ウルフボーイ×ハンターガール~弱者達の咆哮~

孝部樹士

第一章『奴隷は夢を見た』

第1話 見上げた空はあまりに綺麗すぎた

 ここに奴隷に身を落とした一人の少年が居た。


 エストール大陸のルキノア王国の街の外れ、ザンクトと名乗る奴隷商人は奴隷の売買を行っていた。

 国内では一応奴隷の売買は法で禁止されていたものの、一度料金を払ってしまえば人権を無視して働かせることのできる奴隷は常に一定の需要があり、周辺を統治する領主に賄賂でも握らせれば黙認されることも珍しくはなかった。

 今まさに奴隷が一人売れたところだった。


 「毎度ありがとうございます! お客様、次回もどうぞご贔屓に!」


 歌うことが好きな少女だった。ただそれだけが望みの少女は、欲望にまみれた豚のような外見をした貴族に首輪を引かれて連れて行かれた。

 少女に小指の先程も同情を抱くことのない奴隷売りのザンクトは、自慢の顎鬚を指で擦りながら、上機嫌で奴隷小屋とは別に設営したテントの中に入る。


 「今日は幸先がいいな。市場を開いて一時間もしない内に一人来たぞ。……在庫処分いけるかもしれんな」


 テントの中には木製テーブルと椅子が置かれ、椅子にどっかりと腰を下ろせば、手にしていた金貨の入った袋をテーブルの上に置いた。そのまま指先を舌で湿らせて売り上げたばかりの数枚の金貨を重ねる。

 ザンクトはテーブルの上に置かれていた奴隷のリストを手に取る。


 「えーと、動物が三匹、人間が五人、エルフが一匹か……エルフはもう少し価格を下げてもいいかもしれんな。いやいや、ただでさえ出回らないんだ。もう少し強気でいっても――」


 「――おい、お前がここの主人か」


 高圧的な女の声にすぐに客だと判断したザンクトが背筋を伸ばし起立する。


 「はっ、お客様お待たせし……まし……た?」


 大げさに頭を下げたザンクトの目の前には、一人の女、いや、少女が立っていた。

 腕を組んだ少女は見ようによっては尊大とも言えるような雰囲気だったが、長年多くの訳アリの取引相手に関わって来た商人はすぐ彼女にこびりついた高貴な身の上から自然と出てしまうものだと見抜いた。

 一度は態度を変えようとしていたザンクトは、今一度改めることにする。


 「何だ」


 年齢は十二歳程度。人形のような顔立ちに黒いツインテールに、ザンクトの態度に不満そうに肩眉をつり上げる紫色の瞳。黒を基調とした袖や服の継ぎ目、スカートの裾までフリルが支配しているドレスを着ていた。黒と白の色は下手すれば喪に伏しているようにも思われてしまうかもしれないが、不思議と少女には地味な服ですら天女が下着を着ているかのように直視できない色気を兼ね備えていた。


 「いえいえ、大変失礼しました。お客様は非常にお若かった故に……どこかのご令嬢でしょうか」


 命に関わることもあるので客を探るのは程々にしておきたかったザンクトだったが、周辺の領主や貴族の娘達の情報には無かった存在に今一度確認を取る。


 「奴隷商人というのは、いちいち客の素性を知りたがるものなのか。私とお前には、金以外の接点は無い。お前は奴隷を紹介し私はそれに見合った金を払うだけだろ」


 ザンクトは僅かに思案する。身の上話をした男は陳列された奴隷達に情が湧き衛兵に通報する珍事もあれば、欲望を求めた女は奴隷によって殺される予想外の出来事もあった。

 金という言葉を繰り返すということは取引を急かしたり焦っていることの表れでもある。目の前の少女は、さっさと商売を済ませたいからこその対応の仕方ではないのだろうか。

 そこまで考えたザンクトスは、下手な私情を口にする客よりも信頼が置けることを確信した。


 「大変失礼しました。私の名前はザンクトと申します。お詫びにお客様を満足させる奴隷をご紹介いたしましょう」


 「家畜の類や醜い物はいらんぞ。人間だけを見せてくれ」


 ザンクトと少女がテントから出ると先程の客が居た時は見当たらなかった馬車の上で、手綱を握った執事らしき男が座っていた。

 どこかの令嬢だというのは間違いなさそうだということに安堵したザンクトスは逸る気持ちとサーカスの道化師のようなステップの軽やかさで少女を奴隷小屋まで案内していくのだった。



                  ※



 少年は孤独と絶望の中で、水を欲していた。

 カビ臭い仄暗いテントの中で、少年は自分の閉じ込められた檻の鉄格子にもたれていた。

 長旅の中では水は必要不可欠だが、奴隷に与えられるのはそのごく一部。奴隷商人のザンクトの荷物持ちの手下達は、エールを片手にちょっとした酒宴を開いている。彼らに何度か水を求めたが、得られたのは吐き捨てられた唾のみだった。

 拭う気力も沸かないまま、少年は次の食事の時間まで体力の無駄遣いをしないように人形のように身動きを取らないようにしていた。


 「――では、お客様こちらへどうぞ! 汚いところですが、是非とも吟味していただきたい! ……おい、お前ら! お客様だぞ、早く光を入れろ!」


 酒宴を開いていた手下達は慌てて動き出すと、テントの一部をカーテンのようにめくると暗がりに陽の光が射した。

 光に目を細めると、鉄格子の間からザンクトスと少女の姿が見えた。よほど羽振りの良い客なのか、ザンクトも営業に熱が入っている様子だ。


 「お客様、こちらなんておすすめですよ。なんと、この男は口から火を吹く火吹き男! この男は己の放った炎で村を焼き払ったと言われております!」


 「手品師に用はない」


 「で、であれば……。こちらの女はいかがでしょうか! 狂気の科学者である夫に肉体をいじられて、何の痛みも感じない肉体に変わり果ててしまったのです。玩具を欲しがっているようでしたら、この女以上の適任はいないと思うのですが……」


 「何だそれは、加術の類ならもっと分かりにくく使ってみせろ。……普通の人間はいないのか。私が探しているのは、人形ではない奴隷だ」


 この奴隷市場はザンクトの趣味なのか変わった売り物のが多い。先週までは石を食べる少年もいたが、その前は二メートルの腕を持つ男もいた。彼らを買っていくのは相当変わっている奴が多く、明るい未来が無いのは目に見えている。そうやって、ザンクトに付いたあだ名が変人売りのザンクトだった。

 その点、少年はただの少年だった。伸びきった藍色の髪は目や耳を隠し、愛らしい顔をしているはずの少年はまるで野犬のような見た目をしていた。

 変人を愛好する者達が客としてやってくる奴隷市場では、客の需要と合致しない少年は単なる売れ残りでしかない。


 「おい、こいつも奴隷だよな」


 少女が少年に指をさしていた。少年はぼんやりと小さな人差し指を眺めていた。

 ザンクトが手揉みをしながら、少女の側に駆け寄る。


 「うちの奴隷の中でも、こいつはかなりの古参なんですよ。ですが、綺麗に整えてやれば可愛い顔立ちをしています。少年を嗜むお客様の注目度は非常に高い商品なんですよ」


 「ほう、では何故その美少年が売れ残る?」


 ザンクトは一度は言葉に詰まるものの、起死回生を図るように言葉を紡ぐ。


 「良い観察眼をお持ちですね。実は、この少年は一度とある令嬢の元に買われていきました。ですが少年は、売られた晩にこともあろうかご令嬢に襲い掛かったのです」


 「飼い犬に手を噛まれるというやつか」


 「うまい! お客様はお口も達者でいらっしゃる! 幸いにも近くで待機していた護衛に捕らえられて、翌日には私の元に返品となった売れ損ないなのですよ……」


 「手枷はしていたのだろ」


 「手枷……ああ『アイギスロック』のことですね。ええ、一応お客様にはアイギスロックを渡していたのですが、その、お戯れにする際に外れてしまっていたようなので……」


 口どもるザンクトスから少女は視線を少年に移す。少年の腕と足には、白い鉄製のリングが手首と足首に付けられていた。

 少年や他の奴隷は『アイギスロック』という手錠や足枷を付けている。アイギスロックには、身体能力を赤子並みに落とす効力がある。扉は自力では開閉できないければ、幼子一人抱えることもできない。それは手枷の効力のみで、足枷も加わるなら走ることもできず、まともに立っていることもできないだろう。唯一、そんな『アイギスロック』から自由にさせることができるのは、奴隷商人のマスターキーと購入した客が貰う鍵ぐらいなのだ。

 その為、奴隷を力仕事で使う場合は、片手だけにアイギスロックを掛けたり小さくしたりするなどして調整をするのだ。だが、少年は両手両足に手を広げる程の長さのアイギスロックを巻かれていた。ただ息をしているだけでも疲労を避けれないだろう。

 少女は鉄格子の一本を掴んだ。


 「奴隷商人、私は決めたぞ」


 「ま、まさか……」


 ぎょっとした顔でザンクトは少女を見た。

 蔑むような眼差しの少年に少女が送る視線は好奇心だった。


 「――この小僧を、私が買おう」


 乾いた笑い声の後に、ザンクトは「毎度、ありがとうございます……」と答えるしかなかった。


 

 その時、少年は初めて少女の顔を見上げた。

 星空一つ無い静寂に満ちた夜空のような黒髪が揺れ、流れ星のような輝きを持ち合わせた紫の瞳の中に少年の姿が映っていた。


 「はじめまして、私の名前はトゥリア。これから、君のご主人様になる者だよ」


 外見年齢にそぐわない大人びた喋り方で少女は自己紹介をした。

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