2-22【あの山を登るために必要な船頭の数9:~悪い夢~】
俺の意識の大部分が感覚器から切断され、視界が不定形に歪み続ける。
もちろんそれは普段、寝るときに味わっている感覚なのだが、この速度で叩き込まれると竜巻にでも巻き込まれた気分だ。
だがそれでも俺の
・・・そして俺の悪あがきが原因だろう、強烈な酩酊感にも襲われていた。
最初に戻ってきた感覚は、なにやら硬い床に触れる手の感覚だった。
どうやら四つん這いの状態で崩れ落ちているらしい。
もちろんそれは現実のものではない。
俺の感覚が、”夢”として作り出される疑似感覚に切り替わったのだ。
だが何だここは・・・
俺は自分の意志で起き上がり周囲を見渡す。
どうせ”夢”なのだろうから、動けることには驚かない。
ちょっとビックリしただけである。
今いる場所が現実のものと何ら関係のない場所であることはすぐに分かった。
ルクラの街のごった返した市場の中でさえ、こんなに圧迫感はない。
そこは見た感じ、細い”廊下”のような場所だった。
だが、異様に狭い。
長身種族の事など全く考慮に入れていない天井高に、両手も広げられない壁と壁の間隔。
”小奇麗な横穴”といっても良いだろう。
ついでに床も変だ、平らだが結構ガッツリ傾斜している。
俺はそれを確認すると、なんとなしに”前”を見た。
廊下の先には大きな窓があって、そこから外のまぶしい光が入ってくる。
・・・・前?
なんで俺はあっちを”前”って思ったんだ?
その瞬間、俺の中に今いる場所の情報が流れ込んできた。
どうやら”知識”に情報があるらしい。
だがこの酩酊のせいか、情報の取得にラグがあるようだな。
情報によると、どうやらここは”夜行バス”という乗り物の中らしい。
地球知識の中にある”日本”という島国の二大都市・・・どっちもルブルムよりでかいという怪物都市を結ぶ交通手段で、一般的な夜行バスよりも数段グレードが高くて、高速で移動可能な”新幹線”や”飛行機”よりも高額になるとか。
たしか
「うっ・・・」
吐き気を感じて俺が思わず屈みこむ。
ただでさえ気分が悪いところに、ラグによる情報のズレと知らないはずの記憶との混濁が混ざって酷く気分が悪い。
今の俺の体は1.35ブル(国際標準ブル)の少女であって、こんな177cm(SI単位)の男の体を動かすようにはできていないのだ。
”記憶”だって俺のものじゃない、互換性はあるらしいが変換効率が悪すぎて
それを誤魔化す様に、俺はラグりながら流れてくる”地球知識”にツッコミを叫んでいた。
「・・・なんだよ”円”って!? 補助単位みたいな値段しやがって数字がでかくてビビるんだよ!!・・・ってなんだこの棒は!?」
俺は頭を触っているときに気づいた謎の棒を掴むと、イライラをぶつける様に引っ張る。
すると何かが頭の内側でズルリと動く感触と共に、その棒が床にボトリと落ちた。
「・・・包丁?」
棒だと思っていたのは、刃渡り20センチ位の可愛らしい包丁だった。
慌てて俺はそれが抜け落ちた場所を擦る。
指先が、顔に空いた大きな裂け目の淵をなぞり、そこから発生した痛みが流れ込む。
まあ痛いのは大丈夫だ、これくらいなら慣れているし。
それよりも、包丁が抜けた瞬間から気分の悪さが半分くらいになっているらしく、随分頭が軽い。
そう、包丁一本分くらい・・・
「これ・・・刺さってたのか」
俺は床に転がった包丁を持ち上げると、どうしたもんかと少し思案する。
一瞬だけ、また頭に刺した方が良いかもしれないと考えるくらいには迷走した後、俺はその包丁をまた床に戻した。
抜けてしまったものは仕方がない。
俺は自分にそう言い聞かせると、夜行バスの前方を睨む。
なんとなく・・・俺にはこの場所に心当たりがあった。
以前モニカが、まさにこんな感じの場所で死ぬ夢を見ていたと言ったのだ。
それも2回も・・・いや3回だっけ? でも1回は参考記録みたいなもんだから・・・
・・・いやしっかりしろ! 2回でも3回でもどっちでもいい、全部碌なものじゃなかったじゃないか!
まったく、ラグりながら知識が流れてくるせいで意識がまとまらん。
だがモニカの話ではとにかく”前”にヤバいのがいるらしいのだ。
おそらく・・・いや、ほぼ間違いなく”それ”と相対する必要がある。
なんでか知らないが、裏でモニカが”
悪夢と聞いているから、どうせ碌でもないものだろう。
ただ、非常に不愉快な話なのだが、幸いなことにオリバー先生の所でそんな経験も持ち合わせていた。
だから怖くない。
俺は、また自分にそう言い聞かせると、その”ヤバいもの”と対峙するために、ゆっくりと夜行バスの廊下を前に進んだ。
足音を立てないように一歩、また一歩・・・
擦るように足を動かす度に、暗い廊下に徐々に光が満ちてくる。
・・・包丁、持ってくるべきだったか・・・
俺の頭にそんな邪念がよぎった刹那、廊下の先の下側から、”ソレ”がちらりと見えた。
「っ!?・・・ほら、やっぱり」
押し殺したような声でそう呟きながら、俺は腰が抜けたようにその場に屈みこんで
予想より
・・・何が見えたって?
それが
いや、別に4人いるのはおかしなことじゃない、ここは夢なのだから。
それも【予知夢】の裏で流れている副作用的なものなので、おかしくて当たり前、モニカが100人くらいいても驚くところじゃない。
だから俺はそれに腰を抜かした訳じゃないのだ。
俺が見た情景を正確に言おう。
・・・丸々太ったでっかいモニカが、幼児みたいな小さいモニカの死体を3人掴んで・・・むしゃむしゃと食っていたのだ。
俺は今しがたちらりと目についた情景をそうやって理解した瞬間、そのあまりにもの禍々しさに背筋が凍った。
・・・そういや、こんなのも見たって以前言ってたっけ。
異常なことに小さいモニカの姿をしたやつが共食いする光景は、以前にヴィオがデータを
俺は車内に反響する”バリバリグチャグチャ”という嫌な音に気圧されながらも、怖いもの見たさが勝ったのか、恐る恐る顔を持ち上げて前方の様子を覗き込む。
すると再び、ステップの下でうずくまる太った大きな影が目に飛び込んでくる。
死体の数が1人減っている・・・いや、ちょうどその1人の最後の一欠けらを口に放り込んだところが見えた。
すぐにまるで次の食事に手を伸ばす様に、”大モニカ”が死体の片方に齧り付く。
・・・うわっ、なんだこいつは・・・
俺はその圧倒的な”実在感”に慄いた。
少女というよりは完全に猛獣が居座っているような気分である。
実際、動きといい、やってることといい、唸り声といい、感じる熱といい、強烈な獣臭さといい、
完全に”熊”だこれ。
つまり俺は、唯一の出入口をヒグマに塞がれた哀れな一般人ということになる。
・・・後ろ行こう・・・たしか高速バスって後ろに非常口があるんだっけ?
そう結論付けた俺は、ヒグマに気づかれないようにゆっくりと立ち上がると、体を後ろに向けた・・・ところで固まった。
「・・・え?」
その声は俺から出たものではない。
いつの間に俺の後ろに立っていた・・・
「・・・モニカ?」
俺はその少女をマジマジと見つめる。
その姿は、完全に”今のモニカ”と同じくらいの背格好だったのだ。
だが俺はすぐに眉間に皺を寄せて訝しがる。
この少女は”モニカ”ではない。
服が違う、髪型が違う、何より・・・”存在”が違った。
モニカは俺の体でもあるのだ、間違えるはずがない。
・・・いや何言ってるんだ俺は、これは夢じゃないか。
それによく見ればこの”モニカみたいな少女”は、見える肌のそこかしこに継ぎ接ぎのような縫い目が見えると来ている。
俺の知る限りモニカにそんな縫い目は存在しないだろうに。
だが、俺の興味が徐々に薄れていくのに反比例するように、少女の視線が段々と濃くなっていく。
俺を覗き込むその視線・・・その黒い瞳が揺れていた。
「なんで・・・ここに・・・」
少女の目から涙が零れ落ちる。
だが少女がそう口走ったと同時に・・・俺の背後がドスンと揺れた。
瞬間的に俺は状況を察する。
後方視界がないが見るまでもない。
今の俺の背後・・・つまり前方に何がいたのか。
俺は確認するようにバスの前部へ振り向くと、案の定ヒグマのような存在感と唸り声を上げる”大きなモニカ”が目に入った。
恐ろしいことに、廊下に上がって俺達を
それにしても・・・でかい・・・
ブクブクに太った贅肉の圧迫感と、その内側から放たれる巨大な筋肉の存在感に押しつぶされそうだ。
大人の男のはずの今の俺の体を圧倒するほど太くて高いその体躯が、夜行バスの狭い通路に栓をするように挟まりながら立っていた。
明らかに”モニカ”のサイズじゃないそいつは、だがしかし何故かとても幼く感じられた。
突然現れた”俺”という遺物に困惑しているのか、唸り声をあげながら首をかしげる”ヒグマのようなモニカ”を見ていると、虚ろな黒い瞳と視線が交差した。
それはモニカや、傍らにいる”モニカみたいな少女”のような力強さを感じる瞳ではなくて・・・ただひたすらに”飢え”だけを感じさせるものだった。
そしてその”飢え”が、”俺”を認識した。
その瞬間だ。
「お姉ちゃんまって!! ”それ”はだめ!!!」
モニカみたいな少女が悲鳴のような声でそう叫びながら、俺の肩を掴んで引き寄せる。
すると今しがた俺の頭があった場所が、”ヒグマモニカ”の咢に飲み込まれ、ぶつかって鳴らされた歯の”ガチン!!”という音が車内に響き渡った。
人サイズのものを食うためだろう、口の大きさが尋常ではない。
急に引っ張られてコケた俺の体を追うように、”ヒグマモニカ”の歯が何度も噛み鳴らされる。
咄嗟に俺が足を動かして這い出ようと藻掻くが、普段自分で動いていないからか、それともこの体の持ち主がまともに鍛えてないせいか、ひっくり返ったイモムシのようにその場でモゴモゴと動くしかできなかった。
そんな緩慢な動きが役に立つわけもなく、俺の足があっさりと”ヒグマモニカ”に掴まれる。
おそろしいことにその瞬間、”ヒグマモニカ”の強靭な握力で俺の足の骨が藁のようにメキョリと潰れてしまった。
なんて骨密度だ・・・こんなところばっかりリアルにしやがって。
「そのひとを・・・食べちゃだめ!!」
その時、俺の体を持ち上げようとした”ヒグマモニカ”の腕に、”モニカのような少女”が叫びながら飛びつき抑え込んだ。
”食事”を止められた”ヒグマモニカ”が、怒りと飢えの混じった叫び声を上げ、その迫力に俺が縮み上がる。
すると”ヒグマモニカ”は叫び声を出すために開けた口で、”モニカのような少女”の肩に齧り付いた。
「・・・っぐ!!」
”モニカのような少女”が痛みに呻くように悲鳴を上げ、肩口から”血ではない真っ黒な液体”が流れるように滲み出している。
だが”死体のモニカ”とは強度が違うらしいその肩を、”ヒグマモニカ”は食いちぎることはできなかったようで、”モニカのような少女”はそのまま体をぶつけるように”ヒグマモニカ”を押し込むと、そのまま腕を捻って俺の体を離させた。
回転運動に巻き込まれるようにして倒れ込む”ヒグマモニカ”から、放り出される形で逃げ出した俺は、声にならない悲鳴を上げながら四つん這いで夜行バスの通路を張って逃げる。
あまりにも情けない姿を晒しているが、俺の中は痛みと恐怖で酷いことになっているので実際情けない。
「ィィイイゴロォアアアアア!!!!! 」
”ヒグマモニカ”が”モニカのような少女”に押し付けながら怪獣のような咆哮を放つ。
”モニカのような少女”も負けじと、その巨大な顎を掴んで押し留めていた。
そのまま俺は、自分の後ろで取っ組み合う猛獣を肩越しにチラチラと見送りながら、車内後方へと逃げ続けた。
”モニカのような少女”は力もモニカ並みのようで、”ヒグマモニカ”の巨体をなんとか抑え込んでいた。
だが、明らかに体格差が物を言う状況ということもあって、徐々に”ヒグマモニカ”の体に自由が戻っていく。
「はやくここから逃げて!!」
”モニカのような少女”が俺に向かって叫ぶ。
だが、どこに逃げろというのか。
いや・・・
その時、俺の中に”福音”となる信号が流れ込んできた。
睡眠から覚めるときに流れる”覚醒信号”だ。
それと同時に、俺の視界がぼやけ始める。
この”悪夢”が終わるのだろう、どうやら助かったらしい。
そんな風に甘く考えたことがいけなかったのだろう。
”ヒグマモニカ”の太い腕が夜行バスのパーテーションを突き破ってそこにあった椅子を潰しながら握って体を固定し、反対側の太い腕で”モニカのような少女”の細い体を握って、そのまま力任せに引き剥がしたのだ。
その時に聞こえた”ブチブチッ”っと音が何の音かを考える暇もなく、束縛の取れた”ヒグマモニカ”が体を引き起こし、そのまま両側のパーテーションを砕きながら俺に向かって突進を始めた。
”はやく目覚めろ!!!”
俺が自分に向かって叫ぶ。
するとその言葉に従うように、視界がボケる速度が早まった。
だが、それでも”ヒグマモニカ”の接近が早い。
咄嗟に横に飛び退くと、俺が今いた場所を”ヒグマモニカ”の太い腕が貫いた。
物凄い力を叩きつけられた床が大きく凹み、波のように捲れ上がった床が俺の体をその場に転した。
”ヒグマモニカ”が目と鼻の先にいる。
だが、僅かに視界が消える速度の方が早い。
それを察したのか、”ヒグマモニカ”が凄まじい憤りの咆哮を上げながら俺の腹部に噛みつくが、結局夢の世界が完全に消滅するのと、俺の体が腹部で真っ二つに食い千切られるのは、完全に同じタイミングだった。
◇
意識が戻っていく。
「・・・っ、く!? うわぁ!?」
目が冷めたと同時に一瞬だけ流れ込んだ腹部が食い千切られる痛みで、モニカが慌てて腹を抑え込んだ。
「腹が痛いのか!? やっぱり変なもん入ってたんじゃ!」
その反応に、エリクが真っ青になって自分の腹を抑えている。
だが、その滑稽な光景になぜだか酷く安心してしまう。
依然として、俺達の視線の先には黒い靄が浮かんだまま。
相変わらず周囲は市場の喧騒に紛れている。
だが先程までと違い、まるで”俺”の内側を引っ張るような感覚を感じる。
心配そうにこちらを覗き込むリャーダとエリクの様子は、【予知夢】に落ちる直前から殆ど差異がない。
経過した時間は一瞬だったのか?
確かに短いっちゃ短かったが・・・
だがこの自分達の体の芯が冷え切ったような感覚と、長時間悪夢を見せられたような倦怠感は・・・
『モニカ・・・大丈夫か?』
俺はなんとなく、モニカが【予知夢】の内容はあまり良いものではなかったのでは? という確信に似た感覚を持っていた。
何故ならモニカの方から俺にはない強烈な”焦り”の感情が流れてきたからだ。
『ロン・・・今のって・・・』
『【予知夢】が動いてたな、しかも驚いたことにこれで”正常”らしい』
ログを見れば、ハッキリと”次元魔法”を使用した痕跡が刻まれている。
まったく、万全の準備をしたはずの旅先で、突如原因不明の下痢に襲われたような気分である。
すると俺の言葉を聞いたモニカが、困惑と混乱の混じった声を返してきた。
『ははは・・・ってことは・・・』
モニカがそう言うと、今度は強烈な不安の感情が流れてくる。
何か、マズい光景でも見たというのか?
『俺は酷い夢を見てたが、モニカはどうだ?』
その問いに対し、モニカが震える体を抱きしめながら黙り込む。
同時に、今しがた自分が見たものが何だったのかを噛みしめるように、脳が活発な動きを見せていた。
『・・・そんな・・・先じゃないよ』
そう言うと、モニカは顔を上げ心配そうに俺達を見つめる顔ぶれを見渡し、言いにくそうに言葉を発した。
「ねえ・・・ちょっとワガママ言っていい?」
エリクとスコット先生の顔に困惑が流れる。
ただでさえ”ワガママ”に付き合っている意識だったのに、そのワガママを当たり前のように押し通しているモニカがあえて、”ワガママ”という言葉を使うような事象にビビっているのだろう。
俺も思いつかない。
だが、それは恥ずかしいことでも思慮が足りない訳でもなかった。
モニカによってもたらされた回答は、それを聞いても尚承服し難い内容だったからだ。
「まおう様の入場行進・・・見に行きたい」
「・・・って言ったら怒る?」
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