第4話.あなたなしにはいられない

 エアコン──とくにその冷房機能は、もはや現代日本の夏場を乗り切るための必要不可欠なマストアイテムだと言っても過言ではないだろう。

 冬場はまだいい。仮にエアコンの暖房がなくても、コタツや各種ストーブがあれば冬場を乗り切ることはたやすいし、重ね着などである程度対処することも不可能ではない。

 しかし、夏の暑さだけは違う。扇風機如きでは、温暖化した傾向にある都市部の暑気に対処するのは、到底力不足だと言わざるを得ない。

 ま、要するに何が言いたいかと言えば……。


 「あーつーいーぞ~~!!」

 現在、我が瀬戸家のエアコンは絶賛故障中(?)だったりするワケだ。

 「ホラホラ、タカ坊、朝からそんな風にダレてんと、シャンとしィ」

 我が家で唯一エアコンのある(ただし、昨日から調子が悪く、29度にしかできない)居間で、暑さと宿題のダブルパンチで凹んでいる俺に、苦笑しながら黒髪の女の子が冷たい麦茶の入ったグラスを持って来てくれた。

 この、パッと見中学に入ったばかりくらいに見える純和風の美少女の名前は東原希。信じらないかもしれないが、俺の母の母──つまり、“おばぁちゃん”なのだ。

 来月の15日にめでたく60歳の還暦を迎えるらしいのだが、正直、そのことを誰かに説明してもタチの悪い冗談としか思ってもらえないだろう。

 かく言う俺だって、母親とばぁちゃん本人の真摯な説明がなければ、そして幼い頃のおぼろげな記憶がなければ、到底信じられなかったに違いない。

 まぁ、そんなワケで、近所の人たちに対しては「身寄りがなくなった親戚の女の子を引き取った」と説明してある。実際、その説明に大きな嘘があるワケじゃないしな。

 ──まぁ、還暦目前の女性を「女の子」と表現することの是非はともかくとして。

 「……タカ坊、なんか失礼なコト、考えてへん?」

 フルフルフルと真横に首を激しく振る俺。

 どうやら女の勘というヤツは、存外侮れないものらしい。


 「勉強の方はどうなん?」

 「あ~、まぁ、ボチボチ、かなぁ」

 一応、俺の成績自体は、総合すると中の中からギリギリ中の上ってレベルだと思う。

 ただし、教科による偏りが大きいのも確かで、数学と社会はクラスでも上位だけど、英語と理科は平均スレスレ、そして国語、中でも古文系は毎回赤点&補習というのが実情だった。

 「どれどれ……あぁ、ココはな、ほら、こうして……」

 「ふむふむ。おお、なるほど!」

 そんな俺にとって、昭和生まれで高校では優等生だったらしい希ばぁちゃんは心強い味方だ。だからこそ、自室ではなくわざわざエアコンの半壊した居間に来て宿題をやってるのだから。

 (べ、別に、希ばぁちゃんの浴衣姿を堪能したいとか、色々世話を焼いてくれるのが嬉しいとか、思ってないんだからね!)

 俺の前の問題集を覗き込むようにしてそっと身を寄せる希ばぁちゃんからほのかに漂う、着物に焚きしめられたお香と女性特有の香りが入り混じった匂いに煩悩を刺激されつつ、心の中でそんなツンデレテンプレな台詞を吐いてみたりする。


 希ばぁちゃんが、ウチで暮らすようになって、はや一週間。

 最初の頃の双方の遠慮がちな態度も、このところ随分と緩和されつつあったのだが、それと同時にひとつの問題が(主に俺の心理的負担という形で)密かに浮上していた。

 つまり──如何に孫とは言え、俺もひとりの高校生男子(彼女いない歴16年)ということだ。早い話が「性欲をもてあます」。

 いや、だってしょうがないんだよ! 目の前に(たとえ祖母/血縁的には大叔母とは言え)、外見も性格も好みにドンピシャストライクなかわいい女の子がいて、親しげに俺と接してくるんだぞ?

 しかも、向こうは俺を「孫息子」だと思ってるから、すごく気軽に接近&接触してくるし……。

 かと言って、そんな風なスキンシップが嬉しくないというワケでもないから、また困り物なんだ、コレが。


 「ふぅ……せやけど、確かに、東京こっちの夏は暑いなぁ」

 「京都も夏を過ごすのはサイアクだって聞くけど? 盆地だし」

 「市内の方はそうかもしれんけど、ウチの住んでたあたりはわりかし涼しいんよ」

 「それを言うなら、ここらも都内23区よりは、だいぶマシなはずなんだけどな」

 宿題の方が一段落したんで、希ばぁちゃんとこうしてまったり会話して過ごす。

 「あ、もうそろそろ12時やな。ちょっと早いけど、朝茹でて冷蔵庫に入れといた素麺が冷えてるはずやさかい、タカ坊、食べるか?」

 「お、冷たい素麺か。いいねぇ、ばぁちゃん、頼む」

 今日は朝から母さんが出かけている(ママさんバレーの大会らしい)から、家の中のことは希ばぁちゃんがやってくれている。

 小柄な身体でくるくるとよく働く希ばぁちゃんを見ていると……正直、メチャ和む。

 今みたくふたりきりで、食事の用意をしてくれるのを待ってると、まるで新婚の幼妻みたいな気が……って、何不謹慎なこと考えてるんだ。自重しろ、俺。

 「タカ坊、用意出来たえ~」

 「うぃーっス。今行くー」

 ま、すでに素麺自体が茹でてあったのなら、準備にはたいした手間はかからないよな。

 「「「いただきまーす!」」」

 ……って、何で自然に混じってるんだよ、母さん!?

 「あら、さっき「ただいま~」って言ったじゃない。ま、色ボケした妄想にニヤケていたバカ息子は、気付かなかったみたいだけど」

 ぐはっ……痛いところを突いてるだけに、言い返せねぇ。

 「ほらほら、ケンカせんと。せやけど香苗ちゃん、今日は夕方まで大会があるて言うへんかった?」

 そういや、そうだな。まさか、母さん達のチーム、午前中で敗退したのか?

 「ん? あるわよー。ただし、今はお昼休み。せっかく近くでやってるんだから、外食なんてする必要ないでしょ」

 大会会場は小学校の体育館だっけか。道理で弁当のひとつも持って行かなかったワケだ。

 「ああ、確かにそやなぁ」

 笑顔でパンっと胸の前で両手を打ちつける希ばぁちゃん。まぁ、この女性ひとは、根っから人の世話を焼くのが好きなタチらしいから、娘(と孫)の食事の用意をすることなぞ、全然苦にならないんだろう。


 「そうだ。孝之、こないだ商店街の八百屋さんで、こんなモノもらったんだけど、アンタ、いる?」

 ポツポツと会話を挟みつつ、ざるに山盛りになった素麺が3人の胃袋に消える頃、思い出したように母さんが、買い物バッグの中をゴソゴソ漁りだした。

 「ん? 何、これ?」

 差し出された紙片を反射的に受け取りつつ、聞き返した俺だが、そこに書かれた文字ですぐにその正体は理解できた。

 「プールの優待券、か」

 「ほら、隣町の駅前に総合レジャー施設が出来てたでしょ。アレが完成したみたいよ」

 ああ、そんなモノもあったなぁ……。

 「そうだ! せっかくだから希母さんも連れて行ってあげなさいよ。エアコンも壊れてるみたいだし、水際で涼んでくるのも悪くないでしょ」

 な、なん……だと!?

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