1-X2【調律師を訪ねて 幕間:~邂逅する闇~】


 その日はいつものように始まった。


 ここ数日半ば日課と化しつつある悪夢に叩き起こされ、歳のせいか痛む背骨をいたわりながら上半身を起こす。


 そして名残惜しげにもう眠れないだろうことを確認すると、その辺に置いてあった服を適当に着て、2階の寝室から1階へ降りる。

 見ればまだ朝日が昇ったところで周囲は薄暗い。

 ここは北国なので、日は長くなればとことん長くなる。

 今はかなり日が長い季節なので、夜明けだといってもそれがそのまま朝という意味ではないのだ。


「・・・・・はあぁ・・」


 まだ朝ではないが、眠くもない。

 このまま、本格的に朝が来るまでどうやって時間を潰そうか。


 とりあえず彼は、台所に入って棚の上に置いてあった紅茶の茶葉を取り出し、タンクから掬った水を鍋にいれて、その鍋に魔力を流し温め始める。

 これできっかり0.05時間で適温になる。

 時計用に外周にメモリの着いた魔法陣を目の前に出して、それが5メモリ分動くのを見守った。


 かつて仕事の特性上とても時間にシビアにならざるを得なくなった時に拵えたものだが、当時と違い現在は料理のときくらいしか使い道がない。

 それも普通の人間はこんなものを使わないので、料理の時に時間を気にする彼は神経質だという評判をより強固なものにしていた。


 時間が来て沸いたお湯を茶葉の入ったポットに入れる。

 その途端部屋の中に優しげな紅茶の香りが充満した。


 紅茶は年を取ってから覚えた趣味だ。

 この辺には紅茶の茶葉を専門にする農家もあるので手に入れるのも容易い。


 彼はポットとカップを手に持って、リビングの方に向かう。

 そこに置いてあるテーブルにポットとカップを置いて、部屋の窓の方へと近寄った。


 幾つかの窓は採光のためにガラスが入っているが、流石に全ての窓をガラス張りにはできない。

 それだけの金は持っていたが、もったいないような気がしたのだ。

 それに寒いし。


 彼が近寄ったのはガラスの嵌っていない窓で、木の板で蓋がされていた。

 それを開け、部屋の中に外気を取り込む。


 雪国なのでこれを見られると周囲の住民から変な目で見られるが、比較的魔力に余裕があり暖房用の魔道具を持っている彼にしてみれば、少しくらい部屋の気温が下がったところでなんともない。

 むしろ、この冷たい空気が悪夢の残滓を注ぎ落としてくれるようで、最近はこうして朝が来る度に窓辺に立つのだ。

 そしてそのまま頭が十分に冷やされると、窓を閉めてテーブルへと向かう。

 そこにはちょうどいい具合に色が出た、温かい紅茶が待っていた。


 彼はそれをカップに注ぎ、一口だけ口に含む。


「少し苦いか・・・」


 どうやら、窓辺に立つ時間が長かったようで茶葉から苦味まで出てしまったらしい。

 少し不機嫌気味にポットから金属製のティーバッグを引き抜く。


 そういえば結局、なんだかんだでこのティーセットを使っているな。

 所属していた軍研究所から”あの時”の功績として貰ったものの一つだが、便利なので処分せずに置いておいたが、そういえばこれも自分の”闇”を象徴するものなんだよな・・・・

 ただ、もうこれなしの生活は考えられないので捨てる訳にはいかないが・・・・


 そのまま椅子に座りながら、朝が完全にやってくるまで待つ。

 最後に口に流し込んだ紅茶はすっかり冷えたものになっていた。

 さて、朝食はどうしようか。


 ああ、マシュルのサラダが残っていたか。

 それを食べればいいか。


コンコン・・


 朝の余韻を切り裂くように、響くノックの音。

 一体こんな時間に誰かと扉の横の窓を睨む。


 窓の向こうには一人の男。

 見たことない風貌だ、この付近の住人ではないだろう。

 かなり赤い髪に緑に光る眼・・・・目のほうが輝きが強いし魔力傾向は緑か。


 となると大方、街の方で手に余ったスキル保有者がこちらに回されてきたのか・・・

 ただ気になるのはその男の胸に輝く金色のバッジだ。


 歳のせいかここからでは、はっきり見えないが、あれは”エリート”のバッジではなかったか?

 自分が現役の時に出来た資格で、当時は中央の役人が箔付けのために取るといった印象だったが、最近ではかなり厳しい試験を突破しなければならないと聞く。

 それにフバルトだったかカルパルトだったか、エリート持ちがピスキアの街に派遣されてきたので中央だけのものというのも最近は違うらしい。


 まあ、とにかく出てみれば分かるだろう。

 玄関横に窓を作ることの欠点として、居留守が使えないということがある。


ガチャリ・・・

 

 扉を開けると冷たい外気と一緒に男の姿が曇りのあるガラス越しよりも鮮明に目に入る。

 胸につけているバッジは間違いなくエリートのものだった。

 普通は儀礼服でもなければ外には出さないのに、それを見せびらかすとは相当自分の力を過信しているのか、それともその若さゆえに礼儀を知らないのか、はたまたこちらを威嚇しているのか。


「何か用で?」

「あなたがカミルさんですか?」


 よく見れば服装全てが魔道具関連か・・ここまで露骨なのは珍しいな。


「そうだが?」

「私は、中央ルブルム国防局の魔法災害・事故調査局の調査官、ランベルト・アオハです、カミル・ストラーサさんに伺いたいことが有ってまいりました」

「それで公爵家の人がこんな所に用で? 魔法災害・事故なんてこのあたりでは聞いたことがないですよ」


 最低限失礼がない範囲でぶっきらぼうにそう答える。


「いえ、聞きたいのは、あなたの”過去”についてです、それに私はアオハ公爵ではなく、分家のアオハ男爵の人間でして」


 過去・・・・過去だと?


 カミルはランベルトの顔を少しの間まじまじと見つめる。

 ランベルトの顔は貴族の育ちのおかげか、こちらが断るということを全く考えていないようだった。


「話すのは構いませんが・・・少し待ってもらえませんか、朝食がまだなもので・・・」





 地元で取れたマシュルのサラダを咀嚼しながら、カミルは部屋の中を興味深げに見て回るランベルトの様子を見た。

 男爵ともなれば貧乏であれば平民と変わらないかそれ以下の生活も珍しくはないが、この男にはそのようなものは見られない。

 身につけるものも振る舞いも、これまで金にまみれて成長してきたかのようだ。


 末席の男爵とはいえ、そこはこの国最大の名家に名を連ねる者ということなのだろう。


「朝食は? マシュルのサラダならまだあるが」


 自分だけ食べるのも居心地が悪いので一応聞いておく。


「いえ、結構です、今朝カラの旅館で頂きました」


 カミルがその言葉に眉をひそめる。

 カラ地区からここまでは歩いて半日近くかかる。

 それで朝食を食べて今ここにいるということは、高速で移動できる何らかの手段を持っているという事に他ならない。

 エリートバッジは伊達ではないということか?


 壁に掛かる数多くの表彰状を興味深げに眺めるランベルトの様子を見ながら、カミルは心の中で警戒の色を強めた。


 


「さて、聞きたいのは私の過去だったか?」


 朝食の皿を片付けた後にリビングに戻ってきたカミルは開口一番、そのことについて問いかけた。


「ええ」


 テーブルを挟んで向かい側の椅子に座るランベルトが待っていたとばかりにそう答えた。


「ただ、漠然と”過去”といわれても、これでも国の研究所に勤めていた時には色々やりましたからな・・・」


 するとランベルトが小さな魔法陣を空中に作り、そこに右手を突っ込んだ。

 魔法陣から先は異空間になっているようで、その中を探すように腕だけしか見えない右手を動かしている。

 そしてその中から大小様々な大きさと色の謎の紙束を取り出し、その一番上の紙をペラリとめくる。

 その紙束はどうやら様々な種類の書類のようで、その半分くらいには見覚えがある。


 そしてランベルトがその一番上にある、カミルの経歴と思われるリストに目を向けながら口を開いた。


「カミル・ストラーサ・・・南部の都市プラミルの生まれの平民・・・魔力傾向は白で、得意分野も白傾向に寄っている、中でもスキル組成・調整に関して多大な功績を残し、リーズ・ノア制御調律法の第一人者として、我が国のスキル保有者の環境整備に大きく貢献した。

 組成したスキルは主なもので官位級232名、将位級27名、軍位級2名・・・そして王位級が1名・・・」

「・・・・またよく調べたことで、自分が組成した人数なんて私も初めて聞いたよ、ただしウルスラ計画は私の功績ではない、あれは当時のアイギス伯爵の功績だ」 

 

 自分の功績など思い出したくもないとばかりに、カミルはぶっきらぼうにそう答える。


「もちろんウルスラ計画の主任担当者はアイギス・・当時伯爵ですが、彼は計画全体の責任者であって、実際のスキル組成を監督したのは副主任だったあなただ」


 カミルはその答えに対して深くため息をつく。


「そうだったとしても、あれは主任も含めて多くの技術者の努力の結晶だ、私一人のものではない、私の最大の功績は2名の”軍位”級で、お国から頂いた勲章もそれに関してのはずだ」

「功績の所在についてあなたと議論する気はありませんよ、ここで重要なのはあなたが王位スキルの技術的質問をする上で最適な人材であるという点です」


「であれば今現在ガブリエラ様に引っ付いているスキル調律師に聞くのが賢明では? ウルスラについて一番良く知っているのは誕生時に関わった私より、今までずっと見てきた彼等だろう」


 これは技術者としての彼の本心だった。

 既に引退した身である自分が、今現在も最前線で働く者よりも優秀だなんて驕った考えは持ち合わせていない。


「もちろん、彼らに対しての聞き取りは既に終えています、それにウルスラについてならそれが適切でしょうが・・・・」


 ランベルトはそこで意味深な視線をこちらに送り、左手でパチンと指を鳴らした。

 すると、底から特殊な魔力が噴き出しこの家全体を覆い尽くした。


「盗聴防止か・・・・」


 これを掛けるということは、これから聞く内容が機密であるということだ。

 すなわちカミルの闇について多かれ少なかれ内容を把握しているということ・・・・

 

「おそらく気がついていると思いますが、私が言った王位級一名というのはガブリエラ様のことではありません」


 その返答にカミルの目がすっと細められる。


 そもそも、男爵とはいえ貴族であるこの男が本気で質問してきた場合、平民のカミルが逆らうことは出来ない。

 カミルはランベルトが放った魔力の意図を読み込み、不本意ではあるが正直に話すことを決めた。


「私が聞きたいのは”フランチェスカ計画”、あなた方が極秘に行ったもう一人・・・・の王位スキル保持者のことです」

「・・・・・・・」


 カミルはその質問に対して肯定も否定もしなかった。

 ただ、ひたすらランベルトの緑色の瞳を睨みながらだまり続ける。

 

 そしてその状態が暫くの間、小さな家のリビングに流れたあとカミルが口を開いた。



「・・・・それがどうかしたのか?」

「2ヶ月前、ウルスラとは異なる波長の王位スキルが観測されました」


「観測機器の誤作動だろう、よくある話だ」


 カミルがそんなつまらない話をしに来たのかとばかりに、軽く鼻で笑う


「いえ、一度ではありません、2ヶ月前から現在までずっと・・・観測されています」

「ならば装置の故障だ」


「国内の殆どの観測機器が同じ状態になったとしてもですか?」


 カミルがそこで眉を吊り上げた。


「ありえん」


 そしてぶっきらぼうにそう答える。


「われわれも最初はそう考え、装置を取り替えたり新たな場所で観測したりもしましたが、結論はやはり何らかの王位スキルが常に発動しているというものでした」

「その装置でウルスラの観測は出来るのか?」


「その状態になってから何度かガブリエラ様が発動させましたが、その度に問題なくすべて記録されています」


 カミルはその言葉に目蓋を閉じて黙り込んだ。


「何か心当たりはありますか?」

「いや・・・わるいが皆目見当がつかん、本当にずっと観測しているのか?」

「データが見たければ用意しますが? ひたすら同じ波長が記録されているだけで面白いものではありませんが」


「もし本当にフランチェスカが起動しているなら、それは私の関わった物とは異なるだろう、あれは人に制御できるものではない」


「もし発現した場合・・・」

「保って数時間というところか、変動が早すぎて対応が追いつかん、常時発動となればその変動幅は想像もつかないだろう」


 ランベルトが言いかけた言葉を遮るようにして、カミルは自分の経験から来る答えを述べる。

 だが、その答えにランベルトは表情一つ変えない。


「それはこれまでの調査でも聞かれたのですが、実際に発動が検知され続けています、あり得ないではなく事実として”何か”が起動している」


 ランベルトの声には実際に存在する問題に対する焦りのようなものが見て取れた。

 恐らくはもう何日もあてのない闇の中をさまよっているのだろう。

 だが、カミルの記憶の中に闇はあるが、ランベルトを照らす光明は本当に持っていなかった。


「悪いが本当に何も分からないのだ・・・・・それに、もしあれを制御する方法があるのならば、私が一番教えて欲しいくらいだ」


 その言葉を最終結果として受け取ってもらえたようで、ランベルトは少し疲れたような表情をした後、おもむろに椅子から立ち上がった。

 どうやらこれ以上の成果は上がらないと判断したようだった。


「今日はありがとうござました」


 ランベルトはそう言い残し玄関へと向かった。

 そして扉を開け外の冷たい空気が流れ込み、その向こうに今の会話を象徴するかのような暗い曇天の空が見えた。


「力になれなくて申し訳ない」

「いえ、連絡もなく突然お邪魔したのはこちらです」


 カミルの謝罪に対して、玄関口でランベルトが軽く頭を下げながらそう答えた。

 見た目や行動は己の力をひけらかす様なのに、こういうところは平民であるカミルに対しても丁寧だ。

 これがいわゆる良いところの生まれというやつなのだろうか?


「また調査の状況ではまた来るかもしれません、それではこれで」


 そして最後にランベルトがそう言い残し、扉を閉めた。





 カミルの家の前の道を歩きながら、ランベルトは物思いに耽る。

 結局ここでも有力な手がかりは得られなかった。

 実際に計画に一番深く関わっていたカミルならば、何か光明が得られるかとも思ったがその思惑は外れてしまったようだ。


 さてこれからどうしようか、別にすぐにカラ地区の宿に戻ってもいいし、他の地区へ行っても良いのだが、なんとなくこの見渡す限りに広がる農地の中を歩いてみようと思った。


 カミルには言っていないが、ランベルトは彼がこの地で何をやっていたかについては見つけた資料である程度知っていた。

 昨日、裏とりのための調査も行ったので、それは間違いない。


 だから”それ”がこの風景の中行われた事に感慨を感じさせるのかもしれない。

 

 そう思いながら農道を歩いていると、北部でよく見かける大きな牛のような生き物・・・たしかパンテシアだったか? の上で本を片手にこちらを見てくる少女とすれ違った。

 この道の先はカミルの家しかないが、地元の子だろうか?


 いや、魔力反応が大きい。

 それを示すかのように目が非常に黒く、明らかに魔力の影響を受けていた。

 ひょっとするとカミルにスキルを診てもらいに来たのかもしれない。

 事前の調査でカミルが、現在もピスキアの街で手に余るスキル保有者の調整や組成などを依頼されていると聞いている。


 きっとその中の一人なのだろう。


 そしてその少女はこちらを興味深げに見てくる。


 この辺では普段見かけないランベルトを不審がっているのか、それともこのあからさまに魔法士な格好が気になるのだろうか?

 

 そして二人はお互いを興味深げに見つめながらすれ違ったあと、そのまま何事もなく農道を進んでいく。



 そこから少し行ったところで、ランベルトは頭の中に湧いたモヤモヤについて、何事かと記憶を辿っていた。

 どうも、あの少女の姿が頭に引っかかって仕方がないのだ。


「どこかで見たような・・・・だがどこだったか・・・」


 暫くそこで立ち止まり、思案を巡らせる。

 すると意外な記憶の中に該当する者が見つかった。 


「ふむ・・・・・」


 ランベルトは顎に手を当てて、カミルの家の方角を振り返る。

 そこには先程の少女がカミルの家に到着するところが見えた。





コンコン


 ドアが再びノックされた。


 最初カミルはランベルトが戻ってきたのかと思ったが、どうも様子が違う。

 先程までにいなかったはずのパンテシアの大きな体が窓から見えた。


 この辺でパンテシアを飼っている農家もいるので、近所の人間が訪ねてきたのかもしれないがこんな所にわざわざ連れてくるものだろうか?


 とりあえず何者か確認はしてみるか・・・・


 そう思い、重い腰を上げて玄関へと向かう。

 

 彼の中の悪夢の化身が扉の向こうに待ち構えているとも知らずに・・・・


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