血
「うぉっ、は、離してくれ! マルティネルシーラ殿!」
「くっ……!」
「やめてください! 皆さん!」
ニカさん、ギルさん、クロンさんがマーラさんたちハイエルフの皆さんに魔術で身動きを封じられてしまった。戦いには向かない人たちとはいえ、ハイエルフの高度な魔術を複数人でかけられては拘束を解くのも難しいようだ。それに、みんなは私たちに協力してくれた人たち。力づくで攻撃をしかけるわけにもいかない。まさか味方から拘束されるとは思っていなかったから、3人ともあっさりと捕まってしまった。
「ごめんなさい……逆らえないの。でも、暴力的な指示までは出来ないのが不幸中の幸いだったかもしれないわね……」
「いや、油断したこちらに非がある……!」
「だがこれは、ちとまずいなぁ……っ!」
もちろん、ハイエルフのみんなも悪意があるわけじゃない。誰もが申し訳なさそうな顔をしているから。これは全て、呪いのせいなんだ。それが、わかっているからギルさんたちも悔しそうなのだろう。拳を強く握りすぎて、手から血が出てるよ……!
「くっ、メグ……!!」
そして、遮る者がいなくなってしまった今、私はゆっくりとシェルメルホルンの方へと歩いていた。嫌だ、行きたくない……! 止まれ! 私の足!
「ふん。なかなか面倒な手順を踏んだが……まぁいい。ようやく我が手に入ったか」
そしてついに、私は結界の外へ出て、シェルメルホルンの手に渡ってしまった。悔しい。悔しい。悔しい! 無力な自分が許せない……! 涙が1粒だけ転げ落ちる。
「未来を予知し、魔物を総べ、世界を操る力を得た。ようやく世界は私のものとなり、私は……神となるのだ!」
何言ってんだこの人! その力はあんたの力じゃないくせに! 私が素直に言うことを聞くとは、聞く、とは……ううっ! 呪いさえ、なければいいのに……!
それに、世界を支配したって神になれるわけじゃないのに。なんて、哀れなの。
「そのためには——魔王に世代交代をしてもらわないとな」
「!?」
世代交代……? それって、まさか。
「自ら退く気がないのなら、死んでもらうしかあるまいな、現魔王よ」
「っ! させません!!」
クロンさんが暴れ出した。でも、拘束からぬけだせないみたいだ。どうしたらいいの……!?
「安心せよ。今すぐではない。もう少し魔王には暴れてもらい、世界を疲弊させる。その間、この子どもを取り戻そうと小蝿が寄ってくるのも鬱陶しいからな」
そう言ってシェルメルホルンは私を風の魔術で浮かび上がらせると、そのまま一緒に移動を始めた。ま、待って! どこへ行くの?
「メグっ! メグーーーーっ!!」
ギルさんがあんなに叫んでる。嫌だよ、行きたくない。ギルさん! ギルさん!!
もうダメかもしれない。そう諦めかけた時、大地を揺るがすほどの咆哮が響き渡った。
「ザハリアーシュ様っ!」
クロンさんの目線の先には、深い紺色の鱗を纏った大きなドラゴン、魔王さんが口から火を吹いていた。ドラゴンブレスだ! そのままその火はこちらへ……こちらへ!? 死ぬ! 死ぬからぁぁぁっ!!
「ちっ、邪魔をしおって!」
シェルメルホルンが強くて良かった。この時、この瞬間だけ喜んでしまったよ。私を包む風がより強固なものとなり、かなり強力な結界になっていたのだから。
「意識が飲まれたり戻ったりしているようです! メグ様を救おうとなさったのでしょう。ですが……やはり自我が持ちそうにないようですね……!」
なんだってぇ? 私のために魔王さん……! ありがとう! このままどこかへ連れて行かれるところだったんだもん。その点についてはものすごい感謝だよ!!
「ちっ、面倒な」
シェルメルホルンは舌打ちしてるけどね! ある意味時間稼ぎになってる。と、急に感じる浮遊感。お、おお? 結構な高さまで飛ばされてしまった。そしてその場で停止。怪我されても困るし、近くにいても邪魔、そういう事かな!? 戦いの様子がよく見えてしまう。うぉー怖い! あ、ドラゴンな魔王さんがこっち見た、って火を吹くのかい! いやーっ風のおかげでノーダメージだけど怖いよぉ!
「メグ!!」
火が収まったところでギルさんの私を呼ぶ声。さすがはギルさん、どうにか拘束が解けたようで、すぐに大きな黒い鷲の姿になってこちらへと飛んで来ようとしてくれた。だけど——
「甘い」
「ぐっ……!」
シェルメルホルンがギルさんの背に乗って——風の刃を、突き立てた。
口から血を吐く、ギルさん……え? 待って、そんな!
「ギ、ギルしゃぁぁぁんっ!!」
我に返ってギルさんの名を叫ぶ。えいっ! えいっ! この風! どいてよ。邪魔だよ。ギルさんの元へ行かせて……! どうにか出ようと風の結界の中で暴れてみるけど、この小さな拳ではドンドンという音さえならない。嫌だ、嫌だ、ギルさん……!
「待っ、てろ……メグ……!」
「ふん、しぶといな」
羽の付け根と嘴から血を流しながらまだ立ち上がろうとするギルさん。再び風の刃を構えるシェルメルホルン。
やめてよ。助けてもらわなくてもいいから。言うことを聞くから!
「うおぉぉぉぉっ!!」
「っ、小賢しい!!」
「ぐぁっ!!」
シェルメルホルンの動きを止めようと魔物型となって力ずくで拘束を解いた様子のニカさんがその腕に噛み付いた。だけど、あっさりと風の刃の餌食となって、血飛沫をあげながら吹き飛んでいく。
「ニカしゃんっ……!」
「動きを、封じますっ! ああっ!!」
「邪魔だ」
続けて拘束されたままその場に洪水を起こし、シェルメルホルンを押し流そうとしたクロンさん。だけど、シェルメルホルンの風の魔術によって、その洪水は竜巻へと姿を変え、クロンさんや魔王さん、そして拘束魔術を行使していたハイエルフたちをも飲み込んで吹き飛ばされてしまう。
圧倒的な力量差。ギルさんも、ニカさんも、クロンさんだって、強者の部類に入るはずなのに……あんなにもあっさりとシェルメルホルンは吹き飛ばしてしまう。
「まだだ!」
「ぬっ……!」
だけど、諦めない。きっとみんな、まだまだ諦めてなんかいないんだ。ギルさんは人型へと戻り、刀を手にシェルメルホルンに斬りかかっていた。背中からボタボタと流れる赤が目に焼きつく。
「……まずは、お前をどうにかするしかないようだからな」
「出来ると思っているのか。ゴミの分際で」
目にも留まらぬ速さで互いの剣がぶつかり合う。ギルさんが垂らす血の跡だけが、かろうじてまだ無事なのだという証でもあった。あんな大怪我をしているのに、あのシェルメルホルン相手に一歩も引かずに攻撃の手を緩めないギルさん。攻撃もくらってないみたいだけど……さっきの傷が深すぎるよ!
満身創痍で戻ってきたクロンさんとニカさんが、援護しながら大量の魔物の相手をし、時折暴れるドラゴンである魔王さんを抑える。戦いの初心者である私の目から見ても、明らかに劣勢なのはこちらだった。
「血が、あんなに、いっぱい……」
私は、上空からそれをただ眺めるだけ。勝手に滲んでくる涙が視界を歪ませていく。
「傷つけ合うのは、嫌だよぉ……!」
ショーちゃんに聞かなくとも、誰もが傷に苦しみ、必死である叫び声が聞こえてくる気がした。
戦争は嫌だ。怖い。苦しい。
何か、私に出来ることはないの……?
————あるよ。
ポタリと涙の雫が膝の上に落ちたその瞬間。微かに聞こえたか細い声にゆるりと顔を上げると——世界が変わっていた。
「あ、あれ……?」
音もなく、ただ真っ白な世界。え、何が起きたの? ギルさんは? みんなは?
キョロキョロと辺りを見回しても見えるのはひたすらに真っ白な空間に座り込む私だけ。……ううん、向こうから誰かが近付いてきた。あれは……
「メグ……?」
無表情だけど、間違いなく私と目を合わせているメグが、ゆっくりと手を差し出して私の前で立ち止まった。
私に、何か伝えたいことがあるの……?
私はその小さな手に、そっと自分の手を重ねた。
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