1-X1【幕間:~胎動する闇~】


 ピスキア市内:北部連合代表執務室



「この書類は?」


 突如渡された見慣れぬ一枚の紙切れに、代表の眉が顰(ひそ)められる。


「ご覧の通りのものです」


 そしてそれを差し出した男は飄々とした態度でそう答える。

 北部連合代表の自分を前にしてなお、己の方が上位者と言わんばかりの態度だ。

 そして実際に、この場においては相手の方が上位者といっていい。


 なにせ持ってきた書類には国王のサインだけで飽き足らず、各省のトップのサインが所狭しと書き連ねられていて、サイン欄はさながら寄せ書きの様相を呈していた。


「理解できない、自由調査権の付与に情報の開示は一切認められない・・・・これを承服しろと?」

「承服していただく必要はありません、ただ従ってもらえればいいのです」


 両手を広げながら平気な顔でそんなことをのたまうこの男は、|中央(ルブルム)から送られてきた専任調査官という肩書だ。



 そしてこの異常なまでの強気を後押ししているのが、この書類のサイン欄と胸元に付けられた金バッジに燦然と輝く”エリート”の文字。

 これは彼がこの国で最難関の国家資格保有者であることを示すものと同時に、たった一人でこの街の現有戦力に比肩できることを示すものだ。

 この街に常駐している”エリートクラス”は一人だけ、それ以下の魔法師や”官位”級のスキル保有者も居るがエリートクラスが相手では対処できないだろう。


 燃えるように赤い髪に、異様に目立つ緑色の瞳。

 全身を魔力系の素材で作られた服で固めたその姿は、典型的な魔法師のものといえる。


 だがそれに押される訳にはいかない、自分は魔法師でもスキル保有者でもないが、この北部連合の代表なのだ。 


「それでは何のための北部連合か、連合内の問題は連合の管理の下、調査及び対処されるべきだ、その過程で|中央(ルブルム)に協力を求めることは有っても、|中央(ルブルム)だけが独自でそれを行うことを認める訳にはいかない」

「ええ、ですから認めてもらう必要はありません、ただ私の調査を黙認していただきたいのです」

「それは認めたのと何が違う!」

「大きく違います、連合はこの問題に巻き込まれずに済みますし、国としても問題の実態を速やかに把握することができる」

「我らの為でもあると?」

「ええ、これは国家の問題であって、そこに属する自治政府に否があるものではありません」

「ただ問題の発覚を恐れているようにしか見えんが」

「もちろん恐れています、そしてあなた方はもっと恐れるべきだ、なにせ問題が吹き出すのは北部の可能性が高い、国家としてもこれまで安泰だった北部が揺らぐ事態は避けたいのです」


「はあぁ・・・・」


 代表が深いため息をつき豪華なイスの背もたれにその身を沈める。


「ただの観測機器の故障ではないようだな・・」

「その事についてはいち早く|箝口令(かんこうれい)に従っていただき感謝しています」

「観測所は我らの管轄ではないからな、喋るなと言われても、何を喋ってはいけないのかを知ることすらできん」


「それは知らない方が身のためです、ではその書類にサインを」


 そう言って再び男が書類を差し出してくる。

 ご丁寧にここに書けと指で署名欄を指し示す始末だ。


「駄目だ、せめて私が内容を知らなければサインは出来ない」


 それが北部連合代表としての譲れないラインだった。


「分かっていると思いますが簡単なヒントしか話せませんし、それでも絶対に口外してはいけません」

「では早く契約魔法の準備をしたまえ、その程度は”学校”で習ったのだろう?」


 精一杯の皮肉を込めて強がってみせる。


 専任調査官の男がそれを聞いて盛大に溜息をついたかと思うと、突然目の前に緑色の魔法陣が現れた。


 代表にその魔法陣の内容を読み解く知識はないが、これが使われる場面を何度も見ているし、職業がら自分にもいくつも掛かっている物だ。


 契約魔法陣。

 これの前で交わした約束を違えることは出来ない。

 もし反故にすれば、たちまちその魔法陣に応じた”制裁”が発動する仕組みだ。


 代表はできるだけ表情を崩さないように魔法陣の縁を見る。


「”5重”か・・・・また、豪勢なものを・・・・」

「内容が内容だけに、これ以下の契約では話せません」


 契約魔法陣の構造は知らないが、それでもその縁に並んだ層の数で”制裁”の重みが変わるくらいは知っている。

 5重の縁を持つ契約魔法陣の制裁は死だ。


 つまりこの秘密を漏らせば、即座に死ぬということだ。

 代表として無責任に命を危険に晒すことになるが、それでも無責任にサインするよりはマシだと思い納得する。


「これから私が話す内容を他者に伝えることは、いかなる手段であってもこれを禁ず・・・・・よろしいですか?」

「ああ、さっさと内容を話せ」


 代表は精一杯の強がりで持って答える。


 その途端、魔法陣が強い緑色の光に覆われたかと思うと、魔法陣内の模様が複雑に変わり始め、徐々に2つへ分裂していく。


 最終的に完全に2つに別れた魔法陣は、その片方が代表の胸の中に、もう片方が調査官の男の胸の中に消えていった。

 心臓を締め付けられるような感覚に代表が顔が僅かに曇る。

 この苦しみは何度も経験してはいるが未だに慣れそうになれない。


 

「それでは話してもらおうか・・・その機密とやらを・・・」


「代表殿は”フランチェスカ計画”という物をご存知ですか?」

「いや、知らないな」


 男が語ったのは、聞いたことのない計画の名前だった。


「では”ウルスラ計画”の方は?」


 今度は知っている計画の名前が出る。

 いや、この国に生きる者で知らない者のほうが少ないだろう。

 仮にウルスラの名前を知らなくても、それに関連するガブリエラ様の名前を知らない者はこの国にはいない。

 この国の希望であり、間違いなく安全保障上最大の抑止力だ。


「さすがにそれは知っている・・・・まさか・・・!?」


 それと関連するということは・・・・


「それ以上は口になさらないほうがよろしいかと」

「くそっ、そのような話は聞いたことがないぞ!」


「この国の偉業として燦然と輝く”ウルスラ”と違って、”フランチェスカ”はこの国の闇の部分ですからね、大っぴらには言えません」

「さしずめ太陽と月といったところか、他国にバレれば一大事だぞ、唯でさえアルバレスの”勇者”の数に一番ケチを付けている立場なのに・・・・」


「ならば私の任務の重要性を理解して頂けたかと思います」

「くっ・・・・それは事実なのか?」


「それを確かめることも私の任務の一つです、なにせ”抹消された”事になっている計画ですからね、本当にあったのかどうかも定かではない」

「なるほど・・・・おおよそ内容については理解できた」

「それでは書類にサインを」

「・・・・・わかった・・・・・だが」


 代表はわずかに視線を左下にそらし、そして調査官の男の目を射抜くように見据える。


「できるだけ被害は出すな・・・物的にも”人的”にもだ」

「もちろんそのつもりです」


 その男の顔には努力はするが、いざとなったら遠慮なく無視しますよと書いてあるようだった。


 しばらくその顔を眺めた後、代表は卓上に置いてある魔力ペンを手に取り先程渡された書類にサインを書き込んでいく。

 そして名前を書き終えると、書類が光りだし上部の”指令書”の文字の色が赤色から金色へ変わる。


 これでこの書類はその効力を発揮し始めることになる。


 そしてその書類を丸めると調査官の男へ向けて差し出した。


「ありがとうございます」


 男は礼を言いながら書類へ手を受け取る。

 だが代表はその手を離そうとしない。

 

 少しの間、軽い書類の引っ張り合いが続いた。


「もう一度言うが、できるだけ被害は出すな」


 代表の言葉には強い意志がこもっていた。


「ええ、もちろん」


 だがそれに応じたはずの男の目には、それを守る気はないようだった。

 

 代表が書類から手を離す。


 そして書類を受け取ったその男はその書類を緑色に輝く小さな魔法陣の中にある”虚空”へ仕舞った。


「それでは私はこれで」

「調査の進展を祈っている」


 形式的な挨拶の後、調査官の男が立ち上がるとそのまま部屋の入口へと歩き出した。


「ランベルト・アオハ調査官!」


 だが途中で代表が呼び止める。


「なんです?」

「君はアオハ公爵家の者か?」

「本家ではありませんが、その末席のアオハ男爵家の次男坊ですよ」


 ランベルトはにこっと笑いながらそう言うと、再び扉へ向かって歩き始めた。


 だが今度もその足はすぐに止まる。

 そして顔だけ代表の方を振り向いた。


「そういえば”フランチェスカ”のことをあなたは月だと言いましたが、”アレ”を知ればそれは不適切だと思いますよ」

「なんだ?まだ何かあるのか?」

「いえ、それは流石にお答えできません、ただウルスラを太陽に例えるならフランチェスカは・・・・真っ黒な星ですかね?そんなのあるのかどうかは知りませんが、どこまでも真っ黒で何もかもを飲み込み闇に葬る星・・・・それがフランチェスカです」


「せいぜい”闇に葬る側”のお前らが、その”闇”にのみこまれないように気を付けるんだな」


「フフフ・・・ご忠告感謝します、ではこれで・・・・・」



 扉が閉まり再びこの部屋の中に静寂が訪れる。

 その中で北部連合代表はその職責の難しさに頭を抱えていた。



※※※※※※※※※※



ピスキア行政区内:カラ地区


 ピスキアから1日ほど東に向かった所にカラ地区は存在する。

 ここは近年急速に観光地として発展するピスキア都市部の喧騒を嫌った者たちに人気の風光明媚な村だ。

 正確には村ではなくピスキアの一つの区なのだが、都市部から遠いため皆一つの村として認識していた。

 もちろんピスキア行政区の多分に漏れず温泉地であるため観光の需要は高い。

 だが都市内と違って温泉宿などは高額で、必然的に暮らしに余裕のある者たちが多く訪れていた。


 そのカラ地区からさらに少し東に行った所に、広大な農地がいくつも点在している。


 農地では作物の栽培に特化した巨大なゴーレム機械たちが闊歩し、まるでそこだけ世界が異なるような空気が漂っていた。

 ここの農産物が北部の食卓を支えていると言っても過言ではない。


 そしてその数ある農地にまるで埋もれるようにして、1軒の家が建っていた。


 大きすぎず小さすぎず、特に代わり映えしないその風貌は周囲に溶け込んでおり、まるでこのあたりに点在する農家の一つと錯覚させる。

 だがこの家の主は農家ではない。


 10年ほど前まで国の研究所で働き、今はその時の恩給でひっそりとこの地に隠居している少々小柄な男性の老人だ。

 家の中に入ればそこらじゅうにその時に得た勲章や賞状が所狭しと飾られている。


 彼の現役時代は表向き光にあふれている。


 だがその彼はここ数週間、謎の不安に襲われていた。

 

 最初は老化特有の症状かとも思い、カラ地区の医療魔法師の下まで出かけたことも有ったがどこも悪いところは発見できなかった。

 彼自身も何かの思い違いと考えその時は気にしなかったが、時間が経つにつれ不安はその勢いを増していく。

 次第に睡眠が浅くなり、昨日は寝た記憶がない。


 そこで彼は自分の中にある不安の元を探すことにした。


 しかし答えは既に出ている。

 彼の人生には人に言えない”闇”を抱えている。


 そこで彼はこの十年間決してしなかった事をすることに決めた。


 小さな家の外観はあくまでも表向きのものだ。

 本当の顔は別にある。


 だがここ数年は間違いなく表向きの顔しか使われていない。

 彼自身が引退とともにもう一つの顔を封印したのだ。

 そしてその封印を今また再び開ける。


 彼が家の内部の壁の一つに手をかざすと、そこから魔法陣が展開され、その形に沿うように壁が消えていく。

 残ったのはぽっかりと空いた大穴、そしてその中には地下へと続く階段があった。


 その階段を彼が数年ぶりに降りていく。

 階段には積年の埃が積もり壁は変色していた。


 階段を降りきるとそこは何もない広い空間だった。

 かつてはここに並んでいた様々な物品はもう残されていない。

 ただそこで行われた”闇”を象徴するかのように、真っ暗な空間がそこにあった。


 彼は少しの間周りを見渡すと、唯一この空間に残された金庫へと歩みを進める。


 そして数年ぶりにも関わらずまるでいつも開けているように、その金庫の鍵を開けた。


 ガッチャン! という大層な音を発して解錠されたことを確認すると、ゆっくりとその扉を開ける。

 現役時代と違いこの扉が重い。

 彼はそこで自分の衰えを悟った。


 金庫の中には金属製のケースが一つ入っているだけだった。


 彼はそのケースを手にとり蓋を開ける。

 中には数枚の書類が入っていた。


 一番上には表紙代わりの書類があり、そしてそこには


 ”最重要機密”


 そして


 ”フランチェスカ”


 とだけ書かれている。


 これが彼の”闇”であり不安の種だった。


 数年前ここを破棄するときに他の機密文書は全て消去された。

 だが彼は自分への戒めとしてこの最初の青写真だけはこっそりと手元に残していたのだ。


 そして破棄された後のこの場所を買い取りそこに住み着くと、こうして金庫の中に仕舞っていた。

 だがもう彼にはこの不安に耐えるだけの気力は残っていない。


 彼は一思いに書類の束を取り出すと、もう片方の手の指先に小さな魔法陣を展開し火を発生させ、その火を書類に付けた。


 炎に包まれ燃えていく書類たち。

 彼が石の床に落とすとたちまち灰となって消え去った。


 それを確認した彼の心の中に安堵が広がる。


「これで安心して眠れる」

 

 思わずそう口走らずにはいられない。


 階段を登りその場所を後にする彼の足取りは、少し軽くなっていた。




 だがその後、彼の不安が無くなることはなかった。



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