ふわクラ〜ふわっとクラブカルチャー体験

時野マモ

ふわっとクラブデビュー!(2018.4.18 Sunday Afternoon)

第1話 クラブに行ってみたいかも

 新宿水音あらやどみいね——通称ミーネ——はついこの間二十歳になったばかりの女子大生であった。地方の進学校で勉強漬けの高校生活をおくった雌伏の時——暗黒時代をくぐり抜け、去年晴れて東京の大学に合格したミーネ。それ以来、大学デビューだと、銀縁眼鏡を捨て去って、休みの日ともなれば……いやいや講義の合間を縫って、寸暇も惜しむように、おしゃれをして街中に繰り出していた彼女。


 そして、そんな生活を始めてから早一年。いつのまにか我が庭のごとく通い慣れた神宮外苑のあたりを、今日も颯爽と散策するのであった。


 日曜の昼すぎに賃貸のワンルームマンションを出て、乗った電車で二十分ほど。ミーネが到着した東京屈指のおしゃれスポットは、よく晴れて爽やかな春の風が吹く絶好のお散歩日和。


 であれば、まずは行きつけのロースターでテイクアウトしたマキアートを飲みながら、おしゃれな格好でジョギングやウォーキングをする人々の姿に混じり、薫風の吹き抜ける緑の中をあるく彼女であった。


 とはいえ、特に、この近辺で見たいものがあるとかそんなわけではない。


 ただ足の向くまま、気の向くままに、ただぶらぶらと歩く。ミーネは外苑西通りを越えて原宿の裏道に入る。そして、突き当たった表参道で曲がって青山通りで渋谷方面。服や、雑貨や、家具屋など、適当に店に入って眺め、いつの間にか、結構な時間をつぶしたあと、——最後は大きな本屋でファッション写真がいっぱいのった海外グラビア誌など見始めてしばし……


「はあ……」 


 思わず出た嘆息。


 別に、中身が英語で読めなくてでたのではない。


 誌面を飾るきらびやかで妖艶なファッションモデルたち。こんなのに自分はなれるわけもない。そんなことを思い、ふと漏れた嘆息なのであった。


 いやいや、一般的に言って、ミーネのルックスが悪いとかそんなわけではない。むしろ、彼女は、衆目を引くような外見で、均整の取れた体は、若者らしく爽やかなおしゃれな格好もよく似合っている……


 でも、おしゃれがわかってくればわかるほど。自分で自分の限界を知る。知ってしまえば、自分には届かぬ高みが見えてくる。こんなハイファッションは、少なくとも、今の自分の分じゃない。


「はあ……」


 というわけで、もう一度嘆息をした後に、本を棚に戻すと、なんか——誰もそんなことは気にしてはいないのだが——この場に居づらいような気持ちになって、ミーネは自然と本屋を離れる。で、その後は、どこという目的地もないので、とりあえずはと、通路を挟んで向かいにあったワインショップに入る。


 店内にずらっと並ぶワインの瓶。ミーネは、それらをざっと眺めながら、この間、もう二十歳になったんだからと飲んで見たワインの味を思い返す。おそるおそる飲んてみたそれは、そんなにおいしく思えたわけでもなかったが、高級なワインとかだと違うのかな。とか、奥の棚に陳列された目の飛び出る様な値段を見ながら考える。


 まあ、やっぱりそんなもの買えるわけもないのだが。


「はあ……」


 ああ、また、ミーネからもれる嘆息。


 ——買えるわけがない。


 ——相応じゃない。


 それは、今日見てきた他のものも同じ。

 

 本当にすごいと思えるものには、買うには躊躇するような値段がついている。服も、雑貨も、ワインも——何もかも。この間たまたま入ったインテリアショップで見た椅子なんか気になって価格を確かめれば何十万!


「はあ……」


 高級ワインの並ぶ前に立ちすくみながら、憂鬱な思いにとらわれるミーネであった。


 東京に出てきてから、あっという間に一年以上がたち、イケてるおしゃれも遊びもどういうものなのかだいぶわかるようになってきた。——少なくとも自分ではそう思えてきていた。


 例えばファッションも、TPOをわきまえて、街や店に合わせながら、東京にふさわしい格好ができるようになってきているのではと自負している(女友達やショップの店員からそんな風に褒められたこともある)。


 美味しくておしゃれな店の手持ちも増えてきたし、カッコ良い現代アートなんかの展示会なんかにもよく行くようになった。


 文房具ステーショナリーなんかも、事務用品みたいなボールペンをついこの間まで使っていたのにはたと気づくと、慌てて海外製のおしゃれなのに変えてみたりもした。なんかインクの出が悪かったけど。


 しかし——


 水音は、彼女なりに東京に順応し、この街の風景に溶け込んで雰囲気を害さない……いや街のおしゃれ度をちょっとアップするような存在になれてるんじゃないかと思うのだった。


 しかしだ——


 下手に、勘所かんどころが見えてくれば、さらに見えてくるものがある。


 自分が憧れた都会の生活、その中に入ったばかりのころは見えなかったその頂の遥か高くに気づけば……自分がとてもそんなところまでたどり着けないのを知る。


 お金、経験、そもそもの才能。それぞれに自分の限界を知る。


 この後、少なくとも、学生時代に自分ができる範囲はだいたい見えてきた。別に親が金持ちでもなければ、金持ちの男を垂らし込むには純情で、学生起業家で会社経営だとかの才覚があるわけでもない彼女では、いくらアルバイトしても自由になるお金には限界があり、大学デビューのにわか東京人では都会の様々な経験にもまだまだ乏しく……


 そもそも自分って何ができるのだろう?


 自分ってなんなんだろう?


 ——とか、とか。


 『自分』と言う、あいまいな概念に、あいまいに思いをはせれば、自分探しの迷宮に入り込んでしまうような年頃の水音である。


 ああ、なんだか最近、少し今の日常に飽きてきたかもしれないと彼女は思う。

 つまり、自分の今後の方向性に行き詰まっていたのだった。


 ——遊びに関してだけどね。


 いやいや、学生の本分は勉強だとか無粋なことは言うまい。良い生活があってこそ良い学びもある。彼女はその点はわきまえている。少なくともわきまえているつもり。


 ただ、わきまえて・・・・・遊んでいる分には早々に行き詰まるのもまた道理。そんなミーネは、高級ワインはとても手が出ないので、その横に置いてあった輸入スナック菓子を手に持したのだが、その千円近い値段を見て衝撃をうけて固まった、という間抜けな姿を晒してしたのだった。


 ちょうどそんな時に、


「なんだか憂鬱そうな顔だね」


「いえ……、あ、黄歌キッカ


 少し思い悩んだような友の顔を不審に思い水音に話しかけるのは麻布黄歌あさぬのきか——通常キッカ。本日の水音ミーネの待ち合わせ相手。彼女が虚脱した表情でいる間に、いつのまにか横にきていたようだった。


「店の外からミーネが魂の抜けた様な顔しているの見えたから」


 とはキッカの弁であるが……。


 ——まったくもってその通り。


 彼女は自分というものが自分の中にいなくなってしまったかのような気分にとらわれていたのだった。自分が、自分から抜けてしまったかのような気分となっていたのであった。こんな時は、


「まあ、なんだかしらないけど、さっさとお茶でも飲んで気分変えようよ」


 キッカの言うのが正解であった。


   *


 で、場所を変え、本屋のそばにあるカフェの外、サンクンガーデンにあるオープンテラスでお茶を飲み始める二人。ミントの効いたハーブティーを一口すすったあと、キッカが単刀直入に話を切り出す。


「なに塞いだ顔してんのよ。悩みでもあるの」

「悩みというほどでもないけれど……」


「ほどでもないけど……なんかあるの?」

「まあ、ないと言えば嘘になるかもしれないというか……」


 しかし、友人の反応はなんとも曖昧なもの。そりゃ悩みも曖昧だからね。キッカはどうにも話の要点を掴みかねている模様。


「なんか、めんどくさいわね。なんか具合でもわるいわけじゃないよね」


 一応悩みはあるようであるが、体調は悪く無いのか、ミーネのやたらとつやつやした顔の肌の調子を見て、それはないだろうなと思いつつ、体調不良なども心配してみるが、


「そうじゃないけど……」


「でも、何も悩みがないというわけでもないんだよね?」


「そうだけど……」


 じゃあ、なんのか?


「——なんか、はっきりしないわね……」


 仲の良い友達の塞ぎ顔が気にならないわけはないキッカであるが、どうにもとらえどころのないやりとりに困惑気味であった。といっても、悩んでいる本人がなんともとらえどころがないことに悩んでいたのだからしょうがないのではある。


 ——自分の目指す方向性が曖昧なことに悩んでいたのだから。


 でも、このままじゃ話がすすまないと思ったミーネは、勇気を出して自分のその漠然とした気持ちをそのまま吐き出してみることにする。


「思うんだけど……こういうの楽しいかな?」


「は?」


 キッカはまだ少しピンときてないような感じだが、


「こんな風に、おしゃれな街をぶらぶらしてお茶飲んで休日過ごして……」


「楽しくないの?」


「楽しいけど……」


「なにそれ……意味分かんない」


「自分で言ってても、言ってること意味不明だと思うけど、でも……」


 必死に自分の感情を言葉にしようとするミーネ。


 そして、


「うん……」


 困った顔になっている水音を見ながら、キッカは優しく微笑み、そして首肯しながら言う。


「まあ、なんとなくわかるけど」


「ん、そう?」


 すると、パッと明るい顔になるミーネ。


「ええ」


 もう一度頷くキッカ。

 ホッとして、安堵のため息をつくミーネ。

 もちろん、悩みがわかってもらっただけで問題が解決するわけはない。


 そもそも、ミーネの悩みは、悩みと言って良いかもわからないような、もやっとした案件なのだ。もし、単なる気のせい、やっと始まった都会の一人暮らしに期待しすぎていて、少し無いものねだりのよくばりをこいているだけと言われれば、反論する気はまるでない水音であった。


 彼女達も二十歳を超えて、法律上は大人の仲間入りをした。でも、まだまだ身分はモラトリアムを楽しむ学生様である。来年ぐらいには就職を考え、社会へと、現実の荒波の中へと、自らを投じる不安を感じ始めざるを得ないであろうけど、正直、大学の折り返し点も越えない今は、まだそれは切実な問題とは感じられない。新学期も始まったばかり。日々の授業や、ゼミにも、楽々というわけでないが、なんとかついていっている。学校以外の生活でも、憧れの東京生活にもちゃんと溶け込んでいるのだけど、


「確かに行き詰まり感あるよね」

「二十歳過ぎたけどずっとこのままなのかなって」


「卒業して就職したりしたら変わるんじゃない?」

「そうかもだけど……まだまだ先だよね」


 もちろん、後で思いかえせば学生時代の後半なんてあっという間だったと思うのだろうけど。


「なんかあせるよね」

「そう言われればそうだけど……あせるというかね……あのね、そろそろまどろっこしいからズバッと言うのだけれど」


「……?」

「……何か言いたいことがあるんでしょ。早く言ったら」


 キッカは、水音と大学に入ってすぐに知り合って、なんやかんやてもう一年をこえる付き合いである。こんな時のミーネが何を考えているのかなどだいぶお見通しのキッカであった。こんなときの親友は、きっと、もう答えを決めてしまっていて、それを言い足せないだけなのだから。


「うん。それじゃ……」


 で、キッカの読みのとおりに、もう結論が決まっていた水音。彼女は。一度顔を伏せて、キッカの様子を伺うかのように横目でおそるおそる彼女の顔を見つめながら、


「私……クラブに言って見たい」


 と言うのであった。

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