0-1【知らない少女と、知らない世界2:~白の世界で~】
真っ白な大地をズルズルと引きずられる巨大肉食リス(死体)と、それをトコトコと引っ張る小柄な少女。
外から見れば随分とシュールな光景だろう。
だがもちろん外から眺めることはできない。
俺にできるのはひたすら、この少女の視界を眺め続けるだけだ。
それでも淡々と雪景色の中を歩く光景が延々と続くと流石に飽きてくる。
いつまでたっても景色に変化が見られないのだ。
せめて小石でも落ちていればまだ面白みがあるだろうに、空は霧みたいな雪で真っ白、地面は地面で、固まった雪・・・というかもう氷で真っ白。
小さな体なのでたかが知れているだろうが、それでもここまでかなりの距離歩いたはずなのに、真っ白な視界のどこにも変化はない。
それにしてもこの少女、とんでもない馬力だな。
何百kgあるか分かったもんじゃない巨体を引っ張っているだけでも人間業とは思えない。
それに、これだけ固い感触の氷なのに、今まで一度も滑るようなことがなかった。
不思議である。
いったい、どんなカラクリがあるのだろうか? 靴の性能がいいのだろうか?
そういえばさっきから全身の内側がもぞもぞする感じで、そこまで不快ではないのだが妙な違和感を感じるな。
だがその違和感を解消することはできない。
なにせ、視界はずっと真っ白のままなのだ。
他の感覚も大部分を占める肩にかかるすさまじい力と、足が大地を踏みしめる感覚ばかりでよくわからない。
俺自身の思考の方も『暇だなー』という感想を繰り返すしかなく、正直どうしようもなかった。
数時間後・・・
きっと数時間後とか書いてるだろうがそれは微妙に誤りである、確実に10時間は経過していた。
現に先ほどまで真っ白だった景色の光量がかなり落ちて、もう雪も降ってはいない。
それに視界の右の方は夕焼けなのだろうか、先ほどから赤く染まり始めていた。
そんな状況なのに、まだこの体の主の目的地に着かないようだ。
いったいどこを目指しているのか?
それでも流石に明るさが一定以下になると、それ以上進むのは無理なようで、ようやく足を止めた。
そしておもむろに引きずってきた怪物に目をやり、特に変わったところがないと見ると、今度は夕日の方に顔を向ける。
いつの間にか雲も晴れていたらしい。
シミ一つないきれいな夕焼けがそこにあった。
夕日ってこんなにもきれいだったのか・・・・
その瞬間何ともいえない感動が俺の中を駆け巡った。
同時に自分の中にある、夕日という存在の概要が置き換わったのを感じる。
体の主も感動しているようで、何とも言えない感情が胸に込みあげてくるのを感じた。
それと、これは何だろうか?・・・・孤独感?
体の主はそのまま夕日が地平線の向こうに消えていくのを見送ると、すぐに目を逸らしてしまった。
巨大リスに引っかかっていた棒を取り外し軽く揺すると、曲がっていた棒が真っ直ぐに戻り、そのままその棒でザッと地面を横に打ち払う。
すると棒が通った後の地面がきれいに平らになっていた。
そのまま、周囲2mほどを円形に平らに均すとその真ん中に棒を突き立てる。
いったい何をする気なんだろうか?
体の主はおもむろに棒の中ほどに手を当てると、思考を集中させたのか、その感覚がこちらまで流れ込んできた。
その状態でしばらく何かに集中し、その集中が一定に達したとき・・・
「・・・ドムイ」
と小さく呟く。
するとどういうことか、先ほどまで吹き付けていた風がやみ、心なしか周囲の温度が上昇したような気がしたではないか。
もっというと快適になった。
何もこれは環境的なことだけではない、これまたどういうわけか心理的なものまで快適になった気がするのだ。
ここでふと、この感覚が前にもあったことを思い出す。
そう、記憶の最初に寝そべっていたあの時である。
あの時も不自然なくらい風を感じず、温度も環境の割には快適だったと思う。
それが、化け物に襲い掛かるときに立ち上がってから、ずっと風も温度も環境相応のものになっていたのだ。
あの時は、化け物の迫力がすごすぎて変化に気づけなかったが、思い返せばかなり違う。
そして俺がそんな思考をしている間、体の主はひとしきり周囲を警戒し終わり満足したようで、電池が切れたようにペタンとその場に座り込んでしまった。
突然の視界の落下に驚いたが、それ以上に急に襲ってきた疲労感に驚愕する。
こんなに疲れていたのか・・・
そりゃそうだ、こんな化け物をひたすら引きずってきたのだ、疲れもするか。
むしろ、ただ疲れたで済んでいる方がおかしいのかもしれない。
どうもこの体は一般的な体力と持久力の範疇から大きく逸脱しているようだ。
きっとこれも夢のなせる技なのだろう
そういや今まで忘れていたがこれは夢なのだった、あまりにも現実感がありすぎてすっかりそのことを忘れてしまっていた。
しかし本当に夢なのだろうか?
夢というものはこれほどまでにリアルなものなのか?
ほっぺをつねって確認しようにも、手のコントロール権は持っていないので確認のしようがない。
体の主の方も自分のほっぺをつねるような気配もなく、少し下を向いてしばらく休んだあと、おもむろに腰に手を伸ばす。
今で気づかなかったが、どうやら腰にバッグのようなものを吊り下げていたらしい。
それを目の前に持ってくると、その口を開ける。
手作り感満載の少々不格好な上に、口は紐で縛っているだけだが、その構造は結構しっかりしたバッグだった。
ちなみに革製である、だが何の革かはわからないが結構生々しいので高級感はゼロ。
そういえば今着てるこの服も革製だな。
質感からして同じ獣からとったのだろうか?
作りの感じから、ひょっとするとこの体の主の手作りかもしれない。
その革のバッグの中には何やら金属製の容器が色々と入っていた。
その中から一番大きな入れ物と鍋のようなものを取り出すと鍋だけ手に持ち、平らな領域の外へ出る。
だがその途端猛烈な寒さが襲ってきた、どうやら快適なのは地面が平らな領域だけのようだ。
しかし本当に先程までこんな寒かったのだろうか、それとも日が落ちると急激に冷え込むのか?
とにかくこんなところにそう長居はしていられないとばかりに、そそくさと行動する。
体の主も流石にこれは寒すぎるようだ。
そして近くの地面を見渡し何か条件があるのか特定の地面にアタリをつけると、いつの間にか取り出していたナイフをガツガツと地面に打ち付け始めた。
その動作のあまりにも慣れた感覚に、俺はこれがルーチンワークであると理解する。
そのままひとしきり地面を砕くと、砕かれた破片···つまり氷の塊を鍋に入れて、またそそくさと地面が平らな領域に戻った。
やはり地面が平らな領域は何か違うようで、外の寒さが嘘のように快適だ。
しかもただ温かいだけではなく暑すぎないのだ。
これはいったいどういうカラクリなのだろうか?
体の主は平らの領域に腰を落ち着けると、手袋を外し腕をまくる。
不思議なことに手袋の下にも薄い指切り手袋のようなものがあり、手の甲の部分には宝石のような真っ白な石がはめ込まれていた。
その石はただの宝石ではないようで、その透明な内部はとんでもなく深く見える。
そしてそれが付いている手袋も他の衣装とはまるで異なる黒い布製の精巧な作りをしていて、場違いのような圧倒的なまでの存在感を放っていた。
まるでその手袋と宝石だけまったく別の時代から来たかのように、しっかりと作られている。
明らかにこの体の主の手作りとは思えなかった。
そして体の主は何を思ったのかその宝石の部分を鍋の縁につけ思考を集中させた。
すると何かが鍋に流れる感覚が伝わってきた。
その何かが、何なのかはわからないが、とりあえず何かが体から鍋に流れたのだ。
それと同時に鍋の中の氷が微妙に溶け始めた。
また鍋自体が明らかに熱を持ったのが分かる。
その様をひとしきり眺め満足した感覚が伝わってくると、今度は先ほど取り出した金属製の容器へ注意を向けた。
これが何なのかは開けるまでもなくわかる。
体の主がこれを見るたびにすさまじい食欲を伝えてくるのだ。
きっとこれは食べ物なのだろう、それもこの体の主が大興奮するような、とびっきりおいしいやつに違いない。
どんな料理だろうか?
ワクワクに満ちた心で、体の主が容器を開けるのを見守った。
容器の蓋が開かないように器用に縛っていた紐を解き、いざ御馳走を! と容器の中を覗くと・・・・
不思議なことが起こった。
入れ物の中身は確かに食べ物だった、それは間違いない。
この体の主の食欲が”それ”を見た瞬間最高潮に達したのだから間違いない。
それはもう ルンルン♪ と形容できそうなレベルのご機嫌さだ。
体の主から発せられる情報が”うまそう!”で塗りつぶされる。
と、同時に自分の相反する感情がごちゃ混ぜになったのだ。
つまり
”うっわ、なんだこれ!?まずそう! ってか、くろい!? ってかくさい! 血なまぐさい! なまぐさい! まっずそう! いや絶対まずい!”
という明らかな自分の不快感と、体の主から発する高揚感のギャップで混乱してしまったのだ。
中身の詳細については具体的なことは書きたくない、というか認識したくない。
中に仕切りがあってそれぞれ別のものが入っているようだが、どれも妙に黒いそして臭い。
だが体の主はその匂いが良いらしく ”やっぱこの匂いよねー♪” 的な感情を発しまくっている。
「ふんふん♪」
驚いたことに今まで無口だったのに、こんな鼻歌まで漏れ出した。
一体どれだけ好きなんだろうか?
このドギツイ匂いの正体はおおよそ見当がついているが、すぐに判明するだろう。
なぜなら体の主が黒い物体の一つを ”手づかみ” で口に向かって放り込もうとしているからだ。
正直やめてほしいと思う間もなく、その塊にパクつく。
うん・・・・肉だ。
そう肉である。
それ以上はわからない。
味とか食感以前に、強烈な血なまぐささが鼻に抜けて卒倒しそうになった。
だが卒倒することは絶対にない、なぜなら卒倒するかどうかの権利を握っているこの体の主は、全力でこの感覚を楽しんでいるのだ。
そして体の方も全力でこの肉のような何かの摂取を喜んでいるようで、俺だけがどこかに取り残されているかのような疎外感を覚えていた。
味覚までもが”おいしいよ!”とその味の詳細情報を喜々として教えてくれるのだが、正直そんなものそんな詳細に教えてもらってもうれしくない。
そんなものは俺の基準では断じておいしいものではないのだ!
だがその詳細情報でこの強烈な匂いの正体が判明した。
血である。
どうやらこの肉は、何かの血で煮込んでいるらしい。
そしてここからが地獄の本番、仕切りの別の領域から別の黒いものを口に入れる。
これはたぶんあれだ、そうあれ、食物繊維的ななにか、たぶん野菜だ。
そしてご丁寧にこれも血で煮込まれている。
正直やめてほしい。
どうやらこの主は血が好きらしい、吸血的な意味ではなく、”味”として。
肉汁と血が混ざった汁の方をどちらかといえば積極的に取ろうとしている。
きっと不足しがちなビタミン
そしてこの体の主の中にいるままでは、今後も肉と野菜の血煮込みをひたすら味わうことになりそうであることを俺は察した。
※※※※※※※※
血の宴(メニュー的な意味で)のあと、鍋の方はすっかり氷が溶けてグツグツと沸いていた。
体の主がそれを見て鍋に手をかざし、何やら得心がいったのか、そのまま手の甲で軽く叩く。
すると急に鍋の沸騰が止まった。
体の主は再びバッグの中をゴソゴソといじり、コップのような物を取り出すとそれを鍋に突っ込みお湯を掬った。
「・・フー・・・フー・・・」
口元で少し可愛らしい声でふーふーとさまし、そのまま少し口に含む。
「ズズッ・・・ハァ・・・」
その途端、全身に血が通ったかのように熱が回る。
体の緊張が溶けていくかのようでとても気持ち良い。
先程のバイオレンスな食事が嘘のように心に平穏が訪れた。
人間というものは一杯のお湯でここまで満足できるものなんだなぁ、としみじみ感じる。
考えれば記憶が始まってこの方、ひたすら伏せて、巨大な化け物を狩り、そしてその化け物をひたすら引きずって歩くと、異常な状態が続いていたような気がする。
落ち着いて記憶を整理すると、最初に伏せていたのは狩りのための待ち伏せなのではないだろうか、ただ相当長い時間あそこにいたが正直いつからああしていたのかはわからない。
この体の凝り具合から見て、生半可なものではないだろう。
今、体の主は全身をくまなく揉みながら凝りをほぐすのに夢中だ。
そして、そうやってひとしきり全身を揉み解していると段々と睡魔が込み上げてくる。
無敵に思われたこの体の主も、流石にこの睡魔には勝てなかったのか、少し大雑把に周囲を片付けるとそのまま体をゆっくりと横たえた。
地面は固くちっとも快適ではないのだが、疲れを自覚した体には関係ない。
そのまま俺の視界は真っ暗な闇へと落ちていったのだった。
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