2-9【アクリラ大祭 7:~ピカティニ~】
「はぁ・・・・」
控室の中に深い溜息が響き渡り、空気の温度が急降下する。
当然ながらそんな溜息を目の前で直接ぶつけられた俺達の胃はこれ以上ないほどキリキリと傷んだ。
だが文句は言えない。
この溜息の主は俺達の主治医であるロザリア先生であり、この溜息の理由は俺達が負った結構な傷だからだ。
ガブリエラに”絶対勝て”と言われた俺達は、精神的にかなり追い詰められていた。
それこそモニカの顔色を見たベル先輩に、ピカ研の仕事を一気に減らしてもらったほどに。
もともと”代表選手”に選ばれた時点でピカ研の方は気にしなくていいと言われて、”そういうわけにはいかない”と断っていたのだが、とんでもない”無茶振り”を受けて流石にお休みを頂いた形だ。
だがそれを受けても尚、気分は最悪だった。
幸いにも俺達の受け持った5試合目、それ自体には奇跡的に勝つことが出来た。
相手は明らかに”格上”、それも現時点での最大火力を流し込み、もうこれ以上は砲身が保たないレベルまで威力を引き上げた”ロケットキャノン”を、5発も叩き込んで無傷だった事を考えれば、勝てたことは本当に奇跡に近い。
というか結局なんで勝てたんだっけ?
あまりに大変だったので記憶が曖昧な俺は、視覚記録を掘り返して改めて勝因を確認する。
あー、相手の”魔力切れ”かー。
相変わらず鉄壁を誇った”グラディエーター”の装甲で押し込めた形か。
ただ今回ついにその鉄壁伝説に”傷”が付いた。
戦ってる時は気持ちよく相手の攻撃を弾いていたのだが、徐々になんだか様子がおかしくなっていたのだ。
それでも俺達も、それに相手も、試合中は”それ”に気が付かなかったのでその防御力は健在なのかもしれないが、破られたことに間違いはない。
今回戦った相手は”呪術系”の魔法士。
直接相手にダメージを与えるよりも、ジワジワと尾を引く効果を付加していくタイプで、事実上の緑特化固有スタイルである。
それでいて、殴れば岩をも砕く攻撃力持ちと来たもんだからたまらない。
さすが”エリート試験”当確ランプがついてる人はデキが違うわ-・・・と観客だったら思ったことだろうが(というか絶対11歳の時のガブリエラじゃ勝てない相手だよね!? おかしくない!? ねえ、おかしいよね!?)、直接戦った俺達を襲ったのは、さらに恐ろしい事態だった。
試合終了後、控室に戻ってきて何気なく”グラディエーター”を解除したところ、その中からいきなり血がドバーッと溢れたのだ。
焦る俺達、その場にいた先輩が慌てて医務室で控えていたロザリア先生を引っ張ってこなければ、かなり危険だったかもしれない。
こういう事態に備えてなのか、スキル保有者が出場する時は、その主任調律師が必ず常駐するようにルールで定めていてくれて本当に助かった。
実は相手の攻撃を気持ちよく跳ね返していた”グラディエーター”だが、そこに付加されている様々な”効果”を完全に防いではいなかった。
装甲を脱いだ時、そこにはグズグズになった制服と、表皮を失った剥き出しの”中身”が。
なんと一撃であれば無視してもいいような小さな効果が装甲内に残留し、それが回数と時間を重ねるに連れ徐々に内側まで浸透し、その向こうの皮膚を溶かしてしまったらしい。
”グラディエーター”が完全に皮膚に密着して、出血を押させていたのも事態の発覚を遅らせたのだろう。
”HP”代わりの結界もグラディエーターの表面にくっついてパリパリに割れていたので、これ厳密には俺達の負けだったのかもしれない。(一応、ルール的には”投了優先”とのこと)
そんなわけで”理科室の人体模型”のようなグロテスクな姿になった俺達は、現在ロザリア先生の医療知識により”包帯ぐるぐるミイラ”に進化中というわけだ。
・・・包帯に大量の魔法陣が書いてあるんで、あんまりミイラっぽくないけれど。
「・・・うーん、薄皮は張ったわね」
ロザリア先生が黒い魔法陣の輝く包帯の上からデコピンを打ち付け、その”下”の塩梅を確かめながらそう呟いた。
結構強めに打ち付けられるその指の衝撃が涙が出るほど痛いが、それでもモニカは弱音をぐっと飲み込む。
「だけど”造血魔法”の反応は強いし、完全に皮膚ができた訳ではないから、まだあと1時間はこの包帯を巻いたままよ」
へえ、そんなもんでいいんですか。
場所によっては筋肉が見えるとこまで行っていたのだ、それが治療開始からしても2時間ほど包帯を巻いただけで良いというのは流石俺達の主治医。
ただ、いくら俺が調整済みとあっても俺達の体を見るのは神経を擦り減らすようで、会うたびに機嫌が悪くなっていっている気がするし、特に今日は酷い。
まあ、取り扱っている爆弾に傷がつくようなことがあれば、誰だって肝を冷やすだろう。
それでも文句言うだけでちゃんと診てくれるのだから、こちらの頭は上げられない。
『・・・これじゃ駄目だ』
その時、ふとモニカがそんな事を呟いた。
それは別に俺に対して何か言ったわけではない。
モニカが発する”頭の声”の内、その結構な部分が特に意味もない独り言なのだから。
だが、考えている事は俺も理解できる。
何故ならぼんやりと見つめる包帯の巻かれた手の向こうに見た光景は、俺も同じものだったからだ。
○
前日、ガブリエラの無茶振りをようやく噛み砕いた頃、とりあえずどんなもんかとトリスバルの試合を観に行くことになった。
その時にはもう大方の試合は終了してしまっていたのだが、幸いというかなんというか最後の2試合には間に合った。
だが、そんな俺達が観客席に入って最初に目にしたのは直径100mの”クレーター”。
そして、その中央にはボロボロになった対戦相手と、その首を掴んで片手で持ち上げる竜人の姿が・・・
そこで俺達は”竜人”という存在が持つ、恐るべき高密度な力を目の当たりにする。
俺達やガブリエラが”量”の頂点だとするならば、竜人イルマの纏っている力は”密度”の頂点と言うべきか。
おそらくあの観客席の中で、彼女が一糸纏わぬ姿であったことに違和感を感じたのは1人もいないだろう。
少なくともあの扇情的な筈のボディラインに、なにか”色”的な要素を見出した者は皆無なはずだ。
竜人が己の肉体だけを持って戦うのは、それが最も強力な武器だからにすぎない。
大地を踏みしめる強力な脚、全身を覆う赤茶色の鱗、動きに重力を感じさせない尻尾、以前見たときよりも大型になりバチバチと火花を散らす角に、全てを見抜くような鋭い瞳。
竜の”強さ”と人の”器用さ”の融合を象徴したようなその身体は、それだけで”完成”しているというのが近いだろうか。
少なくとも俺とモニカはそう感じた。
そこに何かを”足す”という行為は、例えそれが衣服であっても無粋に思えると。
イルマの顔には、本物の”強者”にのみ許された絶対の自信が滲んでいた。
そして同時に、全身にシャワーのように浴びる感嘆の視線に喜んでいることを隠そうともしないところが、逆にまるで”お前たちを見ている”と宣言しているかのようで薄ら寒い恐怖を感じたのを覚えている。
少なくとも俺もモニカも、”これ”と戦わなくていいということに途轍もない”安心”を感じたのは間違いない。
そしてその”安心”は、ものの数十分で打ち砕かれる。
「「「メ・レ・フ! メ・レ・フ!」」」
試合が終了し、観客席から勝者を称える大合唱の声が響き渡る中。
その”輝かしい家名”を持つ青年は、”この場で初めて”体を大きく動かしその声援に手を振って答えた。
どうやら観客の中には、”彼の父”のファンも多いらしい。
無理もない。
なにせまだ学生でありながらその立場に選出された”最年少勇者:レオノア・メレフ”は、親子揃って凄まじいイケメンで、しかも”勇者”なのだという。
思えば”
結局”勇者”がなんなのかはあまり良く分からなかったが、その力がとんでもないことは、よーくわかった。
レオノアの両手には、彼の身長に迫るほど長く、それでいて細い2本の双剣が握られている。
その刀身は青白く光り、独特の紋様(おそらくは魔力回路だと思うが、見たことがない方式)が浮かび、どこか浮世離れした空気を孕んでいる。
装飾こそシンプルだが、それ故に実用剣ならではの迫力を伴っていた。
そして当然ながらレオノア自身の能力もその剣に負けないもの。
いや、むしろ想像の数段上を行っていた。
イルマは戦闘を見たわけではないので結果から推察するしかないが、彼女が相手を”蹂躙”するスタイルとするならば、こっちは正々堂々正面から”圧倒”するタイプか。
だがレオノアの全身、さらには剣に至るまで傷や乱れの痕跡がなく、着ている軍服のようなトリスバル制服にも皺一つない。
さらに対戦相手の選手の身体や武装にも傷はない。
相手の全ての攻撃を目にも留まらぬ剣捌きで往なしきり、相手の結界を最低限度の力だけで切り捨てたのだ。
もし以前スコット先生の動きを見ていなければ、”魔法って剣で切れるんだな”という感想に染まっていたかもしれない。
実際、ここにいる多くの観客は、かなり高度で複雑な魔法攻撃が剣によって豆腐のように切られる様に感心しているだけだ。
だが彼らより”少しだけ”冷静な俺達は、その力がさらに奥深いものであることに気が付いていた。
スコット先生のあの動きは、極限の訓練の上に染み付いたもの特有の”力感”というか、迫力があった。
対してこちらはただ単に、”必要最低限の動きをしただけ”という印象が強い。
凄いことではあるのだが、”彼であれば当たり前”というか、”落ちてるものを拾った”といった感じがする。
その証拠に、レオノアは戦闘中一歩もその場を動いていないし、上半身を大きく動かしてもいなかった。
彼にとっては今の声援に応える動きや、競技場に移動するといった場面の方が、今回の相手と戦うよりも運動になった事だろう。
結局レオノアに関しても、そこに秘められた力の大きさは推察するしかないが、
殆どの女子が黄色い声援を送る中、モニカだけはどこか思いつめたようにその姿を見つめていた事からしても、その動きは凄いものがあったのだろう。
「これじゃ駄目だ・・・」
モニカの最初のその呟きは、大歓声の中に溶けて消えた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
5日目も夕暮れに沈むという頃、
誰もいないピカ研の2階に、”ガン、ガン”という金属同士が衝突する甲高い音が響き渡っていた。
祭りの喧騒と切り離されたその空間は妙に薄暗く、どことなく人を寄せ付けぬ空気が充満している。
だが誰もいないわけではない。
実験スペースである広大な空間の真ん中では、ロメオが床に体を伏せてどこか心配そうな眼差しで2階の一角を見つめているし、その一角である”作業スペース”からは、尚も一定間隔で”ガン、ガン”という音が続いていた。
音の主は、俺達。
正確にはモニカが振り上げ、狙いすましたように打ち付ける”ハンマー”と、”ノミ”のような工具が謎の黒い金属の板にぶつかる音だった。
「すう・・・・・ふっ!」
ガン! っという音と共に、目の前に目がくらむ様な明るさの火花が飛び散った。
その光がまるで稲妻のようにモニカの顔を照らし、そこに浮かぶ狂気的な真剣さも相まって、どこか近寄りがたい空気がその場に流れている。
ロメオが近寄ってこないのは、きっとそのせいだろう。
それがなんだか申し訳なくて、少し心の中に罪悪感とも言えないような、何とも居心地の悪い感情が滲んでいた。
だが、残念ながら今は配慮してやる余裕はない。
「ふっ!・・・ふっ!・・・ふっ!・・・」
モニカが規則正しくノミのような工具を目標にあてがい、そこにハンマーを打ち下ろす。
俺達がやっているのは魔道具制作の一種だ
スキルで全部やってしまう様なイメージがあるゴーレム制作だが、そんな事ができるのはごく一部の超絶ゴーレム使いくらいのもので、その彼らですら強力なゴーレムや特殊な機構の制作には”その他”の手段を使うことは珍しくはない。
なのでピカ研にもそれらを行なうための工具や設備は一揃い置いてあった。
今向き合っている金属の塊は分厚い板状で、9個のピースを合わせれば直径2m程の円盤になる。
俺達はそのうちの1つを作業台に置いて、ひたすらそこにノミを打ち付けていた。
だがノミが打ち付けられた箇所に傷や凹みは見当たらない。
今やっているのは、金属に魔力回路を彫り込んでいく作業。
以前、ルシエラに簡単な魔道具づくりを教えてもらった時、魔力で固めた土に魔力回路を入れて焼き付けるというのをやったのを覚えているだろうか?
一応これもそれと同様だ。
だが金属の中でも今使ってる特殊な合金のように、本来ならば魔力が流れない物質に魔力回路を入れ込むのはかなり難しい。
前の時は魔法陣の要領で手から直接魔力回路を土の中に入れ込めたが、この様な物質では弾いてしまって入り込めないのだ。
もちろん俺達くらい高密度の魔力を扱えるなら、魔力を通すこと自体は可能だが、それでは細かな回路などを刻むような精度はとてもじゃないが出せない。
”ではどうするか”というのが、今使っているこの”ノミとハンマー”である。
今モニカは”グラディエーター”の起動用の透明な仮面を被って作業を行っている。
これは何かの拍子に飛び散った金属のカスなどから顔を保護する目的もあるが、もう一つはそのガラスのように透明な部分に映し出される情報だ。
この作業にはモニカにも繊細に動いてもらわなければならないので、単に俺が内側から力を操作するだけでは足りない。
もちろんそれもちゃんとするが、大まかな動きに関してはモニカ自身にやってもらわなければならず、いちいち声で指示を出していては時間がいくらあっても足りないのだ。
期日は明後日、つまり”最終戦”その時。
それまでに間に合わせるには、モニカに出来るだけ効率的に動いてもらわなければならない。
モニカが眼の前の画面に映し出された回路の”アタリ”の次の位置にノミをあてがい角度を変える、すると画面の左上の3つの四角の色が赤から緑に変わっていった。
この3つはノミの角度の”縦軸”と”横軸”、それとノミ自体の回転方向をわかりやすく示したもの。
全てが緑色のところで止めれば、ちょうどいい角度になるように設定してある。
後はモニカがハンマーをその直上に振り上げ、そのハンマーに俺が魔力を充填すると、ハンマー内の魔力が適切な値になったところで画面に叩く指示を表示した。
モニカがそれに従いハンマーを振り下ろす。
この時モニカには、できるだけ一定の力で振り下ろすように予め指示を出していた。
そこから先の繊細な力の配分は、俺が値をしっかり監視しながら調整している。
すると職人技的な完璧さでハンマーがノミに打ち付けられ、その反動でノミの先端から魔力回路が高速で飛び出し、目的の位置で停止しそこに俺とモニカで魔力を流して”仮止め”として焼き付ける。
この”ノミ”は内側に作った魔力回路を、高速で叩きつけるための道具なのだ。
後はこれをひたすら繰り返すだけ。
だが目の前に広がる金属の塊は、これ1つとってもまだまだ先は長い。
このノミの欠点として、一回に打ち込める魔力回路がとても小さく、一つの回路を打ち込むのにすら何度も叩かねばならない。
しかも現時点で完成しているのは1つだけ、今手元にあるのを含めて未完成が8個あり、さらにその後は起動テストを含めた果てしない微調整が待っている。
俺達は勇者レオノアの試合を見学して、1つの”結論”を出していた。
”今の俺達では絶対勝てない”
俺もモニカもその答えに纏まるまでに全く異論が出なかった。
もし、これがガブリエラなら知らないさ。
だが俺達の現状戦力ではどう考えても話にならない。
あれは根本的に”違うステージ”の人間だ。
もしガブリエラが”負けても良い”というなら、”今できる最高”をぶつけ、きっと気持ちよく負けたことだろう。
だが彼女は”絶対に負けるな”と、わざわざ念を押すように俺達に言い、その後”どの様な手段を使っても良い”と条件を追加したのだ。
モニカがそれとなく”王位スキル”の力を全力で使っていいかと尋ねれば、”使え”と即答したほど。
今回の対抗戦はガブリエラによれば、彼女が用意したという”俺達の命”に関して、大きく関わっているらしい。
だからこそ大人しく従ってこれまでなんとか勝ってきたわけだが、その”主犯”であるガブリエラが改めてそう言うからには、きっとこの”戦い”の勝敗が俺達の”運命”に大きく関わって来ると予想された。
だからこそ”今できる最高”では足りないのだ。
ではどうするか?
その1つの”答え”が、この金属の塊だった。
レオノアがあそこまで規格外なのは、”勇者の力”があるからだ。
それがどんなものなのか結局フワッとしか分からなかったが、しごく”無茶苦茶”なことだけは伝わった。
ならば、俺達もその内に秘めた”無茶苦茶”な力を使うしかない。
幸いにも”王位スキル”の力はあれより一応格上、俺という”管理機構”も持っている。
後はそれら全てを受け止め、使い切る”体”があればいい。
結局、”グラディエーター”と思想は一緒。
だが今回は、その”スケール”がまるで違う。
取り回しや性能試験などを考慮した”
シミュレーション結果通りなら、2段階目に突入したガブリエラの”レッスン”によりさらに効率化した魔力運用を用いてギリギリ稼働可能な程、その力は凄まじい。
だがそれには当然ながら、”グラディエーター”とは比較にならない程頑丈な回路が必要になる。
それも使い切るためにより巨大化する都合上、結構な量が。
だがもし半可な素材にそれほどの魔力を流せば、一瞬にして弾け飛んでもおかしくない。
だからこそ、この金属の塊が必要なのだ。
この金属の魔力耐性はお墨付き。
何しろ、ガブリエラの”王球”の魔力吸収部分にも使われる素材なのだ。
おそらくこの世に存在する中で、最も多くの魔力に耐えた実績を持つ素材ではないだろうか?
昨日、ガブリエラに”レオノアに勝つために何か必要か?”と聞かれて、半分冗談で(半分諦めてもらうために)以前から強化案として考えていたこの計画を出したところ、今朝には木苺の館の庭に木箱に入れられた状態で落ちていた(ピカ研に運ぶのすごく大変だった・・・)。
いったい”おいくら万セリス”するのだろうかこれ・・・・
そして、こんなものをポンと出すくらい本気というのが、まさに俺達に逃げ場がないことを突きつけているわけで・・・
ただ、それから実際にレオノアの戦う所を見て、仮に”これ”が完成したとして、それでも勝てるのかという疑念が渦巻いていた。
いや、いかん、集中せねば。
この作業はなにかを考えながらできるほど簡単ではない。
例え足りなくとも、これが今”絞り出せる最高”なのは変わらないのだ。
それからどれだけの時間が経っただろうか。
数時間か、数分か、とにかく”体内時計”をチェックする余裕すら投入し、俺達は作業を続けていた。
「・・・ふっ!・・・ふっ!・・・・ふっ、って!?」
その時、不意にモニカの作業が途切れ、その場でたたらを踏むように格好になり、疲れも手伝ってかその反動でモニカがハンマーとノミを離してしまった。
俺が”危ない!?”とばかりに滑り落ちたハンマーとノミを別の場所に転送しなければ、それが落ちた衝撃でまだ焼き付けてない回路が狂ってしまっただろう。
だが俺も内心では驚きのあまり、咄嗟に戦闘態勢を取ろうとしたほど。
そしてモニカの”驚きの元凶”もまたモニカの反応を見て大いに取り乱した。
「す、すまん、、 驚かせるつもりは無かったんだ」
その”者”が慌ててモニカに謝罪する。
何が起こったのか、
作業中のモニカがふと目だけを上にあげたところ、すぐ近くの正面にさっきまでいなかった人物が立っていたのだ。
「かなり真剣だったようで、声をかけられなかった・・・」
その人物が本当に申し訳無さそうな表情で謝罪を続ける謝罪を続ける。
だが彼には責はない。
いったいどれほど作業に集中していたのか、ログを見返す限り特に気配を殺して近づいたわけではないのに、俺もモニカも全く気づくことがなかった。
いや、余裕がなかったと言うべきか。
これ程の存在感に気が付かなかったとは。
眼の前にいる者の大きさは”直径”6mほど、だが高さは2mと少ししかない。
ベターッと下に潰れた様な見た目のその生命体は、ポケットが大量に付いたマントを被る”泥”の塊にも見える。
だが明らかな”異形”ではあるのに、俺にもモニカにも突然現れたこと以上に驚きは無かった。
アクリラに住んで見た目の奇妙な存在に慣れていたというのもあるが、その姿は事前に聞いていたからだ。
「ピカティニ・・・先生?」
モニカがその名前を呼ぶと、泥のような人物がその上部をわずかに動かして頷く。
「はじめまして・・・君の事は聞いてるよ。 ベルと・・・
この研究所の主、”智のスライム”ことピカティニ先生はそう言って俺たちに挨拶した。
その見た目通り、本来なら魔道具づくりに従事するような種族ではない。
だが彼はそんな逆境を跳ね除け、同じ様に”過ぎた夢”を持った者たちを受け入れこの研究所を運営してきた”偉人”だ。
そして俺達の”保護責任者”の1人として、俺達の力の事を
だが歳とともにその身体に取り込んでしまった様々な有害物質のせいで、透明だった筈のその身体は泥のように濁り、水玉のように張りがある丸型だった体型は、無残に重力に屈していた。
「寝てなくて大丈夫なんですか?」
その痛々しい姿に、モニカが心配そうに問いかける。
現在彼は体の中の有害物質を抜くために、郊外に作られた自宅で静養している筈だった。
本来彼程のスライムであればすぐに有害物質は消化するのだが、年齢のせいでその機能が弱いらしい。
それでもその”泥の塊”は、大丈夫とばかりに体を揺らす。
「今日は調子がいい、だから久々に研究所を見るついでに、祭見物でもしようと考えた」
「じゃあ、ベル先輩達の方に行けば・・・」
今現在、モニカを除くピカ研の面々は懇意にしている商会の用意した別の場所で、ゴーレムを使ったショーや取引を行っている。
せっかく起きてきたのだから、そっちに行った方が彼らも喜ぶだろう。
だがピカティニ先生は頭を振る。
「人が多いところは疲れるからな、それに”ここ”なら自宅と変わらん」
「そう・・・ですか」
モニカがピカティニ先生の言葉に釣られるように、周囲を見渡す。
広大な実験場の空間は、なかなかに壮大な景色であったが、確かにこの人はここを作った本人である、”自宅のよう”という感覚に偽りはないだろう。
「ところで、手を止めていてもいいのかな?」
ふと、ピカティニ先生がそんな事を口走ると、モニカが慌ててハンマーを手に取った。
「あ、そうだった! 急がないと」
そして慌てて魔力回路を刻む作業に戻る。
だが先程までの速度は出ない。
システム化しているのでミスこそないが、どうしても近くにいるピカティニ先生が気になってしまうのだ。
そのピカティニ先生は現在ちょっと面白そうな顔で、俺が昨日確認の為に書き出した回路の”設計図”を手に取り、出来上がった部分と見比べていた。
「これは君が使うのか?」
するとモニカの集中が切れたタイミングを見計らったように、ピカティニ先生が聞いてきた。
モニカは無言で小さく頷く。
なんというか、テストの答案をチェックされているかの様なそんな緊張感が俺達を襲う。
「恐ろしい”魔力喰い”だ。 常人が触れればそれだけで萎びかねんが、
「ええっと・・・」
『ガブリエラって言っとけ』
「ガブリエラ・・・様が用意してくれる・・・って」
モニカが恐る恐るそう答えると、ピカティニ先生は納得半分、疑念半分といった表情を作る。
彼が知っているのは俺達とマグヌスが微妙な関係にある事と、モニカが”結構な”スキル持ちであるという程度。
あと反応からして、ガブリエラの”代理”に選ばれた事くらいか。
「なるほど、確かにあの王女であれば、”これ”に喰わせるだけの魔力を持っているかもしれん」
ピカティニ先生はそう言うなり、棚の方に移動した。
何事かとモニカが目で追うと、ピカティニ先生は体の一部を細く伸ばし、モニカが持っているのと同じハンマーとノミを取る。
「手伝ってもいいか?」
「え?」
まさかそんな事を言われると思っていなかった俺達は、驚いてかたまってしまった。
「使うのは”噂の最終戦”であろう? ならば今日中には回路の打ち込みは終わらせておきたい筈だ」
「そうです・・・けど」
”できるのか?”
という質問は、次の瞬間ピカティニ先生がその辺にあった金属の切れっ端にノミを打ち付ける事で霧散する。
スライムがハンマーを高速で打ち付けるその光景が、あまりにも美しかったのだ。
「どうかね?」
ピカティニ先生が出来上がった切れっ端をこちらに差し出す。
モニカが受け取り魔力を流すと、そこのは俺の書いた図面の一部を切り取った回路が彫り込まれていた。
『見事だ・・・』
そう形容するしかない。
今の僅かな時間で、回路図通り、しかもちゃんと俺達が苦労した複層構造で打ち込まれている。
「その顔は、合格でいいのかな?」
ピカティニ先生が声に茶目っ気を含ませてそう聞いてきた。
合格も何も・・・
「お願いします」
モニカが迷いなくそう答える。
するとピカティニ先生は”当然だ”とばかりに全身に自信を漲らせた。
そこに居るのは”病に冒されたスライム”ではない。
経験豊富な”ゴーレム機械製作者:ピカティニ”だった。
「図面からの変更点は? ここの処理はどうしてる?」
「そこは”直帰”に・・・あと、こことここに”抵抗”を追加で」
研究所の2階に、先程までと違ってハンマーの打ち付ける金属音に混じって活発な声が響く。
それに伴って俺たちの作業スピードは僅かに遅くなっているが、”最強の助っ人”を得た事で全体の効率と速度は飛躍的に上昇していた。
そして俺達の低速化分もすぐに取り返される。
「ハンマーの握り、打ち付ける瞬間だけキツく」
「はい」
「あまり強く腰を入れるとブレるぞ」
「はい」
ピカティニ先生が時々そうやってモニカの作業に注意を行い、それに従っていくだけでこちらの作業効率が急激に良くなっていったのだ。
特に長時間ハンマーを打ち付ける作業で疲労が溜まりつつあった肩周りの改善が凄い。
疲労回復系のスキルを併用すれば十分に消化できるレベルに収まり、大きな休憩を取らずとも作業を続行できる目処が付いた。
だがそれよりも驚くべきはピカティニ先生の技量だ。
別に精密機械の様だとかではない、傾向としては完全な”職人”だろう。
元々、メリダの台車などを病床の片手間で作っていたことから腕のある技術者であることは知っていたが、回路の確認から実際に打ち付けるまで全ての工程が一呼吸の間に収まっているその姿は、長年のキャリアを感じさせるものだった。
今、俺達も作業中でなければ見入っていたことだろう。
泥のようなスライムがハンマーを振るという”おかしな光景”なのに、全く違和感がない。
その”違和感のないおかしさ”がなんだか昨日見た
ある時、アドバイスに混じってピカティニ先生が何気なく話しかけてきた。
「それにしても・・・凄いスキルだな」
「え?」
モニカが軽く驚きの声を上げると、ピカティニ先生が作業の合間にハンマーでこちらを指し示す。
「その動き、明らかに初心者なのにミスがない。 注意点が微妙にずれてるのに、まるで吸い込まれるみたいに正しい位置にハンマーが動く。 これで戦闘もできるというのだから、聞いていたよりも数段上のスキルだろう?」
「ええっと・・・」
ピカティニ先生の言葉にモニカが口ごもる。
するとピカティニ先生は気にするなとばかりに首を振る。
「気にするな。 こんな研究所に来てるんだ、君も”人ではない”というだけのことだ」
そう言いながら、ピカティニ先生は見事な一振りを打ち込んだ。
だがその表情はどこか安心感が漂ってる。
『
自らの”出自”を見抜かれたのではと思ったモニカが心配そうに俺に聞いてくる。
『”そういう意味”じゃないだろう、それにそういう意味でも問題はないと思う』
『?』
『”なかま”として見てくれるようになった、ってわけだ』
「・・・?」
たぶん彼がここに来たのは、俺達を”見定める”目的もあったのではないか。
少なくともモニカの作業を見て、そこから推し量ろうとしたことは間違いない。
ここはもともと”非人間”が来る場所なのだ。
そこに混じった”
”合格”したことに俺もホッと仮想胸を撫で下ろす。
モニカはまだよく分かっていない様子だが、そんな俺とピカティニ先生の様子に害がないことを悟ったのだろう。
すぐに視線を戻して、作業を再開した。
その日の深夜。
2人がかりで進められた魔力回路の打刻作業は、予想以上の速度でもって無事に終了し、魔力を流してのチェックに合格する。
完成した9個の金属片を並べその光景を眺めた俺達は、そこでこの祭りで初めて”手応え”のようなものを感じたのだ。
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