新宿の料理人

野崎 祐介

プロローグ

雲ひとつない空に、ふわりと雲がひとつだけ浮いている景色を眺めことが好きだった。ネットでその雲がなんていう名前なのか調べ、そこにある「雲」という確かな存在を一日中見つめていることができた。35歳のリュウは新宿でゲイバーをやっていた。そこにはセクシュアルマイノリティの人はもちろんストレートの人もやってきた。だが、女性客の来店だけはお断りしている。リュウが、女性が苦手という理由だけではなく、この「ゲイバー」という場所に「女性」という異色な存在が混じり合うことでそこはもはや「ゲイバー」ではなくただの「バー」と変わり果ててしまうのではないだろうか。リュウはこの「バー」がただの「バー」ではなく「ゲイバー」であることが気に入っていた。リュウのこだわりはそれほど強かった。来店するお客様のお通しは、毎日必ず違うものを出していた。ちなみに先週の月曜日は卵焼き、火曜日はエビと舞茸の天ぷらを、水曜日には豚の角煮を、木曜日には切り干し大根、金曜日にはカレーライスを。よくお客様や他のゲイバー仲間からは「なぜこんなに手の込んだものを出しているの」と聞かれたこともある。そんな時はいつも彼は「僕は料理が好きだからね」と答えている。彼の出す料理は他のゲイバーに比べると飛び抜けて美味いと評判だった。事実、この店を訪れる常連客の人たちの中にはリュウの作る料理目当てに訪れる客も多かった。さらにこの店ではボトルキープは一切していなかった。それがたとえ10回20回と訪れる常連客でも同じことだった。このこともよく聞かれ、リュウは決まって「僕はおっちょこちょいだから、もし間違って捨てたり割ってしまったら申し訳ないんだよ」と答えるが、実際は少し違った。この新宿という街の中でお客様に他の違ったお気に入りのお店を探してもらうことこそ彼の本当の目的だった。ただやっぱりリュウの店が好きだっていうお客様も沢山いて、何度も何度も訪れてくれる。もちろんリュウにとっては嬉しいことだった。


 7月1日、今日は土曜日。今日のお通しはマカロニサラダ、いつも食材を買っているスーパーで人参とキュウリが広告の品で安くなっていたのでこれにした。埼京線に揺られ、新宿駅東南口を出て目の前の大通りを歩いて新宿2丁目を曲がりその先を行った十字路の一角に店を構えている。他の店と比べると少し離れているがあまり周りにビルやお店が密集してないのでお客様にも見つけてもらいやすいのでここに店を開くことにした。店に着いたらまずすることはお店の中の清掃。基本的に店を閉める前に一通り掃除はするが少し埃が被っていたりするところがあるので、さっと拭くだけ。次に食材の仕込み。今日は土曜日だから来店するお客様は増えるかもしれないといつもより多めに作っておくことにした。

 「リュウおっはよ〜!」

 そう言って元気に店の扉を開いたのは高校生か、と見間違えるほどの童顔の少年、いや、少年というと少し語弊があるかもしれないが、その少年の名前はゆうま。彼がそう最初に自己紹介をしたからゆうまと呼んでいる。そもそもゲイ達の間でフルネームを互いに知っている人の方が少なく、互いのことはあだ名か下の名前で呼び合うのが普通。だから彼の名前が本名なのかどうかすらわからないが呼びやすいに越したことはない。彼もこのゲイバーで働いている従業員だ。

 「おはよう、ゆうま。もう少し静かにしてくれると助かるよ」

 彼の元気の良さを自分で緩和するかのように静かな口調でそう言った

 「あはは〜ごめんね。でもリュウのご飯楽しみだったからつい」

 「やれやれ」

 

 ここからはリュウとゆうまの出会いについて話すとしよう。彼と出会ったのは今からちょうど2年前。その頃、リュウは勤めていた企業は退職してこのゲイバーを開いて間もない頃だった。

 「いらっしゃいませ」

 不意に扉が開いてリュウは作業中の手を止めて目を向けた。しかし来店したお客様を見た瞬間、滅多に驚かないリュウも久しぶりに驚愕してしまった

 「申し訳ございませんお客様はまだ未成年でございませんか?」

 「・・・・・」

 「未成年のお客様の来店はどこのお店でお断りしています。申し訳ございません」

 「・・・・です」

 「はい、なんでしょうか」

 「だーかーらー、もう二十歳です!!!!」

 そう言って彼は自分の財布から学生証を取り出しリュウの前に突き出した。

 「そうでしたか。大変失礼しました。どうぞこちらへ」

 「・・・ふん」

 歳を間違えられて少し不貞腐れた表情で指定された席に腰をかけた

 「本当に申し訳ございません」

 「いいですよ、年齢を間違われるのは慣れてますし」

 それに間違われるのもあまり嫌な気がしないですしと、ボソッと彼が言ったのはリュウは聞き逃したことにした。

 「このような場所に訪れるのは初めてなんですか?」

 「まあ、あまり得意ではないので」 

 「ではどうしてこちらを訪れてくれたのですか」

 「ん〜、まあなんとなくって感じですかね。少し興味はあったので」

 「そうですか、あ、こちらお通しの「マカロニサラダ」です」

 「ありがとうございます」

 差し出された料理を彼はまだ緊張そうに受け取った

 「・・!これ、美味しいですね。一見シンプルに見えて、全体的に食材の甘みが生かされていて、噛むたびに甘みが口の中に広がるっていう感じ、です」

 少し照れて料理の感想を言う彼の姿に、もう緊張感はなくなっているように見えた

 「ははは、ありがとうございます」

 「何がおかしいんですか。全く」

 

 「だいたいリュウは〜なんでそんないかっこいいのに彼氏作らないの〜。モテるでしょ〜」

 完璧に緊張がほぐれ酔っ払った彼の姿はこの店に馴染んでいた

 「彼氏ができたらお店の方に集中できなくなってしまうかもしれませんからね」

 「ふーん、そうなんだ・・・」

 「はい」

 「・・・今日はもう帰ろっかな〜!以外と楽しかったよ。ありがとう!」

 「お客様大丈夫ですか??」

 「・・・ゆうま」

 「?」 

 「俺の名前、ゆうま。だからお客様じゃなくてそう呼んで、よね。あと敬語じゃなくていいよ」

 「そうですか。わかったよ、ゆうま。気をつけてね」

 「うん、また来るから」

 「いつでも待ってるよ」

 

 「ふふふ」

 「何リュウ、ちょっと不気味なんだけど」

 「いや、昔のことをちょっと思い出してね」

 「ふーん、そっか。ていうか、今日のご飯は〜?」

 「今日は「マカロニサラダ」だよ」

 カランコロン。この音を合図に二人は扉の方に向かって「いらっしゃいませ」そう声を合わせて言った。今日はどんなお客様が来るのだろうか。

 

 

 



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