2-X6【幕間 :~破壊者の鼓動~】
アクリラ祭終了の翌日。
暴風が吹き付ける連峰の頂上、そこは人が立ち入れない厳しい世界だ。
本来この緯度は、地上であれば世界でも最も温暖な地域であるはずだが、魔力を多分に含んだこの山脈の頂上は1万ブルを超え、その極寒の気温と極限の低気圧故に殆どの生物は生存できない。
だが、ありえないことにそんな場所にも動く者がいた。
「ええっと・・・記録棒にカーブ油を塗った・・・隙間は必ず中を見る・・・凍ってない、それから・・・」
その”例外”である少女、”ルシエラ”はこの環境であっても何食わぬ顔で活動を続けており、その動きに支障はない。
全身に”クリスマスツリー”のように小さな魔法陣を展開して、生存可能な空間を作り出しているのでこの程度であれば問題はないからだ。
それでも流石に、普段彼女の使い魔であるユリウスに乗って飛ぶ高度よりもかなり高いので、それほど長時間活動するまでは出来ないが、分厚いマニュアルを確認しながら手順を一つ一つ確認するくらいの余裕はある。
彼女の前には高さ10ブル程の金属製のポールのようなものがそびえ立ち、その根本の太くなっている部分に焦げ茶色の棒のようなものをゆっくりと差し込んでいた。
足元に同様の棒が何本か。
この装置はこの山の中心部を流れる魔力を感じ取り、その結果をこの棒を変色させることで記録する。
さらにポールがその下にある山の魔力状態を縮小して反映するため、記録棒の魔力分布を調べれば、この山の魔力分布が大まかに見えるという仕掛けだ。
そんな記録棒を、ルシエラは手際よく押し込んでいく。
下から上に持ち上げる格好になるため、その指にはかなりの力が掛かることになるが、その動きに淀みはない。
「よし、できた」
ルシエラはそう言って最後の棒を押し込むと、そこに専用の薬剤をいくつか充填し、ガシャンと大きな音を立てながらスライド式の蓋を閉める。
そしてポンポンとポールを軽く叩くと、問題がないのを確認できるまで少し蓋の表面を見つめ、それから少し離れてポール全体を確認した。
特に注目するのはポールの先端だ。
5分ほど経った頃だろうか。
徐々に何もなかったはずのポールの先端に赤い光が灯りだし、それがすぐに眩く輝き出すと、それを見たルシエラが楽しそうに光を指さす。
「点灯確認! 主傾向”赤”! 光量よし! 明滅安定! 漏れなし! 異音なし! 異常なし! 記録状態・・・」
テンポ良くそう言いながらルシエラが左手に内側が空っぽの奇妙な魔法陣を作り出すと、それをポールに差し込むように宛てがい、1分ほどしてから抜き出す。
するとさっきは空っぽだった魔法陣の中空部分が、うっすらと黄緑色に変色しているではないか。
「記録状態良し! 傾向は・・・黄色かな、これは」
ルシエラはそれを確認すると、近くにあった荷物入れから文字のびっしりと書き込まれた紙を取り出し、そこに何かを記入すると最後に自分の名前をサインして書類を”魔力的に完成”させた。
「ふう、これでモルニアの18・・・”チャンドインク峰”だっけ? 山頂部に設置を完了!」
別に誰が聞いているわけでも、言わなければならない決まりなどもないが、ルシエラは”気分的”に指差し&呼称確認をずっと行っている。
普通の人間であれば、こういった細々とした手順の確認が大量にあれば辟易しかねないが、やりたいことをやっている喜びもあってか、ルシエラにネガティブな感情はまったくない。
そればかりか今の一連の動作で気分は加速度的に向上していた。
ルシエラが後ろを振り返る。
そこには風雪に霞む山麓に、星の様に小さな光が幾つも煌めく光景が広がっていた。
どれも同じ様にルシエラや、”動ける”生徒や研究者の手によってこの2日の間に設営された物だ。
これで10日後、別の調査の帰りに設備を回収すれば、ここでの調査は終わり。
後はデータをアクリラに持ち帰って精査すれば、この山脈全体の傾向が薄っすらと分かるという訳だ。
だがそれは別に特段凄いことではない。
大掛かりな仕掛けをしてはいるが、結果については事前に計算しているので予想がついているし、見た感じそれが外れることもないだろう。
なので一般人に、この調査の価値を理解してもらうのは大変だ。
昔、故郷の偉い人に説明した時、真顔で「何か凄いことが分かるのか?」と聞かれたことがある。
その時私は「何かわかる事もあるが、凄くはないし、大抵は何もない」と当たり前の様に答えたと思う。
するとその人は「そんな無駄な事は辞めろ、時間の無駄だ」と吐き捨てたのだ。
その人がどうなったかは語らない、ただ、あの時は”若かったな”・・・
だが、こういった地道で実りの無い研究の支えなく大成した知識はない。
そしてそれを苦も無く行えるのだから、自分は研究者に向いてるのだろう。
「・・・・」
ルシエラは暫くその場で無言になる。
”今後の運命”を想像して少し憂鬱になったのだ。
だがすぐに作業の途中であったことを思い出すと、踵を返してまだ光のない山脈の反対側に向き直った。
”その人”の言葉で1つだけ共感しているものがある。
「時間は有限、ちゃっちゃと・・・」
だがその自分に対する喝入れは、腰の辺りに現出した知らない光によって遮られた。
「・・・おっと、なんだ?」
気分が削がれるなと、多少不快な面持ちでその光を見つめる。
それは白色の小さな魔法陣だった。
当然、ルシエラの魔力によるものではない。
ただしこれは、麓の観測本部から何かしらの連絡があるときに点灯する決まりだったはず。
ルシエラは視線を動かして”斜め下”を睨む。
だが天候が悪いのと山が大きすぎて、麓の様子はいまいち分からなかったが、それでもすぐに視界の中に青い光が現れ、それがこちらに向かって飛んでくるのは確認できた。
ルシエラの物より少し濁ったその光に、ルシエラは覚えがある。
「ルシエラ!!」
ついにその光が眼の前に迫り、そこから現れた防寒着の塊の様な人物が現れると、その人物がルシエラに声をかけてきた。
厚着すぎてその見た目は何が何だか分からないが、その声と魔力を間違えたりはしない。
「”ベリーヌ”! なにか問題があった!?」
ルシエラが叫ぶように友人に問う。
彼女はこの旅行で貴重なルシエラの同級生であり、それなりに機動力があるので山を巡って連絡役をこなしてくれている。
叫んでいるのは、風が強すぎて声が届かないからだ。
するとベリーヌが懐から文字の書かれた紙片を取り出した。
「学校から貴方宛に通信が来てるわ! それも”緊急”で!」
「誰から!?」
”緊急”の通信とは穏やかではない。
自分に関係するところで、何か問題でも発生したか。
するとベリーヌが紙片の差出人の名前を読み上げた。
「モニカ・・・」
「かして!!」
誰からの物か判明したルシエラがベリーヌからその紙片を引ったくると、急いでその中身に目を通す。
だがその紙片は一見して分かる”違和感”に満ちていた。
「その子、ルシエラの部屋の子よね? でもそれって・・・」
ベリーヌもその”違和感”に気づいたのだろう、彼女にもモニカについて”それくらい”の事は話していた。
ルシエラは食い入るようにその紙片に書かれている言葉を何度も読み返し、理解を拒む荒唐無稽な内容を必死に咀嚼する。
それは最初、別のモニカの話かと思うほど、意味が分からない内容だった。
いや、何度読んでも意味が分からない。
だが”異常”であることは伝わった。
すると突然、ルシエラはその紙片を自らの懐にしまうと、自分の収納用の魔法陣を開いてそこから実験用の機材を取り出し始める。
足元に転がる大量の資材。
その中には10ブルのポールも数本含まれている。
「ちょ、ルシエラ、何して・・・」
「ベリーヌ! 後のことは任せた!」
「うぇええ!?」
突如放たれた驚愕の言葉に、ベリーヌが驚きの声を発した。
いきなり装置だけ押し付けられてもどうしろというのか、そういった感じだ。
だがルシエラはそんなベリーヌを放置すると、上空に向かって片手を上げ、そこに巨大で複雑な魔法陣を展開した。
「な!?」
魔法陣の展開と同時に発生した凄まじい風圧と轟音にベリーヌが顔を覆う。
そしてそれが光と共に収まると、その向こうに現れたのは、身の丈70ブルを超える巨大な”竜”だった。
巨大な山の頂上に突如現出した、巨大な竜。
その体は風雪に溶け込むように青く、宝石のような鱗が光を乱反射し、その光景にベリーヌは思わず見惚れてしまう。
だがルシエラの方はその姿を見るなり、自分の方に手招きしながら駆け足で近寄ると、そのまま一息に頭まで飛び上がってしまった。
「ユリウス! ”特急便”!」
「グオオオアァアア!!!」
ルシエラが竜の名前を呼んで指示を飛ばし、ユリウスがそれに応えるように咆哮を上げる。
だがそのまま巨大な翼を広げ大空に向かって飛び立とうとすると、慌てたベリーヌが声をかけた。
「どうすんのよ!? 先輩から大目玉だよ!?」
流石に緊急といえど、挨拶もなしに仕事を途中でほっぽり出して帰れば、”怖い先輩方”の逆鱗は避けられない。
ルシエラもそのことに思い至ったのか、途中で微妙な顔で固まってしまった。
ただ、それでもすぐに何かを吹っ切るように顔を振ると、真剣な表情でベリーヌを見つめる。
「”私のせいだ”って言っておいて! 後で埋め合わせるから!」
そしてそう叫ぶと、そのまま大空に向かって飛び出したのだ。
小さくなっていく山脈の中にベリーヌが霞む。
何かを叫んでいるが、その声も姿もすぐに見えなくなってしまった。
そしてルシエラはそれを確認すると顔を正面に戻す。
目的地はアクリラだ。
と、同時に彼女の頭の中では先程の連絡の内容が反芻する。
正直、何がなんだか分からないが、一つだけハッキリしていることがある。
「あの”バカ”!! 何しやがった!?」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
5日前・・・
ちょうど日が沈んで数分といったところか。
アクリラの比較的品の良い宿屋の廊下をレオノアは少々不機嫌な顔で歩いていた。
その表情には理由があるのだが、それでも外ならばそんな顔は見せなかっただろう。
今この宿屋はトリスバルの関係者が祭の拠点とするために借り切っている。
なので特に気兼ねする必要はない。
レオノアはそのまま廊下を突っ切ると、角の部屋の前で立ち止まる。
このフロアに立ち入ったときから気づいていたが、この部屋からは複数人の若い女の声が漏れ、それがまたレオノアの不快指数を押し上げていた。
だが、扉の前で止まっているわけにはいかない。
そう考えたレオノアは、一切の中途なく扉をノックし返事も待たずに扉を開けた。
だは部屋の中の様子をどう形容したものか。
「誰もいませ・・・」
中にいる誰かが冗談でそう言おうとしたのだろうが、扉の前に立つレオノアを見て固まる。
そしてその顔が
レオノアは素早く部屋の中を見回し、床やベッドの上に特徴的なカラフルな制服が落ちている事に気づく。
”商人学校の制服が・・・4人分”
そしてその数が、ベッドの周りにいる見知らぬ裸の少女達と一致している事を確認すると、レオノアを無視してその1人に抱きつく友人に声をかけた。
「イルマ」
「・・・なんだレオノア、私に男を抱く趣味はないぞ?」
少女達の中心で同じ様に裸身のイルマが、面倒臭そうにそう答えた。
すると少女達が再び縋るようにその体に顔を埋めだす。
少女達の目はどれも恍惚を浮かべ、イルマの体を神でも見るかのように見つめている。
魔力の少ない一般人にとって、”竜人”の肉体の放つ魅力は抗いがたいのだ。
だがレオノアはそれを無闇に止めたりはしない。
それもまた竜人の性質だからだ。
ただし、
「時間だぞ」
と短く告げる事は辞めなかった。
「親睦会だっけ・・・面倒くさいな・・・別に強制じゃないんだろ? ”今忙しい”って言っておいてよ」
イルマは心底面倒くさい表情を浮かべながらそう言うと、”口直し”にとばかりに尻尾を器用に動かして足元にいた別の少女を抱き寄せた。
レオノアが再び始まったその”光景”を見ながら、どうしたものかと口を開いては閉じる。
だが少しして、自分がこの件に関して何も出来ないであろうことを悟ると、諦めたように息を1つ吐いてその場を後にした。
親睦会への道すがら、レオノアはイルマの欠席をどう説明したものかと頭を悩ませる。
だがすぐにその親睦会の”出席率”を思い出して、それすらも途中でやめた。
イルマの言う通り別に強制というわけでもないからというのもあったが、”今”のイルマをあの会場に持っていけば彼女の”毒牙”にかかる被害者も増えるだろう、というのが最大の理由だ。
◇
学校別対抗戦、出場選手親睦会。
祭りの熱も収まる深夜、アクリラ中央講堂の一室に設けられたその会場では、沢山の若者たちが集まっていた。
アクリラの祭りも後半戦に差し掛かり、いよいよ大詰めが見えてきた”学校別対抗戦”。
その選手たちが一同に会し、親睦を深めるというのがこの集まりの趣旨である。
だが、ザッと見回した限りその趣旨が守られているか、甚だ疑問である。
肝心の選手達の出席率は概ね6割といったところか。
だが強豪校は代理とその関係者含めて7人来ていれば良いほうで、アクリラに至っては4人しかいない。
あくまで生徒が自主的に行ってきたという”伝統”があるため、管理者級の教師の姿もない。
あとは当たり前のように混じる商人学校の教師や生徒に、何者かもよく知らない者が数人、それから各国の軍事関係者が目につくか。
この場の”主役”たちは当然ながら世界的にも有数の力のある者とあって、軍事関係者の関心は非常に高い。
が、故に、それらのシガラミを嫌ったり、あまり関わりたくない生徒からは不評なイベントなのだ。
当然、マグヌス軍関係者がいるとあってモニカの姿もない。
そもそも招待状をガブリエラが握り潰したので、やってることも知らないだろう。
そしてその”貴重な参加者”であるガブリエラは・・・・現在絶賛、会場の端で浮いていた。
ちゃらり・・・ちゃらり・・・
会場の上座に設けられた貴賓席で、空になった高級なティーカップの縁を、これまた高級そうなティースプーンが撫でる音が断続的に響く。
普通であれば”無作法だ”と誰かが指摘したかもしれない。
だがここがアクリラで、しかもやっているのがガブリエラとくれば、誰も指摘することは出来なかった。
むしろ、そこに滲んだ”不機嫌さ”を恐れて誰も近寄ることすら出来ないくらいだ。
そのせいで現在貴賓席に座るのは彼女1人なのだが・・・
だが何事にも例外がある。
「・・・なにやってるのよ」
その”例外”の1人、生徒会長(通称)ことアドリアが呆れたように声をかけた。
その瞬間、会場の空気が一気に緊張を孕み、
だがガブリエラの反応はない。
いぜんとして”ちゃらり、ちゃらり”と、食器を鳴らすだけ。
それは一般的には”彼女の不機嫌”を表す行為として有名であるが、見るものが見れば今の状態は不機嫌と言うよりも、”考えに耽りたいので静かにしてくれ”というサインと読み取れる。
だからこそアドリアは呆れたように声をかけたのだ。
「ヘルガだけど、あの子1人で動き回ってるわよ。 いいの?」
アドリアはそう言って手に持っていたグラスを口に付け、会場の方へ目配せを行なう。
さすがのガブリエラも”その内容”には関心があったようで、手は依然として食器を弄びながらも目だけは会場の中心に動いた。
そこでは、憐れガブリエラの名代としてあちらこちらに声をかけられ、頻繁に頭を下げるガブリエラの付き人ヘルガの姿が・・・
「良いも悪いもない。 私は奴らに媚も顔も売る気はないからな」
「いや、むしろあれは買う方でしょ・・・」
ガブリエラの言葉にアドリアが即座にツッコミを入れる。
その言葉通りヘルガは、ガブリエラと縁を得たい者たちからの接触の連続に、必死に対応していた。
特に軍事関係者が多い。
”最強戦力”であるガブリエラに近づきたいが、本人が”これ”なのでその負担が臣下に集中しているというわけだ。
「いいの? 助けてあげないの?」
「あれは、あやつがそう願ってやっておる。 私が止めに入るのもお門違いだろう」
「はあ・・・」
ガブリエラの何とも”暖簾に腕押し”的な反応にアドリアが盛大に溜息をつく。
アドリアとしても、少しは”アクリラの顔”としての役割を受け持ってもらいたいのだが・・・
だがアドリアは、すぐにこの”面倒くさい王女”に常識ある行動を求める方が馬鹿だと思い直す。
それが何年にも渡って同級生として接してきた彼女の一つの結論だった。
するとその時、会場の空気がまたも緊張する出来事が起こった。
ガブリエラを避けるように動いていた人の流れから、まるで挑戦するように1人の青年が飛び出してきたのだ。
だがすぐにその緊張はまた別のものに変わる。
その青年が見事なまでにピッチリとトリスバルの制服を着込み、その背中にこれまた見事な双剣が有ったからである。
「アドリアさん、こんなところにいましたか」
その青年、”レオノア・メレフ”がそう言うと、会場の人だかりが数人を残して一斉に反対側に動いた。
この場で、恐らく2番目に強いであろう”勇者”が、事もあろうに1番強い”ガブリエラ”の目の前で、それを無視するような行動をとったからだ。
声をかけられたアドリアも流石にこれにはガブリエラの様子を窺うしかない。
だがレオノアはどこ吹く風だ。
「あなたと一度話してみたかった」
「私とですか?」
レオノアの言葉にアドリアが驚く。
するとレオノアが頷きながらはにかみ、そのあまりにもの”イケメン”っぷりにアドリアの顔が僅かに赤らんだ。
「ええ、あなたの立ち回りは戦士として称賛すべきものだと思っています。 それに僭越ながら研究発表も見させてもらいましたが、そちらも大変素晴らしい」
レオノアがそう称賛すると、アドリアの顔がみるみる赤くなっていった。
「あ・・・ええっと、そんな、あまり時間がないんで、大した研究じゃないですし・・・・・・」
「いえ、我々のように武芸に全てを打ち込むしか能のない人間からすれば、文武ともにそこまでのレベルにあるだけで驚嘆です」
「そんな・・・風に言っていただけるなら・・・」
アドリアがそう言って後ずさる、だがその目は完全に”恋する乙女”のものだった。
と、同時にその空気を裂くように一際大きく、”ちゃりん”という音が響く。
「くだらん」
そして短く放たれたその言葉が完全にその場の空気を破壊すると、アドリアは我に返ったようにガブリエラを見つめた。
だがレオノアの方はそれに対して一歩も引かない。
それどころか、
「君の好みは聞いてないよ?」
と半ば挑発するような言葉を投げつけたのだ。
その態度に、この場の空気が一気に凍りついたような錯覚をアドリアは覚えた。
だがガブリエラは軽い笑みでそれに対する。
「では”ナンパ”は他所でやれ、アドリアは今私と喋っている」
「そんな風には見えなかったな。 君が彼女の声掛けを無視して、彼女が困っているようにしか見えなかったぞ?」
「もしそう見えるのなら、その目玉を交換したほうが良いな。 もしくはそう判断した頭を替えるべきか」
そう言ってガブリエラは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
だが、レオノアも引かない。
「誰もが君の”力”に怯えるとは思わない方がいいよ。 僕はねガブリエラ、君に少し怒ってるんだ」
そう言うなりレオノアがジリリと全身に力を滲ませる。
その圧力はアドリアであっても息を忘れるほど強烈で、常人ならば失神してもおかしくない程の恐怖を伴っていた。
だが、その程度ではガブリエラは眉一つ動かさない。
むしろ”足りない”とばかりに鼻を鳴らした。
「去年、”選ばれたばかりの力”に振り回されていた奴が、大きく出たもんだ」
「いつまでも、君やルキアーノだけが”世代の頂点”にいるとは思わないことだよ」
「そう嘯くには”力”がまだ馴染んどらんぞ?」
ガブリエラは馬鹿にしたようにレオノアの持つ”勇者の力”の底の浅さを指摘する。
だがレオノアもその程度では食い下がらない。
「口ではそう言っているが、僕との戦いを避けたのは何故だ?」
レオノアのその言葉を聞いたガブリエラの表情が、”氷解した”とばかりに大きく歪む。
「ッフ・・・まさか貴様、私が
「違わないのか?」
レオノアがそう聞き返すと、ガブリエラが突然大きな笑い声を上げ、会場の空気が水を打ったように静かになる。
これまでは様子を窺うことはあっても会話を止めることはなかったのに、今では怯えた羊の群れだ。
そして彼等は”次に起こること”に恐怖しながら息を潜め、”上座の2人”に注意を向けていた。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ・・・おいおい、”メレフの
ガブリエラがそう言って笑うと、レオノアの顔に露骨に不機嫌な色が浮かんだ。
「”父”は関係ないだろう、それに実際に”勇者”と戦ったわけでもないんだ。 君のその”力”がコケオドシでないか・・・」
「レオノア」
レオノアの言葉をガブリエラが一言で遮る。
その声の覇気は、それまでと明らかに”空気”が違っていた。
「親睦を深める宴席だ、多少の無礼は許そう。 私の考えや私の行動を悪く言うのは別に構わん、・・・私もそれに値するという自覚はあるからな。
だが、”私の力”を下に見る発言は慎め。 でなければこの場で”この力”を証明しなければならなくなる」
ガブリエラがそう言って脅すと、その周りの空気が魔力を動かしてもいないのにユラリと揺れたような錯覚を起こした。
それ見たレオノアも流石にこの会場で暴れるわけにはいかないと考えたのだろう、纏っていた険悪な空気を僅かに薄くした。
・・・だがそれだけだ。
「じゃあ聞こうか、君が僕との試合を避けた理由を」
「簡単なこと、それよりも”しなければならない事”が重なっただけのこと、その様な場合”代理”を立てるのは認められておろう? 私は何も曲がったことはしとらんぞ?」
ガブリエラはそう言うと”どうだ?”とばかりに、レオノアを睨む。
「だが、その”代理”はまだ11歳だというじゃないか。 そんな小さな子供に”勇者”との試合を押し付けるなんて、君の良心は痛まないのか?」
「では、貴様が慈悲を掛け手を抜け。 代理とはいえ”選手”に選ばれた以上、どの様な相手にも立ち向かうとしても、それが”誇り”であり、貴様の言動は”選手全体”に対する侮辱だ」
「押し付けた君がそれを言うのか」
「アクリラの11歳を馬鹿にするな、温室育ちの貴様以上に強く生きた”強者”だぞ?」
ガブリエラの返答を聞いたレオノアが大きく溜息を吐き、頭を振る。
この言い争いが段々と無為且つ危険な方向に向かっていると悟ったのだろう。
小さく「これだから、力を持って生まれた奴は・・・」と吐き捨てると、次の瞬間に険悪な空気と表情を捨て去り、横で2人のやり取りを傍観していたアドリアへ向き直った。
「アドリアさん、一緒に会場を回りませんか?」
「!?」
「駄目だ」
突如、自分の方に向いたレオノアにアドリアが驚く前に、割って入る様にガブリエラがそう答えた。
「彼女は今私と喋っていると言っただろう」
ガブリエラはそう言うなり、アドリアの肩を掴んで引き寄せた。
レオノアもそれを見せられてはこれ以上”会話”を続けることは不可能だと判断したのか、2人に無言で一礼すると、訓練された動きでクルリと体の向きを変え会場の中心へと歩き出し、それを見た会場の空気が一気に弛緩する。
だが、
「待て」
突然投げかけられた静止の声に、レオノアが怪訝な顔で振り返る。
驚いたことに声の主はガブリエラだったのだ。
「ついでにイルマとやらに忠告しておけ・・・去年は竜人の力に目覚めてなかったみたいだが、付け焼き刃の力で勝てるほど、ルキアーノは低い壁ではないぞ。 せいぜいその醜い裸身を汚されぬように、上手く立ち回れとな・・・」
ガブリエラがそう言うと、レオノアの目が鋭いものに変わる。
「イルマはルキアーノには負けないよ。 それよりも君もちゃんと”代理”のことを少しは心配したらどうだい? 君の”無茶”に付合わされる”周り”のことをもっと考えるべきだ」
そしてそう言うなり返事も待たず顔を戻し、今度こそ会場の人混みの中に紛れていったのだ。
親睦会が再び温かい空気を取り戻したのは、それから1時間も経った頃だった。
それでも最初はギスギスとした緊張感を持っていた空間も、話に花が咲き、事情を知らぬ新たな客が訪れるに連れ、その緊張感を料理と飲み物で押し流してしまう。
レオノアもいつものように多くの者達に囲まれ、その美しい笑顔で多くの女子生徒を虜にしていたし、ガブリエラにしたってどこか柔らかな雰囲気を纏いだしていた。
「ん? どうした?」
ある時、ガブリエラが横にいたアドリアの”変化”に気づき、何事かと問いかける。
「えー? いやー・・」
アドリアの顔が面白そうに歪んだ。
その表情は締りがなく、顔色もどこか赤い。
”酔ったか・・・”
ガブリエラは心の中でそう呟くと、それを肯定するような材料を彼女のスキルが提示した。
もちろんアドリアは魔法士なので酒は飲まない。
だがどうやら会場の雰囲気に当てられて、気分が軽くなったのだろう。
「ただ、ちょっと感心してね」
「感心?」
「イルマって去年は”代理”だったでしょ? ちゃんと
”何だそんなことか”
アドリアの言葉にガブリエラは小さく笑う。
どうやらアドリアにも、ガブリエラが自分のことしか見ていないような人物だと思われていたらしい。
長い付き合いだというのに少し悲しいが、言い訳できない時間だったというのもまた事実なので、悲しむわけにもいかない。
「そなたのことも、ちゃんと見ておるぞ?」
「え?」
ガブリエラの思わぬ言葉に、アドリアは虚を突かれたような声を出した。
「私だって同世代の強者は最大の関心事だ。 そなたもルキアーノも、他校の生徒も・・・」
ガブリエラがそう言いながら、会場の中の一点をぼんやりと見つめる。
そこには一際人の集まる箇所があり、その中心には誰もが見惚れるような太陽のような笑顔が特徴的な黒髪の少女が、周囲の者からの声に熱心に耳を貸している様子があった。
そしてその少女を見つめるガブリエラの視線には、一言では表せない強い感情が乗っている。
それを見たアドリアは、その少女の着ている制服と風貌からその人物が何者であるかをすぐに特定した。
「あれは確か・・・明日あなたが戦う・・・」
その瞬間、アドリアはガブリエラの中の”意外と小さな事に拘る一面”を目の当たりにして、思わず苦い笑いを浮かべる。
ガブリエラは王女や”王位スキル保有者”である前に、まだまだ”小さい少女”なのだと。
ちょうど、その時だった。
その”異変”に最初に気づいたのは、その場で一番能力の高いガブリエラとレオノアだ。
「・・・? レオノア様、どうしました?」
レオノアと話していた生徒が、突如一点を見つめながら固まったレオノアに不思議そうに問いかける。
そしてその視線を追って窓の外を眺めると、その生徒もその場で固まり、それを見た他の者が釣られるという連鎖が会場全体で発生した。
次に起こったのは、小さな”振動”。
まるで地震のように・・・それにしては小刻みな振動が、会場内の食器をカタカタと揺らし始めたのだ。
そしてさらに、その振動に呼応するように空気が揺れ、その振動が音となってその場に木霊したではないか。
この段になれば、さすがに深く酔ったものであっても”異変”に気が付き始め、何事かと窓の外を眺め、そこに見た”異様”に口をあんぐりと開けて固まっている。
それでも一応”強者の集い”とあってか、この場で表情に恐怖を浮かべていない者はそれなりにいた。
だが、興味を持たない者は1人もいない。
全員がその場で首を回して、まるで見入るようにその”現象”を見つめている。
するとその時、レオノアがふとガブリエラの方を振り返った。
彼女がこの現象にどの様な反応を示すのか、それともこれは彼女の仕掛けた余興だとでも思ったのか。
とにかく何気ない気持ちで振り返った先にいたガブリエラは・・・
持っていたティースプーンを真っ直ぐにレオノアに向かって指し示し、その顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
◯
その”異様”は会場だけでなく、アクリラの全土から見ることが出来た。
通行人は足を止め、演劇の最中の役者たちも何事かと食い入るように”空”を見つめている。
当然ながら、トリスバルの宿舎もその例外ではない。
客室の中にいたイルマと少女達は、外から見えることも構わずに窓に近づくと、見たことのないその”景色”を、ある者は恐れながら、ある者は吸い込まれるように見惚れている。
そしてイルマは少女達に見せていた甘い雰囲気を引っ込めて、射殺すような鋭い目をしていた。
窓の外に有ったのは、アクリラの中心部の外れから雲を突き抜け天まで伸びる”黒い光の柱”。
その黒い輝きは間違いなく魔力特有のものであり、これほど離れた位置にいる少女達の身体を黒く塗りつぶすその光量は、間違いなく凄まじい魔力量の放出のみによって成される”偉業”だ。
そしてその光は、まるで意思を持っているかのごとく鳴動し、その振動が十数キロ離れた宿屋の建物を力強く揺すっていた。
だが何者が、こんな事を成したのか。
イルマは記憶にある限りの候補を探る、だがそのどれとも該当しない。
こんな魔力量を持っているのはガブリエラだけ、だが彼女の魔力は輝くような”黄”のはず。
こんな、膨大でドス黒い魔力など・・・
イルマはそこで小さく鼻をすする。
すると驚いたことにこの短時間で、もうこんな所まで”黒の魔力”の匂いが漂い始めているではないか。
そしてもっと驚いたのは、その魔力に”心当たり”が有ったことだ。
イルマは必死にその匂いの記憶を辿る。
この特徴的なまでに整った魔力の匂い・・・僅かではあるがそれを出していた、あの”気持ち悪い小娘”の姿が出てくるまでにそれほど時間は掛からなかった。
”あの”チビ”め・・・やはり何か隠していたな”
そんな言葉を飲み込むと、一層真剣な表情でその光を睨む。
「・・・恐ろしい街だ」
イルマはそう言うと、肉食獣のように口元を歪めて笑った。
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