第26話 ヌルの世界

「アダム……レニルン?」


 名前を聞いてもやはり聞いたことが無かった。結局名前も分からなければ容姿も見たことが無い。自分の脳内のデータベースに合致しなければ、その存在を認めることはできない。

 とどのつまり、ラインハルトはアダムに対して嫌悪感を抱いていた――ということになる。


「そ。僕の名前、覚えてもらえるとうれしいな」

「そもそも君とは出会ったことが無いはずだが?」

「とは言っても、初対面でいきなりそんな仏頂面されても困るでしょ。まあ、いいじゃないか」


 そう言って彼はちょうどラインハルトの横に腰掛ける。

 別に同性愛が悪いわけじゃないし、ノルーク教が同性愛を禁止しているわけでも無いから、それについて珍しがることも無い。

 しかし、だからといっても、それがラインハルトのアダムに対する嫌悪感が薄れるものではない。端から見ると、何故こんなにも嫌われているのにアダムという男性はずっとラインハルトとともに居るのかを不審がっているかもしれないが。


「……で、君は何のためにここに来たわけ?」

「職場仲間にご挨拶……ってところかな?」

「は?」

「君の代わりに配属になったんだよ。とはいえ、君の症状もそう遠くないうちに良くなるって聞いているし、もしかしたら入れ替わりで居なくなる可能性も高いけれど」

「ふうん。成程。それで? 何のためにここに? というかどうしてここが分かった?」

「それは……えーと……そう! ベッキーさんに聞いたんだよ。ここでいつも礼拝をしている、って」

「そうか。ならいい」


 そうしてまた俯き始める。


「あ、あのー。ねえ、話を聞いているかな?」

「何が?」

「だから、仲良くなりましょう、という話なんだけど」

「どうして?」

「どうして、って職場仲間だし……」

「でも入れ替わりで居なくなる可能性が高いのだろう?」

「それはそうだけれど……」

「だったら、別に、仲良くなる必要なんて無いだろ」


 ……どうやら、そう簡単にうまくいくことは無さそうだった。




 ◇◇◇



『どうやら心の壁は固いようだな』

『然様。誰しも心の壁は存在する。しかしそれを溶かし合うことこそ、再生の卵を孵化させる条件であると言えよう。アルシュ・コンダクターは、方舟を起動させることまでが、その命を燃やす目的となる。とどのつまり、方舟を起動させた後は、再生の卵を孵化させた者が世界を統べることになる』

『ならば、もう少し時間をかける必要があるのではあるまいか』

『しかし、人間がこうして活動できる時間も、もうあまり無い。食糧問題に酸素不足、我々の生きていく世界は最早この世界には存在しない。であるからこそ、』

『アルシュを起動させること。それが我々の希望であり絶望で有り切望であるわけだ』

『然様。その為には破壊と再生の竜に触れし者、彼の者をなんとしてでも、再生の卵の孵化まで持って行かねばなるまい』



 ◇◇◇



 再生の卵はヌルの世界に存在する。

 人間やドラゴンが住む世界と、神様が住んでいた世界と、すべてが0になる世界。

 最後の世界が、いわゆるヌルの世界だ。

 すべてが生まれ、すべてが消える世界。

 破壊と再生の始まりであり、創造と消去の終わりである。

 神話の上で語られているヌルの世界には、選ばれし者だけがたどり着くことができ、その選ばれし者は神様が救いをもって選び抜いた者であると言われている。

 そして、ヌルの世界と人間の住む世界を繋ぐ扉、『ゼロの扉』が開きし時――。



 ――世界は、破滅の闇に覆われると語られている。




 ◇◇◇



「どこまでついてくるつもりだ」

「仲良くなるためならどこまでも。流石に君の家までは行かないよ」


 郊外のレストランに、ラインハルトとアダムはやってきていた。

 四人がけのテーブルに向かい合うように座っている二人は、何も話すことは無い。

 端から見れば何故そんな二人がこんなところに一緒にやってきているのか――なんて思うのかもしれないが、結局のところそれは彼らにも分からないことなのであった。


「そういえば、陛下が心配なさっていましたよ。あなたの容態はどうか、と。戦争は無くなったとはいえ、戦争が無くなったことによって今まで見えていなかった小競り合いをなんとかしなくてはいけなくなってきていますから、戦力は一人でも多い方が良いと思いますし」

「ああ、それなら。病院で診断書を貰ってきたよ。明日には渡しに行こうと思っていたところだ。……来週には、通院治療は必要だが、仕事に戻っても良いという判断を貰った」


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