第9話 土曜日は社会体験

 土曜日の朝。焼肉(人の金で)を食べ過ぎて、少し胃もたれの体を引きずってむりむり家を出たのはナミ——愛宕ナミであった。

 といっても今日は学校に行くわけではない。

 少し未来のこの時代、土曜の学校登校については議論百論、公立私立の違いも含めて、月二日は登校にしたり、あるいは毎週夕方まで登校にしたり、授業はないが自主登校と言う名の授業があったり、土曜日に体育や芸術系授業まとめておこなったりの様々な試みも行われたあげく、完全週休二日性が実現していた。

 学校が休みでも、図書館とか、ネットの設備とか、学校で学習したい場合の施設は解放されているし、体育館とかグラウンドもスポーツ部や生徒の自主的な活動用に使用可能であったが、それはあまり推奨はされていない。この時代、学生は、そしてその指導の先生も、しっかり休息をとるようにすることが結局生産性をあげることとして結論つけられていたのでった。

 もちろん休息と言っても、受験生の補習や部活の対価に向けての練習。それを土日にまるでしないというのはこの時代でもありえないが、世の中の就職先も複雑化していて、学校の授業の点数が良くて国内一流大学に入れば良い会社に必ず入れるとかいう状況では無くなっていて、学校以外で行った様々な活動や、資格の有無を問われるようになり、学業以外の様々な学習に励む者も多くなっていた。また、スポーツでも、野球やサッカーなどで全国大会目指しているのならともかく、学校のクラブでなく市中の様々なサークルに入ってやるものも多くなっている。学生とはいえ、必ずしも学校が生活の中心とはなり得ない、ましてや休日ならば——というような状況なのであった。


 というわけで学校に向かったわけではないナミがどこに向かったのかと言うと……


「こんにちわ」

「あ、ナミちゃんいらっしゃい」

 ナミが入ったビル。土曜日なので正面玄関は開いていないビルの夜間休日入り口かに進む彼女に声をかけてきたのは入り口わきの防災センターで受付をしているおじさんである。

 朗らかで明るく、いつも一生懸命。優しく人当たりの良い美少女。|電脳空間《サイバースペースでの豹変ぶりを知るものからは、普段は猫を被っているのではと疑われることもないではないナミであるが——どちらも本当の自分。どちらが嘘とか本当とかではない。環境が変われば人も変わる。そのおかれた環境——現実リアルなのか仮想ヴァーチャルなのかとか——と切り離しては人は語れない。

 ともかく、少なくとも現実世界でのナミとしか会ったことのないおじさんからしてみれば、彼女は思わず応援したくなるような可愛い良い子である。

 なので、どうやら顔なじみらしい彼女が入ってきたらぱっと表情が明るくなる。嬉しいのであろう。

 しかし、

「じゃあこれを……」

 おじさんは認証のための小さなデバイスをナミの前に突き出して、

「はい」

 彼女は持っていたスマホ大の装置をそれに近づける。

 すると3次元の魔法陣のような幾何文様ホログラムがナミの装置から発生して認証装置に吸い込まれる。

 それは現在のQRコードが発展した3次元読み取りコードとでも言うべきものであった。いや厳密には、短時間での画像変化も利用して時間軸での情報量をさらに増やしているから、4次元コードといっても良いのかもしれない。

 画像が吸い込まれすぐに電子音がして認証が正常に終了したことが知らされる。

「はい。ナミちゃんありがとう。間違いなく、ナミちゃん本人だね」

「そうですよ。本人ですよ」

「まあ、見ればわかるんだけどね。規則だからね」

 QRコード。日本で作られ、従来のバーコードでも用いられていた商品や部品管理のほか、読み取ることでURLなどの情報を伝えるなどにも使われていたその技術。中国他の海外で使用用途が拡大、認証や決済にまで使われるようになっているそれだが、ちょっと未来のこの時代でも似たような技術は用いられているようであった。


 さて、ともかく、そんな休日のオフィスビルに無事に入ることのできたナミであるが、玄関も閉まっているようなそんな場所に何をしにやってきたのだろうか?

 照明も最低限にしかついていない、薄暗い廊下を通りエレベータホールへ。そして二十数階だてのビルの中層階にのぼり、降りてすぐに入り口のある企業の受付に入る。

 彼女が入ると同時に目の前には、ホログラム映像の受付のお姉さんが現れる。

「愛宕ナミです。本日のプログラムに参加しにきました」

 彼女の言葉を聞いて『かしこまりました、登録を確認しますので少々お待ちください』と言われて少し待てば、


 ——どうぞお入りください。


 開いたゲートの間からその中に入る。今度は、ビルの入り口とは違い、特に認証のやりとりなどはなかったのだが、それはナミの生体認証データが、彼女の承諾を受けてすでに登録されていたからであった。具体的には顔認証と虹彩認証の二重のチェックに合格して彼女は入ることができたのだった。


   *


 さて、ナミが入ったその先には、高校生くらいの年頃の若者たちが十人ほど、ちょうど学校の教室くらいの部屋に並べられた椅子に座って整列していた。

「ああ、ナミさん。空いている好きなところすわってくださいね」

 ナミが部屋に入るなり、そう言ってくれたのは、二十代半ばの若いビジネススーツの女性。

「カナさん。こんにちわ。皆さんもこんにちわ」

 呼びかけてくれた女性——カナの他にもしっかりと挨拶をしてから着席するナミであった。その時の若者たちの顔からも、ナミが皆に慕われているのはよくわかる。つまり、この場の人たちは今日初めて会ったのではなくて、何度か、あるいはそれ以上に一緒になったことのある顔見知りということである。

 でも、これがいったい何の集まりなのかといったら、

「はい。まだ来てない人も若干おりますが、時間になりましたので今日のインターンの説明をさせていただきますね」

 ナミが部屋に入ってちょっとたってから、カナと呼ばれた女性の説明で今日のプログラムが始まる。その言葉によれば、インターンの——ということであるが。今日あつまった高校生くらいの年頃に見える若者たちは、この企業の体験入社インターンに来たということになる。でも、すると、ここは一体何の仕事をしている会社なのかということになるが、

「というわけで、今日のやることは、主にアメリカから来た留学生の日本文化見学のアテンドとなります」

 女性が今日の仕事の概略の説明をする。彼女が言うことには、今日は交流目的で短期留学をして来ている学生の日本文化視察の手伝いとのことであった。ここは留学先の学校と提携した、旅行会社イベント会社なのであった。

「では、細かい説明始める前に、何か質問はありますか?」

「はい」

「カナさん。どうぞ」

「留学生の人が移動途中に規定のコースから外れたいと希望あった場合はどうなりますか」

「行程には少し余裕を持たせてますので、コアプログラムの開始時間に間に合うように戻って来てもらえれば大丈夫です。あと午後五時に現地解散ですが、その後に留学生の方から希望があれば、好きなところまで行ってらっても大丈夫です。その後も今日は業務扱いになるので、必要経費扱いで交通費や食事代などを使ってもらって構いません。後で申告ください」

「タクシーを使っても大丈夫ですか」

 ナミの後ろの席に座った男子学生から質問が出る。

「大丈夫です。ただし食事も含めてですが規定の上限額は超えないようにしてください。と言っても、よっぽど遠出しなければ大丈夫ですが」

「自宅に戻るのにもタクシー使って良いのですか?」

「交通機関の都合に応じて、遠慮しないで使ってください。特に夜八時以降までアテンドした場合は、むしろタクシーを推奨します。今日は弊社のメンバーが皆さんの帰宅を見届けられないので、夜間の事故防止の観点からもタクシーを利用ください」

 じゃあ、どうせなら『八時過ぎまで留学生案内した方が良いよね』と言うつぶやきがあちこちで聞こえる。ナミもそう思う。じゃあ今日は留学生が夕方に途中で興味を無くして帰ってしまわないように気合いを入れて案内をしなければならないなと気合いが入り、

「あと、最初の見学の神社での体験内容ですが、祈願の内容を留学生に説明するときに……」

「あ、詳細はこの後イベントごとに分けて説明するので。その後にまた質問を……ナミさんはいつもやる気満々ですね」

「……あ、わかりました。すみません。気が早って……」

 椅子から腰を浮かして中だちで前のめりになりながらの質問だったが、申し訳なさそうに、すごすごすごとした動作で座るナミ。それを見た他の人たちは、『ああ、またか』という苦笑交じりながら、暖かく、微笑ましいものを見る目となる。

「では、この後各プログラムの詳細説明しますね……」


 ナミがこの頃何回かの週末にインターンに参加しているのは、家から電車で二十分ほどのターミナル駅に社屋のある旅行イベント会社であった。この時代、大学入試にはそれまでの学業のほか、それまでの社会経験なども今よりもますます重要視されて来ているのだが、その定番はやはりボランティアや会社へのインターン参加なのであったので、とにかくガリ勉的な風潮はかなり衰退して来ているこの時代の高校生の週末でもやはり忙しく慌しいものであった。ましてや、せっかく、半ば騙されてとはいえ、生徒会に入ってまで推薦での大学合格を狙うナミにであれば、その準備に抜かりはない——といきたいと思っているのであった。

 とはいえ、なぜイベント会社? それは、人と触れ合ったりすることの好きな彼女の性格にあっているというのもあるが、彼女の志望が文化系、それも英文科か国際系の学科に行って将来もそんな仕事をと思っているので、海外交流系の仕事が多いこの会社を選んだというわけであるが……


 もちろん彼女の一番の適性はそっちではなく、エンジニア方面であることは本人も薄々感づきつつあるのだが、まだまだ夢多き高校生。可能性は無限大。いや人には向き不向きがあると彼女もそのうち知るのだが、今はまだ様々な未来に思いをはせ、色々な経験をつむのは、少なくとも悪いことではない。しかし、そんな青春の一場面にも、魔が入り込んでくることを、この時の彼女はまだ知らない。全てが明かされる、その時までは。

 

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今回の用語解説


「QRコード」

 もちろんQRコードの説明など必要がないほどこれは世間に出回ってますが、日本で作り出され、当時は圧倒的に先進的であった(袋小路的に先進的であたっためのちにガラパゴスと呼ばれることになった)日本の携帯電話などでURLやメールアドレスなどを打ち込まなくても済むようにとよく使われたこの技術の使い方——が、現在まったく違った進化を遂げているのを感じている人と感じていない人の落差が大きそうなのでその状況を解説します。

 具体的には中国で発展したQRコードの使い方、QRコードを品物の料金支払い決済などに使うと言う方法です。

 日本ではSuicaなどの非接触ICカードが電車の改札の効率化により普及したためそれを利用した料金支払いなどが普及しています。それが携帯、スマホの搭載される従い、ますます便利となり、コンビニだけでなくスーパー、レストラン、自動販売機、タクシーまで様々な場所で使用されています。それは、小銭もたまらない、お金を銀行で下ろす手間もいらないなど使い勝手がとても良いのもありますが、なんといってもピッと触れればすぐに支払いが完了の手軽さがたまらないですよね。

 QRコードで商品買おうと思えば、もう少し手間がかかります。商品購入者は、スマホで決済をしてくれる業者のサイトにアクセス、そこでログインして商品決済のため短い時間だけ有効になるQRコードを払い出してもらう。そして、それを店側の専用の読み取り装置か、スマホやタブレットのカメラで読み取ると、購入者の銀行口座などから商品代金が引き落とされる仕組みです。Suicaに比べると、手間も時間もかかりますね。これで改札を通るなんて、少なくとも日本の電車に乗るときにはありえません。

 でもこのやり方ががなぜ、特に中国で普及したかと言うと、Suicaのような非接触ICカードにくらべ安価にシステムが構築できるのと、経済発展を遂げたと行ってもまだまだクレジットカードを持つことが難しい人の多いお国柄で、現金以外での店舗での支払い方法がこれしかない——という事情もあったようです。日本ではSuicaとクレジットカードはつかいわけられています。スピードが必要、あるいは駅が近くて対応すれば集客も期待できる場所での、数千円くらいまでの支払いにはSuicaが便利に使われていますが、数万の買い物で現金を使わない場合はクレジットカードを使うでしょう。中国ではクレジットカードを使えない人が多いので、ならば現金以外の支払いをする別のプラットフォームを作らないといけない。その最適がこのQRコードを利用した決済システムであったのです。

 これは、システムの簡易さ安価さより、今後日本でも普及していくとが予想されますが——実はこのシステム、その他にも大きな利点があります。ネットでいちいち認証してQRコードを払い出すという手間をとる代わりに、そのときに認証がなされ、他の認証と連携できると言う利点があるのです。具体的には、コンサートなんかのイベント会場に入るとき、払い出されたQRコードを読み取って入場券の代わりにする。働き方改革などでリモートで業務をしようと、会社が契約しているワーキングスペースなどに入る際の入室証がわりに払い出されたQRコードをつかう——などなどです。実は、このような使い方はQRコードを発券につかうなど航空機の搭乗などで使われていた前からのやり方の応用ですが、クレジットや銀行の決済システムなどとも連携して、読み取りも専用の装置でなくてもスマホやタブレットでOKとなり、その応用はますます進みつつあると思います。

 今後QRコードの利用用途がますます広がって進化するには、今の非接触ICカードのようなスピードも獲得しなければならないかもしれませんが、合わせてさらに情報量も増やしたQRコードの子孫が現れれば作中のような使い方も実現するかもしれませんね。一応裏設定では4次元コード情報の中にはナミの生体認証情報とネット上の認証サイトから仕入れた本人性確認コードから作られたハッシュ値情報などが受け渡され、受け取った機器でもそれをネットから得た彼女のハッシュ値から認証する、みたいなことをしていると漠然と考えています。

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