第5.5話:グリスロヴィナ兵士視点
雪が溶けきった季節とはいえ、まだまだイーラ山脈は寒い。それも頂上付近となれば尚更だ。軍支給のブーツは造りが甘く、爪先の感覚はとっくに無くなっていた。歩く度に粘土質の土が纏わりついて鬱陶しい。周りを見ると疲弊しきった表情の仲間が目に入った。どうして自分がこんな目に。そう思っているのは俺だけではないはず。一歩、また一歩と足を踏み出すごとに死へ近づいている気がした。向かっている方向には自分達、レジアスでない者にとって理想郷があるというのに。
糞ったれなことに、この国はレジアス至上主義だ。皇帝をはじめとする「長」の役職はレジアスが独占している。軍の大半はオーディナリアとシングラリアなのだが、指揮官、部隊長はレジアスなのだ。もちろんレジアスの中でも優劣の差は明確で、わざわざ危険な軍にいるのは落ちこぼれか変人。部隊長は前者だった。
部隊長の顔を見た時、俺達はイーラ山脈の最も険しいルートを行くのだろうと察した。俺達よりも格段に良い装備を身につけたそいつは、前の戦いで部下を全滅させたことで有名な無能だったからだ。
一番楽なルートで有能な部隊長に率いられていたら良かったなあ、と考えてすぐにそれを打ち消した。あそこは部隊長も隊員も狂人という地獄のような部隊が配置されている。彼らは全員が特殊嗜好性シングラリア。トリガーハッピーにカニバリストなど物騒な嗜好性を持った者が集められていて、快楽の為には死をも恐れない。その中でも飛び抜けてイカれていると言われているのが狂人共をまとめあげる唯一の非レジアスの部隊長。こいつの嗜好性は人を屈服させることらしい。人を殺す嗜好性と比べると大したことがないように思えるが、そうではない。他の隊員とは違い、敵味方問わず快楽の対象にしているのだ。捕虜の目を潰したとか、現隊員全員を拷問にかけて屈服させたとか、ヘマをした兵を隊員の快楽のために利用したとか、嫌な噂が絶えないのだ。せめてそいつが美女だったら良かったのに。俺はそういう好みではないが同じように拷問されるなら美女にされたい。
……と、現実逃避をしている場合じゃないのは分かってる。もうすぐ死ぬ奴は神にでも祈るのが普通だと思う。だが俺たちは戦と豊穣の女神の国に攻撃しようとしているのだ。祈っても意味はないだろう。女神が駄目なら俺たちの最も信仰する太陽神はどうか。確か神話の中じゃ女神に惚れてた。無理だな。第一、神なんてものは俺の体を暖めてはくれないし、この状況からも救ってくれない。もはやこの隊全員にとって、神はいないも同然だ。隣の男なんて隈が酷い。狙撃手なのか、ライフルケースを背負って今にも死にそうな顔をしている。――こんな人相の悪い奴いたっけ? いや、この数日で変わっただけか。通常の荷物に加えてライフルだもんな……。
俺の同情の眼差しに気づいたのか、男は俺に話しかけてきた。
「なあ、あの話、聞いたか?」
「何の話だ?」
「……中央の奴ら、攻撃されたらしい」
「! どういうことだ?」
「おい。何を喋ってる? 狙撃手はもっと後ろだろ!」
男の話に耳を傾けていたのか、部隊長の声に仲間も大きく肩を揺らした。
「も、申し訳ありません! すぐに自分の配置に戻ります」
怒鳴られた男はすっかり怯えたようで、どろどろの斜面を駆け上がっていった。どこにそんな体力があったんだろう。
それにしても、さっきの話は本当なのか。だとしたら戦況はかなりまずい。このままだと俺たちは無駄に死ぬことになる。せめて、栄誉ある勝利への貢献者として死にたかった。ああ、やっぱり神なんていないんだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます