試し読み 第4話

 五歳の時に、母親に捨てられた。

 父親は初めからいなかった。母親は娼婦しょうふだった。

 

 俺は、望まれぬ子だった。

 

 おまけにマナを宿さぬ半人。

 人として、半分。

 

 この世界では、マナを宿さぬ人間は、人とは認められない。

 銀貨一枚で、俺は奴隷商に売られた。

 

 朝食のパン一切れが、俺の生の価値だった。


 新しい主人は、腹に肉の絨毯じゅうたんを敷き詰めた、醜い化物。

 アイウォルンという、サディスティックな男。

 

 毎日が地獄だった。

 

 俺の他に、四人の子供がいた。

 子供たちの苦しむ姿を見るのが、奴の生き甲斐いきがいだった。

 俺たちは、玩具おもちゃだった。

 けれど、どんな地獄にも、安らげる場所はある。

 

 ミライという少女。

 地獄の中、いつもめそめそ泣いていた、赤い髪の女の子。

 彼女は俺を兄と慕った。

 

 半分同士。

 俺たちは、二人で一人だった。


『……あの、お兄様……血のつながりはなくとも……私たち、兄妹きょうだいですよね?』

『ああ、そうだ。お前は俺の妹だ』

『……良かった、です。毎日つらいことばかりですが、お兄様と一緒なら、乗りこえられる気がします』

『必ず二人で逃げ出そう、それまで……いや、それからも、お前は絶対、俺が守る』

『えへへ、なんだかプロポーズみたいですね……約束、ですよ?』

『ああ、約束する』


 だが、奴はやり過ぎた。


 首を絞め、死ぬ寸前で放す〝遊び〟。


 奴のお気に入りの、それ。

 けれどその日は、遊びでは済まなかった。


『――』


 ミライは死んだ。

 呆気あっけなく。


 横たわる、枯れ果てた妹。

 俺はまた、半分になった。


『……お前、半人じゃ……!?』


 その日は、始まりの日。

 俺が、生まれ変わった日。


 ……良かった。

 今度は救えて……良かった。

 守れて……良かった。


   ****


 目を開ける。辺りは、暗闇。

 天国だろうか。はたまた地獄だろうか。状況的には地獄なのだろう。

 真っ暗な天国なんて、聞いたことがない。

 だが、それにしては、やけに暖かい。それになんだか、柔らかい……だが、少し重い。

 まるで、重量のある雲が、身体からだに乗っかっているようだ。


「お目覚めですか……!」


 視界に現れたのは、死ぬ間際に見た、吸血鬼の少女。

 雲などではなかった。足を絡ませ、俺の身体に覆い被さるように密着していたのは――俺が命をかけて助けた、吸血鬼の少女だった。

 

 これは、夢だろうか。俺は、死んだはずだ。

 吸血鬼の娘を助けるために、自らの血液を全て差し出したはず。

 それなのに、どうして目の前に少女がいるんだ。


「よかったです、目が覚めて……!」


 少女の目は、涙で潤んでいた。

 俺の身体にまたがりながら、よかったよかったと繰り返す。

 ……やはり、少し重い。


「……すまないが、どいてくれないか」


 喉の調子が悪いのだろうか、耳に響く自分の声がいつもと違うように感じられる。

 普段は、もう少し深みのある俺の声。


 どういうわけか今日は、いつもよりだいぶ高い気がした。


 例えるなら、そう――変声期が終わってまだ日が浅い、十代半ばの少年のような声だ。


「あわわ、申し訳ありません!」


 転がり落ちるように俺から降りる少女。


 目をきょろきょろと泳がせ、的を射ない言い訳を繰り返す。


「あの、その、眠っておられる間に、身体を使って温めていたのです。その、決して変なことをしていたわけでは」


 何故なぜか、顔は真っ赤に染まっていた。

 ちょこんと座りながら俯き、上目遣いでこちらを覗く。


「……いや、そんなことはどうでもいい。いや、どうでもよくはないが……一体何が起きたのか、そっちを説明してくれないか……俺は、死んだんじゃなかったのか」

 

 少女はこほんとせきをして「気を確かに聞いてください」と前置きする。

 まるで、あなたは不治の病に冒されていると、患者に宣告をする時の医者のようだ。


「……私の命の恩人様。あなたは、吸血鬼になってしまったのです」

「は?」


 吸血鬼になった……?

 一体、どういうことだ。

 俺は死なず、吸血鬼になったということか。

 何故。予想だにしなかった告知に、思考の整理がつかない。


 俺は立ち上がり、急いで身体を確認する。

 鏡がないので正確にはわからないが、肌艶が多少良くなっていることを別にすれば、いつもの俺の身体だった。

 

 ……いや、違う。


普段より、手が、足が、指先が、ひとまわり小さくなっている気がする。

 気のせいか?


「驚かれるのもわかります。私としても、これは一か八かの賭けでした」


 少女の声は俺を落ち着かせるように、一語一語正確に発音されていた。

 いや待てよ……そう言えば、聞いたことがある。


「……吸血鬼には血を吸った者を吸血鬼に変えてしまう力がある、か」


 確かめるようにそう問うと、少女は小さく首を縦に振った。

 肯定、だ。


「その通りです。ただ、本当にぎりぎりでした。私は、吸血鬼としては半端者です……あなたの目が覚めない可能性も、十分にありました」

 

 吸血された人間が、誰しも吸血鬼になるわけではない。吸血鬼を造るという行為は、純粋な吸血行為とは工程が少し異なる。少女はそう付け足した。


「工程が……違う?」

「はい。……吸血鬼が吸血鬼を造る。特に、若い女性から年上の男性に向けられるのはある種の婚姻……あ……すみません! 今のは聞かなかったことに……!」


 手を小さく胸の前で振って、少女は誤魔化ごまかすような笑顔を見せる。


「あなたが生き残れる可能性は、奇跡と呼んでも過言ではない確率でした。本当に、助かってよかったです……!」


 うんうんと首を縦に振りながら、少女は笑顔を見せる。

 そう言えば、吸血鬼はあまり同族を造りたがらないと聞いたことがある。


 なるほど……よくわからないが……俺はこの子に助け返されたの、か。奇跡……昔、聖女と一緒に暮らしていたが……あの経験が幸運に繫がったのか、な。俺は苦笑いする。

 少女はコホンと咳払せきばらいをした。


「それと、実はもう一つ伝えなくてはいけないことが」

「なんだ?」


「……あの、どうやら若返っておられるようなのです」


「は?」

「初めて会った時も、渋くて素敵でしたが、こっちも……は! 私は一体何を言っているのでしょう!」


 少女はポコポコと、自分の頭をたたく。

 若返っただと。そうか……さっきから感じていた違和感は、それか。

 一回り小さく感じる身体。そう言えば、随分と身体が軽い。


「……おそらくですが、私を通して吸血鬼の血が体内に入り、細胞が活性化され、若返ったのだと思われます」

 

 なるほど、吸血鬼の血には不老不死の力があるとは聞いていたが、若返りの作用もあるのか。


「髪の色も、変わっているようです。前は美しい黒の髪でしたが、今は灰色になっています」


 そう言えば、視界に現れる髪の雰囲気もいつもと違う。

 暗くてはっきりとはわからないが、なるほど、髪の色が変わっているのか。


「それも、吸血鬼の血と関係が?」

「……はい、人が吸血鬼になる時、血を吸った吸血鬼の外見的特徴を引き継ぐと聞いています。今回は、私の白銀の髪を引き継いだのでしょう……えっと、つまり白と黒が混じってグレーになるように、黒に私の白銀が混じったことによって灰色の髪になったのだと思われます」

「吸血鬼は皆、銀髪……というわけじゃないよな」

「はい、おっしゃる通り。一口に吸血鬼といっても、多種多様です。金髪もおれば、黒髪もおります……そこは、人と一緒ですね」


 そうだ、吸血鬼特有の髪色なんて聞いたことがない。

 今回は、偶然この子が銀髪だっただけ、か。


「瞳の色も、変わっているようです。黒い瞳から、私と同じ血のような赤に。……不思議ですね、髪の毛は色が混ざり合ったのに、瞳の色は私の特徴をそのまま受け継いでいます……やはり、瞳は特別なのでしょうか……受け継ぐ力が他の身体的特徴よりも、遥かに強いのかもしれません」

 

 瞳の色も、か……。いや、ちょっと待てよ……赤色?

 そうだ、さっきの違和感。

 どうしてこの子は、吸血鬼なのに瞳が赤いんだ。


「ちょっと待て、さっきも不思議に思ったが……どうしてお前の瞳は赤いんだ。吸血鬼の瞳は金色だと聞いたことがあるぞ」


 そうだ。吸血鬼は人間と、ほとんど姿形が同じ。

 しかし、一点だけ違う箇所がある。それが、瞳の色。

 吸血鬼は、必ず金目なのだ。金色。人間では決してあり得ない、その瞳。

 

 しかし、この少女の瞳は赤。それは本来、吸血鬼ではあり得ない色。

 さっき俺の血を吸った時には金色に変化していたが、今は赤色に戻っている。


 瞳の色が変わる吸血鬼なんて、聞いたことがない。

 ……どういうことだ。


「……実は私、ちょっとわけありでして。通常のヴァンパイアとは違い、特殊な条件下でだけ瞳の色が金に変わるのです……おそらく、あなたも」

「特殊な条件下?」

「はい、感情が激しく高ぶった時などですね。例えば、怒り、とか」

「……なるほど」


 吸血鬼は全て金目だと聞いていたが……こんなパターンもあるのか。世界は広いな。


「今、私たちには同じ血が通っています……言うなれば、私たちは兄妹きょうだい


 少女は俺の胸筋に、そっとてのひらわせる。

 目を閉じて、柔らかな身体を俺に預け、ささやく。


「……本当に、生き残ってくれて、ありがとうございます」


 ぬくもりを、命ある証を確かめるように、少女は俺の胸に顔をうずめる。

 よかったよかったと、何度も何度も繰り返す。


「……そう言えば、自己紹介がまだでした。私はティアと言います。あなたの、名前は――」


 その時だった。

 ズドンと、俺たち二人に横槍よこやりを入れるように、けたたましい銃声が鳴り響いた。


 銀の弾丸は、俺たちの真横にあった木の幹をえぐる。

 メキメキと音を立てて、樹木は真っ二つに倒れる。


「……なんだ、仲間が一人増えてやがる。金目じゃねえが……そのガキも吸血鬼なのかあ、お嬢ちゃん?」


 黒の外套がいとう、険悪な目つき。右手には、ライフル。

 闇の中から現れたのは、見るからに怪しい男。


 またしても、人か。

 ここは……かえらずの森だぞ。


「……そんな、逃げ切ったと思っていたのに……」


 白い肌が青ざめる。男を見つめ、ティアと名乗った少女は小刻みに震えだす。


 胸元にあった傷に、血だらけで倒れていた少女。

 右手のライフル。吸血鬼を殺す、銀の弾丸。


 パズルのピースが符合する。


 形作られる、一枚の絵。


「……なぁ、もしかして、お前が倒れていた原因は……こいつか」


 俺の腕の中。おびえきった瞳で震えるティアは、静かに首肯した。


「……この男は、凄腕すごうでのヴァンパイアハンター……逃げましょう……早く……!」


 少女は小さな手で、俺の腕をつかむ。

 早く早くと、表情を不安と焦り、恐怖で染め上げかす。

 そう言えば、聞いたことがある――吸血鬼の生存を信じ、いまだに彼等を追っている人間が存在する、と。

 

 胸の底に、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 集積されるマナ。

 ……これが全盛期の身体からだか、以前の自分とは比べ物にならない。

 

 腹に刻まれた呪印は――ギルバルドに敗れた証は、一瞬で消え去った。

 

 俺は、首を横に振る。


「少し、確かめておきたいんだ」

「……えっ?」

 射殺すような眼差まなざしで、俺は男をにらみつける。



「――自分が今、どれくらい強いのか」




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