第20話 モニカレベル18 ノアレベル36 アルマレベル34

 「――モニカッ!」


 自分の声でアルマは目覚めた。

 ずっと暗闇の中で涙を流している、おかしなモニカの夢を見ていたせいだろうか。

 視界の中で見えるのは記憶を失う直前に見たあの砂浜。そこには、あの憎たらしいルビナスの姿は見当たらない。どれだけ時間が経ってかは分からないが、まだ日が高いところを見れば、短い昏睡だったように思える。

 体は重たくはない、あの理不尽な氷も体の上には乗っていない。それでも感じる違和感はなんだろう。

 重たいとも軽いとも違う。どうして、こんなにも体が妙な感覚なのか。それは、おそらくルビナスが最後に飲ませた薬が原因なのは明白だった。


 「なんなのよ、もおぉ」


 飲まされた薬の影響なのか、舌があまり回らない。神経を麻痺させる薬の可能性もある。まずは、起き上がるところから始めよう。

 砂浜に手をついて立ち上がろうとするが、うまく体を支えられない。仕方がないので両手をついて、ぐっと力を入れて立ち上がった。体内の骨が急に抜き取られたような不安定さ。それでも、最低限の装備が必要だ。とりあえず足元に転がる杖を握る。


 「あれ?」


 やはり何かおかしい。杖がやたらと重たい。片手で持てないこともないが、両手で握ってないと体が杖の重さに引っ張られそうだ。

 杖の先端が砂の中に埋まっていく状況から必死に抗おうとするアルマ。そのためか、彼女は他の人物が近づいていることには気づいていない。


 「――だれ?」


 「へ……」


 前方からの声に顔を上げるアルマ。そこには一人の銀髪の少女が立っていた。


 「うわわ」


 「あぶないっ」


 急に現れた人物に対して驚きで力が抜けたため、杖の重さに負けて倒れそうになるアルマの懐に銀髪の少女が飛び込めば、その体を支えた。


 「あ、ありがとう」


 年齢は六歳、七歳ぐらいだろうか。それにしては、ショートカットの銀髪の処女の顔には大人びた雰囲気が見える。子供なのだが、やたらと背筋は真っ直ぐだし、目つきも落ち着いている気がした。さらに、その格好にはどこか見覚えがあった。


 「どこからのきたの?」


 銀髪の少女が聞く。まるで、年下の子供に聞くような言い方にアルマが腹を立てそうになる。言い返そうかと思ったアルマは、そこでやっとあることに気づく。

 こんな小さな女の子が、アルマの体を支えることができるわけがない。この少女は、確かにアルマの体を抱きしめる形で受け止めたのだ。


 「……まさか」


 アルマは自分の両手に視線を送れば、そこにあるのは見たことないほどの小さな手。柔らかそうな肌が手を赤くしながら杖を握っていた。それに、杖の先端部分が自分の顔よりもやや高い位置にある。


 「なにやら、困っているところわりゅいが……。わたちのなかまのアルマという女をちらないか?」


 予感は予想を超えて現実になる。

 銀髪の少女の特徴的な青い瞳は、不思議そうにアルマを見ている。その瞳の中に映るのは、間違いなく考えている通りの姿をしているだろう。


 「アルマは、わちゃちよ。……あなたのなまえ、ノアでしょう?」


 「にゃにをいう。アルマは、きみよりじゅうはうえだぞ。それに、にゃまえ(名前)をしっているということは、アルマに会ったのか?」


 「……まだ分からないのね。そうじゃないの。わちゃちとノアは、お互いに子供になっているのよ。間違いないでしょうけど……とりあえず、はっきりとさせるためテントにもどって、手鏡をみましょ。……ちゃがい(互い)のために」


 高くなった声、”わたし”という一人称をまともに喋れない二人。幽霊でも見たような表情で互いを凝視し、ようやくことの重大さに気づく。――やっとのことで、目の前にいる子供がノアでありアルマであることに気づいた。

 そう、二人は子供の姿に戻ってしまったのだ。



        ※


 そこは海の見える、断崖に作られた古城。

 通りがかる旅人や商人からは、霊界と繋がるモンスターが住むと噂され、近くの村には様々な噂話と共に恐怖の対象とされていた。

 建築してから百年以上経過しているであろう古城の周囲には、いくつか塔が立ち並ぶ。驚くべきことに、三十メートル近い高さを持つ無数の塔もその城の一部であるのだ。さらには、塔のてっぺんに部屋があり、いずれもかなり高い位置から橋が繋がり、城と塔を行き来することが可能だ。

 薄暗くまともに掃除もされていない塔の一つに、モニカは囚われていた。

 天井からぶら下がる小さな灯り用のマキアは今にも消えそうで、部屋の中に置かれた物はとても不気味で壁際に並べられた鎧なんかは今にも動き出しそうだ。どこからか抜け出せないかと大きな窓から顔を覗かせれば、落ちたらひとたまりもないほどの高所。ここから落下することを想像するだけで、腰が抜けそうだ。もちろん、例のごとく唯一の扉は外側から鍵をかけられている。


 「うぅ、こわいよ……」


 子供向けのライトなホラー映画でさえ、一晩中眠れなかったモニカだ。恐怖映画を撮影するには、ここはあまりに出来が良過ぎる。モニカの苦手なものが揃い過ぎているこの環境が怖過ぎて、か細い光を探す。そこで見つけたのは、窓の外から差し込む光を頼りに窓の下で体育座りをすることで心の安定を求める。ぶるぶると震えながら、膝に顔をごしごしこすり付けても、状況は変わらない。


 「二人とも今頃心配しているんだろうな……」


 誘惑に屈していないつもりだった。隙あらば、自分が新たな敵を倒すつもりさえあった。しかし、それがとことん裏目に出た結果が今の自分である。

 自分のしでかしたことから目を逸らしてもしょうがない。きっと、二人もどうにかにして戦おうとしているに違いない。そう言い聞かせて、腰を上げた。

 私にも何かできることがある、もう一度励ますように心の中で気合を入れて拳を作った。


 ――その時、ガチャリと扉が開いた。


 「あらあら、なかなか元気そうね。モニカちゃん」


 急に現れたルビナスは扉を開くために使用した鍵を人差し指でくるりと回して、懐に入れる。

 モニカはルビナスと初対面のはずなのだが、その声には聞き覚えがあった。聞かずとも分かる。夜の砂浜で自分をさらった女性だ。

 モニカは溜まった怒りを吐き出すように叫ぶ。


 「何の用なの!? ご飯!? こっちは朝からペコペコだよ! 早く用意しないと泣いちゃうよ! ……て、あれ?」


 何か言っていることがおかしい、そう思いモニカは小首を傾げた。


 「……本当に元気ね。……使い魔に持って来させるわ。聞きたいことは、それで良かった?」


 「ううん、そうじゃなかった! ……あーえーと、そう、あれだ。どうして、私を狙ったの!?」


 「そんなの簡単じゃない。貴女が勇者で、私が貴女の敵だから。理由はそれだけ。……あのお方が来るまで、生かしておくように言われたのよ。あ、そうそう、自己紹介が遅れたけど、私の名前はルビナス。魔女よ」


 「魔女……。ちょっと惹かれる響きだね」


 箒に跨る自分の姿を想像してにやけるモニカ。

 やはり、変な子だ。と思いながらもモニカを見ていたルビナスの背後の扉が開いた。

 いつの間に呼んだのか、ルビナスよりも僅かばかり高い身長の髪も顔もないのっぺらぼうの人形がそこには立っていた。そのツルツルとした表面から連想されるものは、どこからどう見てもマネキンである。フリル付きのスカートにエプロンをした給仕姿のマネキンは、二段の台車を運んで来ていたようでその一番上の段に料理が置かれている。


 「やったー! ご飯だー!」


 「ふふ……もう行くわね」


 台車を押して中に入ってくる給仕姿のマネキンと入れ替わりでルビナスは出て行こうとする。そこで、我に返るモニカ。 


 「て、違う違う! わ、私を出しなさいっ。そうしないと、私の友達がやっつけちゃうんだから」


 ルビナスはモニカの言葉に含みのある笑いを見せる。


 「今頃、その友達はどうなっているのかしらね。もしかしたら、二人は悪い悪い魔法使いの魔法にかかっているのかもしれないわねぇ」


 「二人に……何かしたの……」


 「ふふっ」と、愕然とするモニカの反応を見てルビナスは笑む。

 ルビナスが指を鳴らせば、淡い光の後に薄い鏡に似た平らな板状のものが前方に出現する。宙に漂う鏡の中には、見覚えのある海岸の映像が直接上空から覗き込んでいるように映し出される。

 鳥の視界になったような、そんな映像を黙って見ていたモニカだったが、その中にはどこかで見たことのある服を着た子供が二人いた。


 「あれ? どこかで、見たことある服だな。……て、思ったでしょう? あの子達が、モニカちゃんのお仲間のノアちゃんとアルマちゃんよ」


 いつの間にかモニカの背後に回りこんでいたルビナスが、愉快そうに囁く。


 「そ、そんな……」


 モニカは否定したい気持ちもあったが、彼女達は間違いなく自分の仲間だということが分かった。どれだけ遠く離れていようとも、姿が変わったぐらいで大切な友達の姿を間違えるモニカではない。

 二人が何か言い争いを始めたところで、鏡の映像が途切れた。


 「二人は私の魔法で子供になっちゃったの。これが、童話なら私は二人に倒されちゃうのかしら。……だけど、これは童話じゃない。今ここには、強大な悪である私がいて、弱小である善の勇者がいる。どこにでもある当たり前の構図。だから、悩まなくていいの、考えなくていいの。少なくとも、二人の人間は抵抗する力を無くして死なずに済んだ。モニカちゃんの友達は生き続ける。……それでいいじゃない?」


 「私のせいなのかな……」


 「だから、楽になりましょう。モニカちゃん。ほら」


 落胆するモニカの口には、ノアやアルマを子供にさせた液体の入った瓶を押し込まれる。


 「ん!? ぐうぅ……!?」


 ショックのあまり脱力していたモニカは、あっという間に瓶の中身を空にするほど飲んでしまう。


 「ま、まずぅ」


 「これで、貴女も一緒。すぐにでも、眠気がやってきて、その可愛いお洋服ごと何も出来ない子供の出来上がり」


 ルビナスは扉の外に行こうとしていた足を止めて、モニカのために用意されたパンを一つ手に取れば一口ちぎり食べた。

 うずくまるモニカを見ながら、ルビナスは達成感に表情を緩めた。


 「ふふふ、安心しなさい。私の魔法は完璧よ。次に目を覚ました時は、ゆっくりとした終わりを待つだけ。この薬はね、時間が経てば経つほど、今の記憶を忘れて子供に戻っていくの。きっと、子供のモニカちゃんはかわいいんでしょうね」


 「うぅ、お腹空いたよぉ」


 「もしも、あの方の許しがいただけるなら、私の召使いとして……え」


 「苦手なお薬飲んで気持ち悪いのに……お腹も空いたんだよ……」


 腹をさすりながら、何事もなかったように立ち上がるモニカ。子供になるような様子はない。

 一時的な茫然状態のルビナスが復活すれば、何度もモニカを見る。目の前のモニカは、台車の上の料理に手を伸ばしながら、呑気に「これ、食べていいの?」なんて聞いてくる。


 「ど、どうして、子供にならないの? 貴女!?」


 「もぐもぐ……。勇者の力かな?」


 「じゃ、じゃあ、もう一杯!」


 「苦いのは嫌だよ……」


 「い、いちご味よっ」


 「うわーい! やったー!」


 ルビナスが懐から渡した瓶を受け取り、あっさりとごくごく飲み干すモニカ。しかし、味が変わることはなく、「うえぇ、嘘つき」と苦虫を潰したような顔で言えば、再び食事を再開する。


 「お、おかしいわ! いくら勇者といえど、そんな力……。これは、心の中の大人になろうという気持ちを刺激して、子供に戻すのよ。誰にだって、大人は嫌だあの頃に戻りたいていう心の弱さを攻撃するのに……ま、まさか……」


 ルビナスは両手で自分の顔を覆う。

 考えたくはないことだが、精神に働きかける以上は前例のないことではない。しかし、世界を守る”勇者が”というのは考えたくないことだった。


 「へっへーん。勇者だからね、これぐらい余裕だよー」


 ごしごしと口から垂れるスープをこすりながら満足そうに言うモニカ。

 そこでルビナスは、ある仮定に到達する。


 「――しまった! 最初から、幼女みたいなやつには使えないのか!?」


 世界の終わりみたいな声を上げるルビナス。

 あまりに失礼な発言に、モニカでさえも食事を進めていた手を止めてしまう。


 「いや……ゆ、勇者の力だ、よ? そう思うけどな……」


 「いいや、そんなことはない! 仲間の二人には使えたのよ。これは、心を刺激する魔法薬。……なんてこと、この私が設計ミスをするなんて……」


 「え、嘘だよね。嘘って言ってよ! 私そんなに、子供じゃないよ!? 結構、この旅で成長したつもりなんだけど! もしかして、これって思春期特有のアレかな? え、勇者の私て、そんな厨二風味なの。そんな感じだったわけ!? ずっと!? あれ、てことは私て最初から子供みたいだから、子供にならないっていうの!? 五歳ぐらいの子供が、「小さい時は……」ていうアレと一緒てこと!?」


 「……」


 「目をそらさないで、いやあああぁ――!?」


 がっくりと肩を落とすルビナスに、握っていたスプーンを落として両膝と両手を地面につけるモニカ。そして、給仕のマネキンは冷静に新しいスプーンに取り替えようとしている。


 「……帰る」


 それだけぼそっと言い残せば、ルビナスはとぼとぼと歩き出す。

 ショックのあまり動けなくなったモニカは、ある意味では子供になるよりも辛い現実を受け止めることになる。

 結果として、しばらく立ち上がれないほどの精神ダメージをモニカは受けることになった。

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