第9話 虚しき地

 やせた畑の中の小道を、アルヴェとスミアは、とぼとぼ歩いていました。

 スミアの足は、時々躊躇して重くなりました。ため息をつく回数も増えてきました。

 つい足が止まってしまうたびに、アルヴェが後ろから肩を叩き、進むことを促しました。

「先ほどは悪かった」

 突然、アルヴェが謝りました。

「え? 何がさ?」

 スミアは、あわてふためきました。

「故郷を卑下してはいけないと言った」

「それが、何さ……」

「故郷を賎しめるような態度を取った」

「それは……何さ……」

 アルヴェの答えはありませんでした。

 実のなさそうな穂が、風に翻弄されてさわさわと音を立てました。

 スミアはさびしげにあたりを見回しました。ひどく貧しい風景でした。そして天を仰ぎました。

「なんだい、なんだい、なんだっていうんだい! だって、本当のことなんだ。本当にひどいし、本当に汚い。本当に……あたしって……」

 醜い……。そう言いかけて、スミアはやめました。

 情けなくなるのは、もう嫌でした。

「やめよう! もう! どうせ、あたしらなんてこんなもんだよ」

 すっかり覚悟が決まったのでしょうか? スミアはうってかわって、すたすた歩き出しました。

「スミア!」

 アルヴェの声に、スミアはふりむきました。

 あれだけ先を急がせていたはずのアルヴェが、立ち止まっていました。スミアが立ち止まると、彼はゆっくりと歩み寄り、スミアの肩に手を置きました。

 その感触に、スミアは気が遠くなりそうでした。

 夕闇の瞳を見つめ返せず、スミアはうつむいて目をつぶりました。心臓がドキドキします。

 なぜ? なぜ? 

 自分でもなぜかわかりません。

 でも、やがて自分の内側から答えが沸きあがってくるのがわかりました。


 ――アルヴェが好き……。


 今までかつて、自分の姿を気にしたことなどありませんでした。

 でも今は、あまりにも彼とつりあわない自分を、情けなく思う気持ちでいっぱいでした。

 どうしよう? アルヴェが好き……。

 喉元まで上がってくる想いを、スミアは切なく飲み込みました。

 どのようにすさんだ生活をしようとも、スミアも普通の少女に過ぎません。

 ましてや、彼女はこれほど誰かにやさしくされたことすらないのです。目の前にいる優しく美しい光戦の民に、憧れを抱くなというほうが無理でした。


「スミア、君が誤解してしまったことを否定したってわかってはくれないだろうね。だから、あえて否定はしないよ。ここが虚しくさびしいところだと思う気持ちは本当だ。君がこの土地に絶望し、悲嘆に暮れて、罵り叫んだとしても、やむをえない」

 アルヴェの瞳が、スミアを離れてあたりの風景にうつりましたので、スミアはそっとアルヴェを見上げました。

 瞳の奥に、底が見えないほどの悲しみが沈んでいました。

「豊かではあるが、私の住まうところも今はこのように虚しくさびしいのだ」

 独り言のように、アルヴェがつぶやきました。

 アルヴェは、スミアの肩に置いた手をやや置き換えて、肩に手を回した格好で歩き出しました。

 汚れてしまったとはいえ、軽やかな光戦の民のマントが、スミアの体さえも被いました。

 スミアを打ち続けていた冷たい風がさえぎられ、ほんのりと暖かさが伝わってきました。いいえ、体の内側に火がついたように熱ってきました。

 うつむくと、荒れた地に小さな自分の影と背の高い光戦の民の影が、ぴたりと重なって見えました。

「闇と光の戦が終わった時、多くの仲間が絶望を感じ、天空の故郷へと船に乗って去っていった。だから、かつて喜びに満ち溢れていた我らの地も、虚しくさみしい土地となった。ここと同じように……。隠れ里も……そして、アルフェイムも……ね」

 スミアの肩に置かれた手が、ひんやりと冷たく感じられました。

 スミアは、胸に穴が空くような不安を感じて、アルヴェの服の端を握りしめました。

「光戦の民たちは……なぜ、船に乗っていってしまったの?」

「希望が見出せないから」

 あまりに短い返答でした。

 完璧と思われる光戦の民たちに希望なくして、至らぬ人間に何の望みがあるというのでしょう? 目の前が暗くなるようでした。

 夕闇の瞳は、あまりに遠いほうを見ていて、スミアには届きませんでした。底知れぬ悲嘆の影が光戦の民に覆い被さっているのです。

「アルヴェも……シルヴァも……。行っちゃうの?」

 恐る恐る聞いた質問に、アルヴェは微笑みました。

 遠い世界から帰ってきたかのように、彼はスミアに目を向けました。その瞳は、いつもと同じやさしさに満ち溢れていました。

「今は土鬼狩りの時節だ。我々はここにいるよ。ヤツラがいる限り、追い続けなければならないからね」


 二人は村の入り口にたどり着きました。

 スミアは考え事をしていて、たどり着いたことに気が付きませんでした。カタカタと風に揺られている扉の音に、はっとして顔を上げました。

 石塀の前で再び躊躇するスミアに、アルヴェは微笑むと、先に門を通り抜けていきました。

 あわててスミアも走り出しました。

「アルヴェ、待って! 行かないでよ」

 たった今、スミアの心を占めていたのは、村を恥じる気持ちでも、自分を恥じる気持ちでもありませんでした。


 土鬼を狩りつづける。

 土鬼狩りの時節。

 狩り終えたら?

 土鬼がいなくなったら?

 アルヴェたちは、どうするのでしょう? 


「いやだったら! 行かないでよってば!」

 あまりにも大げさに叫びながらスミアが追いかけてきたので、アルヴェは不思議そうな顔で、立ち止まっていました。

 その前を少し通り過ぎて、あわてて戻ってくると、スミアはいきなりアルヴェに飛びつきました。

「いったいどうしたのだ?」

 弾む息で、スミアはアルヴェを見つめていました。手に、腕に、確かにアルヴェの存在が感じられます。

 でも、なぜだか消えていなくなりそうな気になって、スミアはあわててしまったのでした。

「な、何でもないよ! こ、ここはあたしの村だから、あたしの案内なしに勝手に歩いちゃだめだよ。ほら、付いて来て!」

 突然抱きついてきたかとおもうと、いきなりすたすた歩き出すスミアの姿を、アルヴェはわけもわからず、見入っていました。

「ほら、こっち!」

 背中に視線を感じたのか、顔を真っ赤にしながら、スミアが手を振っています。

 アルヴェは、おかしそうに笑うと、やれやれとばかり後に続きました。

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