メリークリスマスにさよならを

大友神流

第1話

 あぁ、またこの夢か――夢の始まりとともに、脳がそう告げた気がした。


 僕は昔よく通っていた、小学校の近くにある噴水公園のベンチに腰掛けていた。よく晴れた日で、何人かのお年寄りがゆっくりと散歩していたり、犬を連れた主婦がリードを引っ張りながら散歩していたりしている。時たま、目の前にある噴水が水しぶきをあげながら存在を主張していた。そんな中僕は、小学校高学年くらいのまだ幼い姿で、太ももの上には黒いランドセルを置いている。


「ゆあーまいふぁーいあー」


 僕の隣には、同じくベンチに腰掛け、ピンク色のランドセルを抱きかかえながら体を揺らす、ブラウンカラーでセミロングヘアが印象的な少女がいた。とてもご機嫌な様子で、青い瞳をキラキラと輝かせながら、僕の知らない洋楽の曲を歌っている。


「ねぇ、それ好きなの?」


 まだ幼い僕が、少女に恐縮しながら尋ねる。


「うんっ! この前パパに教えてもらったんだー!『バックストリート・ボーイズ』の『アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ』って曲なんだけど」


 そう答えて、彼女は続きから再び歌い始める。彼女が着ている白いパーカーのポケットには、愛用している水色のデジタルオーディオプレーヤーがしまい込まれていた。


「うーん……そっか、そうだよね……まずは聞いてもらわないと……よし!」


 彼女は歌うのをやめると、独り言を呟きながら、何かを閃いたかのように手を叩く。そして、左手でデジタルオーディオプレーヤーを取り出すと、ぐるぐる巻きにしてあったイヤホンを解いていき、彼女の左耳にイヤホンの片側を差し込んでいる。その後、右手でプレーヤーを起動し、タッチパネルで操作していく。すると、一回頷いてから、イヤホンのもう片方を僕の右耳に差し込んでいく。その瞬間、身体の中に温かいものが流れてくるような不思議な感覚を味わっていた。そして間もなく、音楽が流れ始めていく。


「かーくん、音量大きかったり小さかったりしたらすぐ言ってね?」


 僕のニックネームを呼びながら、彼女が顔を覗き込んできたので、僕は頷きながら右手でOKのサインをする。それを確認すると、彼女は笑顔を浮かべながら噴水に視線を移し、目を閉じる。

 両親があまり洋楽に興味を持っておらず、普段洋楽を聴く機会がないのは必然だった。きっと、彼女がいなかったらこうしてじっくりと聴く機会も、少なくとも小学生ではなかったに違いない。そんなことを考えながら、曲に聞き入る。もちろん、英語は挨拶レベルまでしかわからないため、歌詞の意味はわからない。しかし、曲の雰囲気から、どこか切ない感じは伝わってくる。彼女と曲を共有して4分弱経ち、あっという間に曲の再生が終了する。僕はゆっくりとイヤホンを外し、同じくイヤホンを外した彼女にそれを渡した。


「どうだった?」


「うーん、歌詞とかはよくわからないけど……なんか、ちょっと悲しい感じがする。でもいい曲だと思うよ」


「かーくん鋭い! 実はこれ、すれ違いの曲なんだよね。というか、もうタイトルがすれ違いを象徴してるんだけど……ま、それはおいといて。こういう切ない曲大好きなんだけどさ、私は好きな男の子とこうなりたくないなぁ」


「好きな子、いるの?」


 ふと気になって、僕はそのことについて彼女に尋ねた。だって彼女は学校の人気者だ。勉強ができて、運動神経抜群で、母方の祖父がノルウェー系アメリカ人だからなのか英語も喋れるし、それでいて性格もいい。上級生からは可愛がられ、同級生とは親密な関係を築き、下級生からは慕われるという、物語にしか出てこないような完璧超人。もちろん男子からの人気も文句なしの学校ナンバーワンだし、告白されたことも何回かあると僕は聞いている。しかし、どれも断りを入れていることから、他に好きな男の子がいるのかな、と思っていた。


「ふぇ……?い、いやぁ……う、うん。いるよ?」


 あまりにも唐突な質問だったからか、彼女は珍しく慌てた様子で答えた。少し顔を赤らめているようにも見える。こんな姿はなかなか珍しかった。

 ちなみに僕は、その答えには別段驚かなかった。「ああ、やっぱりそうなんだ」と納得するだけだ。あの頃の僕は平凡すぎるただの小学生でしかなかった。そんな僕のことは眼中にないだろうし、もっと相応しい人がいると確信していた。まだこの時点では恋愛感情もなかったし、その事実を知って特に残念にも思わなかった。


「かーくんは好きな子……いる?」


 照れくさいのか、視線を逸らして彼女は僕に尋ねる。


「今はいない……かな。正直、女の子を好きになるって感情がいまいちわかってなくて」


「へ、へぇー……そうなんだ。そっか、ふーん……なるほどね」


 ランドセルを太ももの上に置いた後、また珍しくも腕組みして、彼女は何かを考えている。恋愛感情がわからないというのがそんなに意外だったのだろうか、時々独り言を言いながら、真剣に考えているようだ。そして、彼女は何かに思い至った様子で、こちらに視線を向ける。


「よ、よし。じゃあさ、今度の土曜日、また華崎寺に行こ? またかーくんと遊びたいし、それに……あー、なんでもない。とにかく行こうよ!」


「う、うん。いいよ」


 彼女の勢いに圧倒されながら、僕が承諾すると、彼女が軽く右手でガッツポーズするのが見えた。華崎寺(けさきじ)というのは、華崎寺公園のことで、ここから三十分歩いた先にある遊園地だ。この噴水公園からも、自慢の観覧車をはっきりと捉えることができる。この前も彼女と二人でそこに行ったが、その時は高校生のカップルが多かった印象がある。この近くには遊園地なんて華崎寺しかないから、数少ないデートスポットなのだろう。


「よかったぁ、オッケーしてくれて。明後日かぁ……時間とかは明日決めるとして、今日はそろそろ帰ろっか。聴かせた曲、気に入ったらお家でも聴いてくれると嬉しいな!」


 まず彼女が立ち上がり、ランドセルを背負うと、僕もそれに応じて立ち上がる。


「わかった。今日お父さんに頼んでみるよ。――それじゃ、また明日」


「うん! バイバイ、かーくん」


――僕が彼女との夢、いや過去の思い出を振り返る時、いつだって終わり方は決まっている。それはごく単純で、彼女の名前を呼ぶだけだ。僕はいつものように、彼女へ『別れ』を告げる。


「バイバイ、由紀」


 彼女――北条由紀が目を丸くしたところで、何回繰り返したかわからないこの夢は終焉を迎える。夢の中の僕は、何の違和感も感じないまま、世界が暗転していくのを感じた。


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