リールの回転

森山智仁

第1話

 マックスベットボタンを押し、レバーを叩くと、三本のリールが高速で回転を始める。スイカ・チェリー・バー・リプレイ・ベル・スイカ……昔はカラフルな縦線にしか見えなかった図柄たちも、今では一つ一つ目で追うことができる。

 液晶画面にチェリー対応の演出が出ている。チェリーには強チェリーと弱チェリーがある。左リール、中段にチェリー図柄が止まれば強チェリー、下段に止まれば弱チェリー。中と右のリールは関係ない。

(どうせ弱チェだろ……)

 諦め気味にストップボタンを押す。ほら、弱チェリーだ。

(どうせ……)

 という気持ちで打つことが習慣になっている。良い目が出るようにと祈ったり気合いを入れたりはしない。無意味だ。確率は決して変わらない。何も期待しない方が精神衛生上よろしい。

 恐らく今は高確状態だが、弱チェリーでART(当たりのこと)に当選する確率は、最高設定の「六」でもわずか九パーセント。期待できる数字ではない。そもそも高確状態であることも確定ではない。ややこしい。だからART機は嫌なのだ。嫌なら打つなと言われそうだが、嫌でも打たなければならないのである。

 この店は奇数月の十三日、三台並びで設定六を入れる。これまでの傾向からして、今日はこの台と両隣が六のはずだ。できれば左隣のノーマル機に座りたかったが、先客がいた。常連の老人。どう見てもプロではない。ただいたずらに年金を台に飲ませているだけのギャンブル依存症患者だ。いや、世間から見れば、俺も同じ穴のムジナだろう。

(……それどころか)

 彼の方が、多分立派だ。少なくとも俺よりは。若い頃は何かしら職に就いていたはず。まともに働いて年金を納めていたからこそ、今、年金を受け取っている。その金で遊ぼうが何をしようが文句を言われる筋合いはない。俺は、年金を納めていない。未来の展望はない。夢もない。老人よりスロットを理解しているからといって、誰も褒めてはくれない。

 ギャンブルなのだ。何も生産していない。女に、いや、世間に嫌われる、ギャンブル。飲む・打つ・買うの「打つ」。社会の底辺。クズだという自覚が、俺にはある。

 レバーを叩く。リールが回る。派手な効果音を伴って液晶が明滅する。ARTに入った。九パーセントをつかんだのだ。そういうこともある。そういう偶然の積み重ねで、やっと勝てるようになっている。

 やっと投資が止まってくれた……と思いきや、ARTはあっという間に終了した。まるで一夏の恋のように――そんなものはしたこともないが。払い出しはたった七十一枚。一枚二十円だから、金額にして千四百二十円。ギャンブルをしない、まともな人間の目には大金と映るかも知れない。しかしスロットは一ゲームにコイン三枚、つまり六十円かかる。今日の俺は展開に恵まれず、既に三万円使っている。その儲けが千五百円弱。一見、狂気の沙汰だ。

 それでもこの台は設定六、つまり「勝てる台」なのだ。設定一ならARTに入る確率は三百六十分の一以下。こちらはその二倍。ARTがそれなりに継続してくれれば勝てる。理論上は勝てるはずなのだ。一日の期待収支はプラス六万円。ちなみに設定一はマイナス二万円。だらだら遊んでいるだけの素人より、俺の方が八万円分も優れているのである。

 博打で一発当てようとしているわけではない。食って寝るのに必要な最低限の金が稼げればいい。決して高望みはしない。だから、そろそろ人並み程度のツキが来てくれないだろうか……。

 左隣の老人が席を立った。用事があるわけではあるまい。単に飽きたのだろう。貴重な設定六を手放すなんて! これだから無知は恐ろしい。

 空き台を待ちながら徘徊している若者がすぐに駆けつけてくるだろう。と思ったら、通りすがりの別の老人が座った。上級者の気配は微塵も感じられない。猫に小判だ。

 さて、こちらはと言えば、先ほど得た七十一枚が飲み込まれた。四人目の諭吉をサンドボックスに突っ込む。

 投資は膨らみ続けているが、気持ちが熱くなることはない。いくら飲み込まれようと、期待値はプラスなのだから、続行が正解。買ったコインを仏の顔で投入する。今日一日の収支はマイナスでも構わない。理論上プラスの台を打ち続ければトータルで勝てる。実際この二年間、そうやってしのいできたのだ。

 左肩を叩かれた。見ると、老人が無言で自分の台を指差している。ボーナス確定のランプが点灯していた。はい、当たりです。おめでとう。

 視線を戻し、仕事に戻る。と、また肩を叩かれた。何ですか? いや、わかっている。目押しを頼まれているのだ。

 リールに描かれた図柄が三つ揃えば何らかの特典があるわけだが、通常は狙っても揃わない。内部で抽選が行われていて、当選しない限り、どれだけ精密に狙っても決して揃うことはない。だから、普段は適当に押せばいい。

 当たった時だけは狙う必要があるが、それもさほど難しい作業ではない。大抵、ボーナス図柄は他に比べてやや大きめに描かれている。少し目を凝らせば見える。しかも、機械が制御して、多少タイミングがずれていても勝手に揃えてくれるのだ。

 そういう仕様だから、素人でも一人で遊べる。基本的には。

 この老人は目押しができないのだ。確かに彼が打っている台は比較的リールが見づらい機種だが、目押しができないなら、打つ方が悪い。目押しもできないのに打とうという神経がわからない。

 目押しの達成感こそスロットの醍醐味だ。本当はただ「揃えさせてもらっている」に過ぎない。それでも、「自力で揃えてやっている」かのように錯覚させてくれる。

 目押しができない高齢者は多い。果たして彼らは何が面白くて打っているのだろう? リールが見えないならパチンコに行け、といつも思う。パチンコは目押しの必要がない。ハンドルを握っているだけでいい。

 無視することにした。だいいち、「揃えてください」と、言葉で頼まれたわけではない。肩を叩かれて、ランプを見せられただけ。頼まれていないのだから、応じなくていい。

 老人は少しの間こちらをじっと見ていたが、諦めたらしく、コインを入れてレバーを叩いた。自力で揃えるつもりらしい。それでいい。自分の尻は自分で拭け。

 横目で老人の台のリールを見る。なかなか揃わない。一ゲーム六十円がみるみる消えていく。四百八十円、五百四十円、六百円……ああ、もったいない! 完全な無駄遣いだ。ただ目押しができないために、老人は手持ちのコインを使い果たし、新たな千円札をサンドボックスに差し込んだ。

 たまりかねて、手を出した。オレンジ色の七図柄を素早く揃える。古風なファンファーレが鳴った。老人の台はシンプルさが売りのノーマル機。ボーナスが成立すれば一定数のコインを吐き出す。

 そして俺は、何事もなかったかのように、自分の台に戻った。心温まる交流など不要。ここは鉄火場、否、仕事場だ。

 老人は、何事もなかったかのように、ボーナスゲームを消化している。じゃらじゃらとコインが排出されていく。

(……一言の礼もなしか)

 呆れた。

 すぐに応じなかったからか? だが、とにかく揃えてやったのだから、せめて「どうも」の一言ぐらいはあって然るべきだ。

 俺が助けなければ、彼はさらに無駄な金を遣い続けたはずだ。それこそドブに捨てるように。店員の目押しサービスは禁止されているから、偶然揃うのを待つしかなかった。そこを救ってやったのだ。コインの一、二枚、寄越したっておかしくない。

 なのに、会釈の気配すらなかった。老人は憑かれたようにレバーを叩き続けている。

 呆れが、やがて寒気に変わった。

 心が死んでいるのだろう。楽しいとか、ありがたいとか、そういう感覚もきっと失われているのだろう。スロットを打つために、スロットを打っている。ベルトコンベアで運ばれていくように、老人はあくまで無感動に、金を、時間を、浪費していく。

 彼のような人間が、きっと日本中にいる。この国はこんな「老後」で溢れている。

 考えたくないことを、つい考えてしまう。俺はどんな風に歳を取るのだろう。将来性はない。皆無だ。今のところ何とか食えてはいるが、貯金はゼロ。体を壊せばそれで終わり。自殺という選択肢が、結構現実味を帯びている。

 辞めればいい。辞めるべきだ。スロットで培った冷静な判断力で、スロットを放棄すべきだ。今辞めれば、まだ間に合う。何に? わからないけれど、何かに。今なら、引き返せる。俺はまだ二十六だ。やり直せない年齢ではない。このままずるずると、何も生み出さない人生を続けるのか? 本当にそれで良いのか?

 撤退だ。立て。立つのが正着手。

(……でも、この台の設定は六なんだ)

 理論上、勝てる台。期待収支は十時間で六万円。今どき日当六万円のバイトなどない。捨てるには惜しい。惜しすぎる。今、席を立つことは、賢明とは言えない。

 スロットを辞めるのは、この台を打ち切ってからでも遅くはない。

 そして俺は、再びリールを回す。何も期待せず、ただ期待値だけを追って。

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