夜人形は闇に笑う
秋月忍
第1話 発端
迎賓館はまぶしい魔道灯に照らされている。
ラス・アルフェッカはダンスに興じる紳士、淑女を、油断なく見回していた。
きびやかな衣装、優雅な物腰。音楽を奏でる楽団に、豪勢な料理の並ぶテーブル。
ここに集まっているのは、このラセイトスでも指折りの名士たちと、隣国のプラームド帝国の使節団だ。
プラームド帝国は港湾の要所である国家のラセイトスを非常に重要視している。
ラセイトスとしても、大国プラームド帝国との関係は重要だ。華やかで、にぎやかなこんな夜会でも、笑顔の会話は、腹のさぐりあいであり、計算が渦巻いていて、実際には、楽しむどころではない者が多い。
相手がプラームド帝国の要人となると、当然、『敵』も多い。
ラスは、ラセイトスの警察官である。
華やかな衣装とは無縁の白い制服姿。女性にしては短い赤毛。美人、といってもいいが、マリンブルーの瞳はあまりにも鋭いと言われている。年齢は二十六才。一般的には、適齢期をすぎている。仕事をする女性は、魔術師なら珍しくはないが、女性警察官は少ない。
警察官の仕事は、魔術と、武術のこころえの両方が必要だからだ。
ラスの任務は、会場の警護。華やかな夜会の中で立っているだけではあるが、非常に神経を使う仕事である。
何もないのが当たり前。何かあっては、本来いけないもの――それが、この仕事だ。
夜会独特の腹の探り合いも、紳士淑女のロマンスも、ラスには関係はない。
宴に興じる貴賓たちだけでなく、空気のように気配を消して動く使用人たちもあまさず目を向ける。どちらかといえば、輪の中心より、輪から外れて、ひそやかに動く人間のほうに注意が必要だ。
不意に。
いやな感じが胸によぎり、ラスは目を凝らした。
男が一人。
お仕着せを着た男が、グラスを盆にのせて、テーブルの間をぬって歩いていた。
中肉中背。特に特徴はない。しかし、なぜか不自然さを感じた。
ラスは、男の歩いていく方角を見る。
国賓である隣国のサナデル皇子と、ラセイトスの最高権力者ともいうべき、ホルス・ロキシム執政官が談笑しており、二人をとりまくように、淑女たちが遠巻きに輪を作っていた。
ラスは、ゆっくりと男の後を追いながら、ホールの反対側にいる相棒に合図を送る。
当たり前のことだが、確証をつかむまでは、手は出せない。まして、このような衆目のある場所では、細心の注意が必要だ。
男は美しい淑女たちに飲み物の入ったグラスを渡しながら、まっすぐにサナデル皇子のほうへと足を向けている。
盆を持たぬ方の男の手が、彼のズボンのポケットにさりげなくおりた。
その手の中が小さく光る。
ラスは走った。
「風よ」
パチンと指を鳴らす。目に見えぬ鋭い風が走り、男の身体を縛り付けた。
男の歩みが止まる。しかし、この風の魔術での拘束は、長続きしない。
ラスは、皇子の盾になるような位置へと回り込んだ。
「少し、お話をお聞きしても?」
にこやかな笑みを浮かべ、ラスは、男の顔を見た。
目に感情がない。口元には、柔らかな笑みが『張り付いている』。
『夜人形』だ。
ラスは、警棒を抜く。
「離れて!」
ラスが叫ぶと同時に、男が動いた。
風の縄を瞬時に断ち切ると、持っていた盆をラスに向かって投げつける。
ラスはそれを風の障壁を作って防いだ。
グラスが床に落ち、砕ける。
男の手に、白刃が光った。
キャーッ
悲鳴が起こり、人の波が引いていく。
男の足が踏み込んできたと同時に、ラスは警棒で刃を払い、拳を男の腹に入れた。
グフッとうめき声を上げ、男の口から血がこぼれる。
しかし、男は足を一歩後ろに下げただけで、笑みを張り付けたまま立っている。
その瞳にラスは映っていない。ひたすらに、『誰か』を追っている。
「ラス、下がれ。詠唱しろ!」
男の足が再び前に進もうと動いたとき、長身の男、ディックが二人の間に割って入ってきて、男の腕をとってひねりあげる。
ラスは、呼吸を整えた。
『夜人形』は、痛みを感じにくく、意思疎通は不可能である。完全に拘束されている現状でも、諦めも逃走もしない。あくまで『命令』によって与えられた『目的』を遂げなければ、本人の意識は戻らない。
殺さないで捕らえるには、与えられた『命令』効果より強い魔力の『傀儡』の魔術が有効だ。
ラスは手を振り上げ、エーテル流を操りながら、力を集中する。
周りの喧騒が遠のき、エーテルの色とささやきがラスをとりまいた。
――強い。
かなりの抵抗を感じた。しかし――。
ラスが、パチンと指を鳴らしたと同時に、男の身体はがくりと崩れ落ちた。
「……スタンドプレイに走りすぎだぞ」
気を失った男を担ぎ上げ、商品搬入用の馬車に載せながら、長身の男、ディック・バーナードがラスに抗議の目を向けた。精悍ではあるが、二枚目というにはいささか、ガラが悪い印象だ。
迎賓館の裏口の照明は、表のような華やかさはない。
それでも、物資搬入用と防犯のために、明かりは常にともされている。
中ではまだ、取り調べが行われているが、外は静かだ。
「悪かったわ。気が付いたのが、遅かったから」
ラスは、素直に頭を下げる。最初から『夜人形』とわかっていれば、対処の仕方も変わったし、会場に入る前に気が付けば、ここまで派手な立ち回りをすることもなかった。
「それは……俺も同罪だし、俺のフォローがおくれたのが一番いけないが」
ディックは、そういって、唇をかむ。
迎賓館で国賓をもてなす夜会で、このようなことがあったのはラセイトス警察としては大失態である。幸いにして、けが人は一人も出なかったし、混乱も最小限で済みはしたが、おそらく上司であるムファナ警部は、責任を問われるかもしれない。
「それにしても、サナデル皇子が標的みたいだけど、原因は帝国の継承権争いかしら? それとも反帝国派かしらね」
「……どうかな。どっちにしろ、きな臭い話だ」
ディックが、荷台に乗るのを確認して、ラスは御者台に座る。
『夜人形』を、『治療院』に連れていくのだ。早急に手当てしないと生死にかかわる。
夜人形というのは、強い魔力物質による中毒者で、暗示をかけられて操られている刺客だ。傀儡魔法で、暗示効果は断ち切ることはできるが、体内に残った魔力物質を中和しなければ、意識を取り戻すことはない。
魔力中和には、薬草と専門の知識が必要で、同じ魔術師といえど、ラスやディックとは畑違いだ。
ここのところ、こういった『夜人形』を使った犯罪が急増している。
『夜人形』に暗示をかけられるような人物は、このラセイトスにそれほど多くはないとは思われるが、なかなかしっぽがつかめない。
厄介なことに、夜人形は、その魔力物質を取り込んでからの『夜』の記憶がないのである。
したがって、仮に一命をとりとめ、会話による質疑が可能になったとしても、誰が糸を引いているかというのが、ほぼわからない。
「帝国の継承権争いだとすると……それはそれで、国家の存亡にかかわるなあ」
ポツリ、と、荷台に腰を下ろしたディックが呟く。
馬を走らせながら、ラスは「そうね」と頷いた。
ラセイトスは、小さいとはいえ、独立国家である。
プラームド帝国の中には、『ラセイトスを侵略併合したい』という強硬派もいる。
そんなやからにとって、和平を良しとするサナデル皇子は、邪魔な人間にちがいない。
「帝国から強硬派が、入り込んでいるということよね」
「もし、黒幕が帝国の人間だとしたら、だが」
魔道灯に照らし出された、石畳を馬車はカタカタと揺れながら走る。
迎賓館から海側へとのびていく道をゆっくりと降りていき、街から外れた場所にある静かな森の入り口に、闇の中にぼんやりと浮かび上がる白い治療院が見えてきた。
ラスは、馬車をゆっくりと中庭に入れた。
治療院の窓から、薄暗いランプの明かりが漏れている。
これは、魔道をつかわない、火による灯だ。
ラスは、馬車を止めて、馬留に馬をつなぐ。
そして、淡いランプに照らされている入口の木戸をたたいた。
小さなのぞき窓が開いて、見知った女性の目がみえた。
この治療院に努めている、スーザン看護師である。
「アルフェッカ警部補です。『夜人形』の処置をお願いします」
「少々お待ちを」
ガチャリというカギを開ける音がして、扉がゆっくりと開かれた。
スーザンは、担架をラスに手渡し、
「先生をお呼びしてまいりますので、手前の部屋に運んでくださいませ」
と言って、扉を指さした。
「今日の担当は?」
立ち去ろうとするスーザンの背中にラスが問いかける。
「リジン・エルタニン
「……そう」
リジン・エルタニンというのは、ラスの母方のふたつ上の従兄である。
仲が悪いわけではない。ただ、リジンはラスが警察の仕事を続けることに反対しているだけなのだ。
会えば、その話になる。それが、ラスには憂鬱なのだ。
しかし……。
――それと、仕事は別ね。
ラスは、ラスは、ため息をひとつついたが、感情を消して担架を受け取ると、外へと戻った。
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