善なる少年と悪なる少女、似て非なる二人のお話

まとい

プロローグ

 少女は祈った。

 誰もいない、真っ暗な山の頂上。天候は荒れ、風も強く、暖かさなど皆無の山で、死にゆく運命の中、少女はそれでも神に祈りをこいた。

 家族は誰もいない。見たこともない。家なんてものこれまで一度も持ったこともない。

 人間らしい生活など生まれてこの方、したことがなかった。

 少女の目から感情はまったくと言っていいほど抜け落ち、まるでそれしか知らないかのように、一心不乱に、すがるように天に許しをいている。


「神様。私はこのまま死ぬのでしょうか」


 感情のこもらない淡々とした声で、少女は誰ともしれない荒れた空に向かって、ただ思うがまま口を開く。

 誰から教わったのか、それさえも少女の記憶にはない。しかしそれでも、懺悔にも似た声が少女の口から洩れ出ている。

 死ぬ前には神に許しを請わなければならない。

 じゃないと、死ぬことさえ許されないから。

 誰かの声。顔も分からない誰かの声だ。少女に言葉を教えてくれた人。でも、人間らしい生活を一度も送ったことのない少女には、それが誰だったのか、いつの頃だったのかさえ思い出せないでいた。

 ただ、やらなければならないという強い強迫観念にかられ、神様に一番近いと思ったこの山頂にやってきたのだ。

 何も持っていない自分は、もうこの世界になどいらなかった。

 だから、少女は早く死にたかった。そのためにも、神に許してもらう必要があった。


「神様。私はこのまま死ぬのでしょうか」


 もう一度、少女は同じ言葉を繰り返す。

 少女の答えは決まっていた。それでも、神の声を聞かないとならない。

 普通であればそんなことする必要はないと教わるだろう。しかし、少女にはそれを教えてくれる人も、自分の行動を止めてくれる人もいなかった。

 ただただ、死にたいという一心で、ここまできたのだ。

 服はところどころ穴が開き、靴など持っていない少女の小さな足は、ここまでの道のりで傷つき、血で染まっていた。

 痛々しい足など気にすることもなく、山頂に膝をつき、少女は天を眺めていた。

 神様が答えてくれるのを信じて。

 荒れた天候のせいで、周囲の気温は下がり、少女の意識ももうろうとしてきた。

 じきに少女は死ぬ。

 それは少女自身がよく分かっていることだ。

 それでもまだ死ねないと、そう思っている。

 とうとう、少女の体は自分の意思とは無関係に崩れ始める。膝をついているだけの体力もなくなり、その場に倒れこむ少女。

 それでも、少女はずっと待った。神様が自分に答えてくれるのを信じて。ただひたすらに待っていた。


「私は……このまま…死ぬ…の、でしょうか……」


 少女は最後の力を振り絞り必死に言葉を紡ぐ。

 口を動かすだけのことも、今の少女には辛く苦しいことだった。


『……お前は死にたいのか?』


 そんな時だった。

 人など存在できないところに、太く力のある声が響き渡ったのは。

 少女は確信した。これが神様だと。神の声だと。やっと答えてくれたと、嬉しくなった。これが初めて少女が感じた感情だった。

 少女は神の声に答えるために、何とかして口を動かす。


「私なんかいらない。この世界に無意味な存在」

『だから死にたいと』

「生きていてもどうすることもない。どうせあと少しで死ぬ」

『では、なぜここに来た?』

「許しを請うため。それまでは勝手に死んだらいけないから」

『……なるほど。そういうことか』


 神様は少女の発言ですべてを悟った。

 少女が哀れな人間であり、何も知らない無知な、感情のない少女であることを。

 神様はニヤリと笑う。邪悪に口角を上げた。

 こいつなら利用できる。まるでそう言っているかのようだ。

 途端、少女の周りを闇が取り囲む。

 少女の体は何かに包まれるように浮き上がった。


『ではお前を私の子供にしよう。喜べ。まだお前は生きられるぞ』


 神様の声が木霊する。

 しかし、少女に反応を返すような力は残されてはいなかった。魂は弱りきり、あと少しもすれば、小さな少女の命のともしびは消える。

 神様はそれを見てさらに笑う。


『お前には価値がある。私の代わりに、この世界を、忌々しい人間を滅ぼせ』


 神様は邪悪に歪んだ声で、無理やりに少女の消えかけの命に新たな炎を灯した。

 真っ黒な、消えない炎を。



 少女の声に答えたのは、神様などではなかった。

 ましてやその逆。この世界の滅びを目論む魔王だったのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 時を同じくして、ある国の教会で儀式が行われていた。

 国の王様が駆けつけ、国でも選りすぐりの魔道師を一堂に会して行われる儀式。


「もうじき、邪悪な闇がこの世界を覆う。それに抗うためにも、我々の手で救世主を生み出さなければならない」


 少し前、この国に滞在している高名な占い師に典型が下った。

 曰く、数年後この世界は邪悪な神、魔王の支配下となる。そうならないためにも、すぐにでも異界の門をあけ、そこから現れたものを救世主として育成をするのだ―――と。

 王様はそれを聞き、国中の魔道師を協会に集め、異界の門を開く儀式に取り掛かった。

 数十年に一度の厄災。過去の文献を頼りに魔道師達は己の魔力を注ぎ込み、呪文を詠唱する。

 教会の十字架が光り、そこから一粒の光が零れ落ちた。

 異界の門が開いた証拠だ。

 光は教会を覆い尽くし、王様もその場にいた者が皆、まばゆい光に目を閉じた。

 次に目を開けた時、全ての者がはっきりと、教会の十字架の下を見て動きを止める。

 そこには、まだ幼い少年の姿があった。

 目に感情は見えず、召喚されたことに戸惑いすら感じていないような、そんな冷たい目だ。

 少年は辺りを見渡すと、何かを悟った。

 この世界は少年の生きていた世界とは違う。少年はそれを直感で感じた。しかし、それだけだった。

 抗うことも、疑問に思うことも少年にはできなかった。

 なぜなら少年には感情がなかったから。

 少年は元の世界で孤児だった。親を目の前で殺され、家は燃やされ、一夜にして少年は何もかも失った。その時、少年の心も家と一緒に燃え尽きてしまっていたのだ。

 何かを感じるという感情がすでに欠落してしまった少年。

 しかし、そんなこと知る由もない教会に集まった面々は、一堂に儀式の成功を喜んだ。

 これで世界は救われる。そんな思いで溢れていた。ある者は嬉し泣き、ある者は膝をついて信じられないかのように少年を見て、ある者は近しい人と抱き合い喜びを分かち合った。

 そんな中、この国を統べる王が、少年の下に来る。

 少年の小さな体を抱きかかえると、王は満面の笑みでこういった。


「今日から君は私の子供だ。救世主として大切に育ててみせるから、安心してほしい」


 こうして少年は、王様の家族になった。

 感情のない少年が味わう、二度目の家族の暖かみ。

 だが、少年がそれを理解するのはまだまだ先の話だ……。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 この日、世界には救世主と魔王が誕生した。

 家族も家も感情も、何もない。そんな似たような少年と少女。

 しかし、生憎にもその人生はまったくと言っていいほど逆のものになる。

 これはそんな悲しい二人の物語。

 敵となることを運命づけられた、そんな二人のお話。

 いったい、最後に君はなにを思うかな?

 僕はそれを聞くのが楽しみだ。

 さぁ、長い前置きはここまでにしておこう。

 物語の幕開けだ。

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