横尾くんは語る、恋と旅は似ていると


 暇潰しがてら私は旅行パンフレットをそぞろに眺めている。

 パスポートの作り方すら知らないほど海外に疎い私だが、こうやって旅行雑誌を見るのは結構好きだ。

 異国の景色をこうやって適当にぼんやり目にしているだけで、わりと実際に現地へ行った気分になる。

 我ながらちょろい感性だ。



「どこか旅行にでも行くのかい?」



 隣りの席の横尾くんもやることがないのか私の机の上に広げられたチリの観光スポットを覗き込んでくる。

 他人のことは言えないが、彼も基本的にいつも暇そうだった。


「もし海外に行くつもりならこういう日本人専用のガイドブックより、海外のガイドブックを読んだ方がいい。英語を母国語としない人にも向けられているから平易で読みやすい英語で書かれているし、中身も日本向けのものとは比べものにならないほど詳しく書かれてあるんだ。有名なのはロンプラかな」


 訊いてもいないのに上機嫌にぺらぺらと横尾くんは語る。

 べつに私は本当に南アメリカ大陸に行きたいわけじゃない。ちょっとした非日常を覗き見することができればそれでいいのだ。

 軽い暇潰し感覚で英語のガイドブックを読もうと思うほど勉強熱心ではない。

 

「ちなみにどこへ行く予定?」


 どこにも行かないよ。これはただ見てるだけ。

 私はここでやっと横尾くんの勘違いを訂正する。

 そういう彼はどこか海外旅行に行ったことはあるのだろうか。


「見てるだけ? なんだいそれは。べつに行く予定もない観光地のガイドブックなんか読んで楽しいのかい?」


 楽しいですがなにか。

 個人の趣味にけちをつける横尾くんに睨みを飛ばすと、彼は少しだけ怯んだ様子を見せる。

 それでもまだ彼は納得がいっていないようだった。

 

「旅行はやっぱり実際に行ってみないと本当の楽しさはわからないよ。観光スポットの写真や説明書きを見るだけで満足できる想像力は素晴らしいけれど、所詮想像は想像。現実リアルの感動には勝てやしない」


 そりゃ実際に行ければ一番だけど、中々そうもいかないでしょ。お金も時間もかかるし。

 私は日本人の大多数が口にしそうな言い訳をする。ドイツ人がパリに旅行したいと思うのと、極東アジアの島民が凱旋門を実際に見てみたいと思うのは全く別物なのだ。


「僕はね、恋と旅は似ていると思うんだ。誰もがそれに未知の興奮と感動を求め、心に刻まれるような思い出が生まれることを夢想する。だがほとんどの人が自ら一歩を踏み出すことには躊躇し、たとえ踏み出したとしてもハワイは諦めて、沖縄で満足したりしてしまう。そして君みたいにこう言うのさ、お金も時間もかかるからと」


 何やら偉そうに横尾くんはやれやれと首を振っている。

 たしかに趣味が海外旅行と聞くとかなりアクティブな印象を受ける。横尾くんの言葉もあって、恋愛に対しても追われるのより追う方が得意な人が多そうな気がした。

 つまり海外はおろか国内でもほとんど旅行のしたことのない私はかなりの受け身人間ということなのだろうか。ほんの少しだけ自分が恥ずかしくなった。


「たまには外に出てみたらどうだい? 手の届く範囲の感動で満足していないでさ」


 どうだといわんばかりの表情をする横尾くん。私はなんだかそれがちょっぴりムカついた。

 やられっぱなしも癪なので、言い返してやろうと私は口の端を吊り上げる。


 じゃあさ、横尾くんが私を外に連れ出してよ。夢見がちな私の知らない現実リアルを教えてよ。


 私の挑戦的な視線をもろに受けた横尾くんはうっと短い呻き声を上げると、逃げるようにそっぽを向いた。

 どうやら効果は抜群のようだ。会心の一撃に私は満足する。



「……ふ、ふん。そういうことはパスポートをとってから言うんだな」



 しかし顔を背けたまま横尾くんが口にした捨て台詞もまた、それなりに私へ致命傷を与えた。

 仕方ない。今回は痛み分けということにしてあげよう。

 




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