2-10【頂の生徒 4:~王位スキル~】
アクリラの街外れにある、巨大なスタジアム。
その客席に座る数万人の観客が見つめる中、フィールドで向き合う2人の少女は、全く対照的な姿を見せていた。
片やどこか悲壮的な表情を浮かべ、ボロボロに汚れた魔法士服を着ながら、両腕で強大な魔法を組み上げている”リヴィア”
対して汚れ1つない荘厳な武具に身を包むガブリエラは、それに応えるようにリヴィアを見つめてはいるが、なんの構えもせずにいる。
さらに、まるでリヴィアが何かをするのを待っていて暇だという空気すら漂わせており、
そして実際に暇だった。
あまりに暇なので”明日の予定”の事を考えていたくらいである。
普通であれば試合中に今後の予定の確認など正気の沙汰ではないが、予定が詰まっている彼女にしてみればこれも立派な”自由時間”になる。
明日の予定、具体的には”モニカ絡み”に関してだが、これに関しては実はレオノアと戦わせた時点で条件は達成されていた。
別に、その試合結果がどうなろうと特に問題ではない。
それでも本人には”勝て”などと発破をかけたが、そもそも中等部の生徒が”勇者”相手に勝つことを前提にした作戦など机上の空論も良いところであろう。
あれは少しでもモニカ達に粘ってもらって、観客の印象を強めた方が好都合だからだ。
”勝たなければならない”のと”負けても良い”戦いでは、前者のほうが投入する戦力は強力になるのは世の理。
非常に危険な賭けだが、今回の作戦ではモニカにある程度目立ってもらわなければならない。
そこで得た”知名度”こそがモニカにとって最大の武器になるのだから・・・
ガブリエラは確認するようにその事を思い返すと、改めて己のスキルに記録した明日の段取りをチェックする。
と、同時に彼女の中の”良心”がチクリと小さく痛む。
これは一歩間違えれば、
たとえ最終的に国益に繋がるとしても、本来のガブリエラであれば想像すらしなかった。
学生時代最後の”ヤンチャ”と誤魔化してはいるが、きっと1年前のガブリエラであれば許しはしなかっただろう。
まあ、仮にその頃の自分が止めるために今ここに現れても、叩き潰すだけなのだが。
『報告:空間系魔法の完成を検知しました』
ちょうどその時、リヴィアの準備が整った事をガブリエラのスキルが告げた。
どうやら暇な時間は終了らしい。
しばらく動きのなかったフィールドで、その静寂を切り裂くようにリヴィアが動く。
もう既に試合開始の合図は出されており、さらにガブリエラの手によりリヴィアはダメージを負っているが、実際に2人の間でこの試合が始まったのはこの瞬間だった。
リヴィアが両の拳を自分の目の前で叩きつける。
その瞬間、その両腕の魔道具が魔法陣と共に回転しながらぶつかり合い、その衝突によって複雑な魔法陣が完成する。
それはあまりに複雑であるため、一瞬しか維持する事ができない領域の魔法。
リヴィアはそれを2つの欠片に分散し、発動の瞬間にぶつける事で可能としたのだ。
そしてそこで発動した魔法の威力は、その複雑さに見合うだけの物。
リヴィアの正面に現れた”黒い影”に、観客達が息を呑む。
突如現れた黒い影は、その周囲の景色をグニャリと歪め地面の土を捲りあげ、吸い込んでどんどんと膨らみ、同時にその密度を高めていく。
そしてその密度が極地に達した瞬間、リヴィアは即座に別の魔法陣を組み上げ、黒い闇の塊を射出した。
まるで竜巻のように轟音を上げながら地面を乱暴に削り取りながら、ガブリエラに向かって進む闇の塊。
巻き散らかされた破片が観客席まで飛んでいき、そこで防御用の結界に弾かれ、その反応の光が無数の花火の様に煌いている。
闇に飲み込まれた土や石は跡形もなく砕かれ、それに人が飲み込まれればただでは済まないと誰もが直感した。
間違いなく今回の祭りの試合で使われた中で最強の攻撃だ。
だがそれを見ても尚、ガブリエラに動きはない。
まるで値踏みする様な視線を迫りくる闇に向けながら、避けるつもりは無いとばかりに立っているだけである。
地面の土や石を吸い込んだ黒い闇の塊の大きさは、既に横の王球に迫る程に巨大だ。
そして、そのままガブリエラの小さな体を覆い飲み込むと、その場で止まって一気にしぼむ。
それはリヴィアの操作によるもので、彼女の両腕に展開された新たな魔法陣が、闇の動きに呼応するようにその形を変えていた。
闇が小さくしぼんだのは、密度を一気に上げるため。
大量の瓦礫を含んで圧縮し、それを葉のように擦り合わせてガブリエラにダメージを与えようという寸法だ。
だがその単純さとは裏腹に、この攻撃の威力は並大抵ではない。
空間がネジ曲がるほどの圧力で全方位から叩きつけられれば、どんな物質でもただでは済まない。
たとえ歴史に名を残す英雄級の者であっても、
観客席に居合わせた”古い考えの強者達”の顔色が大きく変わる。
当然ながらそんな魔法の直撃を食らって生きてられる人間などいない。
試合のためにガブリエラに張られた防護用の結界など、薄皮ほどの役にも立たないだろう。
ガブリエラという強大な存在を失うような失態を犯せばどうなるか、近隣諸国の軍備計画すら破綻させかねない緊急事態だ。
だが彼等は、すぐに自分たちがいかに”無力な世界”を生きてきたかを思い知ることになる。
今回、その攻撃を受けたのは英雄などといった”生易しい存在”ではないと。
その証拠に、ガブリエラを飲み込んだ黒い闇は驚くほど静かで、飲み込んだ内容物を咀嚼する音はいつまで経っても聞こえてこない。
さらにリヴィアの顔色が急速に苦いものに変わっていく。
制御用の魔法陣からもたらされる”手応え”が、どんどん軽いものになっていくからだ。
それはやがて黒い闇自体にも変化をもたらし始めた。
真っ黒だった表面が徐々に黄色く光だし、さらにそれまで荒れ狂っていた魔力の動きが急速にゆっくりになっていく。
ただ極限まで圧縮された密度だけが、その魔法の恐るべき威力を物語る唯一の手がかりになっていた。
リヴィアが腕を広げて、魔法陣による制御を打ち止める。
既に彼女の制御下を離れて意味がないからだ。
すると黒い闇が黄色く変色し、現れたのは黄金の”球体”。
その表面は驚くほど冷え切っており、今この光景だけ見せられれば殆どの者が”純金製”だと思ったに違いない。
それがつい先程まで空間を捻じ曲げ、周囲の物を破壊しながら飲み込む様な存在だったと言って何人が信じるか。
高密度でありながら、まったく動きを見せない魔力の振る舞いに観客席がどよめく。
特に高位の魔法士は高位であればあるほど、その”ありえない力技”に、長年凝り固まった頭が理解を拒否した。
その時、球体の表面が静かに波打ち始め、その一部が崩れるように開いていく。
そしてその中からは、全く何の攻撃の痕跡も見られないガブリエラの姿が現れた。
「素晴らしい魔力制御だ、さすがは”私のリヴィア”。 まさかここまでの魔法を習得しているとは思ってもいなかったぞ」
さらにそんな言葉を、皮肉なく言ってのける余裕すらある。
「・・・なんて出鱈目よ・・・」
リヴィアが最後に戦った高等部1年の時とは比較にならない・・・あの時ですらその出鱈目な成長っぷりに瞠目したというのに。
ガブリエラは尚も動こうとはしない。
さらに次を催促するように、馬鹿にしたような笑みを投げてくるだけだ。
それを見たリヴィアが歯を食いしばりながら次の攻撃に備えて構える。
この試合においてリヴィアは、”道化”に過ぎない。
それでも・・・
「道化には・・・道化なりの、意地があるのよ!」
リヴィアはそう叫びながら、収納用の魔法陣を展開すると、その中から金属と特殊な木材で作られた身の丈ほどの円筒状の物体を取り出した。
それは表面にビッシリと魔力回路が彫り込まれ、その中心部分には巨大な魔法石が輝いている。
「ほう、”吸魔石”、それもかなりの純度だな」
その魔法石を見たガブリエラが感心したようにそう呟く。
”吸魔石”はその名の通り魔力を吸う魔法石だが、魔力回路をうまく使えば大量の魔力を保存しておくことが可能になる。
だが取扱いが難しいので利用する者は少ないのだが、リヴィアが持ち出したということは、内包している魔力量は普通ではないだろう。
「誰もが、あなたと魔力勝負を避けるなんて思わない事ね!」
リヴィアがそう言いながら円筒の上部に取り付けられた取っ手をひねり、 そのまま中へと押し込んでいく。
するとその円筒とリヴィアの腕のリングが接続し、それまでにない勢いでガチャガチャとリングが回り始め、さらに中心部の魔法石が赤く光りだし、そこから膨大な魔力がリヴィアの身体へ流れ込んだ。
「”レッピア火山”の魔力噴出口で1月かけて圧縮しながら溜め込んだこの魔力なら、あなたの魔力にだって負けやしない!」
膨大な赤い魔力が、リヴィアの身体をゆっくりと進み黒く変色しながら反対側の腕へと流れていく。
リヴィアがガブリエラと戦う上で絶対的な不利の要因である、”魔力量の差”。
ならば外部からそれに匹敵する魔力を供給してやればいいだけのこと。
もちろんそんな魔力、普通であれば扱うことなど出来やしないが、リヴィアの持つ”将位スキル”の強力な容量と、それを限界以上に強化するリヴィアの魔道具の力をもってすれば不可能ではない。
今のリヴィアは大地が作り出した膨大な魔力を、適切な形に変換する”変換器”のような存在だ。
リヴィアの周りにいくつも出現する巨大な魔法陣。
その全てが極大魔法陣で、しかも徹底的に効率化した危険極まりない代物だ。
もっとも、そのせいでリヴィア本人はまともにその場を動くことすら出来ないのだが。
だがそれを見ても尚、ガブリエラに動きはない。
いや、むしろその攻撃こそが己が受けるにふさわしいとばかりに、目を爛々と輝かせているではないか。
それでもリヴィアは、完成させた魔法陣から次々と魔法を放つ。
その一つ一つが、殆の魔法士にとっては一生かかってもたどり着けない領域であり、優秀な魔法士が何人も協力してようやく互角。
一撃でCランク魔獣が跡形もなく消滅し、Bランク魔獣に致命的なダメージを残す。
そんな攻撃が雨のように降り注ぎ、ガブリエラの身体に衝突してその威力を開放した。
強力な魔法同士がぶつかり合い混ざり合い、生き物のように渦巻く、爆炎、暴風、雷火、豪氷。
飛び散った破片の全てが、下手な魔法士の攻撃よりも圧倒的に危険な威力を秘め、ガブリエラの近くの観客席の結界はあまりにもの圧力で外側に変形し、そこにいた観客達が慌てて左右に散った。
さらに、その余波がリヴィアの周囲まで駆け抜け、彼女の防御魔法陣をゾッとするような音を立てて削っていく。
それほどの攻撃の連打なのだ。
その攻撃の集中する地点は、物質の存続すら危ぶまれるような地獄の様相を呈していることは、想像に難くない。
だが、それでもリヴィアは攻撃の手を緩めはしなかった。
「・・・マシェア フライト アペシム ヴェルシャー リメーショア イクト ペリート・・・・」
スキルによる高速化の補助を受けたリヴィアの口が恐ろしい速度で動き、小説もかくやといった長さの呪文がそこから滑り出す。
本来戦闘で呪文詠唱が必要な魔法を使うことは極めて稀だ。
相手に何をするかを伝えてしまうし、何より遅い。
だが、それでもこのクラスの魔法を使うには、魔法陣を組むのにすら細心の注意が必要で、呪文による組成の明文化は避けられない。
そしてリヴィアはその”欠点”を迷うことなく受け入れた。
どうせ”まだ”反撃はしてこない、という確信があったからだ。
現れたのは巨大な黒い立方体。
それがすぐに変形して幾つも分裂し、またくっついて一つにまとまり、その変形の度にまるでポンプの様にリヴィアの腕の円筒から魔力が吸い出され、黒い立方体の動きが激しくなっていく。
それは自然が持つ膨大な魔力、高位スキルの持つ完璧な制御、リヴィアの持つ魔法の知識の融合によって生み出された奇跡の魔法だった。
そしてその力は寸分の狂いなく、最も黒の特性が強くなる現象・・・すなわち”破壊”に結びついている。
リヴィアがまるで何かを投げるように腕を回す。
すると現れた黒の立方体が高速で射出され、既に幾多の強力な魔法によって地獄と化していたその地点に衝突した。
次の瞬間、観客は一瞬にして目の前が真っ暗になったことに驚きのあまり言葉を失う。
突然、客席の最前部に真っ黒な”壁”が出現したのだ。
そして一部の者達は、すぐにその壁が観客を守るために設置された結界の一種だと気づき、更に瞠目の色を強めた。
内側で発生した光があまりにも強く、何の抵抗手段もない者が直視すれば一瞬にして網膜が焼き尽くされるために、減光用の結界が発動したのだ。
だが完全な黒と化した結界の一部を、それでも尚そこを貫通した光が眩く照らす。
事ここに至って、軍事関係者の殆どがリヴィアの評価を”生徒”から条件付きで”特級戦力”相当にまで引き上げた。
攻撃の暴威が収まり、次第に黒い壁の色が薄らぎその向こうが見えてくると、最初に現れたのは”赤い光”。
あまりにものエネルギーを一手に受けた地面の一部が熱で溶け、溶岩の様にドロドロになっていた。
次に見えたのは”黒い雪”。
何かが燃え尽きたのだろう、黒い煤がまるで雪のように舞っており、その中心ではこれだけの暴威を成したリヴィアが、自らもその余波によって更にボロボロになりながら、それでも2本の足でしっかりと立っていた。
だがその肩は息の度に力なく上下し、腕に付けられた魔道具と円筒からは、燃え尽きた蝋燭のようなみすぼらしい煙が昇っている。
そして最後に見えたのは・・・一片の曇りもない”黄金”。
フィールドの端に異様な佇まいで鎮座する王球。
そしてリヴィアの対面に仁王立つガブリエラ。
その2つの”黄金”が、見えてしまえば、まるでこの場の支配者のように見えるのは、目の錯覚ではないだろう。
「腕を上げたなリヴィア、最後のは3年前の私なら傷を負ったかもしれんぞ」
ガブリエラがそう言うと、リヴィアが力なく息を吐き出す。
ここまでやって、汚れ1つないのは流石に笑うしかない。
ガブリエラの周囲はかなり悲惨な状態だ。
地面は溶け、有毒な魔力が残留し近づくことすら困難。
だが、ガブリエラの立っているまさにその地点だけは、まるで周囲との関わりを拒否するかのごとく全てが平常。
そしてその奇跡を成したと思われるガブリエラの宝石の様な鎧は、彼女の魔力を吸って怪しく輝いている。
「その魔力、使わせてしまってすまなかったな、集めるのに苦労したのだろう」
「・・・・・」
その言葉で、リヴィアは自分の腕の先に付いた円筒を見つめる。
先程までの無限とも思える膨大な魔力を供給し続けたその魔道具は、内包していた魔力が尽きた今、焦げた筒でしかない。
だがその時、使い切って輝きを失ったはずの魔法石が輝き始めた。
「それで防御を固めればいい」
ガブリエラの言葉にリヴィアが驚く。
空になった魔法石にどこから魔力が供給されているのか、その疑問はパスを繋いで確認するまでもない。
ただし、新たに供給された大量の魔力により円筒は再び威圧感を放ち始めたが、同時にリヴィアはその現象が持つ”意味”に震えた。
これほどの魔力を動かそうとすれば、普通は何らかの”証拠”が発生する。
豪快に火花が散ったり、砕けそうになるほど震えたり、とにかく”無理”を押し通したツケを払わなければならない。
ところがそのような現象は見られないにもかかわらず、円筒の中にはみるみる魔力が戻り、中の魔法石の色が金色に染まっていくではないか。
それは、これほどの魔力をガブリエラが完璧に掌握し、制御下に置いていることにほかならない。
そしてその事を分からせるためなのだろう、ガブリエラが客席に向かって大声で”宣言”した。
「”王の因子”を持つ王位スキルと、その他のスキルの最大の違いはその”掌握力”だ! 貴様らがどれほどの魔力を持ち寄ろうとも、どれだけ高度に扱おうとも、魔力を使っている限り私に勝つことは不可能である!」
すると同時にガブリエラの周囲の空間が怪しくゆがみ始め、なにか得体の知れない・・・巨大で透明な空気の塊のようなものがその周りでとぐろを巻くのをリヴィアは感じ取った。
そしてさらに、今リヴィアの手元にあるこの膨大な魔力が、ガブリエラが”防御のため”にくれたものであることを思い出す。
すなわち、今この瞬間からこの試合の”攻守”は変わったのだ。
ガブリエラが片方の手を上に向かって突き上げる。
リヴィアは最初、それが何なのか理解できなかった。
何かをしているようでもあるが、それを示すものはなにもない・・・
「いや・・・違う!?」
その”存在感”を感じ取ったリヴィアが顔を上に向け、そこにあったものに危うく腰を抜かしそうになった。
観客たちもリヴィアのその動きにつられて上を向き、そこにあったものを見て固まる。
それは一見すれば、広大な競技場に屋根がかかった様に見えた。
回路を構成する一本一本の小さな線があまりに巨大すぎて、天井を支える梁に見えるし、その複雑な構造も屋根の装飾と考えれば違和感は少ない。
だがその正体は巨大な屋根などではない。
直径が1㌔にも及ぶ、想像を絶する大きさの魔法陣だったのだ。
リヴィアが咄嗟にその内容を読み解こうとする。
だがとてもじゃないが読みきれない。
この金色の魔方陣は単に巨大なだけでなく、魔法陣としてもかなり複雑で高度だ。
かろうじて外側の魔力回路が、密度と純度を上げながら中心部に向かって折り込むように魔力を流す機構が見えるくらいである。
そしてさらに恐るべきことに、その魔法陣は
競技場のすぐ上空から、雲の上まで・・・全てが連続した巨大な魔法陣の連なりによって管のようなものが真っ直ぐに伸びていた。
その魔法陣の中から出てくる魔法はそれが何であれ、人智を超えたものであることに疑いの余地はない。
リヴィアが身構える。
受けきれるなんて思っていない。
だが何もしなければ、確実に痕跡すら残さずに消し飛ばされてしまうだろう。
そう考えたリヴィアは握っていた円筒を操作し、回復したばかりの魔力を全て引き出し使用する。
だが今回は攻撃ではなく、防御のため。
すぐにリヴィアの周囲に光が走り、魔力で出来た高さ10ブル程のピラミッド型の極厚の結界が組み上がる。
大量の魔力を吸ったそれは、戦略魔法の雨にも耐えうる強度だ。
だが上空の魔法陣を見てしまえば、その厚さは板っ切れ程の頼り甲斐しか感じられない。
その時、ガブリエラが誰にも聞こえない小さな声で何かを呟いた。
「・・・”万”の力を持つ我らには、決してたどり着けぬ”至高”があると言ったな」
それはかつてモニカがルシエラの姿に憧れ、その才能の差に悩んでいた頃に言った言葉。
己の”方向性”を自覚せよという意味で使ったのだが・・・
「あれは”不正確”だ」
あれは、そこで詰まっていたモニカに、”無意味な意識”を捨ててもらう為についた方便でしかない。
確かに”加護”の力自体を得ることはできないが、近い効率であればいくらでもやりようがある。
むしろ”万”の力を好きに扱える者こそ、極めればより効率的な運用が可能というもの。
「ガブリエラ・フェルミの名の下に、”制御魔力炉”の全開稼働を命ずる」
『了解:【制御魔力炉Lv.7】全開稼働を承認、現在出力96%まで上昇中・・・ですが”名前”を出して命じなくてもよろしいですよ?』
「空気を読め、興の無い奴め」
その時、ガブリエラの中から膨大な魔力が吹き出し、上空に展開する魔法陣の列の一番上が、眩く輝く。
そこに投入された魔力が、”変換ロス”の影響により空中を赤熱させているのだ。
だが、それでもあまりにも膨大な全体から見れば僅かな損失。
そこを通り過ぎた魔力は次の段階に移行するため、1つ下の魔法陣に落ち、そこを光らせ、また下に落ちる。
その度に散ったエネルギーにより、フィールド上はどんどん明るさを増していくが、同時に変換を終えるたびに魔法陣の中のエネルギーが加速度的に増加していった。
その下では冷や汗でベットリと体が濡れたリヴィアが、必死の形相で魔力を練りながら口を回す。
「・・・マシェア ニグル フェメレア ツァウダ マニカテーラ ヴィットラ・・・」
その呪文に合わせてまるで内側から補強材を打ち付けるように、ピラミッド型の結界が強化される。
だがその速度は、どう見ても上空の魔法に追いついていない。
いや、どこまでやっても足りないだろう。
「ああ・・・」
最後に直後の運命を悟ったリヴィアの口から、そんな諦めに近い声が漏れた、まさにその瞬間、上空に展開された最も下側の魔法陣が魔力を吸って太陽の様に輝いた。
「 ” 天 の 墜 落 ” 」
その直後に発生した現象を、正確に認識できたものはその会場にどれだけいたのだろうか?
会場の外では空を見上げていた人々が一斉に声を上げた。
大空の彼方まで続くかと思われた魔法陣の連続が光だし、まるでその繋がりが道であるかのようにその中心部を連鎖的に金色の光が下に向かって移動し、そのまま高速で競技場の中心に叩きつけられたのだ。
その時に発生した衝撃と轟音に、観客達は一斉に椅子にしがみつき、通路に近かったものは外に向かって走り出す。
客席の縁に設けられた結界がこれまでにない勢いで揺らめき、それによって発生したバタバタという音が、この競技場が崩れる音のように感じられたのだ。
フィールドの中で何が起こっているのかなんて誰もわからない。
減光結界の上から金一色の光に押し流され、直視することすら困難だったのだ。
その中心部にいたリヴィアはその程度では済まない。
だが驚いたことに彼女の作ったピラミッド型の結界は、このすさまじい光の奔流の中にあってその形を保っていた。
ただしそれも、僅かの間だけのこと。
無限に続くような数瞬の後、ピラミッド型の上部は大きく変形し、音を立てて潰れていく。
恐るべきエネルギーの衝突に屈した結界は、まるで竜巻に飲まれた紙の家のように表面が引き剥がされ、その内部にエネルギーが侵食していく。
補強用の魔法など何の役にも立っていない。
それでもリヴィアは、あらん限りの力を振り絞って魔法を展開する。
皮肉なことに腕についた円筒の中には、まだまだ沢山の魔力が残されていた。
どれだけ使っても無くなる気配すらない。
まるでそれを使ってリヴィアが自衛できるように、誰かが補給しているみたいに・・・・
それでもリヴィアの魔法展開速度では、結界の破壊速度に遠く及ばない。
数秒もしないうちにピラミッド型だった黒の結界は、脆くも崩れ去り、その内側に詰められた数多の防御魔法たちを纏めて喰らい始めた。
人類の奇跡とも呼べるレベルの結界が崩壊したのだ。
その勢い削ぐようなものはリヴィアといえども、もう残ってはいない。
破れかぶれの防御魔法を食らい付くしたエネルギーは、そのまま試合用の
最初は展開のために突き出した手が業火に飲まれ、その激痛にリヴィアが顔を顰める。
次いでその激痛を発生させていた表皮が吹き飛ぶと、”最期”を悟ったリヴィアがゆっくりと目を閉じた。
激痛と轟音に包まれた闇。
それがリヴィアの人生で最後に認識した物・・・・・にはならなかった。
リヴィアは暗闇の中で、いつまで経っても”その時”が訪れず、一向に全身に走る激痛が収まらないことに気がつくと、不審に眉を寄せながらゆっくりとまぶたを開ける。
すると、そこに見えたのは何もない空だった。
ここは死後の魂が行き着くという、”魔の庭園”だろうか?
だがそれにしては様子が異なる、何より死ねば感じないはずの”即物的な痛み”が一向に収まらない。
気になったリヴィアは顔を僅かに動かす。
するとそこに”有ったもの”を見て、恐怖のあまり心臓が大きく跳ねた。
「おっと、いきなり驚くな、調整が乱れる」
眼の前にあるガブリエラの顔がわずかに不満げな声を上げ、それを見たリヴィアの頭がさらに混乱の渦の中に沈む。
「ああ・・・あ・・・ああ・・・」
何が起こったのか聞こうと、リヴィアの口から言葉にならない呼吸音が漏れる。
口と喉が焼けただれているため上手くしゃべれないのだ。
だがそれでもその真意は伝わったらしい。
「そなたの結界が破れたのと同時に、私の手元に転移させた。 勝負がついた後はそなたは私のものだからな、死なせるわけにはいかん」
それを聞いたリヴィアが、どうやら己が助かったらしいことに安堵の息を漏らす。
だが”無傷で”というわけにはいかなかったらしい。
リヴィアの身体はその殆どが黒く炭化しているか、組織が剥がれて赤くに染まっているかのどちらか。
既に彼女の魔法士服は内包していた防御魔法をすべて使い切り、原型が無くなるほど焼けた後にリヴィアの皮膚に焦げ付いていた。
特に酷いのは真っ先に攻撃に触れた両腕で、両方とも手首から先がない。
そしてリヴィアの胸にはガブリエラの腕が突き刺さっている。
リヴィアはすぐに、ガブリエラのその腕が自分の命を永らえさせていることに気がついた。
「あ・・・あ、あ・・・ああ・・」
リヴィアが声にならない悪態をつく。
だがガブリエラはそれを聞いて、なんと”感謝”だと思ったらしい。
”気にするな”的な事を言った後に、”お前は私のものだ”などと抜かしたのだ。
随分と都合のいい頭だと罵りたいが、自分の命が握られているためそれもできない。
仕方ないのでリヴィアは顔を小さく動かして、周りの様子を窺った。
するとすぐに、リヴィアを抱えたガブリエラは空中に浮かんでいる事に気がつく。
そして下の様子を見るために顔を更に動かすと、そこにあった光景に思わず息を呑んだ。
まず、あまりの圧力に結界ごと負荷がかかったのだろう、観客席が大きく歪み、アクリラの関係者達がそれを抑えようと動き回っているのが見える。
だがそんなものは些細な事。
なくなっていたのだ・・・・競技場のフィールドが。
魔法で強化された頑丈な素材と魔力結界を幾重にも重ねたはずの地面は、まるで観客席の縁の形にくり抜いたがように落ち窪み、その下の構造がむき出しになっている。
安全のために試合中はフィールドの地下に立ち入らない決まりがなければ、死人が出ていたことだろう。
だが、同時にリヴィアは、”その程度”で済んでいることに驚きを隠せなかった。
あの攻撃の威力ならば、発生した爆発でこの競技場・・・いや、アクリラの北半分がまとめて消し飛んでもおかしくないのに、競技場自体は原型を保っている。
いくらアクリラの教師陣が優秀だとしても、あの破壊力を押し止める程ではないはずだ。
「転移させたのは、そなただけではない」
するとそんなリヴィアの考えを読まれたのか、ガブリエラがなんでもないように”種明かし”を始めた。
「そなたを含め、攻撃を受けた範囲をまるごと空中に転移させたのだ、逆向きにな。 その方がそなた1人を転移させてあの魔力を処理するよりも易い」
その言葉に、リヴィアは今日何度目かの絶望的な驚愕に身を震わせる。
この王女は事もあろうに数百ブル四方に及ぶ空間そのものを、捻じ曲げて転移させたのだ。
それは、ガブリエラがその気になれば、あれ程の範囲の魔法でも効果がないということに他ならない。
いや、その攻撃の中からリヴィアを救い出したのだ。
効果がないどころではない。
「皆の者! 聞け!!」
突如、ガブリエラが下に向かって声を発し、下で慌てふためく観客達が手を止めて一斉に顔を上げた。
その殆どの顔には、肉食獣に狙われたか弱い獣のような恐怖が浮かんでいる。
皆、ガブリエラが次に自分たちを狙うのではないかという思いで、頭の中が支配されていた。
「次の春より、この私、”ガブリエラ・フェルミ”はアクリラを卒業し、栄えある我が”マグヌス国防局”の預かりとなる! 我が祖国に刃向かうものよ、震えるが良い! 今しがた見た力がそなたらを襲うとな!
そして我が祖国と歩みを並べる者よ、安心するが良い! 我が力の加護がそなたらの身に降り注ぐと!」
それは”学生”としてこれまでアクリラで学んできたガブリエラの最後の”総決算”であり、同時にこれから世界に名を轟かせる”最強の軍人”、ガブリエラの世界に対する最初の”宣言”となった。
そしてそれを見たリヴィアは、”自分の役目”が無事に終了したことに安堵し、静かに目を閉じたのだ。
◇
その後、ボロボロになった競技場に舞い降り、下で待っていた医療班にリヴィアの身柄を預けたガブリエラは、いくつかの手続きの後、校長から”競技場が使えなくなった”という旨の苦情を甘んじて受け(聞き流し)ながら、意気揚々と控室の方に向かって歩いていった。
普通であれば試合後はまず医務室に直行だが、今日のガブリエラはそうしない。
彼女の調律師達がそこで待っているからというのもあるし、久々に魔力を大量に使えて気分がいいのもある。
だが、その本心は控室で試合を見ていたであろうモニカに、リヴィアの分も含めて思ったよりも力を見せてやることが出来たので、その”成果”を自分の目で確かめたくなったからだ。
幸いにも観客席が盾となったのか、控室は無事だった。
フィールドに向かう廊下は、一部崩れた地面に引っ張られてひび割れてはいるが、それ以外に目立った損傷はなし。
余波とはいえ、ガブリエラの攻撃にも耐えるとは流石アクリラ最大の競技場に備え付けられた結界ということか。
そして控室の窓には、人形のように無表情のままこちらを見つめるモニカの姿が、
「どうだモニカ、少しはなにかの役に立ったか?」
ガブリエラは何気なく・・・・本当に何気なくそう聞いただけなのだが、それに対するモニカの反応は激烈なものだった。
「え!? え・・えっと!!?」
と、あからさまに挙動不審な感じでその場を飛び退くと、怯えるような視線でガブリエラを見つめながら後退ったのだ。
試合前には見られなかったその反応に、ガブリエラは面食らってしまう。
つい先程までは元気な子供といった雰囲気だったのに、今では怯えた子鹿だ。
しかもかなり腰が引けている。
これはどういう事だ?
ガブリエラはその場で眉間にシワを寄せると、なにか思い当たるフシがないか考えを巡らせる。
タイミング的に試合中に起こったことのはず。
となれば・・・・
「あー・・・・」
もしかして・・・少しやりすぎてしまったか?
『回答:それは聞かなければ分からない事ですか?』
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