が、・・まったく両者の隙間が無い状態で、敷かれてあり。

 当惑しておもわず沖田のほうを見れば、彼は窓際に懐手で立ったまま、冬乃の一連の反応に苦笑で返してきた。

 

 今しがたすれ違った使用人は、この部屋からの戻りだったのかもしれない。

 もう少し冬乃が遅く帰っていれば、沖田のほうで布団を離したかもしれないが、その機会を逃した様子で沖田が、諦めたように反対側の部屋の隅にある荷物へと向かっていった。

 

 いま互いに動いて布団を直すのは、意識しすぎているようで、かといって、あのままぴたりと付けたまま夜を迎えるのは・・

 

 (で、でも、八木家の離れではずっとそうだったのに)

 

 なのに、あの頃のように、周囲に人がいた状況と。

 今の、こんな、二人きりになる状況とが。こんなにも破壊的に違うことを、冬乃はさすがに想像しきれていなかったと、いまや認めざるをえない。

 

 

 

 

  

 沖田は己の荷物から着替えをとり出し、頭巾を顔に巻き付けると立ち上がった。

 

 布団のほうは追々直すとして、風呂へ行ってくると声を掛けようとし、冬乃へ再び向いたことを少々後悔した。

 

 

 お高祖頭巾を外した冬乃の、

 

 濡れた艶の黒髪を肩に流し、

 もう幾度と見慣れたはずの、その風呂上りの姿は。

 

 この二人だけの場においては、いやに艶めかしく沖田の目に届き。

 

 しかも纏う寝衣の胸元を、髪の雫で湿らせ、

 寝衣の下の襦袢が薄いのか、濡れた箇所で肌色が透けていることに、彼女は気づいているのか、いないのか。

 

 彼女の裸ならば、もう何度も見ているというのに。この疼く感情を持て余す己に、沖田は自嘲する。

 

 

 (このままだと、魔が差しかねないな)

 

 

 「風呂に行ってくるね」

 優しく声を掛ければ、冬乃はまだ頭巾を手に、火照った頬を微笑ませて小さく頷いて。

 

 「先に寝ててくれていいから」

 もとい、寝ていてほしい

 そんな沖田の心の声など知らぬ冬乃が、「そんなわけにいきません」と沖田の背へ律儀に返してくるのへ最早失笑しつつ、

 

 風呂のついで夜涼みに、まずは旅籠の周囲を回るかと、そして沖田は襖を閉め、廊下へ歩み出しながら、

 時間を潰す方法を、真剣に。探し始めた。

 

   






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