ゲーマー・ミーツ・サキュバス
江村テツヤ
オープニング「逢魔が夢/Now Loading...」
灰色の中で男は目を覚ました。
そこは壁に囲われた密室ではなく、かといって見通しのいい屋外でもない。
空気が歪められたように不安定で、距離感を失うほどに何処までも灰色に塗りつぶされた景色があった。
不自然に切り取られた絵画のような異常な場所にいてなお、男は動じる様子はなく眠気を振り払うようにゆっくり首を振る。
360度、どちらを向いても無限の無彩色。
ぐるりと見渡し、
「おーいソムニア、居るんだろ!出てこいよ!」
虚空に向かって呼びかけた。
―――空間が音もなく震える。
瞬きを一つ、二つした頃には震えは止まり、男の正面に少女が立っていた。
「……えへへ、たまにはこういう登場もいいでしょ?」
「そんな所で凝らなくていいっての」
「だって、ツツジが起きてる間はずっと暇なんだもん。イタズラの十や二十は多目に見てよ」
「数が多すぎる!イタズラだけで夜が明けちゃうだろ」
ソムニアと呼ばれた少女は肩ほどで整えられた銀髪を揺らす。淡い翠色の瞳を細め、無邪気さを見せつけるように笑う。
そんな彼女を、ツツジと呼ばれた黒髪の青年がやれやれと見ていた。
二人の他に動くものの気配はない。が、夢の待合室は夢の主と夢魔が入るだけで満室。他の何者も必要としない、というのが二人の共通の考えである。
つまり、この空間の正体はツツジと呼ばれた男―――夏辺筒次の夢の中なのだ。
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筒次の父親は若い頃に家庭用移植の「ダライアス外伝」を連日プレイし続け、その独特のサウンドで当時筒次を妊娠していた自らの妻(つまり筒次の母)をノイローゼ寸前に追い込んだ程のゲーム好き。
またその兄(筒次から見れば伯父)も「ぷよぷよ」がきっかけで出会った相手と結婚した逸話を持つゲーマーだった。
筒次のゲーム愛好のルーツは間違いなくこの二人の影響を大きく受けている。
三歳の時、父に連れられて訪れた伯父の邸宅で見たPCエンジン版のスペースインベーダーがすべての始まりだった。
画面を見れば星が在る。
ボタンを押せば音が鳴る。
弾を避けては息を呑み。
弾を当てれば心が弾む。
幼い筒次の精神は、あっという間に煌めく電子の宇宙の彼方へと飛び立ってしまった。
それからというもの、筒次にとってゲームは人生に欠かせない物になった。
子供ができても依然ゲーム好きな父が、自分のお下がりのゲーム機だけでなく新しく出たゲーム機やゲーム用のパソコンを買い与えてくれたので、あらゆるジャンルのゲームを貪るように遊んだ。
ゲームをしない彼の母にとってはいい光景とも言えないが、とりあえずゲームをさせておけば他の物を欲しがったり我が儘を言うことも無かったので無理矢理ゲームをやめさせるようなことはしなかった。
ゲームを取り上げられなかったもうひとつの理由は、筒次の学校の成績が決して悪くなかったことだ。
筒次が小学校から中学校に上がった頃、ちょうどビデオ・ゲームが大衆に浸透し始め、それと共にゲーム脳などの迷信や憶測が世に飛び交う時代であったが、少年筒次はどこ吹く風でゲームを遊び続けた。
多くのゲームはヒトの頭脳を刺激する情報と快楽がぎゅうぎゅうに詰められている。
キャラクターの会話や説明のテキストなどは積み重なれば短編あるいは中編の小説に匹敵する文章量であるし、ステータスやスコアの計算はさながらフラッシュ暗算。
巧みなストーリーのあるゲームはプレイヤーの想像をかき立て、ゲーム内容とシンクロする
そんなゲーム体験を経た筒次は立派に文学少年ならぬゲーム学少年となり、非常にバランスの片寄った教養を武器に学力テストを駆け抜けた。
特に得意な国語と数学は常に85点以上をキープし続け、勉強が大好きな一部のクラスメイトを除いてそうそう負けない自信とそれに見合う結果を残した。
一方で体育はもともと体が弱かったので早々に諦めてしまう。小児喘息が良くなるゲームがあればいいのに、とは彼の鉄板ギャグだったがそれほど受けなかった。
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大学生になった現在でも、悟ったような偏屈さと軽快な無邪気さを兼ね備えた
個人差や就寝環境などによって明晰夢の見やすさは変動すると言われており、「明晰夢に入れば夢の内容を好きに操れる」というまことしやかな話に惹かれ、明晰夢を見るための特訓をする人も世の中には居るとか居ないとか。
そんな明晰夢であるが、前述の通り筒次は存在を知ってはいたものの、それまで一度も見たことがなかった。
そもそも筒次は眠りが深く、大半の夜を夢を見ないで明かす。自らが夢の只中にいることを感じ取った筒次の最初の思考は疑念であった。
ひとつ、なぜ自分が明晰夢を見ているのか?
ふたつ、これから自分はどうすればいいのか?
おまけにもうひとつ、これが明晰夢なら本当に好きな夢を見られるのか?
果たしてその疑問は間もなく氷解する。筒次を明晰夢に誘った黒幕が接触してきたのだ。
最初は周囲を漂うもやのような不定形から少女らしい甲高い声だけが聞こえていたのが、どういうわけか次第にもやが集まり人型を成し、筒次の体感で数分ほど(夢の中なので時間の感覚も曖昧ではあるが)経った頃には
ゲームに出てきそうな銀髪翠眼の美少女に「私は
その後の詳しいやり取りはグダグダになった空気を建て直す時間が大半となったため割愛するが、彼女は夢魔は人の夢を住処にして生きていること、様々な要因で夢魔が棲める夢が減っていること、筒次を夢魔である自分の能力で明晰夢に誘ったことを明かし、この夢に住む代わりに好きな夢を見せる契約を持ちかけてきた。
楽観的で面白いことへの興味を我慢しない性格の筒次は軽い気持ちで承諾し、ここに奇妙な夢のルームシェア関係が成立したのである。
ちなみにソムニアというのは二人で相談して決めた名前である。夢魔はヒトの幻想から生まれるため固有の名前がないというのが本人の言い分であったが、筒次からすれば名前入力パートは一度ドツボに嵌まれば1時間はゲームの進行が止まる悩みどころである。
結局ラテン語で夢を意味するその名前を捻り出す頃には朝を迎えてしまい、本格的な夢遊びは翌日に持ち越しとなった。
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―――二人の出会いから数ヶ月。
いまや筒次も夢の世界とソムニアの存在にもすっかり慣れ、冒頭のような軽口を叩きあう程度の仲になっている。
「いやぁ久しぶりだよねツツジぃ。寂しかったよー」
「大学の期末でどうしても忙しかったからな。ここに来ると起きた後も少し疲れが残るから、忙しい時期は勘弁してくれ」
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始めのうちはその容姿に加えサキュバスという触れ込みもあり、ソムニアに対して蠱惑的でミステリアスな印象を覚えた筒次だったが、しばらく彼女と接した後にそのイメージは間違いだと気付いた。
まず、彼女はとても人懐っこい。見た目は人間で言えば女子中学生か高校生だが、その所作はもう少し幼く、時には小さな子供のように大はしゃぎして見せる。それでいて、容姿に不釣り合いな教養や含蓄を何気ない一言に滲ませてくることもある。彼女が言うには、
「夢魔はヒトの夢を渡り歩くからねー。夢を通して頭の中身を覗いて、それで勉強するのよ」
ということらしい。筒次は自分の頭が覗かれる事を恐怖し、
「どうせゲームのことしか考えてないし別にいいか」
と次の瞬間には開き直った。楽観的な男である。
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「むぅ、しょうがないから今回は許す。でも、ここに来たってことはもう忙しくないんでしょ?」
「おうとも、考査も提出物も全部片付けた。結果はまだ先だけどとりあえず夏休み突入だな」
「やった!沢山待ったんだから、そのぶん目一杯遊んでよねっ」
「サキュバスパワー充填済みってわけか。なんならちょっとくらいセクシーな夢でも……」
「それ、わかってて言ってるよね!?はいっ、デコピン一発ぅ!」
「ちょっ、冗談っ冗談だってあっ痛ってぇ!!」
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もうひとつ筒次にとって予想外だったのは、ソムニアという自称サキュバスがとてつもなく性にネガティブだったことだ。
筒次のイメージするサキュバスはゲームに出てくる女悪魔のそれであり、多くはその美貌と甘言で男を誘惑する恐るべき魔物である。本屋に立ち寄った際たまたま目についた「ゲームに出てくる怪物・幻想生物事典」なる本を立ち読みした際にも、サキュバスと言えば男性の精気を奪う閨の魔物と書いてあった記憶がある。
目の前にいるソムニアもそのサキュバスに間違いないはずなのだが、筒次は未だに納得しきれないでいた。
最初の淫魔呼ばわりへのビンタの応答は、いきなりセクハラ発言をした自分が悪いという結論に落ち着いたが、それにしてもソムニアは性的な話題そのものを嫌う傾向がある。
詳しく事情を聞いてみたいとも思う筒次であったが、
「まあ嫌なら嫌で普通に喋ってるだけで楽しいし、いいか」
と次の瞬間には深入りをやめた。享楽的な男である。
それはそれとして、時々筒次がからかいの言葉を投げつけてはソムニアの怒りを買って制裁を受けるという流れが二人の「いつもの流れ」となった。
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暫くしてようやくソムニアが落ち着くと、筒次がデコピンで赤く腫れた額を撫でた。
「ふぅ、スッキリした」
「毎度のことだしそんなに怒ることないだろ?」
「怒るってわかってて何度も繰り返すツツジが悪いっ。それで、今回も『ゲームの夢』でしょ?」
「うん、そうだな」
ソムニアは筒次の夢に居候する代わりに、筒次の夢を明晰状態にして好きな夢を見せる契約を交わしている。
前述のように淫らな夢は拒否されてしまうが、それ以外なら自由にリクエストができると理解した筒次は、
「ゲームの世界に入る夢が観たい」
と要望を出した。
世の中の楽しさの9割5分をゲームから得ているといっても過言ではない筒次にとって、思いつく限り最も楽しいであろう夢がそれだったのだ。
「オッケー、任せて。じゃあいつも通りツツジのイメージから夢を作るから、なるたけ具体的にゲームの内容を想像してよね」
「了解。じゃあ椅子にでも座るわ」
そう言って筒次は目を閉じると、それまで二人を取り囲むようにしていた灰色の空間がみるみるうちに具体を得て、落ち着いた淡い白の壁が部屋のかたちを取って二人を包む。
筒次が目を開けると、そこはワンルーム程度の広さの小部屋だった。背もたれつきの木製の椅子が二脚と、別に必要ではないが申し訳程度のカラーボックスやぬいぐるみなど最低限の家具が置いてある。
いま筒次が『明晰』したのは本格的に夢を再構成する前の仮の待合室に過ぎないのだが、あまり殺風景すぎると落ち着いてイメージを練れないな、という考えが無意識のうちに働いたのだろう。
それくらいに、この夢の世界では主である自分のイメージの影響が如実に現れる。筒次自身もそのことを何度かの経験によって理解していた。
「じゃあ俺はこっち座る」
「私はこっち。準備できたら言ってね?」
視線を交わして軽く合図してから、今度は二人で揃って瞳を閉じる。これが二人の『明晰』を始めるサインだった。
筒次が遊んだゲームを元にイメージを練り、ソムニアがそれを材料に夢を作る。出来上がった夢の世界に入って、朝が来るまで二人で遊び放題するのだ。
久々の明晰に筒次は高揚を抑えられず口元をにやつかせた。きっとソムニアも同じくらいか、あるいは自分以上に楽しみにしていたに違いない。高鳴る心を制してなるべく緻密に、丹念にイメージを掘り下げていく。
さて、今日はどんな
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