人は彼らをJokerと呼ぶ

雨天紅雨

第一部 桐渓霧火

第1話 今日のお仕事1




 Jokerとは、道化師ジョーカーであり、鬼札ジョーカーであり、店側が手配した、一般人になりすます、賭場の調整役ジョーカーでもある。




 日中の暑さがほどなく緩和された夜、海を通って訪れた風が僅かに体感温度を下げたのならば、折りたたんで袖を肘上まで上げている効果も期待できよう。

 空を見上げれば雲があり、星があり、真月があり――そして、紅月が周囲を照らしている。日中とは違う、紅色の明かりは不安を増長させるが、慣れてしまえばどうということもない。

 いや、慣れてしまったのかなと、柴田しばた剛史つよしは思う。

 思えばもう二年も過ごした場所なのだ。夜に行われる仕事も、かれこれ一年ほど続けているのならば、慣れと油断、馴染みと不安、それらの使い分けもできるようになってくる。

 街中から外周区に移動してみれば、その境界線に一人の少女が待っていた。約束をしたわけでも、今回の仕事を頼んだわけでもないのに、猫族特有の耳を帽子で隠し、ショートパンツからひょいと飛び出た尻尾の先端を僅かに揺らしながら、通り過ぎようとした柴田の周囲を、両手を後ろで組みながら、くるり、くるりと回るようについてくる。

 チェシャ・ラッコルト――この都市に住む、他種族の一つ、猫族の女性だ。

 ついてくる?

 そんな大げさな仕事じゃないんだがと、口を開こうとするよりも前に、上空から風切り音を裂くように翼をはばたかせ、制動と共に翼を収納した小柄な少女が、傍に降りてきた。

 変身こそ一部であるものの、赤い鱗を持つ赤の竜族、珠都たまつである。

「わたしの勝ちだぞ!」

 誰への宣言かと思えば、最後の一人、闇夜の眷属である黒装束の女性が、口元のマフラーを首まで下ろして、柴田の〝影〟から姿を見せて、吐息を一つ。

「珠都先輩には勝てませんって……」

 黒鉄くろがねイッカは、そうとわかっていても、勝負に乗らない選択をしない――と、そこで。

「……どうかしたんですか?」

 ようやく、柴田は口を開いた。こんな勢揃いは聞いていない。

「どうしたって……え? 仕事ですよね、先輩」

「はあ、確かに俺の仕事ですが」

 年齢的には、この中で柴田が一番上だ。彼女たちはまだ高等部であるし、柴田は大学三年。なのにどうして丁寧な言葉遣いなのかというと、癖になってしまったからだ。己のことを自分と呼ばなくなっただけ、多少は軽くなったと言えよう。本当に多少だが。

 いつしか、年齢で人を見れなくなった。

 実際に彼女たちとそう年齢の変わらない実力者がこの都市にはいるし、何より態度を上手く変えられるほど、柴田は器用ではない。

 そして。

 戦力として考えたのならば、間違いなく柴田が一番下だからだ。そのぶんの敬意を払ってもおかしくない――というのが、持論である。

「イッカさんは、もしかして手伝いに?」

「何故か、珠都先輩に勝負を挑まれましたけど……」

「うむ、そうだな! まだまだ遅いなー、イッカは」

「たまちゃんは空飛ぶじゃん」

「でもチェシャより遅いぞ?」

「私を巻き込まないで下さいよ、二人でやってればいいじゃないですか。錬度不足なのは実感してますから」

 鱗による防御力を備え、竜族は人間と比較にならないほどの高密度魔力を体内に保有する。その制御こそ難しいが、珠都はそれを失敗したことなどない。こと術式において、この中では飛び抜けているだろう。

 猫族のチェシャは耳が良く、鼻が利く。元より情報屋稼業を続けているため、あちこちから仕入れをしているし、人付き合いも上手く、猫族特有の立体的な動きは速度も相まって、目で追うことすら困難だ。

 闇夜の眷属であるイッカは、夜渡よわたりと呼ばれる影の移動手段を持ちながら、身体能力が人間の二倍ほどある。範囲攻撃こそ不得手であるものの、六人程度ならば軽く暗殺できるだけの腕前を持っていた。

 そして、柴田は。

 ただの人間として、軍人のような訓練を受けただけの存在である。

 ――なのに。

「柴田が、仕事なのに私ら呼ばないのがいけない」

「……え? しかしチェシャ、そんな大きな仕事ではありませんよ?」

「こいつ!」

「鈍感だよなー剛史は」

「あのですね柴田先輩、日頃から退屈しているお二人はともかく、どんな些細な仕事でも、呼んでくれた方が安心するんです」

「そんなものですか?」

「というか、むしろ、簡単な仕事なら私に振ってくれた方がいいんです。なんかもう、リーダーとしての自覚がないっていうか……」

「いえ、イッカさん。俺はリーダーじゃないですよ」

「――え?」

「そういえば説明してませんでしたか」

「はい、その、私としては柴田先輩のところで経験を積めと、そう言われたので」

「とはいえ、部隊として認識されている――らしいのですが、まあ、上の意向なのでどう反応すべきかは、迷いますね」

 外周の手すりに背中を預けた柴田は、煙草を取り出して火を点ける。背中側の下は海であり、紅月こうげつに照らされた夜でありながら、ただ黒く、波の音色だけを響かせていた。

「先輩、煙草吸うんですね」

「よく驚かれますが、たまにですよ。珠都さんほどではありません」

「わたしはなー、戦場に二年くらいいたからなあ。煙草がよく落ちてたし」

「……珠都先輩の経歴が気になってきました」

「珠都さんは過酷ですよ。俺としては、聞かない方がいいかもと言いたくなります。まあ、聞いて損はないと思いますが」

 紫煙を吐き出せば、毒が体内に回って、余計なぶんだけ口から出て行くような感覚がある。

「どちらかと言えば、チェシャは俺の監視ですし、珠都さんは遊び相手くらいなもので……なんです、変な顔をして」

「こいつなー」

「いや実際にそういう点はあるけどさ……それだけじゃないでしょうが」

「はあ、そうなんですか?」

「こいつ!」

「どうしようもないなあ。なんで対人だとこう鈍感なんだ?」

「俺だって、物好きな二人だなあと思うくらいには感じてますよ?」

「こいつー」

「よくわかりませんが、その流れで私に押し付けないでください」

 本当によくわからない。

 ただ、好きだの嫌いだの、そういう感じではなさそうだ。

「ともかく、一体どういうことですか? 柴田先輩って、なんでこんな仕事してるんです?」

「なんで、と言われましても……あ、珠都さん、相手に怪我はあまりさせないように。チェシャ」

「んー、……まあ怪我させるなってのも無茶だろうけど、大丈夫」

「わかりました」

 続く言葉を待たず、二人はふらりと海側へと落ちた。

「へ!?」

「大丈夫ですよ、海の中に潜ったわけではありませんから。俺の仕事を代行してくれるんでしょう、まったくありがたい話です」

 お陰で暇になりましたと、柴田は苦笑した。

「えっと……ん? んん?」

「はは、そのうちわかりますよ。では暇になったことですし、少し話しておきましょう。主に俺の話ですが――まあ、きっと」

 たぶん、そしておそらく。

「あの二人は、どういうわけか、俺のことを評価してくれているんですよ」

「評価、ですか」

「ちょっと長くなるかもしれませんが、二年前、初めて俺がここ、海上都市ヨルノクニに来て――失敗した時の話から」

 大丈夫、酒がなくても話せる。

 というか、そもそも柴田は、酒をあまり飲まない。



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