第12話 モニカレベル10 ノアレベル32 アルマレベル30

 兵士達の馬車に揺られて向かった先は、領主の屋敷。到着する頃には、既に日が暮れかかっていた。

 小刻みな振動を体に受けながら、街の中心地を通り抜ければすぐだった。さほど人の多い場所から離れていていないところで、馬車を引いていた馬は足を止める。そして、馬車を運転していた兵士が「着きました」と短く告げた。

 モニカが馬車の隙間から顔を出せば、目の前に広がるその大きな屋敷を見上げた。


 「ほえぇ、大きい……」


 正面から見れば、窓だらけの大きな建造物。屋敷は二階建てで、横にも広ければ縦にも長い。屋敷の門で降りたモニカ達から扉まで五十メートルほど離れているが、両方の手を広げて屋敷の大きさを測ろうとするモニカの両手からもはみ出すほどだった。

 なんとなく、モニカにはこの屋敷の雰囲気を知っていた。このドンとした効果音を付けてもいいような威圧させるような佇まいは、通っていた学校の体育館を思い出させた。

 運動の苦手なモニカから見れば、体育の時間というだけで、腹痛で保健室に駆け込みたくなる授業だ。その上、体育館というのは、運動をするために用意された場所というだけでも逃げたくなるのに、さらに閉鎖的だ。まるで、運動しろ運動しろと脅迫されているようでモニカは好きにはなれなかった。


 「おバカなことしてないで、早く入るわよ」


 アルマは軽くモニカの肩を叩けば、屋敷の大きさを測定するために広げていた両手を閉じた。

 モニカは堂々と率先するように歩くアルマを見て、自分が恥ずかしく思えた。ノアちゃんもしっかりとしているのに、自分だけ尻ごみしている場合じゃないと前を見る。


 「待ってよー、アルマちゃー……ん?」


 アルマの両手足は同時に出ていた。右足を上げようとすれば、一緒に右手が足を引っ張るように持ち上がり、次に左足を上げようとすれば、糸で足を引くように左手も上に向かう。

 体は固く、両手足は均等。見るからに、アルマは緊張していた。


 「な、なによっ」


 見つめていることに気づき、少し上擦った声でアルマがモニカへ振り返る。


 「なーんだ、アルマちゃんも緊張しているじゃん」


 「は、はぁ!? 緊張してないし!」


 「え、だって……足と手が同時に出ているよ?」


 そんなバカな、指摘されたことで頬を赤くしていたアルマは、視線を体に向けると両手足が同時に出ていることに気づいて、さらに顔を赤くさせた。


 「緊張しているなら、緊張していると正直に言えばいいだろう」


 最後尾の馬車から降りて、いつの間にか二人に追いついていたノアが、呆れたようにアルマに言う。


 「ぶぁ!? ……わ、わざとよ」


 満足な言い訳もできなかったアルマは、風の音に消えそうな声で言う。

 可愛さと面白さで、モニカの口元は緩み、つい「ぷぷぷっ」と両手で押さえていたはずなのに笑い声が漏れる。


 「またまたー、わざとなんて言っちゃってー」


 「……魔法使いには昔から、招かれた家に入る際は両手足を同時に上げて歩きなさいという決まりがあるのよ……」


 「え、本当!?」


 「そんなもの、聞いたことないな」


 「わ、私達と常識が違うのよ!」


 「そうか。こちらの常識から見れば、恥ずかしい目で見られる常識だな」


 「ムキー!」


 素直に驚くモニカとは反対に、とうとう頭を抱えて言うノア。そして、耳まで肌の色を赤く変えて地団駄を踏むアルマ。

 数秒の沈黙の後、モニカが突然声に出してうんうんと頷いた。そして、「よし分かった!」と大きな声を上げれば、両手足を同時に前に出して歩き出した。――緊張したアルマの真似をするように。


 「こう! こう! こう! これでいい!?」


 「こう!」という謎の掛け声と共に、モニカは屋敷の扉へ向けて歩き出す。出迎える準備をしていた、使用人らしき人達は反応に困っている様子だった。


 「い、いいわよ! モニカはやめていいから!」


 自分の失敗を宣伝されているような恥ずかしさにアルマは慌ててモニカの肩を掴む。


 「え、だって、アルマちゃんの歩き方がおかしく見られるなら、私だって同じように歩くよ! アルマちゃん一人に恥ずかしい思いなんてさせられない! 友達でしょ!? ――こう!」


 嬉しいさと恥ずかしさと罪悪感が同居を始める心の中で、アルマはモニカの言葉を聞いて両手で顔を覆った。


 「も、もう、許して……ください……」


 「素直に謝れ。そして、魔法使いにはそんな習慣なんてなかったと正直に言うんだな」


 ノアの冷静な正論を聞きながら、日に焼けたばかりの肌のような真っ赤な顔を上げた。その表情は、悲痛そのものだ。

 未いまだに「こう! こう!」連呼するモニカへとアルマは、駆け出して手を伸ばした。


 「もう、勘弁して――!!!」




                ※



 屋敷の扉の前でのやりとりのせいで、領主を待たせるという大物っぷりを発揮させた勇者モニカ一行。

 念のためだと、武器を預けた三人。その後、屋敷の大広間を抜けて使用人たちに連れられて向かった先は、これまた広いダイニングルーム。食堂の役目をするその部屋は長いテーブルに、向かい合うように椅子が左右に十人分ずつ並び、中央最前列の端にはもう一つ椅子があった。どうやら、そこが領主の席になるようだ。

 テーブルの上には、真っ白いテーブルクロスが敷かれ、点々と置かれた豪華な装飾のされた蝋燭ろうそく立てには、既に火が灯っていた。食器はまだ置かれていない。いや、置けないことに気づいたノア。

 その疑問の発生源を明確にするため、ノアは各々が席に着いた椅子を見る。ノアは先頭の左側の席、アルマは中央付近の席、モニカは一番後ろの席。ノアからしてみれば、自分が先頭に座れば、続いて隣に座るとばかりに思っていたので不思議な状況だ。

 残念ながらテーブルを囲むように、謎の三角形を作ってしまった三人。

 三人とも前の方に座ると思っていた使用人達は、この状態のままで食器を並べていいのか困っている様子だった。


 「モニカ、アルマ。なんで、前に来ない?」


 アルマの肩がビクッと震え、モニカは「分かっちゃいましたか?」という感じに舌をぺろりと出す。むしろ、モニカをぺろりとしたいノアだったが、溢れ出す気持ちを制御してアルマに無言で視線を向けた。

 一度、困ったような顔をしてぽつりぽつりと語り出す。


 「……私、こういう食堂とか慣れてないから、なんとなく二人から離れた位置に座りたくて……」


 それにいち早く反応したのは、モニカだった。


 「分かるよ、アルマちゃん! 学校で移動教室とかした後、何故か私も隅っこばかり求めちゃうもん。どうせ、勉強できないし運動もできないから、先生に当てられても答えられないし……自分に自信がないから、ぼっち飯が基本だったし……うぅ」


 「ぼっち飯? 一人ぼっちでのご飯てこと? あぁ……私もいろいろ思い出して、悲しくなってきたわ……」


 ノアを残して、モニカとアルマの二人はずんと暗くなっていた。

 ノアは二人がどうして、そこまで落ち込むのか理解できなかった。ノアの村には、学校はなかったが、家族が勉強を教えてくれたため年齢に通りの知識は持つ。その代わり、あまり同年代と集団で勉強するというものが理解できない。

 そんなノアとは違い、モニカとアルマにはあまり思い出したくない過去がある。

 モニカは一度仲良くなればいいのだが、それまでが長い。警戒心の強い小動物みたいなモニカは、声をかけられれば物陰に隠れ、放課後、遊びに誘われれば遠慮して家にすぐに帰宅。結果的に、モニカは一人での昼食が増えた。しかし、そのモニカの内面すらもレベルと共に成長していることに本人は気づいていない。

 アルマは魔法もできるが勉強もできる。しかし、それ故に周りから距離を感じていた。そのため、魔法学校での食事の際も、周りの生徒とも自然と溝ができ、頑固な性格もあってか作らなくてもいい深い溝をいくつも作っていった。その結果、校舎内で誰もない場所を探しての食事が日常になっていた。

 ノアはテーブルを軽く叩いた。静まり返った部屋に、その音が響く、モニカとアルマは視線を音の発生源であるノアに向けた。二人のどろりとした目を見て、一度言葉に詰まりそうになるが、少しだけ頬を赤くしながら口を開いた。


 「二人がどうして、そんなに落ち込むのか理由は知らない。だが、私達は仲間であり……あれだ」


 「あれ?」


 沈んでいたモニカの表情が少し明るくなって気がしたノア。


 「……アレだから、一緒に食事をしなければいけないものだろう?」


 「アレ?」


 縋るようなアルマの目を見て、ノアは溜め息を吐いて言葉を続けた。


 「――友達だから。私達が友達だから、三人肩を並べて食事をしよう。魔法使いの常識でも、私達の常識でも、そして私からして見ても……それが……普通なんだろ?」


 しばらくノアの言葉を黙って聞いていたモニカ達だったが、二人の目は次第に潤んでいく。モニカとアルマが視線を交差させれば、互いに頷きあって、席を立ちあがった。

 ノアの隣にモニカが座り、その隣にアルマが座る。二人で、「うふふふー」と笑い合う。


 「ね、ノアちゃん。優しいでしょ?」


 「そうね、さすが私の友達」


 「さすがだよ、私達の友達」


 「……やれやれ」


 照れを隠すように、ノアは素っ気無く視線を逸らした。



             ※


 「ぶっひょっひょっ~! 皆さん、お待たせしました! 私が、領主のゴートンです!」


 数分の間に食器や料理が並び、そのタイミングを待っていたように、やたらハイテンションな領主が現れた。


 「これはこれは、こんな可憐なお嬢様方がモンスターを討伐したとは! さあさあ、食事を始めてください! 今日は街の代表として君達に感謝をするために、呼んだのですから! ぶひょっひょっひょ~」


 「ぶっひょっひょ~」と奇妙な笑い声と共に登場した領主ゴートン。

 ゴートンの年齢は四十代後半。大きく膨らんだ腹に、豚の鼻のように極端に短い鼻。モニカ五、六人分はあるのではないかと思うほどの巨体を揺らして座った椅子が悲鳴を上げているようだった。

 先端が内側に丸まった濃い金色の髪を片手で触りながら、テーブルの上に置かれた果物を一口かじれば、鼻の下の長い髭が飛び散った果汁で湿る。

 威厳の欠片はどこを探しても見つからず、その品の無い食べ方を見て嫌悪してしまいそうな気持ちにアルマはなるが、そうした負の感情を抑えつつ頭を垂らした。


 「今日はご招待いただき、ありがとうございました」


 「ぶっひょっひょっ~。当たり前のことをしたまでですよ、堅苦しいのはなしとしましょう。さあ、遠慮なく食事を進めて。ほら、仲間達は既に食事を始めていますよ」


 確かにモニカとノアは既に、フォークの持ち手を汚し、口元にはソースを付けていた。


 「ちょっと、せめて挨拶をしてからにしない? モニカどころか、ノアまで!」 


 「うーん、でも領主様が始めていいって言うし……。スキル使うと、お腹空いちゃうんだよ。……ねえ、ノアちゃん」


 「うちでは、みんなが食卓に着いたら、すぐに食べる」


 「だから食べてもいい、とは限らないでしょ!? ……もぉ」


 「よいですよいです、さあたくさん食べてください! おしゃべりなど、まず腹を満たしてからでも問題はないでしょう」


 せっかくの豪勢な食事を前にしているのだ。アルマだって、すぐに手を付けたいに決まっている。

 顔中の脂肪を持ち上げて笑うゴートンに視線を向けた後、横の二人を見ればもりもりと食事を口に運んでいる。小さなモニカの体にどうしてあれだけ入るのか不思議に思うが、それも勇者の力の影響なのだろうかと無理やり納得させる。

 雰囲気に流されるように、手近にあったスープを口にした。


 「あら、おいしい……」


 舌を通り喉に流れる温かなスープ。色は濃いシチューのような感じだったが、思ったよりもさっぱりとした味付けで、アルマ好みの味だと言えた。


 「ぶっひょっひょっ~! 嬉しいことを言ってくれますねえ、料理人にも伝えておきますよ。食べるという行為は、人が最も満たされる時間です。共にこの幸福の味を享受しましょう。さあ、まずはお腹を満たしてください!」


 次から次に運ばれる料理を味わった三人。既に満腹に近い状態になっていたアルマは、「さあ、次はデザートだ!」と両手を伸ばして喜ぶモニカに呆れた視線を向けた。直後――ある異変が起きる。


 「あ、あれれ……?」


 モニカの体がぐらついたかと思えば、背後へと椅子ごと地面に倒れこんだ。


 「モニカ!? ちょっと、なにやって……ぇ」


 「どうした、アルマ!?」


 モニカを起こそうと立ち上がったアルマの体が前のめりになり、上半身が急に重たくなったように倒れそうになる。まともに足に力が入らなければ、視界も船酔いでもしたように激しく揺れた。その後にやってくるのは、今まで感じたことのない強烈な睡魔だ。

 確実に暗くなる視界。既に中央だけがぼんやりと見える状況だ。

 どうして、こうなった。なんて考えれば、理由は一つしかありえないだろう。今、食べた料理が原因だ。

 アルマは両手を床につけて、体を支えながら領主を睨みつけた。


 「領主……! 薬を盛ったわね!」


 魔法ならある程度耐性のあるアルマだったが、さすがに直接的な方法である薬には対処の方法がない。もしくは、気づかない程度に少量の魔法薬でも飲まされれば、いくら耐性のあるアルマといっても厳しいところがある。


 「何かしたのか、領主?」


 ノアも席を立ち上がり、ゴートンを鋭く見据えた。相変わらず笑っているが、その顔は改めて見ると悪魔のように醜い。大きな巨体は軽く立ち上がり、両手を強く叩いて拍手をする。


 「ぶっひょっひょっ~! いやぁ、さすが”勇者達”だ。まともな人間達なら、最初のスープを飲み終わる頃には夢の中なんですがねえ。このまま、デザートに行くようなら、どうなるかとハラハラしましたよ」


 その言葉にアルマはノアを見れば、確かにノアの膝はぐらぐらと不安定だ。今にも倒れそうな柱のように、やっとのことでノアを支えている。

 ノアが無事なら、何とかなるかもしれないと思っていたアルマだったが、既にゴートンの毒が許容量を超えていたのは全員同じだった。


 「くっ……こんな奴に……」


 アルマの意識は落ちていった。背中を叩かれたように、アルマはその体を床に寝かせた。


 「ノア!? くっそ……! このまま、思い通りにはさせんぞ!」


 言い終わるのが早いか行動が早いかノアは舌打ちをすれば、テーブルを足がかりにゴートンへと飛び蹴りを放つ。


 「ぶっひょっ~」


 生理的な気色の悪さのある笑い声にノアが嫌な予感を感じた頃には、既に遅く、足は何もない空間に伸びきっていた。


 「私を困らせないでくさいよ」


 「――がはぁ!?」


 前方にいたはずのゴートンの声が突然横から聞こえたかと思えば、脇腹を貫くような激しい痛みと共にノアの体が横に飛んだ。そのまま壁に打ち付けられれば、床に倒れこむ。


 「ここまで動ける人間は初めてですよ。今まで、誰一人抗うこともできなかったのに」


 体の痛みも加わり、まともじゃなくなった意識を無理やり敵と認識したゴートンに集中させながら、ノアはなおも戦うために壁に手をついて立ち上がる。

 ノア自身、分かっていた。自分が倒れれば、ここでモニカ達との旅が終わってしまう危険性に。

 迫り来る絶望感を誤魔化すように、軽口で話をするノア。


 「ああ、私の母さんもこういうのには生まれつき強かったんだ。どうやら、私もその血を引いているようで安心したよ」


 「ほう、母親に感謝するんだな」


 過去に何度もモンスターとの戦いを経験していたノアは、ゴートンへの違和感にそこでやっと気づいた。


 「……お前、人間じゃないな?」


 「ぶっひょっ! 半分正解。だが、時間切れ」


 ゴートンの周囲が震え、その背後に薄っすらと黒い影が現れる。黒い影は、ゴートンを囲むように揺らめけば、炎のような赤々とした二つの目が輝く。

 危険を察知したノアは、再び攻撃に移るために近くの椅子を両手で掴んで飛べば、ゴートンに接近。椅子の脚となる部分の角をゴートンに振り落とした。

 剣が一番の攻撃方法だとしても、レベルも上がったことで常人離れを始めているノア筋力の加わった一撃。人が受ければ、一発で命を奪い、力の弱いモンスターなら気を失う。決して軽いとはいえない、本気の攻撃だった。


 「人を馬鹿にするのも、いい加減にしろ!」


 椅子を振り落としたノアは表情を歪めた。

 ゴートンはノアの振り落とした椅子の角を軽く掴んでいた。片手には、テーブルに置いてあった果物をかじっている。余裕だ、軽いな、ゴートンの目はそうやって笑っていた。


 「馬鹿にぐらいさせてくれよぉ、私達はこう見えても傷つきやすい。――ぶっひょっ!」


 ゴートンはいっそうに高い声で笑い、ノアの首根っこを掴めば、お前の立ち位置はここだと言わんばかりに壁に放り投げた。壁にヒビを入れて叩きつけられたノアは、肺から多量の息を吐き出し、そのまま意識を失った。

 動かなくなった三人を見たゴートンは、己の髭を撫でながら、屋敷中に響くのではないかと思うほど大きな声で、


 「ぶっひょっぶっひょっ~!!!」


 影と共に笑い続けた。

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