Ⅵ
少年は少女の腕に貫かれ絶命していた。
少年が見た最後の表情。それは、死ぬ間際に見た、最後の少女の表情だったのだ。
少女にとって、まさか少年があの場面で剣を振り下ろすなど、予想もしてなかった。驚いたのは事実。だがしかし、人間よりもはるかに身体能力に長けた魔物にその程度の攻撃通用しなかったのだ。
少女は少年が剣を振り下ろす前に、少年の体を貫き、心臓を潰していた。
少女は少年の亡骸を地面に下ろすと、なぜだか笑いがこみ上げてきた。
「やはり、人間など下等な生物が、魔物に勝てるわけないんだ! これで、世界は魔物のものだ。人間から世界を救ってやった!」
少女は高らかにそう宣言したのち、玉座へと戻ろうと体の向きを変えた―――そんな時だった。
「いやー、お見事。良い戦いを見せてもらったよ」
誰のとも知らない声がこの場に響き渡った。
中世的な、男とも女とも分からぬ特徴的な声だ。
「誰!?」
少女は驚き、声のした方へと頭を動かす。
声の主は、玉座に座っていた。体中を布で覆った、誰だか分からない存在が、我が物顔で玉座に座って、手を叩きながら少女を見ている。
「お初にお目にかかります。僕はしがない旅人。ちょっとここに寄ったので見物させていただきました」
「何者? 人間? それとも魔物かしら」
「さぁ、どっちでしょうね」
「変な奴。あなた、私になにか用なの?」
「いえね。そこの救世主君とはちょっと前に出会っていてね。少し気になっていたから見に来たんですよ」
「ああこの少年のこと。残念。私が殺しちゃったわ。知り合いだったの?」
「知り合いというわけではありません。ですが、あなたに会せようとしたのは僕ですよ。あなたを少年に救ってもらおうかと思いまして」
「私を救う? なにバカげたことをいっているの。私はこう見えて強いのよ。人間に救われるような落ちぶれた魔物じゃないわ」
「おやおや、本当に忘れているのですね。やはり、記憶が消されていますか」
「あなた、言っている意味が分からないんだけど」
「じゃあ、分かりやすく言って差し上げましょうか」
「なにを……」
「あなたは、魔物なんかじゃない。正真正銘、人間の少女です」
その瞬間、旅人が座っていた玉座が吹き飛んだ。
少女が怒りにまかせて、突っ込んできたのだ。
しかし、少女に手ごたえはなかった。
「僕はあまり、戦闘が得意ではないんですよ。ただのしがない旅人ですから。そうムキにならないでいただきたい」
「怒らせたのはどっち! 私が人間ですって。ふざけるのもいい加減に」
「ふざけてなどいませんよ」
そう言って旅人はいつの間に移動したのか、少年の亡骸の前に屈みこむ。
「おやまぁ。体を一突き。いえ、一握りと言った方がいいでしょうか。心臓が潰されていますね。これじゃあ助からない」
旅人は最後に少年の体を触った。
少年の体はすでに冷たく、死後硬直も始まっているようだった。
「ですが、最終的に自分で考えることを放棄した人間にはこれがいい終わり方だったように思えます。恨まないでくださいね。これでも、あなたには期待していたんですよ。途中まではよかったのに、残念でなりません」
旅人は少年の耳元で囁くと、少女の方へと向き直る。
「すみませんね。話の途中に。それで? なんでしたっけ?」
「とぼけないで! 私が人間というのはどういうこと!?」
「ああそのことですか。それでしたら紛れもない事実です」
「またそんなことを言って」
少女の体に力が宿る。
魔物特有の邪悪なオーラを纏ったと思うと、旅人に向かい突進してきた。
しかし、少女が旅人に攻撃を加えることなど出来なかった。
なぜなら、少女の体は途中で激しい激痛も伴い地面に倒れてしまっていたからだ。
「…お前…なにを…した……?」
「僕は何もしていない。ただ、君の体が限界を迎えていただけ」
「限界…ですって……?」
「そう。君は人間でありつつ、この数年の間ずっと魔物の魂であり続けた。体は人間。魂は魔物。そんな歪な存在が、ずっと生きていけるわけないでしょう」
「なに…をいって…わた…しは、人間なんかじゃ…ない」
「まだいいますか。強情な方ですね。あなたも、少しは自分で考えたらどうです? なぜ、あなたにはこんな力があるのか。なぜあなたは、他の魔物と違い人間と同じ姿形をしているのか。
そしてなぜ、あなたは少年を殺した時から―――ずっと涙を流しているのか」
「え……」
少女は驚いたように自分の頬を触った。
そこには確かに少女の目から落ちる、ひと筋の涙の痕があった。
「哀れな少女よ。魔王に利用され、自らの手で自分の寿命を縮めた少女よ。今すぐに、あなたの封印された記憶を掘り起こしてあげましょう」
少女の額を旅人が触る。
その瞬間、少女の頭に今まで忘れていた情景が浮かんだ。
人間だった自分。なにもなかった自分。感情をなくし、ただ死ぬのを待っていただけの自分。神に、天に許しを請いていた自分。
そしてそんななにもない、生きる価値も見いだせなかった自分に答えてきた誰かの声。闇が少女の体を覆い、邪悪な気配を纏った何者かが少女に向かっていった言葉。
『ではお前を私の子供にしよう。喜べ。まだお前は生きれるぞ』
『お前には価値がある。私の代わりに、この世界を、忌々しい人間を滅ぼせ』
神様らしからぬ物言い。
旅人が見せた記憶は、少女の魂が見ていた記憶。
そして、少女の魂に入ってきた力は、紛れもない悪意に満ちたものだった。
真っ黒に染まる少女の魂。
その全てを、少女は思い出していた。
「私が…人間…」
「やっと理解してくれましたか。そう、君は人間。君が大事に思っていた神様は、あの少年が言ったように魔王だったんだ。感情のなかった君は利用された。そして、魔王の目論見通り、君は自分を魔物だと信じ込み、力を使い世界を恐怖で支配しようとした」
「そんな…じゃあ、この涙はいったい……?」
「君の魂の叫びだ。同属の人間、それも真実を話し君を救おうとしてくれた少年に対しる、悲痛な魂の叫びだよ」
「あの少年が……そう…」
「幸い、魔王は君を生き返らせるのに力を使いすぎたために長生きはできなかった。しかし、限られた命の中、君を完璧な魔王へと育て上げたのは、さすがというべきだね」
少女は力のない体で、絶命している少年の手を握った。
冷たく硬い手。もう命が尽きてしまった亡骸に、少女は近づいて行く。
「君達に足りなかったのは『自分で考える力』さ。それさえあれば、君は自分が魔物でないと認識できたし、こんな結末を迎えなかったのかもしれない。少年の方もそうだ。人間全てを善、魔物全てを悪だと思い込まなければ、少しは違う未来にいけたのかもしれない。どちらも、自分で考えることをしなかったから悲痛な未来を迎えてしまった」
旅人は少女に近づき、少年と少女の二人を見た。
「しかし、それでも、君達は感情のない子供だった。君達は加害者であると同時に、被害者でもある。僕はそう言ったかわいそうな人達の魂を救う旅人だ」
もう少女から声は聞こえない。
死んではいない。しかし、少女の魂の灯は消えようとしている。
旅人は少女に手を伸ばす。少女の奥、真っ黒に染まった少女の魂に。
「このままじゃ、君は天国にはいけない。だから最後に人間に戻してあげる」
旅人が少女の魂に触れる。
途端に、少女の魂は明るい光で包まれ、包み込んでいた闇が取り払われる。
少女は人間の姿に戻っていった。
そしてそのまま、少女の魂は消えてなくなる。
「さぁ、お休み。哀れで、かわいそうな子達よ。今度は、しっかりと感情を持って生まれてくるんだ。さすれば、君達の魂は本当の意味で救われる」
こうして世界に同時に誕生した哀れな感情を持たない少年と少女。
救世主と魔王は、また同時にこの世から去った。
世界には平和が戻ってくる。
元の、救世主も魔王もいない、そんな平和な世界が。
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