2-22【あの山を登るために必要な船頭の数5:~脱走計画~】



 ”蝶効果”という言葉は有名だが、その意味が正しく理解されていることは意外と少ない。

 これは決して、一匹の蝶の羽ばたきが生んだ小さな風が、半年後に星の反対側で嵐を巻き起こすという話ではない。

 正しくは半年後、特定の場所で嵐が発生するかを正確には予測するには、現段階の星の反対側で発生する蝶の羽ばたきまでを網羅した非現実的な規模の観測と、それを計算するための巨大な気象モデルが必要になるという意味で使われた、未来予測の困難性を表した言葉である。

 何が言いたいかというと、”蝶の羽ばたき”が星の反対側の嵐の発生に決定権を持っている訳ではなく、”嵐”という現象がとても細かな事象がいくつも複雑に組み合わさったものだということ。

 つまり単に”蝶効果”における”蝶”の要素に、事象の決定権の有無は本来含まれないのだ。


 だが、そうではない”一般的な意味”においての”蝶効果”の事例も存在する。


 聖王2037年の冬、トルバの田舎の酒場で起こった小さな出来事が、10年後のトルバ独立に成否において、他に替えのきかない重大な要因になっていたとしても、その場所に居た者達は、まさか自分達の行動がトルバ独立に影響を与えると予測はしていなかった。

 最期まで自覚することもないだろう。


 だが、この出来事を蝶効果の一例とするには、少なからぬ語弊があるのも承知している。

 なぜならこの”蝶”の羽ばたきは、間違いなくその後に起こる”大嵐”の決定権までをも持っていたからだ。


 

 ーー


 その日、酒場の外は昼間が夜に感じるほどの強い雪が降っていた。

 村の住民達は、寒さから逃れるように家の中に閉じこもり、酒場にも行くあてのない常連の数人が集まるだけの暗澹たる空気が立ち込め、ただ吹雪が過ぎ去るのをじっと焦がれるようにクズ魔石ストーブに手を当てて暖を取っている。

 こんな日に村に訪れるものはいない。

 どの家も閉じこもり、行商人も春までは近づかないので、会話の種も既に尽きてただ沈黙が酒場を支配していた。

 

 だがその日は、沈黙を破る者が現れる。

 この吹雪の中、酒場の扉を開けるものがいたのだ。

 

 扉の間から吹き込んだ冷気に酒場の客達が震え、店主の眉が顰められる。

 だが、流れ込んだ雪の中からシルエットがハッキリ見えるまで、彼らはそれほどその来訪者を気にすることはなかった。

 なんてことはない、自分達も入る時はこのように寒さと大量の雪を持ち込んでのことだし、どうせ今回も暇を持て余した住人が、安酒と会話を求めてやってきたのだろうと、誰もが思っていたからだ。

 

 だがすぐに、その新たな来店者が普通のものでないことに店の全員が気がつき、酒場の中にいた者たちは例外なく驚きに目を見開く。

 なぜなら入ってきたのは人ではなく、背の低い醜い亜人種の”ゴブリン”だったからだ。

 ボロを纏ったその姿は真っ白な外の景色に黒く浮かび上がり、異様な存在感を放っている。

 それと”悪臭”も。

 その獣のような強烈な臭いに酒場の客達が一斉に表情を変えて立ち上がり、”招かれざる客”の姿を凝視する。

 何人かは腰に下げていた、武器と呼ぶには些か迫力に欠けるナイフを握りしめ、また何人かは威嚇するように叫び声を上げた。

 

 だが、その非友好的な態度に晒されても尚、ゴブリンは店の中へと進む足を止めない。

 そればかりか、明らかに確固たる意思を浮かべた強い瞳で店主を見つめているではないか。


 店主がその瞳を見返す。

 ボロを纏ったゴブリンは、よく見れば何かを背負っていた。

 肌という肌が汚れ、着ている服も同じくらい汚れていたため、どこからが肉体でどこからがボロ布かもわかりづらいが、そのシルエットから背中に何か大きなものを背負っていることは辛うじて判別できる。

 するとその視線に気づいたらしいゴブリンが、驚くことに”もっと見てくれ”とばかりに、背中を傾けて背負っていたものをこちらに向ける。

 するとその背中から、獣臭さとは趣きの異なる異臭が流れてきた。

 

 店主が顔を顰めながら目を凝らす。

 するとそこに、”顔のようなもの”が見えた。

 背負っているゴブリンと同じくらい汚れていたので気づきづらいが、確かにもう一匹、更に一回り小柄なゴブリンが背負われていたのだ。


「この子に飲ませる薬をください。 ・・・お金ならあります」


 ゴブリンがそう言いながら、ボロ巾着を取り出して中を見せる。

 すると確かに薄汚れた貨幣のようなものが、袋の中に溜まっているのが見えた。


 どうやらこのゴブリンは、背負っているもう一匹に飲ませる薬を買うために、吹雪の中ここまでやってきたらしい。

 なるほど、たしかに寒さから守るためだろう大量のボロ布にくるまれたその小さなゴブリンは、見るからに弱っていて病気に見える。

 背負っているゴブリンの子供か、それとも兄弟か。

 こんな片田舎に医院などないが、その代わり酒場でも簡単な薬は売ってるし、それを買えるだけの金額でもあった。


 だが店主は、そのボロ巾着を引ったくると店のカウンターの奥に向かって放り投げ、呆気にとられるゴブリン顔を、力一杯蹴り飛ばした。


「汚い足で俺の店の床を踏みやがって!!」


 店主がそう怒鳴りながら、ゴブリンの顔面に続けざまに蹴りを入れる。

 するとそれを見た客達が、口々に叫び声を上げる。


「気をつけろ!! ゴブリンの歯は鋭いぞ」

「腹だ!腹を狙え!」

「店の中では殺すなよ! 外に追い出せ!!」  

 

 そんな興奮に満ちた応援を背に受けた店主が、ゴブリンを店の扉から外に蹴り転がすまでそれほどの時間はかからなかった。

 全身を蹴られる衝撃でゴブリンの体から鮮血が飛び、汚らしい汚れの中に透き通った赤が混じる。 

 店の扉の小階段から転げ落ちたところで、ゴブリンの背中から背負っていた小さなゴブリンが包まっていたボロ布ごとズリ落ちて、雪に覆われた道に投げ出された。


 背負っていたゴブリンが何かを叫ぶが、ゴブリンの使う言葉だったからか、それとも蹴られて口が腫れ上がったせいか、何を言っているのかは店主には聞き取れない。

 だが、その不快な金切り音に似た叫び声は店主の癪に障ったし、その声に混じっている店主への憎悪も癪に障った。

 そもそもが先程の嫌に流暢な言葉遣いからして不快だった店主は、一旦店の中に戻ると、奥の棚の中を漁ってラベルの貼っていない酒瓶を一本手に取り、すぐに店の外へと戻ってくる。

 目を離している間に逃げているかと思ったが、件のゴブリン達はまだ店先で痛みに苦しんで藻掻いたままだった。


 戻ってきた店主をゴブリンが睨みつける。

 だが、その表情は長くは続かなかった。

 店主は持っていた酒瓶の中身をゴブリンに振り掛けると、着火魔道具を向けて火花を散らせた。

 その瞬間、ゴブリンの体から瞬く間に炎が燃え上がる。

 超高濃度のアルコールの燃焼熱に晒されたそのゴブリンは、叫び声を上げながら藻掻き出し、逃げるように飛び退いて道の雪に体を擦り付けるように転がった。


 ゴブリンの体から炎がようやく消え去り、恨みがましい目を店に向けながら立ち上がるが、そこに見えた光景にゴブリンは目を大きく見開く。

 客の一人が弓を構えて店主の横にならんでいたのだ。

 その矢の先がゴブリンの姿を捉える刹那、ゴブリンは咄嗟に飛び上がるように駆け出すと、そのまま闇の中へと姿を消した。


「・・・くそっ、逃しちまった」


 弓を構えた客がそう言って悔しがる。

 だが店主は気にするなとばかりに、その客の背中をポンポンと叩いた。


「いや、貴重な矢を無駄にせずに済んだ」


 そして、そう続ける。

 実際、矢はかなり高額で貴重だ。

 緊急時でもない限りゴブリンに使うのは惜しいだろう。 

 だが客は、弓を構えたまま。


「それで、こっちはどうするよ?」


 客が示したのは、店の前に転がるボロ布に包まれた、先程まで背負われていた小さなゴブリン。

 その姿を確認した店主は、面倒くさそうに歩み寄って様子を確認すると、まだ息があることを見て取り、その顔に今日一番の不快感を浮かべた。

 

「このクソ寒い日に、面倒くさいことさせやがって」


 そして、そう毒づきながら足を振り上げ、小さなゴブリンの首のあたりに力一杯叩きつけた。

 たちまちグシャッと言う鈍い音と、小さなゴブリンが発する悲鳴のような空気音が鳴る。

 店主は更に何度も、小さなゴブリンの首を踏みつけ続けた。

 もう既に致命傷だろうが、完全な絶命には至っていない。

 意外としぶといゴブリンの生命力を刈り取るため、念には念を入れて踏みつける。

 そうやって何度か踏んでいると、店主は明らかに踏み応えが変わるのを感じ取った。

 足でボロ布を捲ってみると、小さなゴブリンの顔の下半分が潰れ、首が千切れかかっているのが見える。


 小さなゴブリンの絶命を確認した店主は、そのまま持っていた酒瓶の中の液体をその死骸に振りかけ、また着火魔道具で火をつけた。


ーー


 それはトルバのどこにでもあるような、当時は被迫害種族だったゴブリンを退ける出来事でしかなかった。

 酒場の客達の行動も何の変哲もない”害獣”を追い出す行為でしかない。

 誰しも数少ない楽しみにしていた食事の場に虫や動物が紛れ込めば、不快感を持って追い出すだろう。


 だがもし仮に、その”事象の成否”を決定づける要因を成したかどうかが、その事象への貢献度の尺度として使われた場合、たちまち彼らは”トルバ独立の最大の功労者”ということになってしまうだろう。

 なぜなら、もし仮にトルバ独立の決定的指導者だったクリント・ミューロックが、その人生で成したいかなる出来事を欠いたとしても、彼の能力や熱意が十分であるからしてトルバ独立に決定的な影響はなかったのに対して、彼らのこの行動がなければ、この見窄らしく哀れな一匹のゴブリンの心に火は灯らなかったからである。


 現在の”社会生物文明”という巨大な枠組みを”嵐”と表するならば、その予想のためにこの一件を加味しなければならないとは、まさに”蝶の羽ばたき”といえた。

 ただ、もしここで彼らが、慈悲の心でこのゴブリンの少年に薬を渡していたら、おそらく未だトルバは終わりの見えない独立戦争を戦っていたというのは、何と皮肉なことであろうか。



 

        トルバ独立戦争史書 『開放への長い道』 前文より抜粋




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 ”偉人”というやつは、どうやら”伝説の英雄”や”超有名人”とは根本的に異なるらしい。


 ”入場”に関する一連の行事が終わり、第二検問所の洗面所の中で化粧を落としたモニカがどこか呆けたような表情で虚空を見つめながら、夢見心地な表情で握手に使った右手をモゾモゾさせているのを見ながら、俺はそんなことを思った。


 好感とか、信頼とか、そんなわかりやすい物ではなく、ただ単に会って少し触れて声を聞いただけで、全く根拠はないのだが、自信が出てくるというか、自分の方向性が間違ってないと確信できるというか、もう「大丈夫」って気になるのだ。

 案外、こういった周りの調子を上げる能力で彼はここまで伸し上がったのかもしれない。


 クリント・ミューロックとの初顔合わせは、わずか1分ほどの短いもので終わった。

 歓迎の言葉と握手、それから「本会議で会えるのを楽しみにしています」という彼の言葉を聞くだけの簡単なものである。

 何かが決まったわけでも、何かが変わったわけでもない。

 それでも、それだけで・・・いやそんなことがなくとも、彼の凄まじさは感じ取れる。


 お湯で顔を洗っている間に、彼の半生について書かれた本を読み込んでみたが、かなり血なまぐさい人生を送ってきたようだ。

 その割に、随分ときれいな老人然とした雰囲気だった。

 この老人が一代で”ゴブリン”の地位を”害獣”から、”先進種族”に変えてしまったのかと思うと、まだその凄さの欠片も理解できていないのだろうから恐ろしい。


 だが実際、あの顔合わせのあとトルバ側の対応が妙に丁寧になった気がする。

 ようやく、俺たちが”国賓”であると証明されたというところだろう。 



 アルトと一緒に待合室に戻ってくると、洗面所に向かったときとは異なりかなり閑散とした様子だった。

 入場で一緒に行進した顔ぶれは殆ど残っていない。

 皆、この僅かな時も惜しんで”交渉のための奔走”へと戻っていったのだ。

 その挨拶は先程済ませているから間違いない。 

 だが、それは俺達のための事ではあるが、いざこうして居なくなるとなんとも物悲しいものである。

 今回の事案で俺達にできることは本当に少ないのだと、あらためて思い知らされるようだ。

 

 だから俺達は彼らに縋るような感情を向ける。

 彼等の活躍に俺達の明日がかかっているのだから。


 俺達は旅立っていった仲間のことを考えながら、この後の事に思いを巡らせる。

 無事に”お披露目”を終えた俺達は、さっさとこの街を出て山一つ向こうの宿泊地に移動することになっている筈だ。

 本会議に出ずっぱりでもない渦中の問題児が、いつまでも会議の中心地にいるのは警備上でもよろしくはない。



 とはいえ。


『とはいえ』


 ちょうどモニカが同じことを呟くと、そのまま値踏みするように待合室を見渡す。


 残っている顔ぶれは、俺達側の直接交渉人役のディーノ、アクリラからの交渉担当者であるサンドラ先生と、彼等の補佐役の小役人が数名。

 後は護衛役のスコット先生とエリクに、ここで合流したアルバレス軍の護衛が数名。


 彼等の意識はスコット先生に集中していた。

 さっきモニカに言われたことが効いているのか、先生はどうもエリクに色々とアドバイスしているらしく、護衛達もそれに興味津々のようだ。

 役人連中は、今後の予定について熱心に確認しあっている。


 幸い、彼らの話を聞いても、今日はもう俺達が必要なイベントはないらしい。

 良かった、つまり只今この部屋の耳目は俺達から外れている ・・・・・というわけである。


 だから、衣装直しに使った道具などを持ってきたコンテナに収納するためにアルトが離れた瞬間。

 俺は、努めて自然な動作で窓の方へと歩き始めた。

 

 ”魔力ロケット”という名の悪魔に鍛えられた防音系のスキルを全開にし、モニカが本気で気配を消したので、誰も俺達の行動など気にしていない。

 その威力は凄まじく、俺達が窓の枠を持ち上げても誰も気づかなかったし、俺達がそこに足をかけても気づかないほど。

 当然、俺達がそこから身を乗り出して滑り出しても、気づくものは居なかった。





『さて、ここからが正念場だな』


 隠密系スキル特盛のまま砦のような検問所の屋根へと身を滑らせた俺達は、改めて気合を入れるように自分達に喝を入れる。


『みつかるまで、できるだけ多くまわらないとね』


 眼下に広がる喧騒に目をやりながら、モニカが強い言葉で答えた。

 そう、見ての通り俺達はこれから、少しばかりの”脱走劇”を企てることになっている。

 もちろん、時勢を考えれば正気の沙汰とは思えない、非常識極まりない行動であり、終われば関係者一同からの猛烈な説教に晒されること間違いなしだが、

 とはいえ、それすらも飲み込んでの行動だし、コレをするためにあえて正門入りを受け入れたのだ。

 


 本会議が始まれば、政治的意味を持つ俺達の動きは完全に封じられてしまう事になっている。

 ルクラの街に再び近づけるのは、会議で決まった沙汰を俺達に告示するその時になる可能性が高い。

 だが”移動途中”である今日は別だ。

 続々とやってくる各国の要人達の導線確保のため、ルクラの街は機能麻痺を起こし、俺達を縛るものは少なくなる。

 仮に移動が上手くいかなくて、目的地への到着が予定より数時間遅れても誰も気にしないだろう。

 少なくともそういった事例は各地で発生しているようだし、ここから見えるだけでも、各地の受け入れ施設が混乱している様子がよく見えた。

 街の中の宿泊地でこれなのだ、外縁都市の宿泊地など推して知るべしである。


 これならば、こっそりと街を回るのも不可能ではない。

 いや、バレても混乱に紛れてことを成すだけの余地があるというべきか。


 モニカが”次元収納”の魔法陣を展開すると、そこに手を突っ込んで中から”とある機器”を取り出す。

 それは”鳩”のような見た目の、小さなゴーレム機械だった。

 真っ黒なゴーレム制御器の詰まった骨格の上から、この地域で見られる鳩のように塗装した軽量外装を纏っている。

 通常、こういった小型飛行タイプのゴーレム機械は難しい。

 動力源であるジェネレータが低出力のものでないと積めないし、コアも複雑にしづらいからだ。

 そのくせ飛行のために結構な動力と、複雑な処理に耐える操作性が必要になるのに、重量制限まであると来ている。

 現行の飛行ゴーレムが基本的にどれも大型なのは伊達ではない。

 完全独立型など、それこそカシウスでもなきゃ無理だろう。


 だが問題ない。

 ”鳩”の足には、髪の毛のような細さの黒いケーブルが伸び、それが俺達の体につながってた。

 動力の伝達や複雑な操作は、この細いケーブルを通して送られるので気にしなくていいのだ。

 さながら、こいつの正体は俺の”感覚器”、その最新アップデート版といったところだろう。

 

 モニカが”鳩”を上に放り投げると、有線で制御された鳩は翼を羽ばたかせ、一気に上空500ブル辺りまで上昇した。

 即座に俺の中に、鳩の感覚器から送られるデータが流れ込み、視界いっぱいに、ルクラの街の俯瞰図が映し出される。

 だが俺はそれをあえて無視した。

 もちろんそれも重要な情報だが、地図との相違点をマークすればそれ以上の用はない。


 それより重要なのは、今この街を飛び交っている情報の種類である。

 俺は慎重にデータを解析しながら、鳩とそこに繋がるケーブルをアンテナとしてセンサー類を切り替えていく。



『やっぱりだ』


 俺は密かにほくそ笑む。

 予想通り、ここの連中は通信精度の高い魔力波通信と、技術事情的に導入が容易な”レーザー光通信”にかまけて、それらの下位互換である”電波通信”が疎かになっているらしい。

 いや、そもそも技術開発が進んでいないというべきか。

 探しても資料とかなかったからな。

 俺も最近自分の薄っすらとした知識で藻掻きながら使えるようになったところなので、あまり大きなことは言えないが、それでも色んな周波数帯を調べてみても、極稀に趣味レベルのノイズみたいな通信が交じるだけで基本的に回線はガラ空き、妨害電波的な処理もされていない。

 これなら、俺達の機器が好き勝手に通信しても問題はないだろう。


 さて、となると。


『この辺かな』


 俺は、得た情報から導き出した箇所をルクラのマップに描き込み、インターフェースユニットに映し出した。

 モニカがそれをしげしげと眺め、顔を捻って目的地と自分の認識を合わせていく。

 こっから先は時間との勝負だ、怒り狂った関係者に見つかるまでの僅かな時間で、効率的に動かなければいけない。


「よっし!」


 モニカがそう言って、気合を入れながら姿勢を落として構える。


 だがその気合は、すぐにつんのめるように霧散してしまうのだが・・・



「どこに行く気だ2人とも」


 後ろからかけられた声に俺達がギョッっとして振り向くと、音もなくスルスルと屋根へ伝い登るスコット先生の姿が見えたではないか。

 もう気づいたのか!?

 義足であるはずのスコット先生の足が滑らかに動くその奇妙な光景は、完全に消された気配と相まって、この世のものとは思えない。


「あっ」


 だからモニカがそんな声を漏らした瞬間には、スコット先生はもう俺達の肩を掴んでいた。


「つかまえた。 安心しろ、誘拐ではない」


 スコット先生が耳元の魔道具を光らせながらそう呟く。

 すると、即座にその魔道具が明滅し、先生の耳元から焦ったような声が漏れ出てくる。

 足の下では人が慌ただしく蠢いている気配が。

 どうやら俺達が抜け出したことはすぐにバレたらしい。

 少し観測に時間をかけすぎたか・・・


 その時、ドタドタという音が聞こえたと思ったら、ちょうど向かいの建物のバルコニーの扉が勢いよく開けられ、真っ青な表情のエリクが飛び出してきて叫んだ。


「何やってんだよ!!」


 どうやらエリクは、俺達が逃げ出したことに気づいた瞬間、他の建物に移動したと思ったらしい。

 それでもここがバレたということは、ヴィオは俺が口止めしているから、自力で気づいたのだろう。

 なるほど、俺達は自分達の前衛の能力を甘く見ていたらしい。

 実時間だと、出てまだ1分程しか経っていないというのに。


「反省なしか」


 すると俺のその感情を読んだのか、スコット先生はそう言って眉を顰める。

 まあ実際に反省はないどころか、隙を窺うようにモニカが無言でスコット先生をじっと睨んでいてはそう取るしかないだろう。

 そればかりではなく、モニカの体はいつになく緊張を滾らせて、スコット先生の僅かな隙を逃すまいと構えている始末だ。

 俺も全力でそれを支援しているのだが。


 このまま、ただ怒られては怒られ損である。

 俺達は”実”を得るために怒られるのだ。


 もちろん、それを許してくれるスコット先生ではない。

 加えこむようにガッチリと俺達の脇腹へ回されたスコット先生の腕は、その持ち前の経験によって巧みに緊縮を調整し、俺達の僅かな動きも封殺していた。

 完全に力が殺されている、これでは逃げられない。


「こんな時に、なんでこんなことをすんだよモニカ!」


 エリクが怒気を発しながら俺達に詰め寄ってくる。

 その表情は心底俺達の事を心配したと書いているようで、ちょっとだけ胸が痛んだ。


『どうしよう、逃げられそうにない』


 なんとか体をくねらせてみても全く手ごたえがないスコット先生の捕縛に、モニカが無力感を滲ませながらそう呟いた。

 エリクが怒鳴りながら近寄り、俺達の頭をポカンと殴るのを頭突きで撃退しながら、俺は”プランB”についての準備を始める。

 足掻いても仕方ないものはどうしようもない。

 直接観測しながらとは雲泥の差だが、それでもやらぬよりはマシだ。


 2人から見えない位置に展開した【次元収納】から、黒い筒状の物体がヌッと現れる。

 それは魔力砲撃を参考に作った即席の”投射砲”。

 撃ち出すものの関係で威力は抑えているが、それでもこのルクラの街全体を射程に収められる代物である。


 ただしそんなものをぶっ放せば人目を引くし、投射物も回収されてしまう可能性が高い。

 そもそも、その”投射”に投射物がどれだけ耐えてくれるか。

 なのでやりたくはないのだが、プランAが頓挫した以上、やらないわけにもいかない。


 モニカが苦し紛れにエリクを脚でゲシゲシと突いて”イヤイヤ”をしながら時間を稼いでいる間に、俺は着弾予定地の計算を行い、”投射物”を砲身に詰めていった。

 ”デコイ”も含めれば撃ち出すのは相当数になるので、計算に結構リソースを食われる。


 だがその時、スコット先生が連絡用の魔道具に意外なことを言った。


「侍従の娘を宿に送ってくれ。 我々は別ルートで向かう」


 スコット先生がそう言うと、魔道具の向こうからノイズのような音が発せられる。

 先生の言葉に、通信相手が血相を変えて叫んでいるらしかった。

 だが先生はそれを無視すると、有無を言わせぬ鋭い目で俺達を睨んだ。


「さあ、どこへ行くか教えなさい。

 我々もついていく」


 その言葉に俺達は呆気にとられ、”投射作業”の手が止まる。


「え!? 戻らないんですか!?」


 エリクが当然の声をスコット先生に投げかけた。

 すると先生は半ば諦めたように息を一つ入れてから、その問いに答える。


「モニカがこれだけ真剣に逃げようとするのだ、何かそうせざるを得ない理由があるのだろう。

 こういう時のモニカを止めるのは、私には不可能だ。

 安心しろ、これくらいの無茶は通る、”ルクラに行くと”と言った時に何かあると感じてはいたからな。」


 スコット先生はエリクにそう告げると、魔道具に向かって語りかけた。


「ディーノ殿、先程話した通りになった。

 なので何か我々が街を自由にうろつく理由をでっち上げてくれないか?」


 魔道具からまたもノイズが聞こえ、しばしの悪態の後、俺達にもハッキリわかるほどの溜息をついてから、ようやく落ち着いた声で何かを語り始めた。

 どうやら、なにかでっちあげる算段が付いたらしく、スコット先生がディーノと思われる通信相手の言葉に頷きながら相槌を打ち続ける。


「・・・なるほど、それはいい。

 それで進めてくれ」


 スコット先生はそう言うと、なんとも”してやったり”的な表情で俺達を見下ろした。

 どうやら、何かしら俺達がトルバの護衛を離れて行動する理由がでっち上げられたようだ。

 もっとも、スコット先生の表情を見る限り、それは俺達にとってあまり愉快ではないと思われる。


「さて、これで君が・・・少なくとも我々から逃げる理由はなくなったな」


 スコット先生がそう言いながら、腕を緩め俺達の体を捕縛状態から開放した。

 まだ状況をつかめていないモニカが、ゆっくりと屋根に足を着けながら不思議そうな表情でスコット先生を見つめ、未だ俺達に勝手に行動されたことにお怒りの(というよりか、そのあと俺達に蹴られたのが気に食わないのかもしれない)エリクが不満の籠もった言葉にならない声をあげる。


「・・・いいの? わたし、けっこう動き回る気だよ?」


 モニカがおずおずとそう問うと、スコット先生は肯定するように頷いた。


「だが、堂々と行く。 だから何をする気なのか、我々だけにでも話してくれ」


 スコット先生のその言葉に、俺達は少しの間話し合って逡巡した後、やがて諦めたようにモニカが肩を落として頷いた。



 俺達がやろうとしていること。

 それはもちろん、”逃げ算段”に関する”仕込み”である。


 内容は主に3つ。


 1つ目はこの街に入るまでずっと続けていた”測量”の続き。

 だが、上空を飛ぶことを想定していたこれまでの道中と異なり、今回は追っ手を撒くために以前ヴェレスの街で行ったような、”街の中を飛ぶ”という無茶を前提とした測量になる。

 当然、各国の最強クラスの軍隊がそこら中に陣を張っている中を搔い潜って進むため、生半可な精度では意味はない。

 ルクラ一帯の各建物の大きさや位置関係だけでなく、その細かな構造や、出来れば建物内部の構造が分かるようにしたい。

 高速で飛翔しながら建物を突っ切れば、追ってこれる相手はかなり限定できるだろうからな。


 2つ目は各地に、非常時に起動する”ビーコン”を設置すること。

 これは俺達が放つ”非常信号”に併せて起動し、約3日の間、管轄通信局の役人さんが卒倒するレベルで強力な魔力波と電波の位置信号を放ち続ける代物だ。

 用途はもちろん、”GPS”の基準点。

 この信号を受信し続けることで、俺達は何処にいるのか、どう移動しているかを常に知ることができる。

 何度も言うが、正確な位置情報を得ることに対して、今回の俺のこだわりはかなり強い。

 それに、今回はこれを生かす”新アイテム”も用意しているからな。


 3つ目は・・・これが、かなり危ない。

 2つ目の機器の中に埋め込む機能なのだが、いざという時に、ここに駐留している戦力に対して行う”情報戦”用の端末の準備である。


 現在、大戦争の教訓から各国軍事組織のシステム化、情報化が激しく、かなり細かな情報のやり取りを通して作戦を遂行する様になってきている。

 それは当然、その情報戦を制した者が圧倒的優位に立つということに他ならない。

 だからこそ、その戦いに”俺”が直接乗り込むことにしたのだ。 

 まだまだ経験不足の複雑なシステム相手ならば、有機的に動ける”俺”はかなり有利に動ける。

 さっき飛ばした感覚器の測定結果を見るに、前線の部隊が目の前で俺達を見失うくらいの状態には持っていける自信はある。


 もちろん、単に魔王から逃げるだけならば起動しないつもりだ。

 これはあくまで、”もし各国が俺達の敵になったら”という、少し現実的ではない程の最悪の状況に陥る可能性に対する対策だからな。

 積極的に大国を敵にしたいわけでは、もちろんない事に注意してくれ。

 あくまで”転ばぬ先の杖”なのである。



 と、まとめるとこんな感じになる情報を、モニカが実際に設置する”ビーコン”を見せながらエリクとスコット先生に説明した。

 ただし、3つ目はかなりオブラートに包んでだが・・・。

 それでも2人はある程度納得したようで、俺達の手に乗る真っ黒な肩幅くらいの長さの無骨な円柱状の物体を、エリクは興味深そうに、スコット先生は値踏みするような目で見つめていた。


「見つかったらどうする? 見た限り、それなりに目立つようだが・・・」


 スコット先生のその問いに、モニカは実際に”ビーコン”をグニャグニャと粘土の様に伸ばしながら答える。


「こうやって、”すきま”とかにつめて、完全にかくれるようにする。

 それに見つかってもだいじょうぶだと思う。 探しきれないくらいばらまくし、解析にも時間がかかるとおもう。

 ”通信規格”もめずらしいものだから」


 ちなみにバラまく数だが、最低で1000個以上、在庫は1万個近く持ってきているので、本当にそこら中にバラまくつもりだ。

 隠蔽についても考えており、この粘土みたいな材質に溶け込む形で回路を掘っているので、その辺りを考えずに変形させたり、迂闊に剝がしたりすれば、たちまち”ただの魔力素材の粘土”になってしまう仕掛けである。

 仮に専門家が見たとしても、”素人が作った、ゴーレム魔法のできそこない”にしか見えないだろう。

 実際これを作る方法は、高度に制御しながらゴーレム魔法を失敗するのだから。


 モニカがその辺を掻い摘んで説明しながら、実際に持っている”ビーコン”を足元の屋根のパネルの隙間に押し込んで、さらにそれを”よくやる風”に引っぺがして見せる。

 すると形状の維持に貢献していた魔力回路が中で引きちぎられて、随分とやわらかな粘土みたいな状態になったではないか。

 それを受け取ったエリクとスコット先生が、驚いた表情で手触りを確認していた。

 こうなると、本当に”土くれ”みたいになるからな。


 するとスコット先生が頷いた。

 機能については納得してくれたらしい。


 もちろん、”まだ全てOK”ではないらしいが。


「だがなぜ君達が直接行く必要がある? 誰かに頼むなり他の方法は取れないのか?」


 スコット先生が、至極もっともな質問を投げかけてくる。

 もちろんそれは考えたさ。


「この”ビーコン”をこわさずに設置できる人がいない」


 モニカがこれまた至極もっともな答えを返す。

 剥がしただけで粘土になる代物だ。

 つまり、それを中身を壊さずに変形させながら設置するなど、設計図を持っている高度なスキルの支援なしでは不可能だろう。


「それに、わたしの目で現場を見てきめたいし。 けいさんで場所を絞りこんでも、実際とはちがうと思うから。

 ”測量”もそう」


 ”じいちゃんヴァロア伯爵”の言葉を拝借するなら、”他人は信用できても、他人の目は信用できない”ってところか。

 いや、そんな大層に言うまでもなく、”俺の測量規格”に合わせた測量ができる存在は居ない。

 欲しいのは”どこそこを曲がったら、何がある”とかって次元じゃないのだ。


「なんでそれを最初から・・・」


 エリクの憤慨したようなその声を、スコット先生が手を上げて制する。

 そして俺達が圧倒されるほど強烈な視線で、俺達をあらためて睨んだ。


「君に一つ言っておく。 最初から我々を信用しろ。

 仮に君を害する決定が下っても、我々はそれには従わない」


 その言葉に俺達が息を飲む。


 スコット先生は、”その言葉の意味”を分かっているのか?

 アクリラの教師は、当然ながらアクリラに従属する。

 そしてアクリラは”世界立”の組織だ。

 つまり、この会議は数少ない”アクリラに命令を下せる存在”なのである。


 ”それに従わない”と宣言する意味を。


 ・・・まあ、エリクはわかってない感じだな。

 スコット先生の言葉に、”そうだ信じろ”とばかりに強く頷いている。

 そして、そんな援護を受けているスコット先生は、俺達に詰め寄るように一際強い表情で俺達を見つめていたのだ。



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