第4話

 ルナセレアはこの日、何時になく上機嫌であった。理由は単純明快。ミーナとミレトの母親を法に則ってぶちのめしたからである。もちろん親権も同意の上で譲り受けた。面倒な手続きを終え、双子の正式な親になったのだ。ルナセレアはスキップでもしそうな勢いで役所を出て職場へ向かった。

 一方、新米たちが配属先にすっかり馴染み、落ち着きを見せていた特別国境防衛師団ではその落ち着きが一瞬にしてなくなっていた。五年間、一度も自ら休暇を取ろうとしなかった師団長が午前の休暇申請をしていたというのだ。当初、病欠或いは名誉の負傷かと思われたがそうではなかったと気づいたとき、師団中、否、国境防衛部中に衝撃が走った。ちなみにグラス少佐の喜び様もそれを加速させる一因である。そしてようやく落ち着きを取り戻した頃、再び衝撃が走った。役人曰く師団長が親になったというのだ。

「相手は誰だ?」「馬鹿! あの師団長でも一日で産めるわけがない、よな?」「まさかグラス少佐……」「双子らしいよ」「はあ!? マジかよ!」

 若くして少将、さらには未婚にして二児の母という師団長のとんでもない肩書きに一同は動揺せざるを得ない。

 騒ぎを全く知らない元凶がお昼時の国境防衛部食堂に赴けばどうなるか。答えは「静まり返った後、質問攻めが始まる」である。

 当然、ゆっくり昼食を取ることもままならない師団長の機嫌は一変する。それを察知した兵達は引き下がったが、しつこく問い詰める者もいた。そして彼女が無言で愛刀に手をかけ、左眼で睨むまで質問攻めは続いた。

「全く、やってられんな」

 質問攻めから抜け出し、執務を始めてわずか十五分。ルナセレアは作業の手を止めた。見張りをしている副官は仕事しろ、と上司に目を向ける。

「サインだけなら誰でもできる。代理でお前がすればいいだろう」

 見目麗しく、頭が切れ、部下の信頼も厚く、不敗の戦歴を誇る特別国境防衛師団長。眼帯をしていることから隣国に「隻眼の守護者」として知られるほど優秀である。(それを耳にした彼女は良い年なのに恥ずかしい、と思うと同時になんと安直なネーミングなんだ、という感想を抱いた)

 さて、一見完全無欠のように思える彼女には数多の欠点がある。

 一例を挙げるとすれば、彼女は事務作業が苦手である。読むのに時間はかかるし、妙なところで優柔不断なので判断は部下に委ねる始末。そして単純に彼女のやる気の問題もあった。

 彼女は常々思っていた。子供でもできるような仕事をするよりも訓練に勤しんだ方がよっぽど身になる、と。

 元より物資の補給や情報収集などはそれぞれの管轄に任せているし、そういったものは信頼出来る文官達が相談して最終許可を出している。申請書に署名すること、すなわち上に立つ者として責任を取ることが仕事であるとルナセレアは考えている。が、やはり気が乗らない。どうしても訓練の方へと意識を傾けてしまう。

 彼女の心情を知る副官、グラス少佐はわざとらしく咳払いをした。

「ルナ様、恐れながら申し上げますが貴女の執務は総務に比べると微々たるものです。上官としてその態度はどうかと思われます」

「分かっている。だがグリスロヴィナはいつ攻めてくるか分からんのだ」

 悠長に執務などしていられない、とぼやく彼女に副官は間もなく切り返す。

「これはグリスロヴィナの侵攻への備えのための書類です。貴女のサインは訓練と同等の効果があるのですよ」

 ルナセレアはうっと声を詰まらせて再びペンを手に取った。彼女の手綱を握ることに慣れている彼はいとも容易く丸め込んだのである。そうして執務を終えた頃、既に陽は傾いていた。そろそろ仕事が片付いた頃だろうと副官が部屋に来た時、彼女は机上に広がる書類をまとめさっさと帰ろうとしていた。

「珍しいですね」

彼女はいつも帰宅前に訓練所に向かうのだ。滅多なことではルーティンを変えない彼女がそうする理由を副官は知りたがった。

「ああ、家で子供達が待ってるからな」

「双子の親になったという話、本当だったんですか」

彼は未だにその話が信じられなかった。彼女が師団長になるよりも前からの付き合いであったが、彼女は親戚とは疎遠であるし、交友関係も広くない。情が無いわけではないが母性とはかけ離れた性格をしている。親になるような要素は一つもないのだ。

「事実だ。そこらの兵士よりも強い意志でお願いされては断れん。それに子供というのは可愛いぞ?」

「貴女に親が務まりますかね」

「さあな。ただ、自分の親のようにはなりたくないと心底思うよ」

ルナセレアがそう言うと副官は黙り込んだ。彼女は暗くなった雰囲気を変えようと明るい声で話しながら帰り支度を済ませていく。

「ま、反面教師ってやつだな」

「……そうですね」

 彼が相槌を打つと同時に最後の書類が片付いた。

「お疲れ様です。気をつけてお帰り下さい」

「ああ。お前もご苦労」

 そう言って彼女がドアノブに手をかけた瞬間、緊急放送のチャイムが鳴り響いた。

「――緊急招集。緊急招集。師団長及び副師団長は特別国境防衛師団参謀司令部に来られたし。もう一度繰り返す。師団長及び副師団長は特別国境防衛師団参謀司令部に来られたし」

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