【夜が、終わる。】


(夜が、終わるわ・・・頼哉(らいや)。

今、成層圏の果てにいるのよ。ここからゆっくりゆっくり降りていくの。あなたの枕元めざして。ベルベット・ブルーのスカートの裾を靡かせて。

ねぇ、こんな高い空から、あなたの住む街が見えるのよ。

彩鳥市(いろどりし)・・・きれいな、きれいな街だわ。おじいちゃまのくださった、大好きな絵本の中の街のような、まるで砂糖菓子細工の夢ね。

ほら、雲の隙間を擦り抜けたわ。薄桃色の空気が甘い。街の建物の輪郭がくっきりと見えてくる。東の空、新しい今日が生まれようとしている、直前の瞬間。あたしの髪がばら色に染まる。街中の窓が輝きだす。煉瓦の赤、コンクリートのグレイ、針葉樹の深緑・・・すべてが金色のキラメキを放つこの時。

・・・さあ、たった今、この足先が、街一番の高台の時計塔に着く・・・)


「南風?」

少年はふと顔を上げた。

「どうしたんだい?頼哉ちゃん」

大きな木箱を両手で抱え上げた初老の婦人が、自転車のサドルに腰掛けている少年に、声を掛けた。

「真冬に・・・南風が吹くわけない、ですね」

少年は、目を閉じたまま、クンと風の匂いを追いかける。銀色のくせっ毛が風を撫でるように軽く揺らぐ。

(あ、やっぱり北風だ・・・)

「変だな。あったかい、甘い風が吹いたんだ、今確かに」

「ああ、それは、パンの匂いだよ。今日はオダさんちの坊やのための蜂蜜パンがあるからね」

おばさん、ふっくらとした手を陽気にポンとたたく。

「わあ、蜂蜜パン? 坊やの喜ぶ顔が目に浮かぶなぁ」

少年はサドルからぴょこんと降りて、木箱を荷台にくくりつけながら、箱に鼻を近付けた。

(いい匂い・・・眠気も溶けてしまいそうに甘い匂いだ。・・・でも、ちょっとさっきの匂いとは違う・・・)

そう思いながら彼が顔を上げると、おばさんは手を額にかざし、東の空を見上げてる。

「ああ、いいお天気だね。今夜は星がきれいだよ、きっと」

「今夜は聖星節だね。だけど、雪にはなりそうもないや」

「そうそう、去年の聖星節は雪だったねぇ。星みたいに粉雪が舞って、その中にあんたの歌声が響いてね、・・・素晴らしかったね。まるであんたは天使のようだったよ・・・」

おばさんは目を細めながら、祈るように両手を合わせる。

「今年も歌ってくれるんだろ?」

「ええ、そりゃもう喜んで!僕もこの日が楽しみなんです。聖星節の夜に歌うのは、心が生まれ変わるようで」

「街中があんたの歌を楽しみにしてるよ。この街自慢の"歌鳥さん(ソングバード)"」

そう言って、おばさんが肩をポンとたたくと、少年は恥ずかしそうにほほ笑み、はぁいと小さく返事をした。

「さぁさ、街のみんなの朝ごはんに間に合うよう、頑張って配達してきておくれ。ただし、冷たい風と、運転には気をつけてね。喉を傷めたりしたら今夜のお祭りが台無しになっちまう」

「はーい」

カタン、カタタンタン

青いマフラーをぐるぐると首に巻いて、少年は上り坂に自転車を漕ぎ出した。


水臣頼哉(みなとみ らいや)。彼がこの『色彩都市の物語』の語り部である。

ひょろりと背の高い体の上に、小さな、ちょっと子供っぽい表情の顔、くりくりと良く動く蜜色の瞳。銀色の髪は光の具合で時に空に溶け入りそうな水晶色に見える。

外見も少々風変りだが、さらに彼を特徴づけるのはその声(テノール)。"透明"という表現が似合う。声変わりは確かに終わっているし、時に語尾も少し掠れたかんじになる。しかし、発音の美しさのため、耳に引っ掛かる感じがない。おっとりと言葉を選び、そうかと思うとふと、無邪気に言葉が転がる、快いリズム。

・・・ここらで私は、この小さな語り部にその本来の役目を譲ろう。

彼の言葉で、この美しい街の聖星節(クリスマス)の一日の、ささやかな物語を皆さんと一緒に楽しもうと、思う。



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