第33話 モニカレベル90
キリカはノアとアルマが身を潜めた方向に一度視線を向けた後、モニカの顔を見た。
「何を考えているかは知らないが、仲間の協力を借りなくていいのか」
「必要ないよ。それに、二人からは十分過ぎるぐらい凄い力を貰っているんだ」
そう言うモニカはおもむろに、構えていた剣の先を下げた。
「……何を考えている?」
怪訝そうにキリカは眉間にシワを寄せた。モニカは、頬に汗を流しながらも口の端を小さく曲げて微笑する。
「昨日も言ったけど、私はキリカちゃんと戦いたくない。どうして戦わないといけないのか全然分かんないよ!」
モニカの発言で、キリカはさらに深く眉間のシワを増やした。
「分からないのは、キミが本当の勇者じゃないからだよ。……悪いけど、これ以上のおしゃべりはやめにしない? どれだけ先延ばしにしようとしても、ボクの気持ちは決まっている。――キミを倒して、ボクは本当の勇者になる。いや、違うな……キミを倒して、そこでやっと、勇者としての旅が始まるんだ」
力なく刃を地面に当てるモニカと違い、キリカは漆黒の刃を真っ直ぐとモニカの顔がある位置へと構えた。それでも、モニカは首を大きく横に振る。
「勇者がどうとか、そんなに関係あるの!? 世界の異変を止めるなら、今のキリカちゃんでもいいはずだよね! 勇者じゃなくても、旅ができる。そうじゃないの!?」
「……いや、勇者じゃないとできない旅もある」
「分かんないよ! キリカちゃんにとって、そんなに勇者て大事なの!? 誰かを傷つけてまで、勇者にならなきゃいけないの!? 私は絶対に嫌だよ、他人を傷つけた先にある勇者になんて……なりたくない!」
モニカの発言にキリカも顔を僅かながら曇らせた。
ニセモノ勇者であり人間でもないはずのモニカ。そのはずなのだが、目の前のモニカは確かに人として生きているようの思えた。人のように思い考え、また人のように悲しそうに戦いを否定する。
葛藤するキリカは、ただ黙ってモニカを見つめる。大声を出したせいか、モニカの肩は何度も上下をしていた。どこまでが偽者で、どれが本物か。勇者としての線引きは不明で、モニカが世界に害を及ぼす存在なのかもはっきりとしない。それなら、どうすればいい。何も判断材料を持たないキリカは、ただ一つの最も単純な方法でその正体を探ることに決めた。
「キミが何を言っているのか、さっぱりだ。……だから、戦おう。その中でボクはキミを見極める」
「……嫌なのに……キリカちゃんは、どうして戦いたいの……?」
力の抜けた体勢から目にも止まらぬ速さで接近したキリカは、モニカの首筋へ剣の先を向ける。次の瞬間、キリカが喋りかけるまでモニカはキリカがそこから離れたことに気づくこともできなかった。
「――勇者だから」
アゴの下から感じる剣の感覚にモニカは気を失いそうになった。それでも、今までの旅の経験がモニカの消えかけた活力の炎を増幅させる。
「も、もう、戦うしか方法はないのかな……」
「ないよ」
即答したキリカは、空いている方の左手でモニカの体を突き飛ばす。悲鳴を上げることもなく、モニカはその場に尻餅をついた。
「同じ勇者が戦うなんておかしい! 協力することも、仲良くなることもできるよ!」
倒れた後も辛うじて離すことはなかった剣を地面に放る。カラカラと音を立てながら、川の流れる方へと剣は転がっていった。モニカの瞳からは、涙の玉が零れ落ちる。
「戦って」
気だるそうに言うキリカ。まるで駄々をこねるモニカに言うような、面倒くささを感じさせた。
「……戦いたくないよ」
「でないと、死ぬよ?」
「死にたくない、喧嘩も嫌だ」
「今までたくさんのモンスターと戦って来たのに?」
「それでも、嫌なんだよ。本当はみんな仲良しがいいのにっ」
キリカはモニカの矛盾とも取れる発言に、今まで思ったことのない良くない感情を刺激された。
モニカは勇者を語る偽者で、世界の異変の一つかもしれない。ただそれだけを理由としてモニカを憎み追っていた。しかし、今感じたキリカの感情の中には、確かにモニカ個人への怒りがあった。
「キミは過去のモンスター達との戦いを否定し、今さら仲良くしたいなんて思っているのか。今まで経験してきた生死をかけた戦いを愚弄する発言をしているんだって、キミは気づいていないの? ボクは勇者だ、今までのモンスターとの戦いだって背負い続ける覚悟をしている。やはり、ボクとキミは根本から違う」
微かに相手を責めるような口調が混ざる。
「ち、ちがうっ、私が言いたいのはそういうのじゃなくって……」
「キミはもっと自分の言葉に責任を持った方がいい。ボクもたくさんモンスターを討伐し……いや、この手にかけてきた。それは襲って来たから戦う防衛の結果だとしても、ボクはそんな彼らの屍の上に立っているんだって思ってる。……やはり、キミは勇者じゃない。ボクがこんなに勇者として責任を持っているのに、キミの中には戦うことへの信念も誇りすら感じられない」
「確かに、戦いに誇りなんてないよ! だけど、私は――!」
「――黙って」
モニカの腹部を蹴りつければ、小さな体が浮き上がり大小様々な大きさの岩に体をぶつけながら地面を転がる。しばらく横になったままで動かなくなったモニカを見ていたキリカだったが、よろよろと立ち上がるモニカを見て不満そうに鼻を鳴らした。
「……分かったよ、キリカちゃん」
「なにが?」
「どうしてもお話をしてくれないなら、私の言うことを信じてくれないなら、戦うことをやめてくれないなら……戦うよ。私は戦って、私の話を聞いてもらう!」
「本当に……おそいよ」
音もなく地面を蹴ったキリカ。モニカは目の前からキリカが姿を消した瞬間に、力いっぱいに魔力の放出と共に叫んだ。
「――繋ぐ絆! アブソリュート・フォース!」
言い終わればモニカの全身から魔力が放出し発光する。しかし、完全に姿を変える前にモニカの前に現れたキリカは、魔力の剣を手にして宿敵(モニカ)の首を刎ねるために上方向へと刃を振るう。
「何をするつもりか知らないけど、今のキミでは無力」
右足を軸にキリカは振り上げた剣を叩き落すように振り落とした。当たれば確実にモニカの首は宙を舞い、それどころか剣を振り切った衝撃でモニカの体は粉々に吹き飛ぶかもしれない。それほどまでに、キリカは完璧にモニカを滅ぼしにかかっていた。しかし、顔を歪めたのはキリカの方だった。
「外した……?」
キリカの刃は何かに触れることもなく、剣はモニカの足元へと落ちていた。刃が触れる直前にモニカは体を後退させてその一撃を回避していた。ただ半歩後ろに下がっただけだったが、それはどんな半歩よりも大きく困難な半歩だった。
金色の髪を揺らし僅かに身長の伸びたモニカが、右手を拳の形にしてキリカを見ていた。
「――今の私は、無力じゃないよ。……いっけえぇ! モニカァァァァァパンチィィィィィィ!」
ただ真っ直ぐに伸ばすだけの右ストレート。だが、その一撃は岩を砕き、滝を裂く。ノアとアルマの力を受けただけではなく、強化魔法で大幅に強化された肉体で放つ必殺とも呼べるパンチ。
破壊的とも言える攻撃力のパンチは、油断し無防備な体勢をしていたキリカの顔面に触れれば遥か後方へと吹き飛ばした。そのまま、キリカは後方の岸壁にぶつかれば、ずるずるとそこらから転がるように体を横にした。
拳を引いて、動こうとしないキリカを見据えるモニカ。集中力を解かないのは、あの絶体絶命とも言える状況でキリカが直撃を回避していたことに気づいているからだった。
「モニカ・アブソリュート、参上だよっ!」
ノアの知識が語りかけてくる。――逃げろっ。
意識を集中させていたはずのキリカが、そこから忽然と姿を消していた。まさか、逃げた。いや、逃げるような性格じゃないことは、この短い関係の中でもとっくに分かっていたはずだ。つまり、視界から消える理由はただ一つ。
「確かに、無力じゃないようだね」
声は上から。顔を上げるよりも早く、そこから急いで飛び退けば、キリカがモニカのいた場所に剣を立てていた。
顔が見える方の頬が僅かに赤くなっているものの、その程度で済んだことにモニカはキリカの戦士としての実力の高さに背筋が冷たくなった。溜め息が出そうになるが、そんなことをしていたら確実に溜め息と一緒に首も落とすこととなる。まさに死に物狂いとはこのことで、離れた足を止めることなく、再びめいいっぱい地面を蹴って後退を急ぐ。
モニカ・アブソリュートとなった際に伸びていた金髪が僅かに切られた。足を止めて動いていないはずのキリカのアンナス・セイバーが長さを変えてモニカに襲い掛かったのだ。
「その剣、伸びるの!?」
「魔力で出来たものだよ。やろうと思ってできないことは、ない」
剣を短くさせればキリカは、離れようとするモニカを追う。
次の一歩と次の一振り、それがモニカの命を断つ可能性は大。状況を把握するアルマの知恵が、そう叫んだ。そして、その思考はモニカに最善の対抗策を示す。
大きく前進したキリカは、薙ぐように右手に持ったアンナス・セイバーを右から左へと振るう。モニカは、今から防御魔法を発動をさせても急ごしらえの状態ではどこまで防ぐことができるか分からなかった。だからこそ、モニカは勇者の力を頼りにする。
「おいで、剣ちゃん!」
川の流れを受けてカタカタと力なく漂っていた勇者の剣がモニカの指示を受ける。勇者の剣が光と共に弾けたかと思えば、一瞬にしてモニカの手の中に出現する。そのまま、勇者の剣を振るえばキリカのアンナス・セイバーと勇者の剣が交錯し刃の先から強烈な魔力による発光を起こした。
「これで、一緒だよっ!」
「一緒じゃないって、何度も言っている」
二人は力いっぱい剣に力を入れ、そのまま空間を爆発させたかと思えば互いは後方へと飛んだ。吹き飛ばされるような衝撃波を起こしたことだけが原因ではなく、二人は互いの勝負が仕切り直しになったことを感じ取っていた。そして、戦いは再び始まる。
勇者になったことで意味を求めなければいけなくなった少女と――。
勇者になることで存在を求め続ける少女の戦い――。
光の剣と漆黒の剣が、再び森を空間を揺らした。
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