ここから始めよう

「ん…………」


深く沈んでいた意識が少しずつ覚醒し始め、それに伴い体の感覚が鋭敏になっていく。すると、意識を落とす直前まで感じていた激痛が体を襲った。


「う、ああああああ!!!ガッアア!!!」


強烈な痛みに耐えかねずジタバタと地面を這いずり回っているであろう自分の姿を想像するが、さながら瀕死の芋虫のようだと痛みの中で思う。もしこの場に一人でも人がいれば、絶対にやらない格好だ。


体を襲う激痛は一向に治まる気配を見せず、どうすることも出来ずに只転がっていることに滅入り始めた時、俺の方へと走ってくる人影が一つ。


「だすけっ!!ッアアァ!!!体がイダいんだ!」


尊厳だのなんだのをそっくりかなぐり捨てて懇願したことが効いたのだろうか?その人影は更にスピードをあげて俺に近付いてくる。やがてその人は倒れている俺の目の前まで来たのだが、視界がボヤケているからか、髪の毛の色が透き通るような水色であることしか分からない。


「あるじ?あるじ!!大丈夫?!まだ痛むの、平気?!」


はたしてその人が発した声は、ラーシェのそれだった。


普段ならここで、何でラーシェの声を出せる人間がいるのか?さっきから気配が無いラーシェがどこにいるのか?などと考えを巡らせるのだろうが、今の状態でもそれだけ頭を回せる程俺は厳しい鍛え方をしていない。だから、その人間が何らかの方法でラーシェが変身したものだと受け入れた。


「ラーシェか?ッ!…………体が痛いんだ、どうすれ、ばいい?」


何も考えていないようで、いつも俺にアドバイスをくれるラーシェを頼るが、流石のラーシェもどうすればいいのか分からないようだ。俺の周辺を落ち着き無くウロウロしているだけで、何も事態は進展しない。


しかし、ふと立ち止まるとラーシェは、地面に向けていた顔を俺の方へと向けて、「賢龍に聞こう!もうボクじゃ分からないんだ!あの壁まで運ぶから、スキルだけ頑張って使ってね!」と言い、素早く俺を背負って三層へと駆け出した。


道中ですれ違った魔物を【酸弾】でぐちゃぐちゃにしながら、進んでいくこと数分間、賢龍の巣へと続く壁の前に着いた。すると、ぼんやりと揺れ動く視界の中でラーシェと思わしき人物の影が崩れ、俺の見慣れたスライムに変わっていく。


『あるじ、【液化】と【分裂】は使える?!壁の前に着いたよ!!』


「あ、あ。何とか、使え………そうだ。」


そう言うと俺は【液化】と【分裂】を繰り返して、体を水分に変質させたのだが、そうすると今度は体を蝕む痛みの種類が変わった。


**でいたときは、内側から何かが突き破って来るような痛みだったのが、液体になったら、体が沸騰して沸き上がってしまいそうな痛みになり、その変化に驚いた体が更なる悲鳴を上げだすが、それでもあと少しで賢龍の巣へと辿り着けると思い、体(水?)に鞭を打つ気持ちで壁の中を進んでいき、抜けたあとはまたラーシェに運んで貰らう。


更に数分間走り続けて貰うと、突然走っていることで揺らされている感覚が無くなり、代わりに重力場に逆らって内臓が引っ張られる感覚に襲われた。最早固い物体に当たっているんじゃないか?と思わせる程猛烈な空気の抵抗が体を圧迫するなかで、俺のすぐ上――――ラーシェの顔があるだろうところから、大声が響いた。


「賢龍、あるじが大変なんだ!!今そっちに向かってるから、キャッチしてくれ!!」


ゴオオオー!と耳を打つ風の音を聞きながら落下運動を続けること数秒、俺達の体が光に包まれた。


どうやら、賢龍が俺達のために転移魔法を使ってくれたようだ。


次の瞬間には、俺達はあの賢龍の巣にいた。


しかし、痛みに苦しんでいる俺にはそれ以外のことは分からず、そんな俺の代わりにラーシェが少しばかり緊張した表情で一歩前に出た。


「賢龍、あるじが死んじゃいそうなんだ!助けてくれないか?!」


しかし、賢龍はラーシェの言葉には答えずに独り言を呟く。


「ほう、ラーシェがその姿でいるということは、既に【人化】まで手中に入れたということか。それならこのような事態になるのも、当たり前ではないか?」


俺の様子を見て一人(一匹?)納得した賢龍は、若干の呆れを混ぜてこう言った。


「ラーシェのマスターはレベルを基準値にまで引き上げておったのか?中途半端なレベルでそれほどの力を得るのなら、そうなるのも道理であろう。」


「レベル――――そうか。そうだよ!!あるじのレベルが低すぎるんだ!」


賢龍の言葉を聞いたラーシェが、ハッと気付いたように顔を上げた。どうやら現状の把握が出来ていないのは俺だけのようだ。


「ど、どういうことだよ?」


「あるじ、レベルってあるでしょ?ほら、ステータスの上限値を引き伸ばすやつ。あるじはレベルが低いから限界を超えた力が、収まり切らないんだよ!分かる?ステータスは、a/bって表記されるでしょ?aは現在値で、bは上限値。レベルが上がると上限値の最大値が増えるんだけど、あるじはスライムの力を持ちすぎて、上限値に収まりきらなくなっちゃったんだ!」


レベルと言うのは、生きているものを殺すと上がる数値で、レベルの変化はステータスの上限値に関わってくる。


ステータスというのはその人物の強さを表すもので、ATK(攻撃力)DEF(防御力)AGI(素早さ)INT(賢さ)MA(魔法的攻撃力)MD(対魔法防御力)が、その内容だ。


例えば、レベルが1の人間がレベル2になると、ATK1/3→ATK1/4という風に、ステータスの上限値が上昇する。そう、只レベルを上げても、その過程に努力の結晶が無ければ、強くはなれないのだ。そしてその悩みとは逆に、フェイルはステータスが飽和状態になり、その結果有り余った力がフェイル自身を苦しめているのだ。つまり、これ以上強くなるためには、レベルを上げなければならない。


その事実に気付いた俺は、ラーシェと繋がったパスを応用して、得た力の中で余った力を全てラーシェに送った。すると、今まで俺を苦しめ続けた激痛が嘘のように無くなり、体が楽になる。


しかし、唯一のミラを助ける手段を早々に失ってしまったという事実もまた、俺の心に重くのし掛かる。


「くそ、これから俺はどうすれば―――!」


そんな俺を見かねたのだろうか、賢龍が穏やかな表情で話し掛けてきた。


「お前は知っているのか?ダンジョンの階層区切り―――つまり、五層ごとにある中ボス部屋をその身一つで攻略した暁には、経験値玉というアイテムが手に入ることを?」


「なんだそれ?聞いたこと無いけど。」


「つまりはな、お前にも分かりやすく言うと、ソロで五層ごとにある中ボスを撃破すると、経験値ボーナスがあるということだ。その効率は、軽く見積もったとしてもパーティーを組んで倒すときの十倍以上だな。」


「そ、それなら俺は―――!」


この次に賢龍が発した言葉は、俺にとっては信じがたい言葉だった。


「それと、フェイル。お前はやはりここには来るな。」


は?


「今、何て言ったんだ?え?来るな?」


「だから、そうだと言っておるだろう。お前が本当にダンジョンの攻略、そしてミラとやらの完治を願っているのであらば、その身一つ、お前の実力だけでここまで下りてこい。ラーシェをテイムしたのだから、スライムをテイムして強くなるのは勝手だがな、その手段に溺れるのは気に食わん。もしそんな方法で妾を泣かせようと考えているのなら、今すぐにでも消炭にしてやるぞ?」


ラーシェが慌てて俺を庇うように前に立つが、俺はその時に違う事を考えていた。


いつも一人で俺を守っていたミラ。


いつも一人で苦しんでいたミラ。


そして、今もなお一人で苦しみ続けているミラ。


そんなミラに他力本願で手に入れた賢龍の涙を渡しても、俺は満足なのか?ミラはそれを受け取ってくれるのか?


俺が立ちたい場所は、ミラの横だ。後ろじゃない。


だったら――――――!


「分かった。今日はありがとう。賢龍がいなきゃ俺は死んでたからな。」


「ほう?迷いもせずに苦難の道を選ぶか。よいよい。妾は何時までもここで待っている故、いつでもこい。お前が本当にここまで来れたのなら、妾のことを叩いてでも泣かせてみるがいい。」


「そうかよ?じゃあ、今の内に泣いたりしないでくれよ?強がってないからな!絶対に泣かせてやる!!んじゃ、俺達は賢龍の転移魔法で、入口まで戻るから。」


「······変わり身の早い奴、まあそれも良いか。では次に会う時を楽しみにしておるぞ」


「ああ。」


ラーシェが何か言いたげにしていたが、それよりも先に俺達は光に包まれた。


「行ってしまったか。まあよい。あやつがここまで来れたのであれば、約束を果たそうじゃないか。」


賢龍は、一人虚空を眺めながら何時までも動かなかった。


光が収まると、俺達はダンジョンの入口に戻されていた。賢龍のお陰だ。


「あるじ、本当にこれで良かったの?もっと上手いやり方とかあると思ったんだけど。」


俺を見つめるラーシェの瞳には、「もったいないなー」という感情がこもっていたが、それでいい。


「いいんだよ。俺には俺のやり方があるんだ。」


目の前には、ダンジョンの入口が真っ暗な口を開けている。


俺はそこに石を投げ込んだ。


「これが始まりだ。俺は、絶対にミラを救って見せる!」


その決意は夜空の中へと溶けていったけど、俺の中で激しく燃え続けている。


ここから、始めよう。

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