その4

 札幌で開かれた母の葬式は、父が喪主だった。

 東京から、剛もきてくれた。剛の両親は、大きな花輪を送ってきた。

 故郷から札幌に出てきていたかつての教え子も並び、お葬式は盛大なものになった。

「よき妻、よき母親として……」

 という葬儀委員長の挨拶の言葉に、私はうつむいた。

 きっと、誰もが立派な母親の死を悼む娘の姿と見ただろう。

 だが、私は悔しかったのだ。

 母は、結局外面のいい人を演じ切るために、私を利用しただけだ。

 そして父も……。この場で亡き妻を悼む立派な夫を演じている。

 その顔に、長年の苦しみから解き放たれた安堵の色を見たのは、きっと私だけだろう。

 

 一段落して、私は自分のアパートに戻ってきた。

 ドアを開けて入ると、四畳半の部屋の机の上に『お願いドラ』がくっきり浮かび上がった。

 電気もつけず、私は座り、お願いドラを両手で掴んだ。

 昔のまま、首のバネもそのまま、ゆらすとかすかにいやいやと首を振る。

 

 あの日、あの海で。

 猫型ロボットにさえあわなければ。

 宇宙人たちが、私をサンプルとして選ばなければ……。

 私が『離婚しないで』と願わなければ……。

 母は、こんな一生を送らずにすんだのだ。


「宇宙人は間違っていたわ。私の願いを叶えたら、私の運命だけじゃなく、多くの人の運命が変わる」


 お葬式で一滴も流れなかった涙が溢れ出した。

 私は思わずイライラとして、お願いドラを思いっきり叩き、さらに床に投げつけた。

 そして、そのまま床に倒れて泣いた。


 ——お願いなんて、聞いて欲しくなかった!

 ——そのままの運命を歩みたかった!

 できる事なら………。

 できる事なら……。


 ——あの日に帰りたい!


「あなたの願いを叶えてあげましょう」


 突然、床に転げていた『お願いドラ』が口をきいた。

「え?」

 と思った時、私は白い煙に包まれていた。

 何かが激しい勢いで動き回っている。目にも留まらぬ早さで。

 それは、時間だ。

 時間が巻き戻っている。

 瞬きもできないほどの短い時間で、喪服の私は母を見送り、剛の両親と食事をし、剛と出会い、受験勉強をし……。

 気がついたら、海で叫んでいた。



「バカヤロー! バカヤロー!」

 叫んで私は鞄を海に向かって投げようとし、気がついた。

 時間が……戻った。

 あの日に帰ってきた。


 私は今、中学一年生だった。

 長い夢を見たような気がする。

 でも、今、目の前に猫型ロボットが立っていて。

「いかがですか?」

 などと聞いてくる。

 両親の離婚を食い止めたのは、私の願いなどではなかった。

 両親は、自分たちの意思で離婚しないことにしたのだ。

 私はぺたりと座り込んだ。

「じゃあ、私の願いって……」

「あの日に帰りたいと叫んでいましたよね。だから、戻して差し上げました」

 猫型ロボットは微笑んだ。

 私は涙を拭いた。

「あんなに……勉強したのも、剛と出会ったのも……全部、ふり出し?」

 猫型ロボットはニコニコしながら言った。

「それはわかりません。運命が変わったのですから、違う人生になるはずです。どれくらい変わるかは、これから我々が調査します。かなりいい資料になりそうです」

 本当に時間が戻ったのか、それとも今までの人生が夢だったのか、私にはわからない。

 そう、ただの夢だったのかも知れない。

 猫型ロボットは手を振った。そして空に浮き上がった。

「どうもありがとう。選ばれた人」

 私はあの時と同じように、呆然と猫型ロボットが空に消えていくのを見送った。



 あの日と同じように、私は帰路についた。

 だが、手には『お願いドラ』はない。狐につままれたようなおかしな感覚だけが残っている。

 家に帰ると、やはりあの日と同じだった。

 私の茶碗は割れているし、テーブルの下には離婚届が散らばっていた。

 私はそれを拾い、セロテープで止めた。

 やがて、両親が帰ってきてあの夜が繰り返された。

 そして翌日の夜、母が私に話を切り出した。

「お父さんとお母さんだけどね、やり直すことにした」

 私は、テープで繋ぎあわせた離婚届を、母の前に突き出した。

「なんで? ここにサインして判を押した時、決心したんじゃないの?」

 離婚しないことを私が喜ぶと思っていた母は、やや戸惑ったようだった。

「……だ、だって真奈美。確かにそうしたほうがいいと思ったんだけど、あんたのことを考えたら……」

 私は立ち上がって、海に向かって怒鳴ったように、怒鳴り散らした。

「そうやって! そうやってお母さんは、全部私のせいにするんだ! 私が肩身が狭くなるとか、お嫁に行けなくなるとか! そうやって、私を縛るんだ!」

「な、何を言っているの? 真奈美」

「私のために別れないんだったら、別れてよ! 結局、私のため、私のため、って言いながら、お父さんもお母さんも、自分たちの世間体が一番大事なんだよ!」

 私はそう怒鳴ると、母の手を引っ張って父の書斎まで連れて行った。

「お父さん! 開けて! もう一度、話し合って!」

 父も驚いて書斎のドアを開けた。

 私は母と一緒に書斎に入ると、興奮して叫んだ。

「お父さんもお母さんも! 自分たちのためを考えてよ!」

 二人は唖然としながらも、お互いの顔をみつめた。だが、どちらともなく顔を伏せた。

「お父さんもお母さんも、おまえの事を考えてやり直すことを決めたんだ。何でそんなことを言い出すんだ」

 父が苦し紛れに言った。

「そうやって、墓場にはいるまで、子供の犠牲になって生きたと思えばいい! 私はちっともうれしくない!」

 とたんに父の平手が私の頬を打った。

 私は、泣きながら叫んだ。

「バカヤロー! バカヤロー!」

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