2-8【決意と選択 4:~自由までの時間~】



 その”宣言”は、雷の様にその部屋の中に轟き、耳にした者すべての顔を驚愕に染めた。


「異存ないな?」

 

 部屋の中に君臨したガブリエラが、支配者の覇気を撒き散らしながらそう問いかける。

 だが誰も応える者はいない。

 問いかける言葉でありながら、一切の応えを許していなかったのだ。

 そもそも息ができない。


「では、あらためてその方等に申し付ける。 この会談はここで終了し、また改めてその日取りを通達しよう」


 そう言うなり、ガブリエラは俺達を冷たい目で見つめた。


「モニカ・シリバ、我が臣下との段取り・・・ご苦労であった。 今後この会談ではこの私が”国”側の代表となろう」


 モニカがそれを無言で見つめる。

 そもそも会える状態だと思っていなかっただけに、こんな所で出会った驚きと、

 いつもと全く様子が異なるガブリエラに、どう反応していいかわからない感じか。

 するとちょうどその時、俺達の体を押さえつけていた圧力が解かれ、息ができるようになり全員が大きく息を吸い込んだ。


「・・・恐れながら申し上げますが・・・」


 すると間髪入れずに向こうの交渉人の男が声を上げる。

 だがそれもガブリエラが目を動かして一瞥するだけで抑え込まれた。


「誰が発言を許可した?」


 猛獣の唸りのような声でそう言われれば、普通の人間は声すら出なくなるだろう。

 だがこの男は、それでも言葉を発することを止めなかった。


「この件に関しての処置は、国王陛下より我々・・に任された案件です」


 頑とした態度でそう主張したのだ。

 それを見た俺は、心の中でこの男に対する評価を上げる。

 身の危険を感じるほどの恐怖を撒き散らし、実際にそれを為せるだけのガブリエラに食って掛かるからには、度胸だけでなく、彼女が”理”を通せばちゃんと聞いてくれる人物であることを知っていなければ、出来ないことだからだ。

 だが、それでもガブリエラを押し止めるには至らなかった。 


「ではその”我々”とは何だ? アオハの次男坊を名代みょうだいに、その子飼いの商人が実務を担当しているが、公爵家の一存で対処するには些か過ぎた案件だぞ」


 そう言って小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 相手側の陣容が1つの家だけで構成されていることを指摘したのだが、それでも交渉人の男は怯まなかった。


「これは”我が家”の婚姻の問題です。 王女殿下といえども・・・」


 するとガブリエラは、今度こそはっきりと不快感を顔に表しながら男を睨む。


「ならばこそお門違いも甚だしい。 今は”王位スキル保有者”の処遇の問題だ。 ”部外者”は退席願おうか」

「な!? これは・・・」

「ディーノとやら。 そなたのこれまでの国への献身、アオハ公爵の面目を鑑みて受け答えは致したが、それを履き違えるようならば容赦はせぬぞ?」


 その瞬間、ガブリエラの周囲の空気が俄にざわめき立ち、これまでどんな相手にも涼しい顔を見せていた交渉人の男の顔に冷や汗が浮かぶ。

 ガブリエラの凄まじい覇気と魔力に飲み込まれたのだろう。

 そしてその空気は、ガブリエラが言外に”話し合うつもりが無い”事を示していた。

 さすがの凄腕商人も相手が話の通じない”暴虐王女”とあっては分が悪いと判断したのか、すぐに視線を切って顔を伏せる。


 すると今度はモニカの方が口を開いた。


「が、ガブリエラ・・・わたしは・・・」


 おそらく時間がない故に受け入れることを決めたと、ガブリエラに説明しようとしたのだろう。

 だがその言葉も喉を通ることはなかった。


 ギロリ


 そんな音が聞こえたのではないかと錯覚するほど強烈に、ガブリエラが目の動きだけでそれを抑え込んでしまったのだ。


「・・・誰が発言を許可した?」


 その言葉にモニカの体が一気に緊張し、俺の中に”生命の危機”を察知した感覚達の合唱が木霊する。

 そこにいたのは、いつも魔力の使い方を教えてくれた気の良い先輩の”ガブリエラ”ではない。

 正真正銘、誰もが恐れ、誰もがひれ伏す最強の王女、”ガブリエラ・フェルミ”そのものだった。


 そんな存在が、改めて席の向こう側に睨みを効かせる。

 まるで、先程ガブリエラが言った”退席願おうか”という言葉の実行を急かしているかのように。

 

 こうなってはもう今回の会合の続行は不可能だ。


 そう判断したのだろう。

 ディーノと呼ばれた交渉人の男は、ガブリエラに向かって無言で頭を下げると、そのままゆっくりと椅子を引いて立ち上がり、護衛の兵士達に合図を送る。

 すると護衛の兵士達が一斉に、ガブリエラに向かって腕を組んで深々と頭を下げた。

 その雰囲気からして最敬礼といったとこか。

 だが、選りすぐりの強者ぞろいの彼らも、王族の突然の来訪とあってか見たことがないほど緊張していた。

 リーダー格の男など、以前スコット先生が無双した時にも顔色一つ変えなかったのに、今では土気色だ。


「面を上げい」


 そしてガブリエラがそう言うと、相手側の面々が最敬礼を解いて一斉に移動を始めた。

 唯一人、俺達の向かいに座っていた黒いフードの男だけが状況が飲み込めずにボーっとしているが、

 流石にそれはまずいと判断されたのか、護衛の一人が慌てて駆け寄り立たせると、更に被っていたフードをめくり取る。


 認識阻害のかかった衣の下から現れたのは、無駄に高そうな服を着た、茶髪のやつれた若い男。

 およそ20前後だと思うが、悩み事でもあるのかくたびれた印象だ。

 これが俺達が結婚させられる相手か・・・

 初めて見たその姿に、俺は謎の感慨を感じたが、それを口に出せる空気ではない。


 その男は今頃王族の門前だと気がついたのか、慌てて最敬礼の姿勢をとるが、公爵の次男坊との事なのに何処かぎこちない。

 その身分故に頭を下げたことがないのかとも思ったが、どっちかといえば挨拶自体しなれてない雰囲気である。


 それに対し、ガブリエラは先程と変わらぬ様子で礼を解く許しを与える。

 その顔は、多少の無作法など虫の羽音以下の存在感しかないといわんばかりに、表情がない。


 すると今度こそ退席するのか、相手側の全員が揃って出口へ向かい始めた。

 だが、いよいよ退出という段になってその足が止まる。


「・・・この件は、国王陛下に御相談させていただきますよ」


 ディーノと呼ばれた男は捨て台詞の様にそう呟いたのだ。

 だがガブリエラは、どこまでもその上を行っていた。


「大儀である!!」


 依然として雷のような轟をもったその声で、短く、それでいてはっきりとそう言いきったのだ。

 その響きにディーノの体がビクリと波打つ。

 ”父親に言いつけるぞ”という脅しに対して、堂々と”言え”と宣言したのだ。

 あまつさえ ”自分で言う手間が省けて感謝している” と言わんばかりに・・・


 なけなしの脅しすら正面から叩き伏せられては、さすがの商人もたまらない。

 部屋を出ていくその背中には、疲れたような悲壮感すら漂っていた。

 そしてパタンという音を残して部屋が静まり返る。


 この間、こちら側の陣容で動いた者は一人もいない。

 言葉すらモニカ以外は発していなかった。

 皆、無言でその場に君臨するガブリエラを見つめている。


「モニカよ・・・」

「・・・!?」


 自分に向けられたガブリエラの声にモニカが萎縮する。

 先程の迫力がまだ残っているのか、その”距離感”を掴みかねた俺達は、どう反応していいか頭の中で相談する余裕すらなかった。


 ガブリエラの表情は依然として硬い。


「場所を変えぬか?」


 だがその言葉だけは、いつもと同じ、何処か優しげなものに戻っていた。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 ガブリエラ達に連れられて転移した先は、貴族院の中庭だった。

 だが動向を許された他のメンバーは、直接の教師であるスコット先生のみで他はいない。

 なんでも、ガブリエラ直々に俺達に話があるらしい。


 少し置いてきたサンドラ先生とかクレイトス先生辺りのことが気になるが、今はそんな事を口に出せる空気ではない。

 俺達の前をズンズンと音を立てて歩くガブリエラは、そんな排他的な空気を周囲に放っていた。

 それにしても、俺達はこれから何処に連れて行かれるのか?

 それに俺達、今は普通の制服を着ているけど、こんな状態で貴族院の中庭を歩いて大丈夫なんだろうか・・・


 中庭といえばガブリエラの屋敷がまず思い浮かぶが、あれはこの前の一件で全壊している。

 僅かに構造物が残っていたが、あれだけ派手に壊れたのだから、公的な基準でも全壊だろう。

 こっちの法律、読んでないけど。


 だがその時、ちょうど木々の向こうに見慣れたその建造物の姿が飛び込んできた。


『なおってるね・・・』


 モニカが若干呆気にとられたような声で、俺にそう呟く。


『あれだけ派手に壊れたのに、すごいな』


 中庭にあるガブリエラの屋敷は、暴走したガブリエラにかなり酷く破壊されたはずなのに、今では以前見たときと寸分違わぬ姿を見せていた。

 横に金色の”王球”が鎮座しているのも同じ。


「手酷く壊してしまっての、外装の修復に3日、内装に1週間も掛かってしまった」


 ガブリエラはそう言って、軽く口を歪めてニヤリと笑う。

 するとそれが切っ掛けとなったのか、周囲に漂っていた重苦しい空気が一気に晴れて消え失せた。

 見ればガブリエラの従者たちの顔に血の気が戻り、モニカの体からも無理に掛かっていた力がすっと抜け、先程から俺の中で鳴り響いていた非常アラームが一斉に鳴り止んだ。

 どうやら”王女モード”はここで終了らしい。


 だがそれでも、モニカに以前と同じ様に声をかける余裕はない。

 ちょうど初めて”秘密のレッスン”をやったときと同じくらいの距離感か。


 するとそんな俺達を残して、ガブリエラが屋敷の玄関前の階段をスタスタと上り、そのまま侍従の動きも手で制して、自らの手で扉をガチャりと開けた。



 正面玄関を入った直後、俺達は驚きに目を見開く。

 特にモニカの驚きはかなりすごい。


 屋敷の玄関ホールは、まるでそれが当然であるかのように、壊れる以前に飾られていた肖像画達もそこに並んでいたのだ。

 俺の持っている視覚情報を引っ張り出して比べても、全く同じ。


 そして、その中でも一際目立つ”2つの絵”。

 ガブリエラが階段を登り、2階の中央に飾られたその片方の巨大なまでの白い額にそっと手を添えた。


「直ったの!?」


 モニカがそこでようやく声を上げる。

 その言葉通り、その肖像画はあの時ガブリエラの放った魔力の直撃を受けて吹き飛んだはずだ。

 だが、そこに掛かっている肖像画に描かれたモニカそっくりの少女は、以前と同じ優しげな笑みを浮かべたまま、以前と同じ空気を纏って鎮座していた。

 焦げ跡や亀裂などは見られない。

 

「これらの絵画には強力な保護魔法が掛かっておるし、その中には私が直々に組んだのもある。 あの程度の中途半端な流れ弾1つで大きな破損はせぬよ」


 そう言ってウルスラの肖像画に優しげに手を伸ばす。

 ガブリエラの瞳には優しさが籠もっていた。

 だがその言葉は、俺達に説明するためというより、まるであの時、それを切っ掛けに制御を失った自分に対する、”戒め”のように聞こえたのは気のせいだろうか?

 

「でも1週間と少しで、ここまで元通りになるって、やっぱりアクリラの技術はすごいですね」


 俺がそんな感想を漏らす。

 するとガブリエラの顔が面白そうに歪んだ。


「ロンよ、どうした? いやに畏まった言い方だが」

「あ、いや、流石に敬語使わないといけない空気かな・・・って」


 俺はそう言って心の中で若干身を縮める。

 いくら、もうその覇気は残っていないとはいえ、ガブリエラのあの姿を見てからまだ1時間も経っていないのだ。

 ”タメ口”とはいかなくても、敬語を使わない発言は、俺の”本能”が全力で止めに来た。


「貴族院の専属の大工は優秀だからの、毎年派閥に応じてかなり作り替えがあるし、その者に合わせた意匠も凝らしておる故、対応が早い。 そのかわり、よく見れば簡単な構造の組み合わせだったりするのだがな」

「はあ・・・そうですか・・・」


 ブロック構造とかそんな感じになっているんだろうか?

 確認の為に以前の屋敷の立体図を引っ張り出してみたが、よく見なければそんな風には見えない。

 ただ細かいパーツなどは、貴族院の他の建物と共通みたいだ。

 この辺は規格化されているらしい。


「それに恥ずかしながら、私が屋敷を壊したのは1度や2度ではない。 大工の奴らめ、面倒くさいからと、修理ではなく更地にしてから建てよったわ」


 ガブリエラはそう言ってクックックと朗らかに笑う。

 その笑い方が魔王みたいで、ちょっと怖い。

 なにがそんなに面白いんだろうか・・・


 だが確かに、ブロック建築的な技術があってあの壊れようを考えれば、修繕するよりいっそゼロから建てたほうが早いというのはそれなりに頷ける。

 きっと何度も暴走するガブリエラに壊されているうちに、その辺の技術が熟れたのだろう。


 するとガブリエラが指を一本立ち上げ、上を指差す。


「私の部屋に行こう。 ここで話しても良いが、”先輩方の目”があるのでな、同じ轍は踏みたくない」


 どうやら、この肖像画達の目に反応した事が堪えているらしい。

 


 ◇



「それにしても驚いたぞ、アラン先生からモニカが結論を急いでいると聞いた時は。 おかげで、かなり無茶な真似をしてしまったではないか」


 以前と同様、ガブリエラの応接室謁見の間に通された俺達は、その主からいきなりそんな事を言われた。


「やっぱりあれ、無茶だったんですか?」


 俺が、恐る恐るそう問いかける。

 するとガブリエラがゆっくりと頷いた。

 良かった。

 覇気はもう完全に抜けているみたいだ。

 

「お父様・・・国王陛下の直々の指示のある案件だからな。 本来は王族であれ手出しはできん。 認証付の命令書を持っていたら危なかった」

「持ってなかったの?」


 モニカがそう問うと、ガブリエラが小さく頷いた。


「そなたがアクリラにいる限り、ある意味で檻に閉じ込めたのと変わらぬからの。 誠実な手続きより、証拠が残る事を恐れたのだろう」

「でもそれじゃ、次に持ってこられたら・・・」

「だからこれは”時間稼ぎ”だ。 それも本来は使う気のなかった穴だらけのな。 もっとも、お父様にそれだけの度胸があるか・・・」


 ガブリエラがそう言って皮肉交じりの苦笑いを浮かべた。

 しかし自分の父親だというのに、随分と評価が低い。

 モニカも同意見のようだ。


「王様がどう考えるかなんてわからないんじゃ・・・」

「誠実に対応したくないからこその交渉に、明文化などという最大級の”誠実さ”を用意するかという話だ。

 おそらく私の気まぐれを疑って、ご機嫌取りに走るだろう。

 喜べ、そうなれば美味い菓子などが貰えるかもしれん、そなたにも分けてやる」


 ガブリエラはそう言って悪そうな笑みを作った。

 くれる物はいただくが、協力するとは言わないって顔だ。

 そしてそれを見たモニカの顔に、なんとも言えない苦いものがこみ上げる


「安心しろ、私が国の不誠実な対応に加担することはない」


「ガブリエラ様、失礼ですが、その言葉をそのまま信じるわけにはいかない」


 すると後ろからスコット先生が鋭い声でそう指摘を入れた。

 その声の鋭さに侍従たちが反応する。

 だがガブリエラは「よい」と小さく呟くと、視線だけでそれを諌める。


「私の立場と力を考えてくれ。 1度でも心を隠して不誠実な頼みを聞き入れれば、すぐに私自身が国ごと、この”力”に食い殺される。

 かつてのそなたのような、気楽な”雑兵”とはワケが違うのだ」


「ぞ・・・」


 雑兵って・・・・


 ガブリエラの言葉にスコット先生が小さく眉を上げ、モニカがなんとも言えない驚きの感情を発する。

 俺達はスコット先生の過去はよく知らないが、彼のその経歴が皆から尊敬され、実際にそれだけの実力があることは知っていたのに、ガブリエラにかかればそれも”雑兵”となってしまうのか・・・

 そして、その言葉が誇張でも何でもなく、今まさにガブリエラが直面している”問題”なんだと理解した時、

 俺達は静かに”この力”の恐ろしさを改めて突きつけられたかのような気分になった。


 ”強い力には、大きな責任が伴う”


 アメコミかなんかの台詞だったと思うが、実際にガブリエラ程の力を持ってしまった時の”責任”とは。

 しかも彼女は”王族”だ。

 スコット先生もそれを理解したのだろう。

 無言で身を引いてそれを示した。


 ただ、そうは言ってもいきなりな話であることに変わりはない。


『さっきアラン先生に聞いて驚いたって言ってたし、もしかすると、本当のところは急いで用意した”デマカセ”なのかもしれないな』


 交渉中にアラン先生が連絡するのは、別に不思議な事ではない。

 最近授業で知ったのだが精霊というのは、そう見せているだけで、別にその場所にいるわけではないらしい。

 アラン先生の場合であれば、アクリラそのものが彼の全身なんだとか。

 薄っすらと漂っている霧みたいなものという表現もあった。

 なのでアクリラの中であればどこにでも現れるし、少数であれば複数出現も可能。

 どうりで頻繁に付き合ってくれるわけだ。

 最初は暇なのかもと思ったが・・・


『でも私がその事を考えてから、現れるまで時間経ってないよね?』

『5分もなかったよな』


 いくら”とんでも王女様”とはいえ、これは早すぎだ。


「ん? なにか気になることでもあるのか?」


 すると頭の中で小話を始めた俺達にガブリエラがすぐに気づいた。

 察しが良いのか、それとも”ウルスラ”の能力か。


『どう答える?』

『普通に答えていいだろう。 まっとうな疑問だ』


 モニカが返事の代わりに肯定の感情を流す。


「ガブリエラがやってくるのが、妙に早いな・・・って」

「ああ、そのことか」


 恐る恐る問いかけたモニカに対し、以外にもガブリエラの反応は淡白なものだった。


「治療のために籠もっている時から、アラン先生にモニカの様子は聞いていた。 そなたが少しずつ”悩み”を深めていることもな。

 故にそなたの考えていたことも、今回のような事態になった場合の”対処”も練っておった」

「すぐに来たのは?」

「私のスキルが有れば移動時間は掛からないからな、手近にいた付き人に声をかけて急いで着替えてきたのだ」


 ガブリエラがそう言うと、周囲から疲労の籠もった笑いが漏れた。

 その言葉通り、よく見れば給仕だったはずの者が武装していたり、メイドだった子がドレスを着ていたりとなかなかに”混乱”の跡が散らばっており。

 さらには、いつもなら一緒にいるはずのヘルガ先輩の姿も見えない。

 休日ということで何処かにでかけてるのかな?

 本当にその辺にいた臣下を適当に礼装させて、そのまま転移スキルで持ってきた感じか。


「なのでこの衣装も外面だけで、中着も来ておらぬ。 ほれ」


 ガブリエラがそう言いなら襟元に手をかけると、そのままいきなり引っ張った。

 すると驚いたことに、品のいいシャツのように見えたその襟がポロリと取れ、その下から彼女の”巨大な谷間グランドキャニオン”が顕わになったのだ。

 ”それ”を見た俺の思考が停止し、モニカの目が点になる。

 後ろを見れば、スコット先生が顔を斜め下に向けて逸らし、侍従達が慌てだした。


「意外と上手く出来てるであろう?」


 だが、ガブリエラはそんなこちらの反応など気にしないかのようにそう言うと、手に持っていた”白い布”を小さく振り回す。

 驚いたことに、それは金の刺繍の入ったハンカチの様なものだった。

 どうやら上品なシャツの襟に見えるように折りたたんで、ドレスの胸元に押し込んでいたらしい。

 見れば他にも、細々としたところが似たような方法で誤魔化してある。

 つまりこの”ハリボテ”衣装こそが、時短の最大の原動力というわけか。

 それにしても、この巨大な谷間はなんというか・・・・


「・・・ガブリエラ様! はしたないです!」


 若い侍従の1人が慌てて押し殺した声で指摘する。

 だがガブリエラは飄々としたものだ。


「人を痴女のように言うでない、下着と上着は着ておるのだ。 文句はなかろう」


 そう言ってゆっくりと部屋の真ん中のソファーまで移動すると、そこにどっかりと腰を下ろし寛ぎ始める。

 その様子に指摘した侍従の女の子はタジタジだ。

 どうやら彼女では”指摘力”が足りなかったらしい。


「ちょうどいい、立ち話もなんだ。 そこに座れ」


 一方のガブリエラはそう言って向かいのソファーを指し示し、モニカがゆっくりと腰を下ろす。

 すると、かなり近い位置にガブリエラの胸元が見える形となり、目のやり場に困るといった感じにモニカが目を泳がせた。

 後方視界ではスコット先生が諦めたように、近くにあった部屋の端の椅子に座る様子が見える。

 そして侍従たちも、それぞれの”本来の持場”へ散り始めた。


 どうやらこのまま続行らしい。

 少々居心地が悪いが、話を進めるしかないだろう。


「だけど、あれが”時間稼ぎ”だとするならば、何のための”時間”なんですか?」


 俺が肝心のその謎を問いかける。

 するとガブリエラができの悪い子供を見るような目でモニカを覗き込んだ。


「”早まった事”をしようとした、モニカを止めるためだ」


 そしてそう言ってから疲れたように息を1つ吐く。


「”早まった事”?」

「まだ、その”意味”も真には理解できない幼子が、その”体”と”心”を差し出すのだ。 それが”早まった事”でなくて何だというのか・・・」


 ガブリエラはそう言うと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「それに、そなたに言ったではないか、”命”をやると」


 ああ、この前確かにそんな事を言っていたな。

 結局、それが”何”なのかまでは教えてくれなかったが。


「”命”って?」


 モニカが問う。


「命・・・この場合は”自由”と言い換えてもいいかもしれぬ。 檻の中ではなく、己の意思で動き回れる自由。 そなたが今欲しいのはまさにそれであろう?」


 ガブリエラが確認するようにそう問い返す。

 だがそれに対しモニカが反論した。


「私がほしいのは”すぐに動ける自由”、そのためだったら何だってあげられる」

「モニカ!!!」


 突然、ガブリエラの大声が上がり、まるでその威力に張り倒されたかのように椅子の背もたれに、驚いたモニカの背中がぶつかる。


「己を安く売るでない! そんな値段で売れば、買った方も不幸になる! そなたは”呪い”になりたいのか!?」


 ガブリエラがそう言って、鬼の形相でこちらをじっと見つめる。

 だがその目は”怒り”ではなく、”不安”や”心配”といった気遣うような感情が浮かんでいた。

 そしてモニカも、その迫力に声すら出なかったが、それでもその目をじっと見つめ返した。

 モニカから憤りの感情が上がってくる。

 ” そこまで己のこの覚悟を否定するのなら、生半可な答えは許さぬぞ ” と言っているかのようだ。


 ガブリエラもその感情を読み取ったのだろう。

 諦めたように息を1つ吐くと、ゆっくりと、今度は静かな声で語り始めた。


「3年以内・・・だったか」


 どうやらアラン先生から内容についても聞いているらしい。


「・・・今年と来年の冬は越せるけど、再来年は危ない」


 モニカがその情報を追加する。

 たしかに雪が積もるのは冬場だろうから、それくらいが”リミット”になるか。

 つまり中等部3年の秋までに、あそこに戻らなければならない。

 遠いようで、うかうかしていれば一瞬だ。


「・・・そなたも自分の頭で、自らの置かれている状況を計算するようになったのだな。 ・・・だがまだまだ”計算”が甘い」

「・・・甘い?」

「ロンは気づいておるのだろう?」

『え?』


 いきなり急降下した空気の中で、突然話を振られて俺が素っ頓狂な声を上げる。

 え? なんか俺気づいてる?

 流石にこの場で”わからない”と答えたら空気がさらに酷いことになりそうなので、俺は瞬間的に思考をスキル加速させて状況を整理する。

 えっと・・・モニカの考えが”甘く”て、それを指摘しているということは・・・

 何らかの”要素”が考慮から抜けてるんだよな・・・


 なので今度は”モニカの願い”を鑑みて、それを実行するのに必要な要素を並べていく。

 するとすぐにその”問題”が浮かび上がった。


「北部連合に関して・・・とか?」


 俺がそう言うと、ガブリエラはとりあえず”及第点”という感じで頷いた。


「うむ、それも大きいの。 そなた等が戻るには、マグヌス国土経由に限定すれば、どうやっても北部連合の土地を通らなければならない。 だがあそこは旧ホーロン、すなわちアイギスの腹の中だ。

 唯でさえ、その情報管理に慎重にならざるを得ないそなたが、そこを通ることなど認められんだろう」


 ガブリエラは諭すようにそう言う。

 だがモニカはそれでは納得しない。


「私が条件を飲むときに、代わりに出来るようにしてもらう」

「そんな条件飲まぬだろう。 飲んだとしても、”実行不可能”な様に手を回す。 そうなればもうあやつらの”腹の中”だ。

 あとは好きに処理すればいい。 なにせ”契約”は済んでいるのだからな」


「そんな事させない!」

「何を以ってそう言う? 奴らは”契約”と”決まり事”の専門家だぞ? 小娘が急いで結んだ契約に、”見えぬ毒”を仕込むことなど容易いわ」

「・・・うっ」


 モニカがそこで口ごもる。

 優しい口調になっても、ガブリエラを言い負かすには全く足りない。

 そしてそんな状態では”交渉相手の戦場”で戦うことなど出来ないと悟ったのだ。


「奴らの中に入って、なお北部を抜けるには、それなりの”準備”が必要だ」

「準備?」

「”実績”といってもいい。 絶対に取り込まれない、裏切らないという確固たる”実績”が」

「でも、そんなもの・・・」


「用意できないし、できても20年はかかる」


 ガブリエラがそう言うと、モニカが諦めたように顔を下に向け、その絶望的な状況に心を暗くした。


 だがその時、意外な場所から指摘が飛んだ。


「20年とは、えらく具体的な数字だな」


 部屋の端の方の席で、こちらの様子を見ていたスコット先生が指摘を入れたのだ。

 するとガブリエラは、その横やりに面白そうに笑顔を作ると、”20年”と弾き出した”理由”を説明し始めた。


「モニカが次期公爵との間に子を設け、その子が成長するまでには、それくらいかかるだろう」

「子供?」

「モニカが用意できる”実績”の中で、それが一番手っ取り早く、時間が少ない」


 ガブリエラは何でもないように、その身も蓋もない言葉を放つ。


「金や契約の繋がりなど、それを上回る力の前では意味はない。 あやつらはそれを痛いほど知っておる、故にどれほどそなたが尽くそうが信じられぬ。

 だからこそ”理屈のくびき”から外れた、”血の繋がり”が最大の信用足りうるのだ」


 その言葉はガブリエラが言ったからなのか、凄まじい説得力を持って俺達の中に入り込んできた。

 ここでは口にはしていないが、その”20年”という時間は1人の人間を立派に生み育てるのにちょうどの長さだ。

 つまり”モニカの成長”は含まれていない・・・


 それだけのことをしなければ、モニカの求めた”交換条件”は実行できないのだ。


「”血の繋がり”・・・」

「それでは、そなたの”望み”には間に合わぬであろう?」


「うん・・・」


 モニカが力なく頷く。

 時間がないと一世一代の覚悟を決めて行った行動が、まったく意味がないと言われ落ち込んだのか。

 では、どうすれば良いというのか?

 ”2人のゴーレム”のパーツは持ってきているが、それはあくまで技術レベルの確認用とお守り的な意味であって、実際の修理には本体のパーツが必要になる

 それが埋もれて見つからなくなってしまえば、モニカが生きる理由を見失いかねない。


「だからこそ、私がその”自由”を用意してやると言っている」


 ガブリエラはそう言うと、モニカの顔に手を当てて前を向かせた。


「その”自由”は・・・間に合うの?」

「間に合う」


 ガブリエラは力強くそう宣言した。



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