一四. 禁忌への覚悟⑧

 

 

 

 風鈴の微かな音が時おり奏でられる、縁側の座敷で。

 

 「喜代と申します」

 後家の女性が、最初に名乗った。

 

 「そして娘の、千代です」

 明るく花の咲きこぼれるような笑顔で、彼女も。

 

 「沖田といいます。そこの新選組におります」

 「新選組で使用人をしております冬乃と申します」

 

 出された茶に酒井が手を添えながら、

 「沖田殿には、先程、危ないところを救っていただいた」

 沖田との出会いを説明する。

 

 「とんでもない。大袈裟ですよ」

 沖田が返すのへ、

 

 「ですが、あのまま不逞の輩と押し問答していたら、或いは彼らの仲間に駆け付けられてどうなっていたかも分かりませぬゆえ」

 

 「まあ、いったい何がありましたの?」

 そんな酒井に、喜代が驚いた声を上げた。

 

 「それが、何やら人違いをされましてな。危うく、その人と間違われて暗殺されるところだったかもしれんのです」

 「いやだわ、なんてこと」

 本当に物騒な世ですこと、と喜代が溜息をつく。

 

 「ところで今日はもう往診には行かれたのですかな」

 気を取り直すように酒井が、話題を変えた。

 

 「ええ、お昼前に」

 

 それから喜代が冬乃たちに説明してくれた話では、

 

 喜代は医者の夫にずっとついて回っていたために、ある程度の看立てができて、

 夫が他界してからも、夫の看ていた患者を引き継いで診療を続けている、という。

 

 薬草から薬を作る仕事は、元から喜代の得意とするところだったから、彼女のつくる薬を求めて、患者が途絶えたことはないのだと。

 

 

 「それに、お千代殿の、看病の献身ぶりにかけては、右に出る者がいないのですよ」

 酒井が、そして千代を紹介した。

 

 「末期の労咳の患者さんさえ、面倒をみる菩薩のような方だと、聞き及んでおります」

 

 

 (・・・え)

 

 労咳。肺結核のことで。

 のちに沖田の命を奪うこととなる病でもある。

 

 

 「菩薩だなんて。単に、私は罹患しない体質なんです。もう何度も看てまいりましたのよ。でもこのとおりピンピンしてますわ」

 

 「はは、それは頼もしい」

 

 

 (違う。そんなことない・・)

 

 今、たまたま元気だから免疫のほうが勝っているだけ。

 末期の結核患者に接する回数があればあるほど、罹患する危険は高まる。

 

 

 

 「粗茶ですが、お代わりはいかがでしょうか」

 「あ・・すみません。ありがとうございます」

 

 横合いから喜代の差し出した急須を見て、有難く冬乃は礼をして二杯目を注いでもらいながら、

 にこにこと話をしている千代に、早くも心配になっていた。

 

 

 結核という病は、

 たとえ菌に感染してさえも、保有するだけでは『発病』しない。その保有した菌は、肺のなかで“休眠”するだけだ。

 

 なんらかの原因で、体内の免疫が弱まった時期に、

 結核菌の増殖力のほうが、免疫に打ち勝った場合にのみ、菌が活動を広げ、発病する病気である。



 だからこそ、その点で結核は、

 長いあいだ体を鍛え上げて体力がある沖田とは、本来結びつく要素がないはずで、冬乃はずっと謎に思ってきた。

 

 

 「・・では元々は江戸にいらしたのですか」

 「はい、京の洛外には、良い薬草がたくさん自生してますから。薬草のせいで家族ともども父にひっぱられて此処まで来たのです」

 

 くすくす微笑いながら語られる千代の話を、沖田が興味深そうに聞いている。

 二人を見ながら冬乃は、早くも心内に擡げてくる穏やかでない感情を、むりやり押さえつけた。

 

 

 何故か、わかってしまう。

 彼女も沖田も、互いに惹かれ合うものがあるのだろうことを。

 

 

 (苦しい・・)

 

 だが、

 これが歴史の定めた二人ならば。冬乃に入り込む余地など、ないのかもしれないと。

 

 

 

 (・・だけど、)

 この先、沖田が彼女と恋仲になった後に。

 

 (何が原因で、あと三年もたたないうちに彼女が亡くなって死別することになってしまうの?)

 

 

 

 沖田氏縁者の亡くなったと記録される年は、慶応三年の夏前で。

 いろいろな憶測がある。

 

 組と敵との諍いに巻き込まれたであるとか、病気であったとか、

 

 

 (・・・もし、病気だとしたら)

 

 

 この時代だって、それと知られていないだけでインフルエンザなどもあって、当然、様々な病気は存在しているのだ。


 まして看護の仕事ならば、よけいにそういった病気に接触する機会は多い。

 

 それに、もし、彼女がそれらに罹って体力が一時的に落ちている時に、

 末期の結核患者と接触することがあって、菌が彼女の免疫に勝ってしまえば、彼女は・・・

 

 

 (・・・・まさか、・・)

 


 彼女が、のちに結核を患ったとしたら。

 

 そして沖田が、彼女と恋仲になるのなら。




 (そういう、ことなの・・・?)



 

 

 ――――ずっと、疑問だった。

 

 幼少期から鍛え上げた、屈強な肉体をもつはずの沖田が、

 なぜ結核を発病するまでに至ったのか。


 何度も疑問になって冬乃は、これまで何度も、この病気について調べた。

 

 

 そして、どうしても分からなかった。

 

 沖田が、生まれてからこの方、そして発病するまでの間の、どこかで、結核菌に感染した時、

 

 その時には免疫が勝ったものの、仮にその菌が肺のなかで休眠状態になった。

 と仮定してみてさえも、


 彼の免疫が、その肺で休眠する微小の菌に、後々、再増殖を許すほどまで弱るに至るものだろうかと。



 例えばすでに十代のうちには感染し、休眠させていたとして、

 手入れを怠るとカビや埃のたまりやすい道場の環境下に、十代のはじめから長く居続けたために、少しずつ折を見てはその菌が根を広げていた、とでもいうのだろうか。




 ちりん、と風鈴が鳴る。

 冬乃は顔を上げた。

 

 (そういえば、こんな時期だったはず)

 

 江戸で麻疹が流行し、多くの人が亡くなったと記録された時も。

 

 

 (・・・沖田様が十代の江戸にいた頃から、すでに肺に“休眠菌”がいたかどうかは、微妙なとこなんだよね・・)

 

 遡ること二年、まだ江戸にいる頃に、沖田は麻疹を発症した。


 結核と違い、麻疹は感染すると、以前にこの病を経験済みでないかぎり、ほぼ全ての人が十日前後の潜伏期間ののちに発症し、現在ならば入院も要する重篤な感染病の一つで。


 病み抜けても完全に体力を回復するまで一か月を要するという、この病は、

 ワクチン接種がされていなかった江戸時代には、死病のひとつであり、罹れば天任せで、まさに命定めと呼ばれていた。



 この病気の問題は、

 体内の免疫機能が、一過性の強い抑制状態に陥いるために、

 体内に潜伏している何らかの菌がいた場合、まず間違いなく、この間に活動を再開する、ということ。

 

 つまりもし、

 沖田がこの時点ですでに、結核菌を肺に休眠させていたならば、

 麻疹に感染し、免疫が著しく低下したこの時期に、結核菌が活動を再開しなかったはずがないのである。


 だが、沖田はこの後、なんら合併症を発症した様子もなく、軽快し、半年後には京へ来ている。

 もしこの時に、結核菌が増殖を始めて発病していたならば、当然、沖田はこの後に京へ来れてはいない。



 沖田の肺には、この時点ではまだ結核菌は存在しなかったか、


 いたとしても、

 この免疫が著しく低下した時期に無事だったほど、麻疹と闘いながらなお、沖田の体力のほうが強かったということになる。




 それなのに、この数年後には、結核を発病した。いったいその時期までに、沖田の身に何があったのか、と―――――





 (・・暑い)

 

 京特有の家づくりのおかげで、屋内にいるから未だ、風を感じることができるものの。

 

 それでも汗が拭き出してくる暑さに、今も頬を流れる雫を手の甲で払いながら、冬乃は小さく溜息をついた。

 

 (初冬の時は、あんなに寒かったのに)



 「冬乃さん、宜しかったらこれお使いになって」

 

 千代たちの話の輪に入らず、ぼうっとしている冬乃に、暑さでやられていると思って気を遣ってくれたのか、隣に座す喜代が手拭いを渡してくれた。

 

 「お気遣いすみません、有難うございます」

 受け取って冬乃はそっと首元を拭わせてもらう。

 

 「京はいつも夏は極暑ですけど、今年はとくに酷くて。・・冬乃さんはいつからこちらへ?」

 言葉の様子から京都生まれではないと分かったのか、喜代がにっこりと尋ねてくる。

 

 「昨年の秋から・・です」

 と言っていいものなのか、はたして謎だが。

 

 「そしたら、京のすべての季節を、これで体験なさったことになるのね」

 

 (真冬と春は、スキップしてます・・)

 冬乃はにこりと微笑み返しつつ、内心唸る。

 

 「江戸に居た頃も、夏は暑い暑い思ってたけど・・今おもえば、なんてことはなかったのよね」

 京は好きなんだけど、気温だけはね。と喜代が溜息をついて。


 「夏は暑すぎて、冬は寒すぎて」

 

 

 そうなのだ。

 これほど寒暖差の激しい、京都の盆地の厳しい気候の中で。

 

 沖田の場合、さらには組の筆頭部隊の長としての激務により、悪条件が重なり、

 さすがに体調を崩し、体内の免疫力が落ちた時期も、この先、当然あり得たことだろうと。



 (だけど・・・)

 

 それでも。その体調を崩した一時期だけの間に、

 元々長きにわたり鍛え上げたその体で、人一倍体力があるはずの彼の、

 

 そしてたとえ、体内に昔の休眠菌がいたとしてさえ、麻疹の時期にすら両者に打ち勝ったその免疫が、

 

 この先に起こりうる体調の悪条件の、

 その一時期だけの間に、肺結核を罹患して、そして抗しきれなかった・・・とは、冬乃には、どうしても信じ難かったのだ。




 だけど、もしも。

 

 

 冬乃は、そっと千代を見た。

 沖田の気の利いた会話に、彼女は笑い転げている。

 

 

 (・・・そう。だけどもし、)

 


 それが一時期では、無しに。



 のちに『沖田氏縁者』として眠ることになるだろう、この彼女と、沖田が、恋仲になり、


 彼女がもしも後々、結核を発病し。

 

 のちに亡くなるまでの間、沖田がずっと長らく寄り添っていたのならば。

 

 話は違ってくる。




 当然、彼女が発病し、悪化してから亡くなるまでの期間には、彼女の傍で大量の結核菌に、沖田は常に曝されていたことになるからだ。




 免疫力の落ちた時、休眠菌が活動を再開して発病するものを、内因性再燃と呼び。

 結核患者の隔離への取り組みが整っている平成の日本においては、発病した場合、この内因性再燃が殆どの原因とされるが、

 

 大量の菌への、長期間の暴露がある場合には、“外来性”による再感染が起こるとされる。

 つまりは、休眠菌では無しに、押し寄せたその大量の菌によって増殖が起こるという事で。

 これが沖田の体内に起こった事だったのではないだろうか。



 そしてもし元々の休眠菌がなく、免疫が全く作られてなかったのなら尚更で。

 

 彼女の傍で長期に渡り、結核菌に曝され続け、

 何でもない時であれば、彼の免疫のほうが勝てるものでも、

 もし体調に悪条件が重なる時期があり、菌の勝利を許した場合、どうなるか。


 一時でも増殖を始めた渦中の菌を、

 本来ならそれでも、その後に回復した免疫によって抑え込むことが、出来たであろうところを、

 彼女の傍で長期に渡って菌を受け続けたことで、免疫機構に快復猶予を与えずに、さらに肺へ送り込んでいったことになる。

 まして若い人では、進行が早く。

 

 

 『沖田氏縁者』の彼女が、肺結核を発病したのだとすれば、

 時期を彼女が亡くなった日から逆算すると、慶応三年の初めの頃には、沖田へうつすほどに悪化していたはずで、

 

 その時期と沖田の一時の体調の悪条件とが重なり、そこで感染と増殖が始まったとしたなら、周囲に目に見えて彼の発病がわかった慶応三年秋とも時期が合ってくる。

 

 実際、沖田が慶応三年の二月頃に罹患した可能性を、沖田達の知己、小島鹿之助が遺していたはず。

 


 (・・・沖田様・・)


 彼女が、この時代に恐れられ忌み嫌われた、死の感染病を、発病したからといって。

 沖田が彼女を見捨てる事など、できるはずがない。

 沖田は、やつれてゆく彼女の傍に居続け、最期まで看病しただろう。

 

 (・・つまり、)

 彼の不幸なことは、

 彼女が結核を患って、それでもずっと傍に付き添っていた事だった、としたら。




 (・・・ちがう)


 不幸なんかではない。


 愛した人の傍にいたことは。けっして。




 (それでも)



 沖田様、


 私は



 貴方の、歴史を変えてでも。



 ・・・どんなに、

 それが、許されることでなく。


 浅はかで、あっても。

 


 (まだ間に合う)

 今なら、まだ。



 (・・ごめんなさい沖田様、)



 だけど、



 貴方と、彼女が、恋仲になる前に


 どんな手を使って、引き離してでも


 

 

 私は貴方を護りたい









 「・・そろそろおいとますると致しましょうか」

 酒井が立ち上がる。

 

 「お土産ありがとうございました!」

 明るい千代の笑顔が、酒井へ向けられた。

 

 「冬乃さん、」

 もしかして具合悪い?

 

 立ち上がった沖田の声が降ってきて、冬乃はどきりと顔を上げた。

 「京の夏を体験されるのは、今回が初めての御様子ですから」

 冬乃の横で、喜代が代返するように沖田を見上げて。

 

 「いえ、大丈夫です」

 冬乃は首を振ってみせた。

 「お喜代さん、こちら有難うございました。洗ってお返しに上がります」

 「そんなこと・・それよりまた遊びにいらして。ご近所なんですもの」

 喜代が、手拭をそっと冬乃の手から奪ってしまいながら微笑む。

 

 「冬乃さん、貴女にはどうしても初めて会った気がしませんの。あまりお話できませんでしたけど、今度はじっくり、」

 千代が傍まで来て、その可愛らしい声で挨拶してきて。

 「ね、次は甘味屋さんにでも行きましょう」

 「・・はい」

 冬乃は。うまく微笑むことができているだろうかと、不安になりながら頷く。

 

 (ごめんなさい、お千代さん)

 

 私は、未来の貴女の恋人を、

 どうやって貴女から引き離せるのかと、そんなことを考えているのに。

 

 

 

 玄関を出て、見送る二人を背に、冬乃達は高槻藩邸まで徒歩で向かった。

 

 日照りはあいかわらず、冬乃たちの頭上を熱してきても。

 冬乃の心は冷えきったまま、温まることはなかった。









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