2-16【恋と知りせば・・・ 1:~xd-06:06:02 ~ xd-06:05:24~】


 アクリラの西山、貴族院の裏手にある、貴族院専用の競技場にて。


 凄まじい轟音が巻き起こり、土煙と一緒に長身の少年が宙を舞う。

 高等部でも上位に含まれる筈のその少年はそのまま無様に地面を転がると、止まった先で腕をついて頭を垂れた。


「・・・まいった」


 絞り出すようにそう言う少年の額からは血が垂れ、地面に付いてない方の腕は関節ではない場所で曲がり、足は骨盤から砕けたようにダラリとしている。

 そして、その向かいには、それを成した赤い髪の少年が巨大な魔力をはためかせながら立っていた。

 その髪の一本一本からは、真っ黒な魔力が煙の様に立ち上っている。


 ルーベンは、自分の中の”何か”を無理やり抑えるようにぎこちなく、ゆっくりと頭を下げた。


「・・・すいません、止めきれませんでした」


 すると転がっている方の少年が、疲れた様に笑う。


「やめろルーベン、これは”そういう訓練”だ。 ”軍位スキル”の習得に手加減なんてしてられん。

 その為の俺だ。 安心しろ、これでも”医療魔法”の授業は”優”だぞ」


 そう言いながら高等部の少年は魔法陣を作って腰に当てると、砕けた骨盤を腰中から拾い集めて修復し始めた。

 すぐに周りで控えていた貴族院専属の医療魔法士が駆けつけ、治療を引き継ぐ。

 事前に対策していたこともあって、”軍位スキル”の直撃を受けても問題は無さそうだ。

 すると、ルーベンの方にも何人か医療魔法士が駆け寄ってくる。


坊っちゃん・・・・・、体に変化はありませんか? 痛いところは? なにか違和感を感じたり・・・」

「大丈夫だ。 心配ないよ」


 ”坊っちゃん”呼ばわりに若干の不満を感じたルーベンがぶっきら棒にそう答える。

 だが医療魔法士は引かない。


「それを決めるのは我々です。 手を出して」


 そう言うとルーベンの行動を待たずに右手を引っ掴み、パスを繋いで”調律魔法陣”を展開する。

 その魔法陣は、以前と比べて比較にならないほど複雑なものになっていた。

 ”完全版ヴェロニカ軍位スキル”には、これまでの”将位相当スキル”では危険すぎて封印するだけだった”力”の展開も含まれる。

 それは存在しているだけでルーベンの体を破壊し尽くしても不思議ではない代物だ。

 医療魔法士達の視線も、以前にはなかった危険物を扱うような緊張感が漂っていた。


 すると少し遅れてアデルが近づいてくる。


「”圧勝”だったね。 ウェラン先輩、去年”全体20位”に入ってたのに」


 アデルはそう言うと感心した様にルーベンを見下ろした。

 ”全体20位”というのは全学年共通の高等部順位戦での成績であり、上位者の殆どが卒業した最終学年生だった事を考えるなら、今の学生の中で5本の指に入ってくる存在と言っても良い。

 それでも、ルーベンの気はむしろ沈んだ。


「ウェラン先輩と本気で戦った訳じゃない。

 僕の練習に付き合って当たってくれただけだ」


 今の精度だと、”本番”では決して当たってくれないだろう。

 それは実際に手を合わせたからこそ、隠しようのない事実だった。

 この練習で彼はあくまで”頑丈な的”に徹していたのだ。


「それに・・・」


 そこでルーベンはぐっと言葉を飲み込む。

 ルーベンの”見てる先”を考えるなら、”谷間の世代”と揶揄される年の5位などに苦戦しているようでは話にならない・・・・・・なんて言葉はあまりに失礼で配慮にかけているからだ。


 それでもルーベンの脳裏には、去年末に無残な敗北を喫した”バガーリア流”の姿が焼き付いていた。

 そして同時に、”勇者”に打ち勝ち、”準王位スキル”という正体を明かした同い年の少女の姿も。

 胸の内側がうずく。


 世界は広い。


 ・・・・だが。


 それでもルーベンは、今しがた自分が使った力を噛み締めるように拳を握った。


「これなら、モニカにだって勝てる」


 ルーベンはそう言うと、満足感のような物を飲み込んだ。

 もう既に、力だけなら比肩しうる・・・・・

 いや、”ウルスラガブリエラ”と”ヴェロニカマルクス”の力関係を考えるなら、瞬間的な攻撃力だけなら上回っていてもおかしくは無い。

 ルーベンは己の中に渦巻くかつて無い力の感覚に、これまでにない自信が湧き出してくるのを感じていた。

 

 あとはこれを制御するだけなのだ。

 ”同じ土俵”に上がれるなら負ける気は無かった。


 だがその”希望”は・・・容易く打ち砕かれる。


「あれ? ルーベン聞いてなかったの?」


 アデルが驚いた様に声を上げたのだ。


「何を?」


 ルーベンが不審げに問い返すと、帰ってきた言葉はルーベンを今年1番震撼させた。




※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 アデルの言葉に貴族院を飛び出したルーベンは、アクリラの上空を飛びながら周囲を見渡した。

 特に注意するのは空を飛んでいる存在。

 最近、風の噂でモニカが飛行免許を取ったと聞いていたので、空中を移動する魔法士に焦点を絞って探す。

 空を飛べる奴はよほどのことがない限り空を飛んで移動したがる。

 なにせ速度が段違いなのだ。

 

 そしてその予想はどうやら”当たり”らしい。

 能力の上限が開放されて強力になった索敵スキルが、ルーベンから見て街の反対側に該当する存在を見つけたのだ。


「あれか・・・まるで飛竜だな・・・」


 それは遠目で見ると、黒い鉄でできた飛竜のような見た目をしていた。

 大きさも先端から尻尾の先まで7ブル・・・翼長も同じくらいか。

 生体反応からいって、モニカがいつも連れているパンテシア(にしては筋肉質で牛っぽい)ごと、あの”黒い鎧”で覆ってしまったのだろう。

 随分強引だが、彼女らしいといえばらしいか。

 小柄なモニカが巨体で飛ぶ姿は違和感があるが、内部のその反応をルーベンが見間違えようか。


 目標の定まったルーベンは飛行スキルに鞭を入れ、一気に上昇しながら速度を上げた。

 速度制限の厳しい低空を避けて制限の緩い高空へ上がるのは、アクリラで飛び慣れたものの小技だ。

 その速度を前にしては、アクリラの街など一息に飛び越える距離でしかなく、あっという間に着陸態勢に入っていた”飛竜型のモニカ”に追いつくと、その背中の上をピタリと飛んだ。


 飛竜の背中のモコッとした透明な窓からモニカがこちらを見る。

 それを見たルーベンは、近くに降りてくれとハンドサインを送った。



「君に・・・モニカ、君に話がある」


 東地区の公園に降り立ち、”飛竜モドキ”の背中から滑り降りたモニカに向かって、ルーベンはそう切り出した。

 モニカの武装の例に漏れず、モニカが離れた瞬間、背後で”飛竜モドキ”は崩れ去り中からパンテシアが現れる。


「・・・話って?」


 モニカが純粋な目でそう聞き返してきた。

 それを見たルーベンは、心の中がざわつく不快感に臍を噛む。

 何だ、この衝動は・・・


「なんで戦闘系の授業を辞めるんだ、それも順位戦まで!」


 気づけばルーベンは、アデルに聞いたその情報を叫んでいた。

 それに対し、モニカが驚いたように身を引く。

 だがその表情は反射的に対抗するように固くなった。


「それ、ルーベンに説明しないといけない?」


 モニカのその突き放したような物言いに、ルーベンが思わず息を飲み込む。

 確かに、なんの義理があって・・・

 だが、それでも、


「説明しなくていい・・・戻れ」


 ルーベンがそう言う。

 するとモニカは、これまでルーベンが見たことないような・・・面倒くさそうな・・・・・・・表情をとった。



「  や だ  」



 モニカの言葉は短く、それでいて断固とした響きを含んでいた。

 それにルーベンが思わずカッとなる。


「なんでだ!?」


 気づけば、自分でも記憶にないほど声を上げてしまっていた。

 だがそんな事をすれば、当然モニカも押してくる。


「”魔道具”に集中したい。 ゴーレムを少しでも学びたい。 それじゃダメ?」

「君程の力ある者が、力を究めずにどうする!」

「何を究めるかは”わたし”が決める」


 モニカがそう言うと、これが意思だとばかりに軽く目を閉じた。


「じゃあ・・・”勝負”してくれ」

「・・・?」


 ルーベンの言葉にモニカが怪訝そうに首を少し動かす。


「それに僕が勝ったら、君は順位戦には出ろ。 戦闘系の授業まではいわないが、戦い続けてもらう」


 だがモニカは躊躇することなく、首を横に振る。


「時間がもったいない」


 そして素気無くそう言った。


 ”時間がもったいない”

 その言葉がルーベンの中で反響し、その度に感情が揺さぶられた。


 モニカと並ぶために・・・対等に戦うために、ルーベンは”決断”をしたというのに・・・

 ”手術”の苦しみにも耐えたというのに。


「・・・負けるのが怖いのか?」


「その手には乗らないよ」


 だが、モニカは冷たくそう言うと、彼女のパンテシアを引いて寮の方へと歩いていった。

 それをルーベンは愕然とした表情のまま見送るしかない。



 だが・・・



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 数日後・・・




「どういう事だよシルフィ!?」


 ルーベンが、街を歩いて偶然見つけた知った顔に問い詰める。

 アクリラトップクラスの美少女が作り出す”求心空間”に吸い寄せられた男共も、次元の違う”排他ボッチ空間”を前に即座に退散した。


「いきなり、何?」


 シルフィが物凄く”良い笑顔”でそう聞き返す。

 エルフ”魅了”持ちの笑顔なので殺人的に美しく、ルーベンですら思わずクラリとくるが、必死にモニカの顔を思い出して耐えると、わずかに緊張を強めた。

 シルフィの”対外モード”は基本的に無害だが、普段”素の顔”を晒す相手にする時は、怒ってる証拠だからだ。


「モニカが戦闘系の授業に出ないって話」

「ああ、それ」


 シルフィが、思い出したくもない様な事を思い出してしまったかのような声でそう語る。


「この2週間くらい、みんなその話題でうんざりしちゃう」


 そう言うとシルフィは疲れたように肩を落とした。


「だいたい、なんでその事をあなたが聞くわけ? 噂になってるわよ、あなたがモニカを”追いかけ回してる”って」

「追いかけ回してるわけじゃない・・・ただ・・・」

「ただ?」


 ルーベンの歯切りの悪い答えにシルフィが怪訝な顔になる。

 実はモニカに試合を断られて数日の間。

 ルーベンは、モニカの行く先々に現れては戦闘授業への復帰を迫っていた。


 朝は寮の上空で待ち構え、もう既に始まったモニカの基礎授業のカリュキュラムを入手し、その行く先々で待ち構えるのが日常。

 だが、モニカも戻る気はサラサラ無いようで、何度かは勝負を挑んでみたりもしたが、人が変わってしまったように軽くあしらわれて、今もモニカの意思を変えるには至っていない。


「シルフィは、なんで出ないのか聞いてるか?」

「モニカに聞かなかったの?」

「聞いたが信じられなくて」


 だが、シルフィも肩を竦めるだけ。


「さあね、”専門に集中したい”んだって」

「それは僕も聞いた。 でもモニカがそんな事考えるわけない」

「どうして? 専門のために戦闘系をすべて止めるなんて、アクリラじゃ良くあることでしょ?

 まあ、私には理解できないけれど」

「でも、それって”落伍者の言い訳”だろ?」


 ルーベンがそう言った瞬間、シルフィの眉がまたもピクリと動き、気のせいか周囲の空気が悪くなる。

 遠巻きにルーベンを見つめる視線が、なんとも冷たいものに変わったのだ。


「それ・・・本気で言ってる?」


 シルフィの声に怒気が交じる。

 きっとルーベンが”落伍者の言い訳”といったことが原因だろう。

 だが、それは暗黙の了解のはずだ。

 戦闘系の授業を止めてまで専門に注力するというのは基本的に2組よりも下の話で、1組に上がってくるような奴は、順位戦に出たところで専門が疎かになるような無能ではない。

 ましてやモニカは学年最強であり、異常な速度で戦闘力を増している”戦闘狂”だ。

 専門の方も十二分の成績と聞いてるし、実際ゴーレム技術は見る度に驚異的な進歩を見せている。


「彼女が”強さ”を求めることをやめるわけがない」


 少なくともそれがルーベンの知るモニカだ。

 あの凄まじいまでの”強さへの渇望”は、本気でぶつかり合ったルーベンだからこそ間違いようのない感情。

 だがしかし、


「あなたがモニカの何を知ってるの?・・・・・・・


 そのシルフィの言葉は、やけに深く刺さった。

 自らが強くなる以上にゴーレムに求めるものなどないはず・・・


 ・・・そう思ってやしないか?


 ルーベンはその可能性にゾッとする。


 するとその瞬間、この数日間ずっとルーベンの脳裏に膨らみつつも必死で無視していた”可能性”が噴出を始めた。


 モニカは、ルーベンとの戦いに飽きたのではないか?

 ”勇者”を倒した今、モニカの中で闘争心を燃焼させるだけの物が残っていないのでは?

 いつまでも”その域”に達する見込みのない同級生に失望したのではないか?


 あり得る。

 なにせモニカに出会う前のルーベンは、そのような考えに陥り始めていたからだ。


「・・・まずい」


 これでは、せっかく”力を得た”というのに・・・

 ルーベンの中で行き場を失った衝動が助けを求めるように暴れまわり、その圧力にルーベンの感情が一気に引っ張られた。


「モニカが今どこにいるか知ってるか? どうも今日は避けられてるみたいで、見つからないんだ」


 気づけばルーベンは、シルフィにそう聞いていた。

 だがそれを聞いて、シルフィの表情は更に曇る。


「ルーベン・・・”友達”として言うけど、今のあなたちょっとおかしいわ。

 どうしたの? もしかして”スキルの力”に飲まれてない?」

「そう・・・見える・・・?」


 シルフィの言葉にルーベンは自分の顔を撫でる。

 ”エルフの目”は全てを見通すだけに、無視はできない。

 だがシルフィは首を横に振る。


「”問題”は見えてない、全て正常に動いてるわ。 でも人は強い力に酔いやすい。

 見えてないだけで影響はされているはず」

「・・・気をつけるよ。 で、モニカは何処にいるか知ってるか?」


 ルーベンが迫るようにそう問う。

 するとシルフィはしばしルーベンの顔を値踏みする様に見つめた。


「なんで・・・なんで私がモニカの居場所知ってると思うのよ」

「シルフィが1番この学年の事を知ってるだろ・・・それに僕が聞けるモニカの友人が君しかいない」


 ルーベンはそう言うと、自らの交友関係に軽く絶望して心の中で俯いた。

 特に女子の生徒など、シルフィ以外は本当にモニカくらいしか話せる相手がいなかった。

 ・・・まあ、それも話しているというよりかは”応答”してるといった感じだけど。

 その応答すら、ここ数日で随分おざなりになってきていた。

 それを察したのかシルフィは若干憐れむようにルーベンを見つめてから、ため息を吐いて話し始めた。


「今の時間なら・・・きっと”エリコル研究所”でしょうね」

「”エリコル研究所”? あれ、モニカって”ピカティニ研究所”の所属じゃなかったか?」


 シルフィの言葉にルーベンの頭が少し混乱する。

 ”ヴェロニカ”に検索させたところ、”エリコル研究所”はどうやら魔道具関連の研究所ではあるものの、モニカの専門のゴーレムではなく、もっと単純な”パーツ”の研究をしているところと出たのだ。


「さあ、メリダとタルがそう言ってただけだから」

「”タル”って?」

「”ヘリオタル・ポーズ”、同級生でしょ?」

「・・・」


 シルフィにそう言われたところで、ルーベンの記憶には全く合致がない。

 だがルーベンが悪いのではない、同級生といっても数千人もいるからだ。 

 そしてそんな様子のルーベンに、呆れたシルフィは話を続けた。


「モニカの友達よ。 魔道具の教室で一緒で、どうも作ってほしい物があるらしくて、タルの研究所に通ってるらしいわ」


 なるほど。

 ルーベンは納得すると同時に、エリコル研究所の位置を検索する。


「わかった。

 ありがとうシルフィ」


 そう言うなり、ルーベンは自らのスキルでふわりと浮き上がり、あっという間に加速してその場を去る。

 その速度たるや、シルフィが文句を言う暇すら残されていなかった。


「ちょっと・・・・」


 置いていかれたシルフィは、そう言って宙へ手を伸ばすも既にルーベンの影はなく、上げた手を腰に回して不機嫌な表情を作る他ない。


「まったく・・・なんであんなのに・・・」


 シルフィはそう言うと、激しくため息をついた。





 中心街を北に抜け、マロリー水路の影が見えてきた頃、街並みの中に特徴的な円筒形の建物が見えてきた。

 データによれば、あれがエリコル研究所らしい。

 ルーベンは一気に高度を下げると、マナー違反の突然の着陸に驚く通行人を無視しながら、その扉を開いた。


 エリコル研究所の中は、アクリラの研究所らしく、いかにも無愛想な研究室が玄関を入った所から始まっていた。

 とはいえそこはエントランスフロア、研究室といっても物置的な物だが。

 ルーベンはそこにいた、何かの小さな部品を拡大鏡で念入りに確認している、立派な角(にカバーを掛けている)の獣人に話しかける。


「ごめんください」

「・・・ん? ・・・うおぉっ!? ビックリした!」


 獣人の研究者がルーベンに驚いて振り返る。

 その格好からして、研究部に進んで数年のまだ助手格を持ってない研究者だろう。


「驚かせてすいません、モニカという女の子がここに来てると聞いたのですが・・・」

「ああ、モニカ君の友達か。 ウチの奴に用があるみたいで、ここ数日来てるね」


 研究員はそう言うと、天井を指差した。


「5階の32番研究室。 そこにいる”ヴィンセント”と”ジュールズ”って兄弟に聞いてくれ、もし居るなら彼等のところだろう」

「ありがとうございます」


 ルーベンはそう言って頭を下げると、すぐに廊下を奥まで進み、そこに有った螺旋階段の真ん中を縫うように5階まで飛んでいく。

 5階は小さな実験室が大量にあるフロアのようだ。

 しかも32番っていうのは、この建物全体を通した数ではなくこのフロアだけでのものらしい。

 ”手伝い”を含めても研究員がそれ程居るとは思えないから、小さな実験ごとに部屋を割り当てているのだろう。

 ”人 < 研究” の街であるアクリラではこういった研究室は珍しくはないが、ここまでの規模となるとかなり大きい方だ。


 ルーベンはそのまま、扉が狭い間隔でいくつも連なる一種異様な廊下を進み、32という札の書かれた部屋を見つけると、確認のために【透視】で部屋の中を覗き見た。


「・・・・・?」


 だが、そこに見えた光景にルーベンは眉をひそめ、また再び今度は精度を上げて【透視】をかける。

 やっぱりだ。

 そこには、あまりにも鮮明に覚えているモニカの体が映っている。

 【透視】越しなので、顔ではなく内臓や骨や肉といった形でしか見えないが、あの骨の付き方、肉の付き方、内臓の付き方、胃腸の内容物から見える好き嫌いを見間違えようか。

 前に見たときの差など、せいぜい乳歯が1本多く抜けているかどうか。

 だがそのモニカの体をまるで包み込むように両側から大きな肉が張り出し、それに完全に挟まれて埋もれているではないか。


 慌てたルーベンはノックするのも忘れて部屋の扉を開けると、白い服を着たピンク色の肉塊が2つ仲良く並んでいるところが見えた。

 それに挟まれたモニカの体は、肉眼で後ろから見ただけでは腰から下がわずかに見えるだけ。

 こんな狭い部屋の小さな長椅子に大柄な2人と一緒に並んで座ればそうなるのは理解できるが、そもそもなんでこんな所に・・・


「デュフフwww・・・いいですよぉ、そのまま・・・オッフ、もっとやさしく、それはとっても敏感な部分でござる」

「そうそう、ゆっくり降ろしてぇ、ほら先っぽからヌポっと入っていくよ、もう、こんなに入っちゃった。 ねえぇ、きもちいでしょ?」

「うん、きもちい」


 なにやってんだ・・・

 するとスポンという音がして、つづいて”カチリ”と何かが嵌る音がする。


 ルーベンは、異様な3人を遠目に見ながら、まるで気配を殺すようにそっと横をすり抜け、前側に移動した。

 だが、3人は目の前の”コト”に夢中でルーベンに気づかない。


「モニカ氏はスジがいいですな、コポォホwww」

「魔道具はぁー、愛ですよぉモニカ氏、子供を作るのと一緒ですぅ」

「オッププwww、ジュールズは純粋ですからの、変な意味はござらんよ、モニカ氏」

「だからこれは、僕達とモニカちゃんの”愛の結晶”だねぇ」

「笑www! 笑www! ジュールズ氏マジ笑www! 自重汁www」


 おそらくジュールズと思われる”豚”が、気持ち悪い笑いを発すると、ヴィンセントと思われる”豚”が、更に気持ち悪い笑いを重ねていく。

 なんでこんな気持ち悪い連中と一緒にいるのか。

 ルーベンは、自分の中で不快感が急速に膨らむのを感じた。

 この2人とモニカが一緒にいるという状況が、まるでルーベンの大切な物を汚された様に思えたのだ。


 2つの肉の塊に埋もれるように鎮座するモニカは、机の上の作りかけの魔道具に釘付けでルーベンに反応しない。


 その魔道具は、門外漢のルーベンが見てもかなり高度な物だった。

 単純な構造でこそあるが、それは単純さを突き詰めたから。

 平べったいフレームの内側に、円筒形の魔石が並んでいる。

 普通は魔道具自体も円筒形や立体的になりがちだが、これは随分と薄く平たい。

 服の下にでも仕込むのか。

 だが、モニカとはもっとも無縁と思われるようなこれをなぜ・・・


「”吸魔器”・・・」


 ルーベンがそう言うと、流石に気付いた3人が顔を上げて驚いた表情になる。

 おかしいな、モニカからはスキルで察知していた反応があるのに、今は純粋な驚きの反応だ。

 夢中な主にスキルが気を利かせて黙っていたとでもいうのか?


「ルーベン? なんでここに?」


 モニカの声には隠しようのない”棘”が含まれていた。


「・・・シルフィから無理やり聞き出した。

 君だって、なんでこんな所に」


 ルーベンはそう言うと、気取られないように注意しながら2人の豚に向かって心の中で侮蔑の目を向ける。

 明らかに、モニカの友人として相応しくない連中だ。


「どうしても今必要な魔道具があって、ヴィンセント先輩とジュールズ先輩を紹介して貰ったの」

「フォフォフォwww モニカ殿に頼まれては拙者達も張り切りますからなwww」

「モニカちゃんはぁ・・・ハァハァ・・・スジがいい・・・」


 モニカの答えに続く豚獣人の言葉をルーベンは努めて聞かないようにしながら、モニカの目の前に置かれた吸魔器を指差した。


「必要な魔道具って、それ・・?」

「うん、どうしてもわたしが作ると容量が足りなくて、吸魔器が専門の先輩達に教えてもらってた」


 モニカはそう言うと、ほぼ出来上がった吸魔器を満足気に持ち上げる。


「だが、それって”二次吸魔器”だろ? そんなものなんで君が?」


 ルーベンが疑問を投げかける。

 だがそれに答えたのは、モニカではなく横の豚獣人だった。


「そうwww拙者もバッファーとして使う一次吸魔器ではなく主魔源として使う二次吸魔器を求められるのが謎でしかも容量特化で反応速度の鈍いナマン式を使う理由がわからなかったのですが、オッフッwwwナマン式とは専門用語で申し訳無いwww俺自重www俺自重しろwww拙者ついよく使ってる方を使ってしまったwww広くは扁平交差型と呼ばれてる産業用吸魔器ですぞ、コッポォwww」


 なんて事だ・・・ただ喋ってるだけだというのに生理的嫌悪感が沸き起こり、思わずこの空間から逃げ出したくなるなんて・・・

 もはやルーベンの耳が認識する事を拒否するレベルである。

 だが、もう一方の豚の言葉は聞き捨てならなかった。


「モニカちゃんはぁー、ハァハァ・・・”男の子”にプレゼントするんだってぇー、スゥハァ・・・かわいいよね」


 ”男の子”にプレゼントだと?


 ルーベンのコメカミがピクリと動く。


「男の子?」


 ルーベンがそう聞くと、モニカは事も無げに頷いた。


「うん、パーティの前衛やってくれる事になった”エリク”って男の子、その子の装備を作りたいんだけれど、魔力源がなくて。

 これがあれば、わたしの魔力を入れておけばいいから、動きの幅が広がるかと思って」

「へえ・・・」


 ルーベンは咄嗟にヴェロニカに名前を検索させたが、該当する候補は出てこなかった。

 つまり、どこの馬の骨とも知れぬ男が、モニカの魔力を使い放題だと?

 その事実が、ルーベンの中の暗い感情を激しく刺激する。


 だが、そんな事を聞きに来たのではない。


「・・・モニカ、戻ってくれ」


 ルーベンは意を決すると、そう言って迫る。

 すると両脇の”豚2頭”が下品に囃し立てた。


「ウオッフwww 修羅場キタコレwww それとも愛の告白だったりして ブヒヒッwww」

「ハアハア・・・かわいいなぁ、かわいいなぁ」


 それをルーベンは努めて無視すると、真ん中のモニカに向ける視線を強める。

 今日は引くは訳にはいかない。

 気づけばルーベンの周りには高密度の魔力が立ち上っていた。

 それを見たモニカが対抗するように”威圧”を返してくる。

 どうやらモニカは、今日のルーベンが友好的ではないことに気がついたらしい。


 2人の魔力が空中でゆっくりと押し合いを始め、その迫力に2人の豚が驚いてそっと両側に広がる。

 まるで自分達が弄んでいた”存在”の恐ろしさにようやく気がついたように。


 研究室いっぱいに、2人の黒い魔力が薄く充満し、その場の者達を威圧する。

 このままではすぐに本格的な衝突に発展するだろう、そこにいた全員がその光景を幻視した。

 だがこれでいい・・・やっぱりモニカはこうでないと。

 ルーベンが拳を握り込む。


 その時、不意にモニカがまるで何かに怒鳴られたように顔をしかめて頭を引っ込める仕草を取った。

 それにルーベンが呆気にとられていると、瞬く間にモニカの周囲から彼女の魔力が霧散してしまう。

 押し相手を失ったルーベンの魔力が研究室を駆け抜け、棚の資料やサンプルをカタカタと揺らした。


「ゴメンね、今忙しくて、次にエリクに会うときまでに形にしておきたいから」


 モニカはそう言うと、吸魔器の仕上げ作業へと視線を戻した。

 その”眼中にもない”と言わんばかりの態度に、ルーベンの中の”何か”が”ザワリ”と動くのを感じた。


「こんな連中と付き合っていたら、君まで臭くなってしまうぞ!」


 気づけばルーベンは、ここ数日でもう何度目かの”癇癪”を起こし、ヴィンセントに向かって指を向けながらそう叫んでいた。

 豚の顔が呆気にとられて見開かれる。

 その言葉にモニカがゆっくりと顔を上げて”ギロリ”と睨んだ。


「・・・どういうこと?」


 その声には、魔獣のような響きが含まれていた。

 手元の工具がカタカタと不気味に震える。

 だが、その反応を望んでいたルーベンは、臆することなく続けた。

 胸の内の”鼓動”がそれを強く後押しする。


「自分の”立場”も考えろ! アルバレスの名家の跡取りとして、”準王位スキル保有者”として。

 こんな”豚共”から得るものなんて何もない!」


 気がつけばそんな心にもない言葉を口にしていた。


「ルーベンこそ、”立場”を考えたらどう? 勝手にやってきてその言い方はないよ」


 モニカがそう言ってコトリと工具を机に置く。

 だが見た目こそ冷静だが、その小さな体の内側で火山の内部のような膨大な魔力の蠢きをルーベンは検知した。

 そしてそれは・・・ルーベンの”求めていた反応”だった。


” もう少しだ ”


 ルーベンの中の”何か”が、悪魔のように囁く。


「こいつらの汚い手で、君が汚されていくのを見るのはゴメンなんだよ!」



 その瞬間、研究室の中の音が一瞬、全て消え去った。


「・・・・あやまって」


 モニカが小さな声で呟く。

 だがそれは周囲の人間には火山の爆発のように大轟音で聞こえていた。


「謝って・・・ヴィンセント先輩とジュールズ先輩に謝って!」


 そう言うと、モニカがすっと席を立ち上がる。

 と同時に、まるで保護するように彼女の黒い魔力素材が現れて、作りかけの魔道具を覆った。

 豚兄弟は両側の壁に張り付くように身を縮め、必死にモニカから距離を取ろうとしているおかげで、研究室の中は先ほどと比べて驚くほど広く感じた。


「も、モニカ氏、お、お、落ち着いて」

「そ、そ、そうだよ、僕らもちょっとふざけてたし」


 豚兄弟が必死にモニカを宥めにかかるも、消え入るようなその声はモニカの凄まじい魔力の迫力にかき消されて雑音の粋を出なかった。


” そうだ、それが力を持たぬ者の定めだ ”


 ルーベンの中の”衝動”が、血を求めるように好戦的な思考を増幅する。


「じゃあ、謝らせてみろよ!」


 その言葉を言った瞬間、ルーベンは心の中でニヤリと笑った。

 ルーベンの観測スキルが、モニカの中でこれまで彼女を抑えていた”謎の反応”が打ち負けるところを観測したからだ。



「わかった・・・謝らせてやる」


 そう言うと、モニカが”ギッ!!”っと音がなるような勢いでルーベンを睨みつけた。

 と、同時に膨大な魔力が彼女の表面を不気味に漂い髪を揺らす。

 ようやく、”ルーベンの知ってるモニカ”が顔を見せた。


「「決闘だ!!」」


 2人の言葉がぶつかり合う。


「「受けて立つ!!」」


 その言葉も同時だった。


 望んだ展開・・・望んだ状態。

 そのことにルーベンは暗い満足を覚える。


 だが一方では、”またやってしまった”という後悔の念が小さく渦巻いて・・・消えた。

  

 

 一方、”王位”と”軍位”という、超常の力の激突に巻き込まれたヴィンセントとジュールズは、自分達の境遇についてアイコンタクトと表情で会話していた。


『オオッッフwww これはやべえwww 痴話喧嘩乙www とばっちりで拙者達オワタwww』 

『おこったモニカちゃんハァハァ・・・おこったルーベンくんもハァハァ・・・』

『デュフッwww まずは己の心配しろ乙www』


 彼等もまたアクリラの生徒。

 この程度で音を上げることはない。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 数時間後。



 夕暮れに染まるアクリラの街角で、学生記者の1人が大きな板に書かれた”瓦版”を片手に叫ぶ声が響いていた。


「号外! 号外! 順位戦不参加を表明していた中等部最強の”ヴァロア伯爵嬢”が、中等部2年1位の”アオハ公爵本家3男坊”と実戦形式で試合を行うぞ!!」


 その声に街行く人達が足を止め、興味深そうに近寄っていく。

 学生の一試合と侮るなかれ、アクリラの住人にとって有望な生徒というのは一種の”スター”であり、その動向は有名人のそれと同じように興味を持って見られていた。

 特に今回はこの半年アクリラを騒がせている”期待の星”と、その”対抗馬”の激突とあって人々の関心は高く、瓦版を持つ記者にことの詳細を問う声を矢継ぎ早に投げかけていた。


「静かに! 公式発表じゃ、賞典外の練習試合ということだが、ウチが得た情報によると、どうも”アオハ公爵3男坊”が”ヴァロア伯爵嬢”の先輩を侮辱したらしい。

 未確認情報だが”先輩への謝罪”と、”順位戦への復帰”を賭けて戦うという話も上がってる」


 すると住人たちでも、特に血の気の多い者達が気勢を上げて喜んだ。

 彼等が喜んだのは、当然ながらルーベンの行動である。


「よくやったルーベンめ! そのまま勝って順位戦に引き出しちまえ!」

「勝ち逃げなんて許せねえよな! やっちまええ!!」


 各学年の順位戦の結果は彼等の楽しみの一つであるだけに、モニカを応援する声はほぼ皆無と言っていい。

 だが、それよりも何よりも、久々の”大物新人”同士の対決に胸を踊らせていた。

 少し先の街角では早くも賭けの募集が始まり、結果の予想が真剣に議論され始める。


「やっぱりモニカじゃねえか? ”準王位”だろう? 勇者にも勝ってるし」

「先月のマグヌスの”告示”を見ただろう? ルーベンも”軍位”に格上げになって、パワーじゃもう負けねえ、しかも去年の対戦成績はルーベンの32勝14敗だぞ」

「それでも最後は3連敗だったじゃねえか」

「だから、そっから強くなってるんだって」

「それはモニカだってそうだ」


 一つ言えるのは・・・


「少なくとも今年一番の”大勝負”なのは間違い無さそうだな」


 賭けの元締めの女がワクワクするようにニヤリと笑い、議論の方向にそう結論を出す。

 

 だがその一方で、人混みの外から遠巻きに号外を眺めていた別の一団はその報道に大きく混乱していた。

 その中心にいた美少女が、愕然とした様子で瓦版を眺める。


「やっぱりだ・・・」


 シルフィは自分の中の”直感”が間違いではなかったことに気がついた。

 ”スキル”という柔軟性のない”歪んだ力”は、強力であればあるほどその術者自体も歪めてしまう。

 ルーベンに限ってそんなことは無いと思っていたが、”軍位スキル”として比較にならないほど巨大化したその力は、わずかではあるがルーベンの精神を歪めているのだろう。

 そんな状態のルーベンにモニカの居場所を教えてしまった自分に腹が立つ。


 たまらずシルフィは、横を歩いていた友人に半泣きで抱きついた。


「どうしようアイリス! ルーベンが”バカ”になっちゃったよ!」


 すると灰色の地味な少女がその様子に狼狽する。


「お、お、落ち着いてシルフィ、”恋”って、きっとたぶん、”そういうもの”なんだと思うよ」


 そう言ってシルフィを宥めるアイリス。


 だが、その内心では今の自分の言葉に対して”そうなのかなー”という疑問と、

 ”もしそうなら、恋って迷惑だなー”という無慈悲な感想が湧き出していた。


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