渡辺さんは奢る、アイスロイヤルミルクティーを



「メグさん、相談があるのですけど、少し聞いてもらえないでしょうか?」


 味気のない授業を終えて、今日はもう帰宅しようとしていた頃、私は真剣な面持ちの渡辺さんに引き留められた。

 

 どうしたの? 私でよければ、全然大丈夫だけど。

 

 今日はたまたま塾が休みなので、べつに急いで帰る理由はない。

 だけど、こうやって渡辺さんが私に相談話を持ちかけるのは初めてのことかもしれない。


「ではちょっと、ここでは話しにくいことですので、場所を変えてもいいでしょうか? お茶をご馳走しますので」


 いいよ。じゃあ近くのドトールいこっか。あ、奢りじゃなくて大丈夫だからね。

 特に考えなしに相談を引き受けてしまったけれど、若干私は尻込みし始めて来ていた。

 私は普段そんなに誰かに相談されることが多いわけじゃないから、渡辺さんの悩みをちゃんと聞いてあげられるか不安だ。

 いつも私は、美咲の愚痴くらいしか聞いていない。

 

「ありがとうございます、メグさん」


 丁寧にお辞儀までしてくれる渡辺さんに、私は苦笑と焦りを深めるばかりだった。




 そして場所は変わって、近くのカフェ。

 かなり抵抗したのだけど、結局アイスロイヤルミルクティーをご馳走になってしまった。

 姿勢を正して、私は渡辺さんが喋りだすのを待っている。


「それで、ですね。相談の内容なんですが……」


 うん。

 渡辺さんは辺りを少し窺いながら、声を潜めている。

 緊張が移ったのか、私も僅かに額が汗ばんできた。

 ミルクティーを飲んで落ち着こう。



「……メグさんはその、失恋って、したことありますか?」



 ぶふぉっ! としかし、私は思わずロイヤルなミルク入りお紅茶で思い切りむせてしまう。

 渡辺さんはあわあわしながら、ティッシュペーパーを手に取る。

 お恥ずかしいところを見せてしまった。

 でもしかたないと思う。

 だって相談話の最初の切り口が鋭すぎるもの。


「ない、ですかね?」


 う、うん。今のところは、経験ないかな。私そういうのに縁がなくて。

 動悸が凄まじいことになっているけれど、それを必死に押し隠しながら、私はなんとか答える。

 ……失恋したこと、ないよね? 私、まだ、振られてないよね? まだぎり大丈夫なはず。

 

「では周りに失恋したことがある人を知らないですか? もしいたら、その人がどうやって失恋から立ち直ったのか、教えて欲しいんです」


 渡辺さんはあくまで真剣な様子だ。

 もしかして、渡辺さんが……と、そこまで考えると、あ、勘違いしないでください! と渡辺さんは慌てて声を大きくした。


「べつに私が失恋したわけじゃないんですけど……実は弟が、どうやら最近誰か大切な人を失ってしまったみたいで、夏休みが明けてから、ずっと塞ぎこんでいるんです。最初は人間落ち込むこともある、そのうちまた元気になるだろうって楽観していたんですけど、もう秋になってからだいぶ経つのにまだ落ち込んだままで、さすがに見てられなくなってきて」


 私の予想とは違い、どうやら失恋したのは渡辺さんの弟さんの方だったみたいだ。

 でも夏休み明けてからずっと落ち込んでるというのはたしかに心配。 

 さすがにもう十月になるのにそれは長い。そろそろ、切り替えないと……ってあれ? これ私の話じゃないよね? 相談してるの私の方だっけ?


「友達の多いメグさんならと思って。美咲さんに相談しようかと思ったんですけど、今恋人がいる人に失恋の相談をするのは、ちょっと悪いかなと思いまして。……あ、メグさんは、恋人とかいないですよね?」


 ……うん。いないよ。大丈夫。

 なにが大丈夫なんだと自分で思いながらも、とりあえずそう言葉を返す。

 よかったです! と渡辺さんが笑うけれど、私はどこか悲しい気持ちになった。


「どうすればいいですかね。なんとか弟には立ち直って欲しいんですけど」


 私は思案する。

 失恋から立ち直った人、といわれると思いつかない。

 ただし、最近失恋した人、なら一人思いつく。

 それは鈴井さんの元カレの木下くんだ。

 木下くんがもう立ち直っているなら、彼にアドバイスか何か貰えるかもしれないけれど、実際そこまで深い話ができるほど仲は良くない気がする。



「恋って、厄介ですね。私はまだ未経験の感情ですが、ですがあれほど傷つく可能性があるのに、それでも恋をしてしまうということは、よっぽど素敵なものなんだろうなって思います」



 私は渡辺さんに完全に同意する。


 恋って、本当に厄介だ。


 とびっきりに甘くて、底が見えなくて、、急いで飲み干そうとすれば頭痛がして、ゆっくりし過ぎれば味が薄まる。

 まるで氷の沢山詰まった、ロイヤルミルクティーみたい。

 カラン、と鳴る氷とグラスがぶつかる音に、私が吹きかけるのは溜め息ばかりだった。




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