第35話 ミレミアム・シンドローム

 何の音沙汰もない日が続いた。


 あの人もわたしも電話やメールもマメにするタイプではなかった。

 会いたい気持ちが募っても、電話で話すのが怖かった。

 わたしはあの人の姿が見えないことがどことなく、不安だったのかもしれないし、あの人はあの人でわたしがどんな顔をして話をしているのか心配だったのかもしれない。


 そんなふたりだから、こういうときには、もう、どうにも出来なくなってしまう。


 互いに気遣って、電話をすることができない。

 会いたいとただ一言、それだけを伝えればいいのに、なにか用事がないとかけては電話をしてはいけないような錯覚に陥って……もしかしたら、そういうフリをしていただけなのかもしれない。


 ”できない理由を探すのは簡単だ”

 昔よく、部長に叱られたっけ――本当、簡単だ


 ともすればわたしは、その日の天気のせいにして、暑いから、寒いから、風が強いから、雨が降ったからと、出来ない理由をこじつけては、そのくせ、あの人から電話がないかと、四六時中携帯の着信履歴を気にしている。

 あの人は3回鳴らして相手が出ないときってしまう。

 まず、留守電に吹き込むことはしない。


”どうも留守電は苦手でね、何を話していいか考えているうちに、終わっちゃう”


 頭をかきながら話すあの人には、きっと以前に留守電に関するいやな思い出があるに違いないのだと、勝手に決め付けたわたしは、つまりは、そういうことも”出来ない理由”にしているだけなのだ。


 出会ってちょうど一年。それにいったいどんな意味があるというのか?


 街はクリスマスの準備で華やいでいる。

 しかも来年は2000年、なにかとミレニアムなのだ。



「先輩はクリスマスの予定、どんな感じなんですか? なんかすごい人気のホテルに去年から予約を入れてあるとか?」

 ぼうっとそんなことを考えているわたしにサッチンが話しかけてくる――どうやらサッチンは、壮大な勘違いをしているようだ。


「ないない、そんなのあり得ない。だってほら、今年は何が起きるかわからないでしょう?」

「Y2Kとかいっても、結局何も起きないんじゃないですかねー? でも一応、預金口座から少し大目にお金は下ろしておこうかと思ってますけど」


 2000年問題と聞いただけで、わたしの心は乱れてしまっている。

 あの人は今頃、Y2Kと闘っているんだろうか。

 無精ひげを生やして、しわしわのシャツでデスクに向かってキーボートをカチカチと鳴らしているのだろうか。


「そうねぇ、そのくらいはしておいたほうがいいかもね」

「あれ? なんか先輩つれないですね。なんかぜんぜんノリが悪いんですけど」


「そう? いつもどおりよ」

「うそ、なんかあったでしょう?」

 満面の笑みのサッチンがいた――なんでお前は嬉しそうにわたしをいじめるんだ。


「ど、どうしてあんたはそうやって平地に乱を起こしたがるかね」

「だってつまんないんだもん」


「お? なんじゃ、それは」

「だって、先輩、最近一緒にご飯食べに行っても、我ここにあらずって感じで」

 サッチンの洞察力の高さは恐ろしい。これが俗に言う女の勘というヤツなのか。

 わたしも少し見習いたいが、後輩の言葉遣いを注意するのも、先輩の役目である。


「あ、あのね、幸恵さん。我がここにないって、それじゃ、幽霊よ。それを言うのなら"心ここにあらず"でしょう。そ・れ・に、わたくしのどこが、我ここにあらずとおっしゃいますの」

 サッチンの目が一瞬輝く。

「先輩! そうこなくちゃー!」

 どうにも疲れるやりとりである。今のわたしには、そんな余力は残っていないというのに。

「もしかして、先輩、あれですか、倦怠期ってやつですかぁ」

 反論をする前にサッチンが畳み掛けてくる。

「ああ” これぞミレニアム倦怠期ですねー!」


「こらこら、なんでもミレニアムつければいいというものじゃないし、だいたい、ひとつもめでたくない!」

「あ、やっぱ否定しないんですね」


 思いっきり核心を突かれた。

 サッチンは一子相伝の武術の達人に違いない。

「うっ……イタッ!、いたたたたた」


 サッチンは多分深いことは何も考えていない。

 気遣いでもなければ、思慮深くもない。

 言い得て妙。

 下手な鉄砲数撃ちゃ当たる。

 ”考えるな、感じろ”なのである。


 難しく考えても仕方がないと、そう諭されているようで、少しムカついた。

 でも、サッチンは可愛いから許す。


「あのー、もしよかたっら、年末はどこかでパーッとやりませんか、ミレニアムだし」

「そ、そうね、パーッとやりましょうかね……なんかすっかり乗せられた感じだけど」


「のせられたら飲めよ! 飲んだら乗れよ!」

「どういう標語だよ、不謹慎な」

「先輩、世の中には終電を逃してもタクシーという便利なものがあるんですぜ」

「不経済な!」

「肉、肉、ニク、ニク」

「あー、もう聞いちゃいない」


「やっぱ、肉ですよ、肉」

「わかった、わかったから、いつものメンバーに声かけておいて、わたしはいつでもOKだから」

 サッチンには勝てない。


「あれ? いつでもOKなんですか?」

「そこを突っ込むな! そこを!」

 完敗である。


「あいー、じゃー、そのあたりは、今回の呑み会……じゃない焼肉会の酒の肴ということで」

「あー、もう、煮るなり、焼くなり、あぶるなり好きにしてちょうだい!」

「ラジャー!」

 乾杯できるなら、それもよしか。


 わたしはサッチンと話をしている間も、携帯をいじって、着信履歴を確認していた。

 あの人と連絡を取らなくなってから、もう二週間になろうとしている。

 わたしは思い切って電話をすることにした。


"会社の女の子たちと焼肉を食べにいく約束をしたので、それ以外の日に、うちに遊びに来ない?

 肉じゃがに負けない料理を作るから"


 たった、それだけのことを電話で話をするのに、それから3日を擁した。

 来週の土曜日という約束を取り付けて、ほっとするわたし。


 そして最後の晩餐は、こうして訪れた。

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