1-7【調律師を訪ねて 1:~狼山脈の中で~】


 ピスキアの市内からカラ地区の間に横たわる小さな山脈の森の中を、一人の冒険者が必死に逃げ惑っていた。

 その風貌から剣士であることは分かるが、いかんせんまだまだ駆け出しの印象は拭えない。

 そして、その顔は恐怖に染まっていた。

 



「ちくしょう! 簡単な獲物と聞いていたのに!」

 見通しの利かない森の中を必死に逃げながら悪態をつく。


 遠征の時期になったが討伐遠征には行かずに、いつもの辺りを狩場にするところまでは良かった。

 おかげで普段ならお目にかかれないような、エルクロスの巨大な群れに遭遇できたのだ。

 これが遠征に帯同していたら確かに大量の魔獣と戦えるのだが、出来ることは少ないし、指示は多いし、他の冒険者との煩わしいやり取りに忙殺されたりと、あまり美味しくない。


 エルクロスは近縁種と違って最大5ブル(5m)にもなる大型の草食獣だ。

 そのため、付近の農地を荒らすことも多く、北部連合が冒険者協会に依頼を出す形で常に駆除報奨金がかけられている。

 それに毛皮に肉と、取れる素材にも需要はあるので、俺のような駆け出し間もないの冒険者が狙うにはちょうどいい相手なのだ。


 だが、遠征期でいつもと様子が違うのはこいつらだけではなかった。


 普段は人を恐れて出てこない者達がこぞって巣穴から飛び出してきていたのだ。

 そしてその中には俺達と同じようにエルクロスの群れを見て興奮する手合も含まれている。


 そういう連中と鉢合わせするまでにそう時間はかからなかった。


ウウヲオオオオオオオオオオオゥ・・・・


 その時左前方からゾッとするような遠吠えの音が聞こえてきた。

 いつの間に囲まれたのか、更に後方から周囲の木々をなぎ飛ばしながらこちらに接近してくる気配も。


 北国の宿命として獣の大きさがとても大きいということが挙げられる。

 どういう理屈かは知らないが、とにかく何でもかんでも大きいのだ。

 人間だって2ブルはザラ、身の丈3ブルに達するものまでいる。


 今オレたちを追いかけてくるこの狼も、3ブル程あり、近くで見ると切実に大きかった。

 魔獣化こそしていないものの、下手な魔獣よりも群れている分だけこちらの方が脅威度は上だ。


 それにしてもピスキアの街まで1日ほどしかないこんな場所に、何でこれだけの獣が集まっているのか。


 仲間の剣士も魔法士も既にいない、恐らく食われた後だろう。


 その時目の前に2頭の巨大な狼が飛び出してきた。

 どうやら覚悟を決めねばならないらしい、これでも剣士の端くれだ、狼2頭ならどうにかなる。

 群れに合流される前に叩き切るしかない。


 そう思い筋力強化と剣身に魔力を流した。

 これで、この剣を叩きつければ丸太だってあっさりと斬ってしまえる。


 当たれば・・・・の話だが。


 ある意味、予想通り自分の剣筋を読んだかのように、俺が動き出す前にもう避けられていた。

 

 何でだ?


 師匠には動きがわかり易すぎるといつも言われていたが、それでも当たれば威力は誰にも負けない自信はあった。


 ただ仲間のサポートを当てにできない現状では、その当たるまでが気が遠くなる程遠い。

 全力で振り切られた剣が虚しく地面を穿った。


 そしてその隙に狼の一匹に飛びかかられる。


 くそっ、地味に連携を見せつけやがって、避けようにも逃げた先にもう一匹が既に陣取っており、逃げるに逃げられない。

 結果として剣で受けるしかなかった。


 凄まじい衝撃が全身を揺さぶる、なんとかそれは瞬間的に筋力強化を行うことで耐えられたが肝心の剣が吹き飛ばされてしまった。


 こうなってしまっては為す術はない。


 残りは便利用のハンドナイフが一本。


 相手にはそのナイフよりも大きな牙が一体何本か?

 すでに得物を失ったのを理解した狼がゆっくりと距離を詰めてくる。

 そういえば結局、この2頭以外に他の狼が来ることはなかったな。


 そんなことを考えながら覚悟を決めた時だった。


バシュッ!!


 突然、片方の狼の頭が文字通り消えた。


「グルルル・・・」


 もう一方の狼が俺とは違う方向を睨みつけながら後ずさる。

 一体何事かと後ろを振り返れば、そこに一人の小さな少女が立っていた。

 だが、その立ち振舞は唯の少女のものではない。


 一歩、また一歩と狼を軽く威嚇するように視線を送りながらこちらに近づいてくる。


「大丈夫? あいつ倒そうか?」


 飛んできたのはそんな質問。


「・・・ああ、お願いしたい」


 そして、とっさに思った通りの言葉が出てしまった。

 

「・・・・ほら、やっぱり倒しても良かったんじゃない・・」


 少女が、独り言のようにそう呟いた。

 他にもこちらには聞こえない声でブツブツと何かを喋り続けていたが、それが何かは聞き取れなかったが、まるで誰かとやり取りをしているかのようにも見えた。



シュドドドド!!!!


 突然、何かが雨のように残る一匹の狼の上から降り注ぎ、一瞬にして狼を押しつぶしてしまった。


 いや、よく見れば腕ほどの長さのトゲがいくつも突き刺さって狼を串刺しにしていた。


 その様子を少々不満げに見つめる少女、先程の誰かと会話するような素振りからして、どこかに仲間が潜んでいたのか?


 だが、他にはどこにも人影はいない。


 は!? そういえば!


 咄嗟に剣を拾い周囲に警戒を向ける。


「どこの子か知らないが、助かった、だが他の狼がまだ残ってるんだ・・・」


 そう、俺は現在狼の群れに追いかけられていたところだったのだ。

 するとその少女が一瞬、不審げに辺りを見回したあとこちらに向き直り。


「もう残ってないよ?」


 と予想外の発言をする。

 その顔は”こんな時に何を言っているんだお前は?” と言いたげなものだった。


 そんな訳はない。

 さっきまであんなに居たのだ。

 

 だが実際に、周囲は奇妙なまでに静かになっていた。

 あいつらは一体どこへ?


「ところでこの狼って”ジグリス”?」

「なんだって?」


 その少女がそんなことを聞いてくるので、思わず聞き返してしまった。


「”ジグリス・ガルフ”! この辺に出るって聞いたんだけど」


 俺は咄嗟に狼の死体を見る。

 はっきりとはしないが、白と黒の斑模様は・・・


「そう思うけど・・」


 そう答えた瞬間、少女が懐から小さな真っ黒いナイフを取り出し狼の死体に歩み寄ると、尻尾を切り落とした。

 そういえば、当たり前だがこのジグリス狼も駆除推奨対象だったはずだ。


 たしか尻尾を持っていくんだっけ?


 今まで狙ったこともないので詳しくは知らない。


「・・・集めといてよかったね」


 またも独り言を呟いている。

 その誰かいないものに語りかける様がちょっと不気味だ。


 だがその時、ガサゴソと何かが森の中を草をかき分けて進む音が聞こえてきた。

 

 狼どもか!?


 だが少し様子が異なる。

 狼達よりかなり歩みが穏やかだ。


 すると草の向こうから面倒くさそうな顔がノソりと突き出された。


「うわっ」


 予想外の風貌に一瞬驚いた声を出してしまった。


「きゅる?」


 だが相手から返ってきたのは狼の唸り声ではなくそんなかわいらしい声。

 まごうことなき唯のパンテシアだ。

 それもごく普通のありふれた品種。


 だがその風貌はちょっとおかしかった。


 荷物を背負っているのは普通だ。

 だがその荷物と一緒に大量の狼の尻尾がぶら下がっている。

 それも、どう見てもジグリスの尻尾だ。


 それが切断され血抜きのために断面を下向きにして括り付けられていたために、周囲に新鮮な狼の血が撒き散らされていた。


 そして俺を助けてくれた少女がそのパンテシアに駆け寄り、今しがた切り落とした尻尾をそこに加える。


 どうやら彼女のパンテシアのようだ。

 だがこれ全部彼女が仕留めたのか?


 どう見ても俺達を襲ってきた群れと同じくらい多かった。

 もしかして・・・


「それ全部君が仕留めたの?」


 恐る恐る聞いてみる。


「うん、何かを夢中で追いかけてたから簡単だったよ」


 顔に何気ない笑みを浮かべて、あっけらかんと答える少女に寒けが走る。

 なんと、俺達が命からがら狼から逃げている最中に、その狼を喜々として追い立てて狩り尽くすやつがいたのだ。


 それもかなり幼い見た目だ。

 ぱっと見7歳か8歳、その程度にしか見えなかった。

 何かよく分からない方法で狼を仕留めていたので、ひょっとするとこれが噂に聞く ”エリート魔法士” とやらかもしれない。


 その証拠に目がものすごく黒い。

 ただ黒いだけじゃなく、黒く光っている・・・・・・

 明らかに強力な魔力を持つ人間の特徴だ。


 

「はぁ・・・・」

「どうしたの?」


 俺が脱力気味に息を吐くと、少女が不思議そうに聞いてきた。


「・・・いや、上には上がいるもんだなと・・・・」


 俺も故郷の村ではそれなりに剣の才能があると思っていたが、いざ都会に出てみればごく普通以下の剣士でしかなかった。

 今の仲間と一緒に行動してようやくやっていけるようになった程度の力しかない。

 そして、こんな少女ですら自分達よりも遥かに強いのだ。


「そうだね・・・・」


 だが奇妙なことに、少女が遠い目をしながらそう答える。

 その目がまるで自分も同じ意見だといわんばかりのようで、なんだか可笑しかった。 

 こんなに強い少女ですら、まだ上には上がいると感じるものなのだろうか?

 

 全く世界は広いな・・・

 

「ところで一つ聞いていい? この山が ”おおかみのしっぽ” であっちが ”おおかみのあたま” で合ってる?」


 少女が俺達の両側に広がる2つの山を指差した。

 狼の頭と尻尾・・・確かにその山はそう呼ばれていた。


「ああ・・・そうだけど」 

「って、ことは、この谷を真っすぐ行けばカラ地区に出るんだよね!」


 少女が顔をパアッと明るくしながら喜んだ。

 たしかにここはピスキア市からカラ地区に抜ける近道的なところだが、獣も多く道も悪いので通ろうとする人間は少ない。

 せいぜいが、”狼の頭” 山にある温泉目当ての物好きくらいだ。


 てことは・・・


「あんた、温泉目当てか?」

「そう、カラ地区に行くまでに疲れに効く温泉があるって聞いたから・・・・・あ、ええっと・・・・」


 少女が突然、何かを思い出したかのように話すのを止め、何かに耳を傾けるかのような仕草を始めた。


「ああ・・覗いちゃダメ・・・・だって」


 なんだその今知ったかのような注意喚起は。

 それに、こんな子供の入浴など覗いて何が楽しいのか。

 まあ、顔はかなり可愛いから、あと5年もすれば喜んで覗かさせてもらいたいが。


 だが今の少女の反応も不自然な所を感じた、まるで誰かからそう言えと指示を受けているみたいだった。

 俺はなんとなく少女が向いていた方向に視線を向ける。


「誰か仲間がいるのか?」

「え!? い・・いないよ!?」


 少女の仕草は明らかに他者の存在を意識していた、間違いなく誰か他にいる。

 ただ、ここでそれを問い詰める立場にもないし、そんな不義理も出来ない。

 この少女が誰も他に仲間が居ないというなら、それに従うしか選択肢はなかった。


「あ、でも、あれはあなたの仲間?」


 少女が思い出したようにパンテシアの後ろあたりを指差すと、そこの草むらがゴソゴソと動いた。


「きゅるる?」


 突然、後ろから気配がしたのに驚いたパンテシアが今まで居た場所から軽く飛び退く。

 そして、その草むらから3人の見知った顔が飛び出してきた。


「お前ら!! 生きてたのか!?」


 その顔を見て、俺の中に安堵の感情が広がる。

 どうやら向こうも同様らしい。


「何故か急に狼の姿が見えなくなって・・・・・お前こそよく生きていたな、 リコ・・・


 仲間たちが俺の名前を呼びながら駆け寄ってくる。

 死んだと思ってただけに、感動もひとしおだ。

 だがそんな感動の再会を遮る者がいた。


「え!? あなた”リコ”って名前なの!?」


 突然、少女が驚いた声で割って入ったのだ。


「え? そうだけど?」


 どうやら俺の名前に驚いているようだが、そんなに珍しいだろうか?

 ”リコ”、なんてそこらじゅういるだろうに・・・


 暫く驚愕の表情のまま固まるその少女。

 その顔には ”そんな情けないナリでリコを名乗っているのか!?” と書いてある様だった。

 

  

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