第7話 花
シルヴァは、ひらりと穴の中に身を投じました。
穴は縦穴で深さがありました。シルヴァの身長でも、下に降りると穴の外には手が出ないほどでした。
入り口は狭く、人一人がやっと通れる大きさですが、下はやや広くなっていて、三人ほどが立てる大きさでした。
空気は、やや嫌なにおいがするものの、風が時々通りぬけ、心配はないようでした。
雨を防ぐ工夫なのでしょう。縦穴の横、シルヴァの腰あたりに横穴があり、その奥が土鬼の住処のようでした。
シルヴァは手を伸ばすと、入り口付近で手間取っているスミアを受け取りました。
「気をつけて」
アルヴェが、穴の入り口からトーチを差し出しました。
横穴は幅が細く、這いつくばって歩かなければ通れないほどでした。
トーチで照らすと、さほど長い距離ではなく、再び奥は広い空間になっているようでした。
スミアはトーチを先に投げ入れて、横穴に飛びつきました。
シルヴァの腰ほどの高さでも、スミアには十分な高さがありましたので、シルヴァの手助けが必要でした。
スミアが奥の部屋に入ったことを確認してから、シルヴァが続きました。
シルヴァが部屋にたどり着いた時、スミアはトーチをもったまま、部屋の中央で立ちつくしていました。
「どうした?」
不思議そうにシルヴァが聞いても、スミアは口を開きませんでした。わずかに通る風のせいか、それともスミアの震えのせいか、トーチの炎が踊っていました。
部屋には、土鬼のミイラ化した屍が散らばっていました。
十二年前、入り口から投げ入れられた火は、煙を巣穴中に満たしたのでしょう。土鬼どもは、反対側の出口を求めて逃げ惑い、狭い入り口の横で折り重なるようにして死んだのです。
うまく逃げ果せた土鬼たちは、光戦の民たちの弓の標的となりました。
さらに逃げ惑う土鬼を、シルヴァは槍で突き殺していきました。アルヴェが彼らの首を落とし、死体の山を築きあげました。
憎しみの炎で、土鬼どもは焼かれ、灰となっていきました。
シルヴァは、自分たちの仕事が完璧だったことに満足していました。
しかし、スミアは累々たる屍の山に真っ青になっていました。すっかり意気消沈してしまい、次の部屋の先陣をシルヴァに譲りました。
「意気地がないのだな。勇ましいことをいうわりには……」
細い通路を移動しながら、シルヴァが笑いました。
「べ、別に土鬼の、し、死体なんて、怖くなんかないやい! そんなもの、単なる物じゃないか!」
強がりを言ったスミアの鼻先に、何かが触れました。
焦げた嫌な臭いがかすかにします。トーチをかざすと、それは黒い物体で丸い形をしていました。よく見ると、くぼみが三個所あり、上二個所はまるで目のようで……いえ、目のあった部分でした。
「きゃーーーー!」
スミアは甲高い悲鳴を上げ、ものすごい勢いで後ずさり、しりもちをつきました。
その様子を見て、シルヴァは土鬼の頭骸骨を持ったまま、笑い出しました。
「君は、たった今、怖くはないといった。嘘つきだな」
シルヴァに笑われても、スミアは反論もせず、細い通路に膝を抱え、頭をうずめていました。体が震え、涙を抑えることができず、泣いていました。
さすがにいたずらが過ぎたようです。シルヴァは、通路を引き返してスミアの腕を取りました。
「君が同情して泣くようなやつらではない。生きている時も、死んでいる時も……。土鬼どもは、物以下の存在だ。さあ、行こう」
スミアは顔を上げ、鼻をすすり上げました。
「わ、わかっているよ。同情なんかするものか……。わかっているけど、あたし、ヘンだな……」
強がっても止まらない震えに、スミアは何度も抵抗して、自分で肩を抱き、腕を抱きました。
シルヴァは、再び笑い出すかと思えば、急に神妙な顔をして、スミアの横に、やはり膝を抱えて座りました。上背のある光戦の民には、かなり窮屈そうでしたが、彼は気にしていないようでした。
しばらくして、彼は言いました。
「同情でなければ、死というものが怖いのだな?」
ぴくっと、スミアは頭を上げました。
確かにそうかも知れません。
命あったものが抜け殻になる。死というものが怖いのかもしれません。
そう思うと、自然に震えが収まってきました。
「光戦の民は死を恐れない。我々にとって、死は遠い存在だから」
シルヴァはそう言うと、先ほどの頭骸骨を通路の向こうへと投げました。
骨は、甲高い音を通路全体に響かせて弾んでいき、やがて見えなくなりました。
死を恐れない……。
光戦の民には、恐ろしいものなどないのでしょうか?
スミアは、通路に所々転がっている骨にビクビクしながら、シルヴァの後をついていきました。
光戦の民に比べると、人間はなんと矮小な生き物なのでしょう。
かつて、この大地を支配していた光戦の民たちは、なぜ去って行くのでしょうか? スミアにはわかりませんでした。
古の戦いは、光戦の民が勝利しました。その後、現の大地には平和と幸せが満ち足りたはずです。人間にあとを託して去ってゆく必要など、彼らにあるとは思えません。
光戦の民こそ、完璧な人々なのに……。
暗くなりそうな気分を奮い立たせるために、スミアは立ち止まって、両手で頬をパンパンと叩いて気合いを入れました。そしてぶるっと武者震いしました。
次の部屋は完全に焼かれていました。
空気穴が儲けられていて、風通りの良い部屋だったばかりに、まるで煙突の中のように、高温になったようです。部屋には灰と黒いシミだけが残されていました。
心乱れないわけではありません。しかし、形が残っていないだけ、スミアは正気を保つことができました。
「ごらんよ、完全にここの土鬼は始末されている。これじゃあ、君の村を襲えないだろう」
スミアはきつい目でシルヴァを睨みました。
「あたしは嘘なんかついていない! 絶対に、生き残ったやつらがいるんだ! たぶん、ここはもう捨ててしまったんだろ」
そう言うと、スミアはトーチをかざしながら、まるで犬のように壁や地面を舐めるようにして、あたりを探りだしました。
シルヴァもあたりを探りましたが、それは何かを見つけるためではなく、何も見つからないことを証明するためでした。
「私はね、君が嘘をついているとは思わないよ。ただ、記憶違いじゃないかなとは思う。幼い頃、襲ってきた盗賊団か何かを、土鬼の一団と勘違いしたとかね」
スミアは、少し苛立ちながら答えました。
「あんたって、どうしてはじめに疑いありきなのさ!」
――アルヴェが、賭けに負けてくれればよかったのに……。
ふっと頭に浮かんだことに、スミアは自分でも驚いてしまいました。
さらにシルヴァの言葉が追い討ちをかけました。
「君は、アルヴェと一緒がよかった……と思っている」
スミアの頭に、一気に血が上りました。
「そ、そ、そんなこと、お、お、お思ってなんかない!」
トーチで顔が照らされているせいです。きっと顔が熱いのは……。
しかし、シルヴァには、すっかり本当のことがばれているようでした。
「私と一緒よりはいいだろう? 兄者は生真面目な性格だから、君を驚かすまねはしないだろうしね」
シルヴァは、からかうように微笑みました。
スミアは、復讐のために光戦の民を待っていました。
でも、初めて会った光戦の民は、スミアに復讐を一瞬忘れさせ、ときめきを与えました。
生まれて十四年間、スミアの周りには美しいものなど存在せず、日々生きることだけで精一杯で、いつか土鬼どもに復讐することだけを励みに生きてきました。
美しいものに心惹かれるゆとりなど、スミアにはありませんでした。
何の免疫もなしに、スミアは光戦の民に出会ったのです。
小船の上から見つめ続けた青年は、スミアがはじめて美しいと感じた存在でした。
そして、あっという間に、夕闇の瞳に囚われてしまったのです。
「そ、そ、そんなことないっ! あたしはシルヴァといるほうが好きだよ。全然やさしくないようで結構やさしいし、アルヴェといるよりは気が楽なんだよ。だってアルヴェといると、なんだか息苦しい感じがするんだ。いや、あの……別に、それってアルヴェがどうのってわけじゃなくて……」
突然、シルヴァの顔が真剣になりました。
「スミア、そのまま!」
一歩シルヴァのほうに出かかった足を彼の静止の手に阻まれて、スミアは硬直してしまいました。
支離滅裂で、自分でもわけのわからない言葉を途中でさえぎられ、ぱくぱくと口だけが動きました。
シルヴァはスミアに近寄ると、突然足元にしゃがみこみました。スミアは、前のめりの体制のまま、目だけでシルヴァを追いました。
アルヴェとそっくりというだけで、スミアは息もできずにいました。
シルヴァは、足元にある何かを拾い上げ、スミアの鼻先にかざしました。
「……花?」
スミアは思わずつぶやきました。
「そう、花だ。すっかり枯れてカサカサだけどね」
人影もなく、燃えきってしまった部屋に花。
それは考えられないことでした。誰かがここに入り、花を置いたとしか……。
「生き残りがいたらしい。花は、きっと鎮魂のために仲間が置いていったものだろう。でも……」
そう言いながら、シルヴァは考え込んでしまいました。
「でも? どうしたのさ」
やっと動いてもいいらしいとわかって、スミアは息をつき、こった首を回しました。
「土鬼が、仲間を悼んで花を添える……。私は、よく土鬼どもを知っているけれど、そのような話は、見たことも聞いたこともないのだよ」
シルヴァの手の中で、花はかさりと揺れてこなごなになり、ハラハラと散りました。
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