始業式(1)

「よし、こんなものかな。」


時刻は午前七時四十五分。

自室の姿見の前、登校前の身だしなみの最終チェックのためにその場でくるりと一回転する。

うん、ふわりと広がったスカートから伸びる相変わらず白くてほっそりした足に泣きたくなった事以外は完璧だと思う、多分。


「へぇ、今日は青の縞パンか、ヒナ。」


朝から若干へこみながらスクールバッグに手を伸ばすと同時に聞こえてきたその声にバッとスカートを抑え振り返る。

柔らかく降り注ぐ太陽とぽかぽかとした陽気に誘われて全開にした窓の向こう。

丁度向かい合う位置にある同じく全開にしている窓からこちらも着替え中だったのか、タンクトップの上にカッターシャツを羽織り、スウェットに足を通しながら話しかけてきた虎向をキッと睨み付ける。


「…………見た?」


「お前が勝手に見せてきたんだろーが。ってか、男が男にパンツ見られるくらいどうって事ないだろ。」


「……そりゃそうだけど。」


何か釈然としなくて窓側に立つと、お返しとばかりにじーっと虎向の着替えを観察する。


「……グレーのボクサー。虎向って前はトランクス派だったよね?」


「ああ。中三の時、体育後の更衣室でゴムが切れた事があって。困ってたら水泳部の奴がたまたま新品の予備のパンツあるってくれたのがボクサーで、そっからボクサーに……っておい、あんまジロジロみんな。」


「別にいいじゃん。男が男に着替え見られたって何て事ないでしょ?」


わざとさっきの虎向の言い方を真似して唇を尖らせながら答えれば、はぁと盛大な溜息と共に「この痴女が」と言われ、怒りのあまり掴んでいた窓際の桟がびしりと音を立てる。


「っ、それなら虎向だってパンツみたじゃん!! スケベ!! エッチ!! 変態!!」


「お前のパンツ見たって嬉しくもなんともねえよ。むしろ尻の部分にクマのキャラクターがプリントされてなくって安心したわ。」


「それ履いてたの中一までじゃん!! って、待って。え、もしかして虎向そういうキャラクター系のパンツが好きって事? うわぁ…………」


「ぶっ飛ばすぞてめぇ!!」


ぽんぽんと会話を交わしながらも身だしなみを整えていく虎向を何と無しに見つめる。

その長い指が器用に動いてネクタイが締められていくのを見ながら、ネクタイ、いいなあ、と純粋に呟いた。


「…………早死に、したくないんだろう?」


「……したくないけどさ。」


「あれからもう十年経ってるんだ。そう思えば二十歳までの五年なんてあっという間じゃねえか。」


「……そうだけど。でも、は、虎向と同じ制服着て学校通いたかった。」


ぽつりと零れ落ちた言葉に、虎向が少しだけ目を見開いておれを見る。


「――服なんて関係ないだろ。どんな格好してようが、どんな姿になろうが、お前が俺の幼馴染の白宮陽である事は変わらねえ。お前はお前だろ、ヒナ。」


そのいつも通りの力強いけど優しい声がじわりと胸に染み渡って、ぎゅっと桟を握りしめる。


「……虎向。ねえ、もしおれの……私の姿が今以上に変わっても、虎向は側にいてくれる?」


「お前がヒナであるんだったらな。」


あっさりと頷いた虎向に少しだけ呆気に取られているとスクールバッグを手にした彼が自室の時計をチラリと見上げた。


「そろそろ出ねぇとやべえな。ヒナ、行くぞ。」


「あ、う、うん。……あと、ありがと、虎向。私も虎向が虎向である限り、何があっても側にいるから」


「――ああ。」


軽く頷き部屋を出ていく虎向を見送りながら、敵わないなぁ、と呟く。


私が性別を偽る事になった時も色々あったけど。

真っ先にさっきと同じように「ヒナはヒナだろ」と受け入れてくれたのは虎向だった。

それに私がどれだけ救われたか。


……きっと虎向は分かってないんだろうなあと思いながら、改めてスクールバッグを手に取った。






***






青宮高校に通う生徒達は実家が遠方にあるなどの理由で学校の敷地内にある学生寮で暮らす寮生と通学生の二つに分けられる。

その割合は大体半々で、家から高校までバスで二十分っていう私と虎向は当然通学生なわけなんだけど……。


「おはよ、白宮さん! 黒坂くん!」


他の青宮生達に混じってバスから降り一息付いてると明るく凛とした声に呼ばれ、振り返った先には丁度バス亭の前に差し掛かったらしいスクールバックを左肩にかけた花石さんが立っていた。


「おはよ、花石さん。」


「おう。」


そのまま私達に駆け寄ってきた彼女に一緒に行っていい?と聞かれ、もちろんと即答すると彼女にじっと顔を凝視された。


えっ? あれ? 私、何か変だった?


「花石さん? 私の顔に何か付いてる?」


「ううん、今日も非の打ち所のない美少女だよ。」


恐る恐る尋ねればあっけらかんと言われ、思わずあはは、と乾いた笑いが漏れる。


「……私からすれば、花石さんのがよっぽど美人だと思うけど。それにスタイルも良いし、すらっとしてて、モデルさんみたいで羨ましい。」


「え~~。白宮さん程の美少女に言われてもなぁ。私なんかでかいだけだって。あ、そうじゃなくてさ。白宮さん何か疲れてる顔してから大丈夫かなって。」


そうかなぁ?確かに花石さん目測で百六十七センチ前後ありそうだけど、顔も小さくて手足もすらっと長くて、モデルみたいなのに。

ひらひらと掌を上下に振り眉を八の字に下げる彼女を見ながらそう考えていると、後半の内容に今度は私があーー……と眉を下げる。


「ああ、こいつバスや電車苦手なんだよ。色々目立つ奴だから、それで人酔いならぬ視線酔いするんだと。」


ぽんっと頭に虎向の手が乗せられ、それまで私達のやり取りを黙ってみていた彼の説明に花石さんが納得した様に頷いた。


「そうなんだ。でも、毎朝それだと大変じゃない? 大丈夫?」


「ん~~……、今日バス乗ったのはそういうのの程度とか人口密度とか確認する目的もあったんだけど、何とか大丈夫そうかなって。あと、虎向もいるし。」


「……お前な。俺はおまけか。」


「え、そんな事ないよ? 万が一にも私が倒れたら抱えられるの虎向ぐらいだし。」


「待って白宮さん、倒れる前提で話しちゃ駄目。黒坂くん、白宮さんを悪しき視線から守ってあげてね、頑張って!」


「おい、花石もなんだその言い方。」


ファイト!とサムズアップする花石さんに虎向が苦笑してツッコむのを見ながら、何だかこんなやりとりできる女子が今までいなかった事もあって楽しくなって小さく笑うと花石さんには白宮さん可愛い!!と叫ばれ虎向には髪をわしゃわしゃとかき混ぜられた。


な、何で?


そのまま三人で学校までの短い距離を歩き始めると、あ、そうそうと花石さんがさらに口を開く。


「私、二年にお兄ちゃんがいるんだけど、寮生の人達と仲良いらしくて。それで聞いたんだけど、昨日、入寮したばかりの新入生を筆頭に男子寮でかなり話題だったみたいだよ? 白宮さんの事。お兄ちゃんにLINKしてきた人曰く『青宮に天使が舞い降りた』とかなんとか。」


「え。」


いきなりの爆弾発言にぴたりと動きを止めると同時に隣でブッと盛大に噴き出す音が聞こえ反射的に、私から顔を背け肩を震わせている虎向を睨み付ける。


「や、私もそれは誇大表現どころじゃないとは思うけど。思うけど!! 虎向、笑い過ぎ!!」


「やっ、悪ぃ……。っ、でも、天使ッ、ヒナが……ッてん……っ!」


一応爆笑するのは悪いと思っているのか口元を押さえてはいるものの、抑えきれないククッ、という忍び笑いを繰り返す挙句、目尻に涙さえ浮かべる虎向にイラッとして彼の制服の裾をクンッと軽く引っ張る。


「……『虎向くん、酷い。私の事、そんなに嫌いなんだ。ッやだ、泣きそう。』」


「キモイ。」


意趣返しのつもりでわざと演技がかったオクターブ高い声で言った瞬間、バシンと音が鳴る程の力で頭をはたかれた。


「いっったい!!! ってキモイ!? キモイって言った今!!? さすがに酷くない!? 本気で泣くよ!?」


「うっせぇよ!! 何だよ今のは! キモ過ぎて鳥肌立っただろうが、この馬鹿!!」


「馬鹿!!?」


「――白宮さんっ!!」


「ふぇっ!!?」


そのままいつもの調子で言い合いしそうになった瞬間、ガッと両手を花石さんに握られる。

突然の事に驚きで変な声出たけど、それには意を介さず、瞳をキラキラさせた花石さんがぐっと身を乗り出した。


と言うか待って花石さん、近い!!


「ねえ! 今からでも遅くないから黒坂くんと付き合わない!? ってか二人本当に何で付き合ってないの!?」


「待って、花石さんは花石さんで何言ってるの!? って言うか、『何で』!?」


「……花石。何でそんな俺らくっつけたいんだよ。昨日も言ったけど、俺ら本当にただの幼馴染だぞ?」


私の隣で彼女の勢いに気を削がれたらしい虎向が少しだけ怖気ずきながら尋ねると、だって!と花石さんが鼻息荒く答える。


「白宮さんと黒坂くん、本当にお似合いなんだもん! ……それに、二人とも「ただの幼馴染」って言いながらお互いを凄く大切に思ってるんだなって見てて思うから。私にも幼馴染がいるから余計にそう思うのかもしれないけどね。それに別性でそこまで言い合いできる相手ってなかなかいないしさ。」


「……花石さんも幼馴染がいるの?」


「うん、この学校にね。でも、会うと本気の喧嘩ばっかりしちゃうんだよね。あ、私の場合は二人と違って同性の幼馴染なんだけど。」


…………いや、うん。私達も同性なんだけど。


そんな事は勿論言える筈もなくて虎向とちらりと視線を交わし合い小さく息を付くとそっと彼女の手を握り返す。


「――そうなんだ。花石さんにとってその子は凄く大切なんだね。私が、虎向の事特別で大切だって思ってるように。……でも、私のこれは恋愛とかじゃなくて家族愛に近いものなんだと思うんだ。虎向とはずっと一緒にいるから。だから、多分付き合うとかはないと思う。ごめんね?」


最後にこてんと首を傾け謝れば私の手をバッと離した彼女が凄い勢いで首と手を横に振った。


「う、ううん。私の方こそ変な事言ってごめんね? でも、そっか。白宮さんにとって黒坂くんはやっぱ特別なんだね。」


「――うん、虎向はどう思ってるか分かんないけどさ。」


揶揄うように彼を見上げれば僅かに頬を赤く染め、一度だけ口をはくりと動かしたきり黙り込んだ虎向に、勝った!とバレないように小さくガッツポーズを決める。


うん、虎向こういうの直接的な言葉にするの苦手だもんね!


しかしそんな私の心を読んだのか眉を寄せ視線を向けてくる虎向に、何?と首を傾げた次の瞬間、伸びてきた手にふわりと髪を梳く様に撫で下ろされる。


「……え?」


「…………特別で大切に決まってんだろ、ヒナ。」


その優しい手つきに目を見開くと同時にスッと瞳を細め囁く様に言われた言葉を脳が理解した刹那、かあああああっと顔に熱が集まるのを感じた。

何か周りからも「グハッ」とか聞こえたし。


「……なっ、なぁッ!!?」


あまりの衝撃に二の句が継げれずに口をぱくぱくとさせていると私の顔を覗き込んだ虎向がにぃやりと人の悪い笑みを浮かべ「俺の勝ちだな。」と呟く。


こいつっ…………!!!!


反論できず撃沈した私を見て「ご馳走様。」と可笑しそうに笑った花石さんが「あ、でも。」と虎向に改めて視線を向ける。


「私が聞いたのは、男子寮の話だけだけど女子寮ではきっと同じように黒坂くんも話題になってるんじゃないかな? それと男子寮でも一部では話題になってたよ。『王や王子達にも見劣りしない男前が入った。』って。」


「「……『王や王子』?」」


顔の熱は未だ引かないものの、その日常生活ではまず聞かない単語に思わず聞き返せば、ぴたりと虎向と声が揃った。

そんな私達に花石さんが「あれ!?」と目を丸くする。


「もしかして、二人とも青宮の生徒会執行部の話知らない?!」


「……生徒会?」


「何かあるのか? うちの生徒会って。」


「え!? 本当に知らないの?! えっと、じゃあ自分達の目で見た方が早いと思うよ、今きっとあそこにいるから。」


さらにきょとんとして尋ねると、花石さんが少しだけ苦笑したスッと前方を指し示す。


「――――え。」

つられるように見た先。

いつの間にかすぐ側まで着ていた青宮高校の正門前には、結構な人だかりが出来ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここは乙女ゲームの世界じゃないのでフラグはお断りです! 彩野遼子 @saino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ