第6話 次の日、体育の授業で
さて、北海道の病院への
もうすぐ梅雨入り前の今の季節。日が照れば少々暑くなるが、薫風が吹き込めばたちまち心も体も澄み渡る、そんな爽やかで過ごし安い日に、ちょうど3クラス合同授業の体育で一緒となった彼女らである。
別々のクラスに所属する生徒会の面々であるので、普段、学校では生徒会活動以外はあまり顔をあわせる機会はないのだが、今日はたまたま一緒の授業となった三人であった。折良くであった。
昨日のこと。病院で受けた攻撃のこと。その侵入者のことが気になってしょうがない生徒会の面々は、陸上競技場の隅に集まると、ここぞとばかりにその話をするのであった。
「結局、何が目的だったんだろう」
「病院のシステムに侵入して何かしようとしていたわね……」
「愉快犯ではないー」
「そう。単に病院を混乱に陥れて楽しんでたとかじゃないよ。あの攻撃、あの
「それは——何かのデータなのかしら? 病院と言ったら、極秘の個人情報がいっぱいあるから、不正侵入してデータを盗んで、その売買なんかを——も考えられるけど……」
「お金ではないー」
「——そうだね。お金目的っていった感じがしなかったね」
「ええ。あの男との、あのちょっとの会話で断言するのは危険だけど——私もそんな感じを受けたわ。愉快目的でもなく、金目当てでもない、何か違う企みがあって病院の中に入り込もうとしてたんじゃないかしら」
「あれは正義の味方ー」
「——そう! 正義よ。正義! あいつのもったいつけたような正義漢ぶり。私らをお子様扱いして!」
「そうね、そうかもね。そして、あの男が自分を正義と思っているのなら……悪が病院の中にいたってことよね」
「人かもー」
「……人? あいつが狙った悪は病人なのかな」
「そうかもしれないわ。もしかして誰かあの病院で治療中で、——病院のシステムに干渉することで危害を加えようとしたのかもしれないわね」
「可能性いろいろー」
三人は昨日の夜、
しかし、それは——結局彼女たちは今後もその真相を知ることもないし、実のところ知らない方が良い。
実のところ、今回、生徒会まが巻き込まれた攻撃は、うら若き乙女たちが関わるにはふさわしくない、国際政治の闇がらみのたちの悪い事件であったのだが、
「気になるね」
「そうね」
「気になるー」
それでも、怖いもの知らずに、なんでも気になるお年頃の三人であった。
だから、
「あたし、ちょっと調べて見た」
「あら私もよ」
「自分もー」
好奇心は猫を殺すなどということわざもあるが、それ以上の活発さと、活動力をもつ彼女らは、
「あの病院って産婦人科も有名だけど、もっと有名なのあるんだって」
「そうね」
「iPS治療ー」
ある程度は事件の真相に近づいていた。
お好み焼き屋で会ったおじいさんの孫に会いに——と生徒会の三人が行った病院は万能細胞であるiPSによる再生医療に関して世界でも有数の権威がいる場所であったらしい。
ならば、もしかして、その治療をなされている重要人物がそこにいて……
「それっぽいよね」
「産業、というか医療スパイで治療の情報取りに行ったって可能性もあるけど」
「違うー」
「そうだね」
生徒会の予想は大きくは外れてはいない。
2006年に日本人が作り出してその後人口の老齢化する日本で大きく発展したiPS細胞を用いた再生医療。ちょっと未来のこの時代に、日本のお家芸と言われるまでになったこの治療を受けに、外国からも様々な人々が訪れていた。
ましてや、観光地としても世界的に人気のある北海道にある病院ともなれば、海外の富裕層や重要人物などが、治療を受けるために足を運ぶ、そんな場所であったのだった。
そう、彼——ある国の運命を左右しかねない人物。ある勢力にとっては好ましく、ある勢力にとっては忌み嫌われるその男は、そこにいた。母国での
であれば? その制御コンピュータにアクセスできたならば?
投薬を止める? あるいは自動でミックスされている薬の配合を変える? 呼吸装置を制御不能にする?
もし病院のシステムに入り込むことができたならば、いろいろな方法が考えられた。その重要人物の、男の、命を奪う方法が——
しかし、
「でも結局何も起きなかったんだよね」
その侵入は生徒会が防いだ。
最後に自爆テロまがいの攻撃を仕掛けてきた時も、
「あの時、私たちがログアウトする時に、病院のインターネット経由通信は全て断になったのよね」
あの時、たまたまインターネット経由で
たまたま——それが幸いしたらしい。
なぜなら、少しタイミングがずれていたら、
「あれやばかったー」
男が最後に爆発した瞬間の様子を思い浮かべなながらヒジリが言う。
悪質なウィルスをばら撒きながら自壊したアバター。
後日、シャットダウン前に病院内への侵入に成功した一部のコンピュータウィルスを解析したところ、セキュリティソフトの既存のパターンにはひっかからない未知のウィルスであったらしい。世界中にばら撒き、営利目的か愉快犯的目的か——そういう使用のためにつくられたのではない。それは今回の攻撃に合わせて作られた特製のものであった。そんなウィルスでシステムの破壊を企まられたら……
不幸中の幸いは、病院に侵入したウィルスは比較的無害な物ばかりで、せいぜいが感染した端末の画面に今回の攻撃者の組織の名前と犯行声明をポップアップさせるだけで他に被害はなかったとのことであった。
だが、本当に、『不幸中の幸い』なのであろうか?
もしかして、男は、病院のシステム全般をウィルスによる破壊するようなつもりはもともとなかったのではないか? 侵入が失敗したが、すでにその目的は果たされていたのではないか?
後日談とはなるが——
その重要人物のとりまきは、サイバー攻撃を受けた病院にいることを嫌い、その男を別の病院に移したのだが、その新しい病院は北海道のものよりも随分とサイバーセキュリティに劣る場所であったと言う。
もしそれが、攻撃者たちの目的——少なくとも次善の策であったとするならば……
「でも、結局これ以上は何にもわからないかもしれないね」
「ええ、少なくともおじいさんの家族たちは無事と連絡取れているし、病院の仮想空間の窓口も今日の朝には復活しているのは確認できたけど……」
「これ以上は闇ー」
一般の人々には知る
「あ、私順番だ、行かなきゃ——」
というわけで、体育の授業の合間の、答えのでない議論はこれで終わり。
百メートル走をするためにトラックに向かうナミが走る前に途中の草に足を取られて転ぶ姿を眺めながら、
あくまでも平和な日常を満喫する、彼女らなのでった。
今のところは……
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(ここからは用語解説です)
「iPS治療」
人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells)略してiPS細胞。京都大学の山中教授らのグループにより作り出された、どのような体組織細胞にもなる事ができる万能細胞。最初のiが小文字なのはiPhoneにちなんで世の中に普及するようにとの思いでしたとのことですね。
さて、何が万能なのかということですが……
通常人間の胃とか腸とか臓器や脳などの体組織は、その役割に特化した細胞で作られています。例えば心臓を他の臓器で移植したり培養して作り出したりすることはできません。しかし、人間はお母さんのお腹で赤ちゃんとなるまでの間、始原の何にでもなれる細胞から分化してそれら臓器を作り出しているのです。何にでもなれる万能の細胞を誕生の瞬間は持っていると言う事です。ならばその万能の細胞を人口的に作る事ができないか、というのでそれに成功したのがこのiPS細胞です。この細胞を培養した組織や臓器などによる移植手術や、培養した組織への試験での薬の開発などの治療への応用——iPS治療が現在急速に研究されています。
まだ実際の治療で用いるまでにはハードルがあるようですが、今後ますます老齢化する日本での様々な治療や研究などに使われることが期待されているようです。
「IPS」
上の、iPSに似てますがこちらは頭文字も大文字でIPS。Intrusion Prevention Systemの略。不正侵入防止システムのことです。通常、許可されていない不正な通信はファイヤーウォールにより防御されているのですが、許可された通信——例えばWEBへのアクセスであればファイヤーウォールはふせげません。それは許可されている通信であるからです。
しかし許可された通信の中でシステムの脆弱性などをついて不正アクセスを仕掛けられることがあります。それをアクセス時の挙動などから検知、ブロックするシステムのことをIPSと言います。ちなみに、検知だけしてブロックは別に任せる機器のことはIDS(Sntrusion Detection System)不正侵入検知システムと呼びます。
今回作中では侵入者の爆発寸前の怪しげな挙動やアクセスの仕方から病院のIPSが通信の全断を判断したと思ってください。少し未来の話なので、IPSも空気というか、物語の盛り上がりを読んでくれてる……となってたらいいな。
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