第20話 パーティ終了です

 ルイ・ベガ。盟友ケニー・ドープと組んだユニットMasters at Workで有名な、ニューヨークハウスシーンを、いや世界のミュージックシーンを牽引する一人と言っても過言ではない大ミュージックプロデューサー。そして、DJとしても常に第一線で観客を踊り続けさせた傑物である。

 そもそもが、ラテンミュージック界の大物の親族であり、そんな音楽家を志すに恵まれた環境の中でニューヨークのプエリトリカン——ニューヨリカンとしてのグルーブをハウスミュージックシーンの中で、作り上げてきた彼は2006年にグラミーのベスト・リミキサー賞をCurtis Mayfield “Super Fly”のリミックスで受賞する。

 そんな、ルイ・ベガの作り出す独特の世界、ラテンとハウスの混ざりあったグルーヴがContact Tokyoに満ちる。ルイ・ベガ。ニューヨー・ハウス界のトップアーティストの創造した世界の中で、人々は熱狂する。フロアの上に音が作り上げた楽園。それは、この一夜にだけ現れた、かりそめの世界。その場限りの世界であるかもしれない。しかし、この日、この場所、その瞬間に、我々は永遠と無限を感じる。

 ——叫ぶ。かけがえない瞬間をたたえながら、この日の奇跡を楽しもう。そして、踊り、笑い、思いっきり感情を開放した、その声は君そのものであり——その声が響くフロアに嘘はない。様々な人々の集まるこの場所。様々な場所から来た、様々な人々。国籍も年齢も思想も目的も好みも違う人々。その雑多な人間たちが密集しその感情を伝え合う刹那に、通じ合う共感がフロアを変え——世界を変えるのだ。

 そんな幸せな確信に皆んなが包まれながら——いつのまにか……朝方。


   *


「どうだったかな今日」


 フロアの一番後方、一晩中踊り続け、汗だくになった体を壁にもたせかけながらアナが言う。


「すごく……楽しかったです」


「最高だったね」


「一晩ずっとって疲れなかった?」


「はい、最初は……人も多いし……」


「ちょっと気づかれというか、遠慮しちゃって後ろの方に押しだ出された感あったけど……」


「後ろの方は後ろでダンス大会みたいになっていて……」


「確かに後ろの方は思いっきり踊ってる人多かったわね。邪魔だった?」


「いえ……なんだかみんな楽しそうで」


「中にはナル入っててちょっとねという人もいたけど……それにしたって一緒に楽しもうって空気を感じたよ」


「そして、その後は、どんどん前に出ていったわよね」


「ダンスに熱中してる人たちのエネルギーをもらってどんどん前に出ていけた感じがします」


「あの中で一緒に盛り上がりたい! って思えたから」


「で、一晩中……だったけど?」


「あっという間でした」


「気づいたらもう……朝だよね……」


 時間はもう、始発の出る時間もこえて、普通に早起きの人たちが街中をうろつき始めるような時間。ミーネとキッカにとっては今までで一番長いパーティとなったのであったが、その時間をまるで感じない、


「良いパーティだったわね……」


 アナの言葉に頷く二人。


 そろそろパーティの終わりを感じさせるような雰囲気がフロアに漂う。


 音楽は次第にメローな曲に変わり、フロアの踊りもゆったりとしたものになる。


 そうして、今日の熱狂を引き締め、そのエネルギーを人々の心の中に収束させるような時間がしばらく続いた後、DJ——ルイ・ベガが音を止め、マイクを持ち話し始める。


 それはこれからかける曲のできた由来(Luther Vandrossのミックスを任されるに至った経緯)の話や、


「……英語だから、言ってる意味ちゃんとわかってるか自信ないけど。彼の新しいアルバムNYC DISCOのディスコという言葉を入れた意味の話ね……」


「……ディスコがルーツだと言ってるように聞こえます」


「…………そ、そうね」


 キッカはまったく英語が聞き取れていない模様。


「……ミーネさん、ここに来る前に話していたこと覚えてる」


「ディスコとクラブの違いのことですか」


「そう。日本に置けるクラブカルチャーって、その前のディスコを否定することによって生まれたって言ったわよね」


「はい。服装チェックとかしている選別的な雰囲気とか、踊るよりもナンパ目的だとかの享楽的な風潮のアンチとしてクラブが生まれたって……」


「そういや、アナさん、その話言いかけで終わってたけど」


「そうだったわね……」


 パーティが始まってしまっていると、回転寿司屋から慌てて退散した騒ぎで、ディスコの話が中途半端で終ってしまっていたのを思い出して、アナはすまなさそうな表情を浮かべながら言う。


「……ここに来る前に話したように、クラブというカルチャーは、ディスコというカルチャーを否定して、そのカウンターとしてできあがったものであることは間違いないと思うわ。少なくとも日本においては」


「服装が自由になって、入店チェックをしなくなった……それがカルチャーを作ったのですか?」


 さすがにそれだけで文化カルチャーができたわけは無いのではといった顔のミーネ。


「……もちろん、服装は象徴的なもので、ディスコというカルチャーが持っていた豪華で軽薄な雰囲気全般を否定してクールな新しい文化を作ろうという大きな動きがあっただろうし、そもそもかかっている音楽——ディスコで流行っていたユーロビートを今のクラブミュージック——ハウスとかテクノへ変わるという根本的な違いはあったようよ」


「ユーロビートって何?」


「当時流行っていたダンスミュージックで、例えば……知ってるかな? 頭文字イニシャルDでかかってる音楽みたいな……」


「アニメのですか……?」


 そういや弟がテレビで峠を車が走り抜けるアニメを見てたような記憶があるミーナ。


「そのBGMのような……あと、カイリー・ミノーグとかリック・アストリーとか知らないかな? 最近だとアニソンとかで……『とある』なんとかの主題歌みたいなとか……」


「あ、最後でわかった。『ほうっ!』とか途中で叫び声あがるような音楽かな?」


 実は、ちょっとアニオタのキッカもユーロビートのイメージがつかめた模様。


「うんまあどういう音楽かイメージできたかな?」


「はい……なんとなく」


「……で、まあ音楽そのものの話は置いといて——かかる音楽が変わったらそれに伴って来る人が変わったというのが、もしかしたら当時のディスコとクラブの一番大きな断絶理由かもしれないわよ。誤解を恐れずに、すごい単純化して言ってしまうとね、ユーロビート他の音楽のファンが踊りに行くような場所がクラブとして定義されたと言っても良いかもしれない。ハウスやテクノ以外、ヒップホップはもちろん、ロックがかかる場所も『クラブ』となったのよ。生演奏でなくDJが音楽をかける場所は」


「でも……」


 今のアナの話が、何だか腑に落ちなさそうな顔つきのミーネ。


「何かな?」


「ディスコって、その音楽——ユーロビート?——しか流しちゃいけない場所なんでしょうか?」


「ふふふ、おっとミーネさん良いとこに気づいたわね……最初に結論から言うと、答えはノーよ」


 ミーネが自分が話したいところに気づいてくれて、ちょっと嬉しそうなアナ。


「ということはディスコでもクラブミュージックがかかっていたのでしょうか?」


「うん、日本にクラブができ始めた頃はディスコとクラブではかかっている曲が違っていたのだけど、そのうちディスコの方がクラブミュージックの一部をかけるようになったそうよ」


「一部……?」


「当時ハードコアテクノと呼ばれRAVEレイヴミュージックね」


「RAVE?」


「不正確な言い方だけど野外フェスととりあえずは思っといて……ともかく盛り上がる大パーティで……ハードコアテクノってその頃そんなイベントでかかった派手なクラブミュージックで……」


「そういうのがディスコでもかかるようになったのですか」


「ええ、ハードコアテクノって、当時、もともとのクラブミュージックの伝統からするとかなり下品でうるさい音楽だと、古参のクラバーには思われていたようだけど……明らかにクラブミュージックの歴史の中か生まれて来て、その後もその歴史の中に取り込まれた音楽ね。それがディスコでもかかるようになったの……ジュリアナ東京って知ってる?」


「ああ、バブル!」


「エロいボディコン!」


「……ああそれって、よくある誤解で、ジュリアナ東京はバブル崩壊後でボディコンの露出もかなり規制されてたそうだけど……」


「テレビで、昔の映像として流れたの見たことあります」


「僕も見たことあるよ。後ろで、流れてる音楽なんか騒がしい感じだった」


 また『ほうっ!』とか、声を出すキッカ。彼女の中でディスコが『ほうっ!』という定義になった瞬間であったが……


 まあ、それは……


「……ともかくジュリアナ東京はディスコと呼ばれていて、そこにはクラブミュージックが流れていたし、その成功を見て他のディスコも同じような…ハードコアテクノ——クラブミュージックをかけるようになった……となるとその2つの違いは何なんだろうとなるでしょ?」


「お客さんの性質で区別ですか?」


「もちろん、そういうのも、その瞬間は可能だったと思うけど……ディスコもクラブも両方ともクラブミュージックをかけるようになったわけじゃない? 結局、ジュリアナ東京がなくなった頃——何回目かのディスコブームが終わった時には、同じような客層を狙って作られたヴェルファーレという場所はディスコでなくクラブと名乗っていたそうよ」


「つまりディスコがクラブに取り込まれたということですか?」


「まず、名称としてはそうだと思うわ。で、名は体を表すとか言うけれど、ディスコという名前はクラブという概念の中に取り込まれたというのも事実だと思う」


「じゃあ、ディスコはなくなっちゃんだ……」


「ええ、そうね名前はね……でも人の求めるものが名前が無くなったくらいで無くなるわけはないのよ。当時ディスコに求められたものは形を変えながら今もクラブに求められて、それに応じた場所やパーティは今も在り続けてるのだと思うわ……良い悪いじゃなくてね、それはクラブというものの今の姿という事実なのだと思うわ」


「つまり、ディスコは無くなっていないと言うことでしょうか?」


「うん、名前は無くなったけど、クラブという文化が否定したその前のディスコという文化は、今でもクラブの中にあるのだと思うわ」


「つまり……無くなってない?」


「もしディスコが無くなったのだとすると、それを吸収したことで元と同じでなくなった、始まった当時の『クラブ』というものも無くなったのだとなるわ……で、そんなことはない。クラブカルチャーが始まった頃の純粋な精神は今でも残っている——『クラブ』は続いている……」


「じゃあディスコはあるのかな? 今も……」


 アナは頷き、微笑みながら言う。


「ええ、当時の『クラブ』が、その精神が今のクラブに残っているように……それにね、さっきルイ・ベガが言ってた話覚えている? 彼のアルバムタイトルにもなっているディスコの話……」


 今しがたルイ・ベガが音をしばし止めて話した言葉をミーネは思い出し、


「あ、英語だからちゃんと理解したか自信ないですが、ニューヨークのディスコがルーツだって言ってましたね……」


「そ、そうね……」


 いや、キッカ英語わからなかったら無理しないで。


「うん、あたしが、今、話してたディスコってあくまでも、日本にクラブができる時に、ちょうど、たまたまあったものでしかなく、その前のディスコの20年の歴史では、そのあり方もかかっていた音楽も決して均一ではなく……そして、クラブミュージックそのものも、そのディスコから途中で別れて生まれた……」


「それがルイ・ベガさんの言ってたルーツということですか」


「うん、それって、結局クラブがディスコというカルチャーを飲み込んだと思っても、実はクラブという概念の中にディスコが入っているってことで……」


「ん? こっちに、こっちが入って、でもそれはもともと同じもので……」


 入れ子構造を頭の中で考えてわけがわからなくなったらしきキッカ。


「……簡単に考えれば良いのよ。音楽は好き?」


「え……はい?」


「……好き? クラブの音楽もアナさんのおかげで好きになってきたよ……ってそれが今の話にどんな関係が?」


 アナの質問がちょっと唐突に感じられた二人。


「……全ては繋がっていて、そして今目の前にあるものは、その歴史があって届けられたもの……その歴史の中の様々な音楽には自分に合うものも合わないものもあったと思うけど……様々な音楽家やお客さんが作り上げた……」


「今日の音楽は大好きです!」


「最高だった……」


 アナは、嬉しそうにもう一度大きく頷く。


「それが……いやそれが全てなのよ」


 ミーネとキッカも頷き、三人は無言になり、再び踊りだす。


 フロアに流れるのはルイ・ベガのDJによる甘い旋律。


 もうすぐに終わるパーティを予感させる、さみしいような、でも素晴らしいパーティの終幕を体験するのが楽しみなような、物悲しくも楽しい、絶妙な雰囲気が残った客の間に生まれている。


 良いパーティの終わる時に特有の、フィニッシュに向けて全てがまとまってくような素晴らしい空気の中、三人は楽しそうに踊る。


 踊る。


 踊る。


 踊る……?


   *


「……なんかなかなか終わらないわね」


 もうすぐ終わるかと思ったパーティ。朝の7時も大きくこえて、フロアも明るい照明となり、「もう終わりましょ」とメッセージを出しているのだが……


 なかなか終幕とならないパーティであった。


 客の数はだいぶ少なくなっているのだが、なんども、アンコールを出してその度に新しく曲が始まる。残った人たちはこのまま、ずっと帰る気がないようなのに、ルイが曲をとめて説教? を始める微笑ましい一幕が始まる。


 『みんな朝めし食べに行け』『うちのエンジニアが腹ペコだから』『叙々苑とかどうだ?』とかとか、困ったようなうれいしようなルイの語りが続きかかる最後の曲。


 そうして、最後が少ししまらないところもかえって暖かい雰囲気を醸し出しながら、なんとも幸せな感情に包まれ、音楽の、人の歴史の中に続く、確かな何物かを残し……


 パーティは終わるのであった。

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