2-7【2つの王 3:~玄関ホールの絵~】


 これほどまでに場が凍りつく瞬間というのを、初めて見たかもしれない。


 ガブリエラが”ご褒美”に何がいいかという問に対するモニカの答えは、それくらい強烈な衝撃だった。

 俺は数秒間思考を停止し、ガブリエラもモニカがなんと答えるのか興味津々な顔のまま固まっている。

 周囲の者たちもその言葉にどう反応していいか分からず、その場でこちらの様子を窺い、スコット先生とアラン先生がそれを真剣な眼差しで見つめていた。


 そしてモニカも自分が言った言葉の”威力”に慄いたのか、ゆっくりと顔を動かしてその場にいた者たちの顔色を見ていた。


「え・・・っと・・・・わたし、なにか”変なこと”言った?」


 若干眉間に皺を寄せながら、モニカがガブリエラにそう語りかける。

 同時に同じような意味の思考が俺に飛んでくる。


「変なこと・・・ではない」


 するとガブリエラがなんとか絞り出すようにそう言う。

 たしかにモニカが求めた”玄関ホールの絵を見せてほしい”という願いは、変なものではない。


「ではないが・・・・」


 そして真剣な目でこちらを見つめた。

 その”迫力”にモニカがたじろぎ、恐怖の感情が俺まで飛んでくる。


『いいのですか?』


 頭の中に声が流れる。

 だがその”ウルスラの管理スキル”の声は、いつもと異なり響いたりはしていない。

 そこから確実に俺にだけ聞こえる様にしていることが伺えた。


 ”モニカに伝えてもいいのか?”と問うているのだ。

 俺だけが”モニカとガブリエラの関係”を知っているという情報を、ルシエラあたりから聞いたのだろう。

 さて問題はどう伝えるべきか・・・

 ウルスラは語りかけては来るが”俺の声”を直接聞くことは出来ない。

 となれば、今ここでモニカに聞かれずに返事をするのは骨だぞ・・・


 あ、そうだ、アラン先生、ガブリエラに”伝えないように”って伝言頼めますか?


 俺がこの場にいて俺の心が読めるはずの白の精霊に、その伝言を伝える。

 聞いてくれるかは分からないが、他に手段が思いつかない。

 するとアラン先生経由で伝言が伝わったのか、ガブリエラの表情が少し変わった。


『了解しました』


 ガブリエラからの返答が返ってくる。

 どうやら伝わったようだ。

 ありがとうございます、アラン先生。


 するとガブリエラがモニカのこちらの目を見ながら諭すように語りかけてくる。


「モニカ・・・すまないが、その絵を見せることは・・・」

「・・・何も聞きません、見るだけでも駄目ですか?」


 だがそれに対しモニカが即座にそう答える。

 その様子は気まずそうではあったが、毅然としたものであった。

 その言葉と、上がってきた感情に俺がハッとなる。


 その絵がモニカとそっくりである”意味”、それを俺たちが”隠したい”と思っていること。

 そして、まだ”見るべきでない”と判断されたこと。

 彼女はその全てをちゃんと察していた・・・・・


 察した上で、”それ以上は聞かない”と言う条件をつけたのだ。

 ガブリエラが真剣な眼差しで、まるで問うようにこちらの目を見る。


「その”意味”を、ちゃんと分かっているのか?」

「見ないで悩むより・・・見て悩んだ方が、まだいいです」


 そう言いながらモニカも同じくらい真剣な眼差しで、ガブリエラを見つめ返す。

 その今までにない真っ直ぐな感情に、俺は言葉を失う。

 こんな感情、ただの思いつきから出るわけがない。

 俺の知らないところで、モニカはずっと悩んでいたのだろう。


「・・・わかった」


 ガブリエラは俺たちに向かって短くそう言うと、後ろを振り返って侍従たちに指示を飛ばし始めた。

 どうやら見せてくれる気であるらしい。


「ただし・・・見るだけではだめだ」


 突然ガブリエラがそう言うと、ウルスラの声が囁きかけてきた


『絵を見せるからには、これ以上隠すべきではない・・・ガブリエラはそう言っています』


 いや、だめでしょ。


 俺は心の中でそう即答する。

 一考の余地も無い。

 ガブリエラが言わんとしていることは残念ながら分かる・・・・・・・・・

 絵を見せるだけでなく、その意味までも教えるべきだというのだ。


 その絵を見せるだけなら問題ない。

 いや大問題だが、ギリギリなんとかなる。

 だがその”意味”、すなわち ” なぜモニカのそっくりさんの絵がガブリエラの屋敷に飾ってあるのか ” を教えるとなると話は別だ。

 モニカはまだ小さな子供。

 それも”人の世界”に入ってまだ半年も経っていない。

 そんな子供に伝えるには、彼女の出生に関する情報はあまりにも”危険”である。

 ルシエラの心が読めるアラン先生や、おそらく多くの情報を持っているガブリエラならそんな事分かるだろうに・・・・

 

 俺はそんな”考え”をアラン先生に伝え、また彼からガブリエラへと伝わる。

 だが、


『ロンよ・・・モニカはもう、”殆ど”分かっておる』


 アラン先生のその言葉に俺が再びハッとなる。


『モニカはモニカなりに、与えられた情報から想像を巡らせておる、その中には”正解”に近い物もあれば、将来的により大きな”しこり”になりうるものもある。 モニカがそれを望んだ以上、この状況は正しい情報を持つに値するのではないか?』


 だが・・・たとえ想像が付いていたとしても、それを実際に突きつけられるのは別の話だ。

 この世には先に感づいていたとしても、それでも尚精神を破壊しかねない情報というのはある。

 モニカを信じて、こんな幼い子供にそれを押し付けるというのは、そんなものは”信頼”ではない。


 ”無責任”だ。


『だがこれから先、今与えられた情報から推察するだけの人生など、拷問ではないか?

 もう既に、モニカなりに”答え”に近づいておる。 それが”悪い結果”を生む前に、せめて正しい情報を与えるというのは、モニカの為にならぬかの?』


 それは・・・どこまで行っても、あなたが”他人”だからですよアラン先生。


 俺はそう心の中で憤ると、白の精霊の顔が露骨に曇る。

 少し言い過ぎたかもしれないが、それでも俺にとってモニカは他人事ではないのだ。

 一生残る心の傷を負う可能性など、とてもじゃないが看過できない。


 だがそんな風に頑なな俺に対して、今度はウルスラの管理スキルの声で語りかけられる。


『中途半端な情報の開示は大きなストレスになる。 それは高位のスキル保有者にとって見れば”不安定材料”になりうります。

 ”あの絵”はモニカ様にとって大きな衝撃となるでしょう。 絵を見ないか、それとも全てを受け入れるか、どちらかしかありません。』


 その言葉に俺がぐぬぬとなる。

 たしかに中途半端な状態のままずっと放置すれば、余計なストレスがずっと続く事態になりかねない。

 それが高位スキル保有者にとって良くない事だというのは、他ならぬガブリエラの言葉だからこそ説得力があった。

 瞬間的な衝撃と持続的なストレス。

 モニカが”それ”に手をかけた以上、どちらかを選ばなければいけない。


「ならばモニカに聞こう」


 するとガブリエラが、初めて見かけたときに感じた圧倒的な覇気を身に纏うと、改めてその目でモニカの目をじっと見つめる。

 その迫力と恐怖にモニカが思わず後ずさる。

 だがモニカはすぐにそれを気合で跳ね除けると、今度は逆にガブリエラの目を強い眼差しで見つめ返した。


「モニカ・シリバ! 見てしまっては後戻りはできぬぞ。 一生、己の身に宿った”呪い”と付き合うことになる。 ただの思いつきや好奇心ならばその願いを引き下げろ」


 そんなモニカに対し覇者の空気を纏ったガブリエラがそう告げる。

 だがそれに対してもモニカは引かず、すぐに答えを発しようと口が開く。


「そなたのスキルは、そなたが今知るのは早いと言っておる。 まだ幼いとな。 私も同意見だ。 その”忠告”を跳ね除けるという”意味”をちゃんと考えろ。

 だが、もしそなたが真に覚悟を持って己の運命に向き合うというのなら、それは尊重する。 だからこそ次にそなたが発する”答え”に気をつけよ・・・・生半可な覚悟での答えは許さぬ」


 ビリリ・・


 まるでその言葉に揺さぶられたかのような振動がモニカに走る。

 同時にその中から憤りに近い感情が。

 好奇心を責められた”不満”と、それに対しそこまで覚悟を求める”不安”。

 だがその直後それらの感情は、それでも真実を知りたいという乾きにも似た”決意”によって塗りつぶされた。


 モニカの口が開く。


 そして今度はその一語一語に思いを乗せるように慎重に、しかしハッキリと覚悟が伝わるように、その”答え”が発せられる。


 それを聞いた俺は心の中で諦めにも似た、今後に対する”恐怖”と、

 秘密をモニカに隠し続けなくても良くなった”安心”の混じった複雑な感情が渦巻くのを感じた。

 そしてそんな俺の様子を見たアラン先生が、まるで慰めるように俺に言葉をかける。


『気負うでない、そなたがいればモニカが惑うことはないであろう。 彼女も成長している』






 今日の”レッスン”が終了してから、俺達はガブリエラの屋敷に彼女の転移魔法で戻り、そのまま彼女の侍女の先導で玄関ホールへと移動した。

 だが、モニカもガブリエラもまるでこれから処刑台に向かう道中みたいな、気まずい緊張を漂わせていたので、ガブリエラの関係者たちも先程までと打って変わって緊張を纏っている。

 本当は一緒に来る必要のない、ガブリエラのスキル調律師達が付いてきているのも、これから起こる事態に備えてのものか。

 おそらく彼らは、モニカが混乱して俺でも制御不能になったときに備えていると思われる。

 もしくは”それ”を伝えることになるガブリエラの変化に備えてか。


 そしてそんな大人達の緊張を拾ったモニカは、その道中で無意識にスコット先生の服の裾をギュッと掴んでいる。

 普段なら俺が指摘して止めただろうが、今はそれで落ち着くならとわざと見逃していた。

 スコット先生も同様だろう。

 だがそのせいで、スコット先生の一張羅の裾に大きなシワが寄っていて、少し申し訳ない気持ちになる。

 だが他人の心配をしている余裕はない。

 

 出入りを裏口にするなど、これまで不自然なまでに遠ざけられていた玄関ホールが見えてきた時、俺は”やっぱり今日はやめにしない?”と提案したくなる衝動をぐっと飲み込んだ。

 あそこまでに大仰にモニカに決断を迫ったのだ。

 モニカだってその”絵”が自分と無関係でないことくらい気づいていることだろう。

 もう既に、そんなことが許される時間は過ぎているのだ。


 先導していた侍従たちは、”それは主人の仕事である”とばかりに玄関ホールの扉を開けず、その前に並ぶと、それに追いついたガブリエラが今度は先頭に立って扉を開ける。

 するとその向こうに、立派な広間の光景が見えた。

 そしてガブリエラがスコット先生にくっついているモニカを見つめると、右手で玄関ホールの中を指し示し、無言で入るように促す。

 それを見たモニカはゴクリと小さく唾を飲み込み、スコット先生の上着から手を離し、ゆっくりと自分の足でホールの中へと踏み出した。


 玄関ホールの作りは特に何の変哲もないシンプルなもの。

 正面玄関の大きな扉の前に3階まで吹き抜けの広い空間が広がり、両サイドから1階に、玄関の対面にある大きな階段から2階に、その先で両側に階段が別れて3階に繋がっているという、オーソドックスな玄関ホールだった。

 だがそうは言ってもそこは王女様のお屋敷、漂う”気品”はこの屋敷の廊下などと変わりなく、使われている素材などから感じる高級感はむしろシンプル故に強調されているといえた。

 俺たちは今3階から入ったので、ちょうど下を見下ろす形になっている。

 そして装飾品が少ない代わりに2階から3階にかけて、沢山の絵が飾ってあった。

 その全てが写真のような・・・いや写真よりも鮮明で細かい描写が特徴の肖像画だ。

 おそらく何らかの転写スキルか、魔法によるアシストを受けた画家のものであろう。

 全ての絵が、俺の”知識”の中にある地球の絵画とは一線を画す”リアルさ”を持っていた。


「彼等の殆は、かつてこの屋敷を使っていた者たちだ」


 ガブリエラがそう説明する。

 なるほど、確かにごく一部を覗いて殆の肖像画が若い女性で、貴族の制服を着ている者も少なくない。

 わずかにデザインが異なる者が入るのは、制服のデザインの変遷の影響だろう。

 まるで歴史資料館のような空気が漂っている。

 

「ガブリエラの絵もあるの?」


 ふとモニカがそんな質問をガブリエラにぶつける。


「今製作中だ、飾るのは私が卒業した後。 いわばこれが貴族院の卒業における伝統だな」


 なるほど、俺たちの住む”知恵の坂”が卒業した生徒の悪口を並べるのに対して、貴族院では肖像画を飾るのか。

 さすが貴族は豪勢でいらっしゃる。

 するとガブリエラが目の前の階段を降りて2階に向かう。


「そなたの望みの絵は2階にある、付いて来るがいい」


 その言葉にモニカが頷き、同じように階段を降りていく。

 玄関ホールの2階部分はそれほど広くはない。

 1階と3階に続く階段の結節点である踊り場があるくらいで、他は絵画を飾るために壁で覆われているからだ。

 だが、そこから2階の廊下に入る部分、1階から正面階段を上がったときに正面に見えるその部分に、他とは明らかに扱いの異なる2枚の巨大な絵が飾られていた。


 片方は金髪に黄金の衣装を身に纏った、荘厳な雰囲気の男性の絵。

 もう片方は絵の大きさこそ他と同じだが、額縁の大きさが尋常でない美少女の絵。


「右が我が父・・・すなわち ”シンクレステラマリッド・アデオ・フェステメッセ・ビートレイ神聖王国” の国王である」


 あ、久々にその”正式名称”を聞いたな・・・

 それにさすが王女様、まったく詰まることがなかった。

 その紹介にあった”マグヌス王”の姿はおそらく、まだ若い頃のものだろう。

 今50歳くらいという話だが、この絵では30手前に見えた。

 それでもさすが一国の王というべきか、肖像画に描かれているその姿は自信に満ちているよう。

 そしてその隣・・・


 ガブリエラがその”本題”の絵の紹介に移る時、小さく息を呑んだ音が聞こえてきた。


「左が・・・私の母・・・アイギス公爵の3女・・・”ウルスラ”だ」


 ガブリエラはまるで腫れ物に触るかのごとく慎重にその言葉を絞り出すと、同時にこちらの様子を伺う。

 だがモニカに特に反応はない。

 いや、今聞いたガブリエラの言葉の意味、目の前の絵の情報を必死に噛み砕こうと頭を回しているようだ。


 一方の俺は、その美しさに思わず息を呑む。


 絵の中のその少女は、若干黄色みがかったクリーム色の髪と、透き通るように透明感のある白い瞳が特徴の貴族の生徒だった。

 全てを照らすような微笑みを浮かべて、優しげな表情でこちらを見つめている。

 そして、まるでそれを引き立てるように、象牙のような素材で作られた白い巨大で複雑な模様の額縁が、彼女が”高貴”な身分であることを現していた。


 正直なところ、その雰囲気はモニカにはあまり似ていない。

 だからこそ、その生き写しのような姿にドキリとさせられる。 


 ”そっくり”などという言葉では生ぬるい。

 その見た目からおそらく17歳前後に制作したことが伺えるが、正直今のモニカの髪を下ろして縦横比を少し弄ってやればまさにこれになるだろう。

 俺達はちょうどカモフラージュ用に貴族の制服を着ているし。


 あ、そうか・・・

 そこで俺はふと、最初の”レッスン”の時髪を下ろしたモニカを見て、ガブリエラの様子がおかしかったときのことを思い出した。

 彼女はおそらくこの絵を毎日見ているはずだ。

 そんな絵とそっくりのモニカを見かければ、まるで絵の中から幽霊が這い出したような気持ち悪さを覚えるに違いない。


「この絵は、この屋敷にあったものではないが、貴族院の別の部屋に残されていてな。 私がこの屋敷に住んでいる間だけ借り受けている」


 ガブリエラが何の気なしにその情報を追加する。

 それは本当に何気ない情報ではあったが、同時に俺はその絵があった部屋に行けば、”もう片方”の肖像画もあるのではないかという思いが湧いてきた。

 だが、今はまだそれを言う余裕はない。

 食い入るように絵を見つめるモニカの視線は時間と共にどんどんと熱を増し、そこに込められる”思い”の渦も強力になっていく。

 次第にそれはモニカの足をわずかに震えさせ始めた。


 やはり”それ”があると聞かされていただけと、実際に目にしたのではその”衝撃”はまるで違うか・・・・

 こんな状態のモニカにその次へ進ませていいものか・・・いや、だからこそここで引き返すわけにはいかない・・・


 その事実を知っていた俺でさえこれほどの衝撃を受けたのだ。

 モニカの衝撃はその比ではない。

 だからこれからそれをちゃんと受け止めてもらうために、”知る”必要がある。


「話を聞く覚悟は出来たか?」


 ガブリエラがそう問いかける。

 するとモニカがゆっくりとその目を見返し、震えるように顎を上下させた。



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