あの日に帰りたい

わたなべ りえ

その1

 海に向かう道をひたすら走った。

 日がかなり傾いた夏の日だった。


 泣いていたのは、斜めに突き刺さる西陽のせいじゃない。

 埃を舞い上げる風のせいでもない。

 ましてや、時々私を転ばせようと企んでいる砂利道のせいでもない。

 むしろ、荒涼と広がる大自然が、私のセンチメンタルな気分とマッチしていて、ひとつの慰めにもなっていたのではなかったか?

 だから私は、飛び込んでも死にそうにない崖っぷちまで走ってきて、海に向かって大声で叫んだ。

「バカヤロー! バカヤロー!」

 当時はやっていた青春ドラマの見過ぎだったかも知れない。


 北海道の片田舎で育ち、教師の両親を持つ私は、小学校の頃から優等生で通っていた。

 勉強もできたし、スポーツも万能。弁論大会で優勝して市から表彰されたこともあるし、学級委員にもよく選ばれた。

「さすが、斉藤先生のところのお嬢さんだよね」

 と、言われ続けて育ってきた。

 そう。両親はこの狭い田舎のコミュニティーの中で、立派な人間として通っていた。建前だけは……。

 私も、結局は建前だけ整えた優等生にしか過ぎない。

 海に向かって叫ぶだけなら物足りず、私は泣きながら、私を飾り立てる優等生の看板を海に放り投げた。

 つまり……。

 国語辞書と和英辞書入りの、その日の教科書とノート入りの、今時はやらない部厚い学生鞄を捨てたのだ。

 私はそのままへたり込んだ。

 陽がますます傾き、海を黄金に染める。

 私は泣きながら、その海を見続けて……。


 それで終わったら、この日は中学一年生の切ない放課後の思い出として、私の人生の一ページに刻まれただけだっただろう。

 ところが、この日はもっと特別な『あの日』になってしまったのだ。


 青春ドラマしていた私の目の前に、突然、おかしな機械音が聞こえてきたのだ。

「ピッピーッ、ピッピーッ。タダイマ、マイクノテストチュウ……」

 一瞬、何でこんなところにまでチリ紙交換が? と思ったが、マイクテストのチリ紙交換なんて聞いたことがない。しかも、音は海から聞こえる。

 恐る恐る身を乗り出して、海を覗き込んだら……。私の鼻先を何かがゆっくり上昇してきた。

「ど、どざえもん???」

 思わず驚いて叫んでしまった。

 海から上がったものということでは、それは正しい認識かもしれない。が、それはドラえもんの間違いである。

 アニメを見ていなければ猫だと思えない青い猫型ロボットが、私の学生鞄を持って海から空中をゆっくりと上昇している。

 そして、唖然としている私の前に、指のない白い足で着地した。

「ピコー、ピコー、ひしゃらかふにゃらか、ほわほわはー」

 猫型ロボットは、私に向かってよくわからない言語をひたすらしゃべりまくった末に、やっと日本語にたどり着いた。


「あなたの願いを叶えてあげましょう」


 何とも美しい発音で、猫型ロボットは言った。

 まるで王子様に話しかけられたような甘い声である。

 目をつぶって聞けばうっとりだが、なんせ目の前のものはドラえもんそっくりの猫型ロボットなのだ。さすがに幻滅する。

 だいたいこれは、誰のいたずらなのだろう?

「いたずらではありません。選ばれた人」

 猫型ロボットは、やはり指のない手を振りながら言った。

「じゃあ何なのよ?」

 悲劇のヒロイン気分から一気にピエロになったような気がした。私は、かなりやけくそになっていた。

「話せばとても長くて難しいので、わかりやすくいいます」

 猫型ロボットは、咳払いをしてみせた。なぜ、ロボットが咳払いをしなければならないのかは、私には不明だったが。

「つまり、我々は宇宙人なのです」

「なんだ、ドラえもんは未来からくるのかと思った……」

 あまりのバカバカしさに、私はため息をつきながら言った。

 すると、猫型ロボットは大真面目な顔をして——なぜロボットが真面目な顔をしなければならないのかは、不明だが。

「さすが、選ばれた人だけあって、物わかりがよろしい」

 と、いきなり私を褒め出した。


 つまり、この猫型ロボットの主・宇宙人たちは、地球上生物の運命の変化と未来への研究をしているのだという。それは、たいそう大事な研究なのだそうだ。

 サンプリングした個体の運命と、過去のある事象の変化がもたらす運命の変化を研究することにより、予知の能力を高めるという。

 どうやら、私をサンプルとして選び、実験するらしい。見返りはないが、いたくもかゆくもないから、安心しろという。


「我々は人間よりも長命で、しかも予知能力がある宇宙人なのです」

「それが、なんでドラえもんの格好なのよ?」

「この格好が、サンプリングした個体に一番受け入れられると統計上の資料で判明したからです」

「そりゃあ、ドラえもんは認知度も高いし、人気者だけど、その分析は間違っていると思うよ」

「でも、我々の予知能力には間違いはありません。このまま人生を歩むと、あなたは金持ちと結婚します。そして、死ぬのは八十五歳で、死因は……」

「やめて!」

 中学一年生になったばかりなのに、いつ死ぬか? なんて知りたくもない。私は耳を塞いだ。

 猫型ロボットは、にやりと……なぜ笑うんだろう? わからないけれど笑って言った。

「大丈夫です。それは、あなたの願いを叶える前のこと。これから我々があなたの願いをひとつだけ叶え、それによってあなたの人生がどのように変わっていくかを検証するのですから」

 ということは、願い事ひとつで、私の人生は八十五歳で終わるか、それよりも早く終わるか、遅く終わるか、変わってくるということだ。

 これは、とても重要な願い事になる。私は唾を飲み込んだ。

「あなたは何を願いますか?」

「どこでもドア」

 猫型ロボットは、一瞬動きを止めた。硬直して反応が鈍ったようだ。

 ゆっくりとしっぽを回して一言。

「却下」

「えーーー! どうして? ドラちゃんに出会ったら、百人のうち九十人は『どこでもドア』っていうよ、きっと!」

 猫型ロボットは、再び咳払いをした。

「残り十人の願いでお願いします」

「タケコプター!」

「却下」

 夢のない猫型ロボットは、今度は即答した。

「わかりました。保留……ということにしましょう。我々は、常にあなたのもとにいます。願いを考えたら、思いっきりそれを唱えながら、このボタンを押してください」

 そういうと、猫型ロボットはポケットから不思議なものを取り出した。

「お願いドラ!」

 それは、ドラえもんの小さな人形だった。ほとんどない首の部分がバネになっていて、叩くとびょおおおおーーんと伸びる。

 私が叩こうとすると、猫型ロボットは言った。

「お願いを思いついてからにしてください」

 そう言い残すと、猫型ロボットは私の目の前からシュワッチとばかりに飛び立っていき、やがて空の彼方へと消えていった。


 いったい、今のは何だったのだろう?

 考えれば考えるほど、頭が混乱する。


 私は、半信半疑のまま、『お願いドラ』の首をどつきながら、家路についた。

 ドラは、指先で弾かれるたび、いやよ、いやよと首を振った。

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