鬼の棲む杜 〜天童シコ男の恋と冒険〜
ラブテスター
天童シコ男の恋と冒険(上)
その日の朝わたしは、ふと、会社へむかう東京ゆきの人ひしめく電車ではなく、反対方向の甲府ゆきの電車に乗ってしまった。
すこし涼むだけだ、などという言いわけは自分にしか通らなかった。がらがらの座席の真んなかに座ったとたん、もうドアは閉まり、迂闊なことをした現実とともに、車両は動きだした。
***
わたしはちっぽけな男です。
心を決めて、あのまま居眠りでもしていれば、いつか甲府に着いてほうとうの一杯も食っていたであろうに、一駅一駅を過ごすごとに仕事をさぼった罪業がじぶんの魂に積もりつもる気がして、途中どこぞの駅で、強迫観念のために全身を汗みずくにして電車をころげ降りました。
おりた駅名など、もはや聞きも見もしていなかったけれど、大月くらいは過ぎていたのだろうか。そのくらいは乗っていた気がするけれど、まだであったのか。
それでも、駅をふみ出したそのまわりは、もうずいぶん辺鄙でした。
家なみなど、どちらを見わたしても丈ばかりいくらかりっぱな平屋ばかりで。それも二、三軒ぶんほど連なればもう、そのさきには緑ふかい山なみがのぞいていて、ましてビルみたいな建物などは、まったく四方いずこにも臨むべくもなかった。
そんなだから、この町だか村には天からわたしを遮るものもなく、つよい夏の日ざしがかあっとわたしの防御のうすい脳天を衝いていました。わたしの気もちが、何かしらの冷やっこくもカロリーのあるものを欲しており、見なれたコンビニのカラーリングのいずれかを目が探していましたが、そんな文明などあるはずも無い土地であることがあらためて了解されたのみでありました。
気を落としつつも、わたしの足はおのずと駅をはなれて、ふらふらと歩みを進めておりました。駅のあたりであると、電車をつかうために人が来るかもしれないと恐れたからでもある。人に見られるのはこわい。人は、人を、ほんとうにおそろしい目で見ることがある。ええあれは、人でないものを見る目です。わたしはとりわけ、そういう目で見られることがある。ある。あるのだ。人がどれほどかんたんに、その視線で人から人たる資格を剥奪するものであるか、あなたは知っていますか。ええ。どうだ。知らぬし、そういうものだということも、わからぬだろう。これはわからぬ者には一生わからぬ。だからわたしは、人とゆき逢わなそうな路地をえらんで歩いた。しぜん、わたしのゆく先に家屋はみるみるなくなり、活きて使われている人工物がへってゆき、道具として死んでくちたものばかりとなってゆく。いつかそれさえも途切れがちになって、草ばっかりがぼうぼうとした風景になってゆきました。
まだ、職場に電話をいれていない。そういう気がかりがずっとありました。スマホの時計を見れば、そろそろ始業の時刻となる。わたしはそこにいなければならないが、もう、まにあわない。ただ、もうどうしようもないことは、もうどうしようもない。でも、せめて、より悪いことになるのは回避せねばいかんよ。だって、こうして電話をしないでいたら、むこうから電話がかかってくるかもしれないじゃないか。それはいやだなあ。でも、もしかしたら、皆わたしの存在などつねからほんとうに気に留めちゃいないのだから、きょうという日の終わりごろにやっと誰かがあれそういえばと思いだすくらいで、そして、それすら、でもまあ今さらどうでもいいかなんて、ありがたいお目こぼしになることだって、あるのじゃあないだろうか。ねえ。
つらつらそんなことを考えるうちにも、ちらちらと見やるスマホのアンテナはひとつ、またひとつと表示を減らしていて、これは、もう、仕方がないかなあ。だって電話をしても、話している途中に電波がわるくて切れてしまったりするかもしれないでしょう。それは、先方に失礼なことだ。これは、そうだ。わたしは、電話をしないでいるのではなくて、控えているわけです。そういうことじゃないでしょうか?
そうしたタイミングでわたしのスマホに着信がきたものだから思わずわたしは草ぼうぼうの茂みにスマホをぶん投げる。
茂みの奥ふかくにスマホが飛びこんだことで、音は小さくなったが、たしかにまだ鳴っている。わたしはミサイル警報を聞くような気もちでその着信音にワーッ! ワーッ! と恐慌する。
そうだ、だいち、そうなのだ。職場と電話がつながったところで、わたしは自分がなんというべきかまったく考えていなかった。はたして今日は出社せぬのか。はたして、遅刻はするが、出るのか。これは、つぎに、ちゃんと電波のとどくところへ入るまえに決めておかねばなるまいとは考えていた。そこに決してうそはございません。そういう考えが心にあったのは、ほんとうなのだ。
しかし、でも、ああ、なんだか。電話のあるのが早すぎやしないか? 今ちょっと手元にスマホがなくなったので、正確な時刻を見られないのだが、まだそこまでの頃あいではないはずだ。ちょっとばかりわたしの姿が見あたらずとも、電車が今日もきょうとて遅れたかもしれないし、わたしが仕事まえの気合を入れにお手洗いに立っているかもしれない。それを、そんなせっかちに電話で呼びだすんだか、所在をたしかめるんだかする必要があるのか? いったい、わたしに、そんなことをされる心あたりがあるというのでしょうか?
これがあるといえばありまして、それはというのも、昨日のあれのことであろうか。あれの話がまだ済んでいなかったのだとしたら、たしかに朝いちばんで誰かがわたしを探すことというのも、あるのかもしれない。しれないなあ。わたしはあれのことに思いをはせる。
とはいえ、わたくし、実のところ昨日のことはもうあまり覚えておりません。ちがうんです。聞いてください。きのう、お昼休みの明け、わたしがわたしの席へおそるおそる戻ろうと部門の居室にはいりましたところ、わたしの机のまわりに人が複数人、とり囲むようにかたまってざわざわと話をしておりました。それだけで、もう、それを見ただけでわたしは、泡をふいてその場に卒倒しそうな心もちになりました。
あまつさえ、なおのことですよ。わたしを見つけた一名が、こちらを指さして「あ、いた!」なんて叫ぶものですから、これはわたしもうとてもとても
いえ、気絶したわけではありません。はい、ちゃんと聞いてました。ただ、人間の精神には防御作用というものがございまして、一個人でとてもかかえきれない弩級の困難にゆきあたったとき、心が壊れないように、母鳥が卵をあたたかく抱くように、魂をその記憶から護ることがあります。なので主だったことは今のわたしはちょっとわかりません。
いや、そうではなく、わたしが仕事で失敗をしてしまったのはわかっております。おぼろな記憶だと、だいたいそんな感じでした。どうせあれだろうなというのも、あります。そのあれの話が、そのとき、どこまで進んだのだったかなということです。
などとひとり云々しているうちに、着信音はやんでいました。そうなると、これはこれで困ったことがあります。わたしのスマホが草むらのどこにあるのかが全くわかりません。えっ、ええーっ。それはあなた、参るなあ! とはいっても、どうしようもありませんで、わたしはそのぼうぼうの草むらにわけ入り、這いつくばってスマホを探すけれど、これがまた見つからない。えーっ。
見つからないなら見つからないで、一時間くらいは探したといいたいところですが、あんまり暑くてわたしがちょっと
気ばってながく探していればまた着信があるかもなんてことも期待したのですが、無情なことに、わたしが頑張れてるうちにはなかった。
事態のあんまりさと、暑さのために、茫然としてしばらく座りこんでいたかったのですが、これすら、ほんとうに直射日光がじりじりと来るものですから、ぼけっとしているだけでも
どこか涼めるところを見つけようと歩くけれど、なんにもなくて、冗談でなくこれはまこと死ぬのではないかと思い、さっさか、さっさかとわたしは歩みを速めるけれど、日かげがすかすかでたよりない木立ちやら、わたしの左右が盛大にはみ出すやせっぽちの電柱しかありゃしない。そうしているうちにもつぎからつぎへと汗がふき出して、ぽっぽた、ぽっぽたとしたたって、いや、これ、もしかして町にひき返すべきところだったのではないか? というか、わたしはなぜこの期におよんでまた町じゃないほうに歩いた? そう後悔するけれど、まるで、あとの祭りです。
しかし、そのうち、わたしがふと見つけたものがありました。『登山口→』。透明のビニール袋に入れられた、紙の札。それがやはりビニール紐で道ばたの枝につるしてある。
その矢印がさすほうをのぞき込むと、たしかに、いわれなければただの藪としか思われないところに、獣が通るような踏みあとがある。
いや、ふつうはそれ、そんなところにふらふらと入りこんだりしないとはわたしも思います。でも、今は。わたしの歩く道は、からからに乾いて、かんかん照りの太陽にがんがんに焼かれておりまして、いっぽう、この登山口とやらの先の道は、藪と見まごうだけあって、日ざしはないし、なんなら足もとの地面など土がしっとりと湿っているくらいで、いやもうこうした間にもわたしはその日かげに頭からつっ込んであ・はあとひと息ついていたりしたのですが、なんなら、どうせ歩くのならこっちの道かなあと。
いやわかっています。登山口なんだから。ずんずんといけばいつか、別にどこでもないただの山のてっぺんまでいってしまうのでしょう。そんなことはする意味も余裕もわたしにはないのだから、だから、わたしは、日かげはもう今くらいでじゅうぶんなので、あとはもうちょっと
でもわたしは、そこで、それを、あんまりありがたいと思えなかった。だあって、そこにはなんか、先客がいて休んでるんです。登山のかっこうをしたお年寄り。そして、わたしを見て、こんにちは、なんて挨拶してくる。ああ失敗した。知らないひとが苦手。なので、その言葉に、わたしは、ヌウッ……? オオ! みたいな、さも今気づいたみたいな頓狂な声でこたえる。
***
つめたいお茶をいただいてしまいました。
もらった一杯をたちまちのみ干してしまうと、飯村さんというそのおじいさんは、わらいながら、こころよくまた一杯を水筒から注いでくれました。今日はトレーニングでばかみたいにたくさん水をもってきているから、と。そんな酔狂をしているから、奥さんはあまり山につきあってくれないのだと。
その老人に、わたしは
わたしの名は
シコ太郎、シコりまくりと連日嘲笑され、女子からは理不尽に汚物あつかいされた中学の日々は、暗黒というほかはなかった。さらに以降の高校時代からについては、また精神の防御作用がはたらいており、平時は記憶があいまいなままである。
だからではないのですが、わたしから身のうえ話は特にせず、大体わたしはこの飯村老人の話の聞きてでした。するとこれがまた、いつの間にかいっしょに山を登ることになっていたものだから、参った。やはり人の話をあんまりへえへえと聞くものではない。いちおう、わたし今これスーツに革靴なんですけどねえ、みたいな往生ぎわのわるいことを述べてはみたけれど、いやあぜんぜん大した道ではないよ、きみはずいぶん
そこからさきは苦行だった。
のぼりの道には段が切られていたが、これが、つづら折りというのか、あっちにこっちにと、いきつ戻りつを際限なくやらされる。頭のうえで木々は、枝葉をみっしりしげらせていて、日ざしこそ直接はとどかなかったけれど、あおくさく土くさい湿気がむわっとひどくて、実にひどくて、わたしはなんどもえずいて息をつまらせた。そんなわたしの尻を、飯村老人は手ぬぐいでぱしんと叩き、ほらもう少し! もうあとちょっと! と檄をとばします。いやあ、憎ったらしいったら、なかった。
それでも水ばかりはいくらでも飲ませてくれるので、いつかやがて、わたしはぶっ倒れそうになりながらも、やり切った。頂上についたのです。心臓がやぶれて死ぬのだと思っていたので意外だった。これで休める、と思ったけれど、山のてっぺんって、あれなんですね。そこで木々がとぎれるから日かげがない。四人がけみたいなテーブル付きのベンチもあったけれど、とてもそこで休みたかったけれど、日ざしがもりもり当たっていて輻射熱がすごそうで、近づきたくもない。
飯村老人も、ここじゃあつくて休まらないから、最初のところまで戻ろう、そうしたら米も燃料も余計にあるし、缶詰めがあるから食事にしようといいます。戻るって、戻るのか。今までの道をこんどは下るのかとわたしはうんざりする。食事はありがたいです。それはいただきたい。
山頂は、それでもいくらか風が通るので、下りはじめる前に、はるか遠くに見おろせる町なみをながめました。山肌にささやかに、苔みたいにはりつく家屋の群れに、人間てちっぽけだな、なんて感慨をいだきながら、わたしは、氷入りはこれで最後だというお茶をまたもらって飲みました。
ほんとはね、と飯村老人が語りだしました。もっと先までいくつもりだったのだけれど、きょうはあなたがいるからここまでにしておくと。ここより先には、この土地の神社の、奥の院があって、ほんとはそれを見てくるのが目的であったのだと。
その奥の院はなにか見るとよい感じなのですか、とたずねると、老人は急に歯切れがわるくなる。もう何度も見ているし、べつに何もないのだけれど。個人的に気になって。とか。と思ったら、こんどは声をころして、ここ数日、ずっと山がざわめくように感じる、そう、まいよ慟哭しているようななんて、何かをこじらせた中学生のようなことを言いだす。
そして、あなたはどうだ、歩いていてなにかへんな感じはなかったかなんていうものだから、そうですねえはじめて来たもので、とかお茶をにごす。ええ。ふだんを知らないので。わからないです。
飯村老人はわたしのそんな答えに、つまらないような顔をする。ひどいな。わからなかったものはしょうがないでしょう。さておき、老人は気をとり直すように、そろそろいきましょうか、といって登山リュックを背負った。
わたしには準備なんかないので、すでに脱いでいたスーツの上着を意味もなくばさりばさりと払って、そうですねえ、なんて意見が合うようなことをいうが、調子をあわせただけだ。上着だってもちろん、べつだん着るわけではない。暑いので。
そうして、われわれは山頂をあとにする。飯村老人は老いを感じさせぬ軽い足どりでほいほい下りてゆくけれど、わたしは、頂上したの急な岩場になんぎして、革靴で足うらだってすべるものだから、一メートルおりるのにもほうほうの
ただ、そこで。ふと、
とたん、どたたたっ、と大仰なかけ足の音がわたしの頭のうしろのほうで、した。したと思ったら、飯村老人の声で、ちょっとあんたッ! なんてただならぬ様子で呼ばれる。わたしは驚天して、はいいっ、とうわずった調子で返事をする。返事をして、そのほうへ向きなおる。あれ今なにか、老人の言葉の尻のところ、あんたっの最後のところが少しこう、くぐもったみたいな音だったな、なんて思いながら。そう思いながら、老人の声のほうに、向きなおったのだけれど、その顔を見つけられない。
老人はいた。目のまえにいた。だが、老人はいたのだけれど、顔が見えない。顔がない。
飯村老人の、頭部だけが、肩のうえから無くなっていた。
ちぎれた首の、肉がむき出しになった奥、いっしゅん見えた骨の白い色が、噴水のようにしぶいた血の赤に、しとどにまぎれて消えた。老人の、たれた腕が力なくおどるようにぶらぶらっと、痙攣的に振るわれ、振られた腕に引かれるように、そのからだは前へ、わたしのほうへ、稲穂のようにかしいだ。
わたしは、それを、悲鳴をあげてつき飛ばしてしまった、わたしは、わたしは――
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